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n+1周目

06

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 目が覚めると、そこは変わらず寂れたボロ屋の一室だった。
 身体がひどく重たくて、頭痛もする。それが栄養不足に起因するものであることは想像に難くない。
  どれくらいの間意識を失っていたのかはわからないが、カーテンは閉められ、部屋の中は暗かった。どうやら今は夜中らしいということだけを理解する。
 しばらくすると暗闇に目が慣れて、すぐ横のサイドボードに置かれた水差しと薬が目に入った。ジェイドが医者を呼んだに違いない。無駄なことを、薬など飲んだところで快復はしない。
 本心では俺のことなど見殺しにしたいだろうに、家族のことがあるからそういうわけにもいかないのだろう。その不憫さについ口元に嘲りが浮かぶ。
 奴の忍耐は無駄に終わる。この回の終わりはそう遠くはない。
 俺は気怠い上半身を起こして、水差しを手に取った。コップに注いだ水をゆっくりとあおる。冷たい液体が喉を通っていく感覚が少しだけ心地よかった。
 水を飲み終わると、俺はベッドにまた身を沈めた。

(もうこのまま目覚めなければいいのに)

 幾度となく胸に抱いたその願いを今一度心の中で唱え、倦怠感に引きずりこまれるようにして眠りに落ちた。



 物音がして、眠りの底から意識が浮上する。
 僅かに開いた瞼の隙間から、窓から差し込む光が入り込んでくる。眩しさにもう一度目を閉じると、今度はすぐそばで人の気配がした。
 ゆっくりと瞼を持ち上げ、視界を気配の方へと向けると見慣れた金髪が映る。何してるんだこいつ、と思ったらどうやら水差しを変えているところらしかった。

「……勝手に部屋に入るな」
「ユー、ジン様」
 
 寝起きのせいで声が掠れたが、ジェイドにはしっかりと届いたようだった。
 こいつ今絶対ユークって呼ぼうとしただろ。緊張感がなさすぎる。
 ジェイドをじっとりと睨み付けたが、奴は素知らぬ顔で「目が覚めたのですね」と言った。

「出ていけ」
「医者が言うには栄養失調だということです」

 俺の言葉を丸切り無視してジェイドが言う。生意気な態度が心底腹立たしかったが、起き上がるのもしんどい今の俺には殴ることも怒鳴ることもできなかった。
 舌打ちをして、せめてこのムカつく金髪を視界から追い出そうと顔を逸らす。すると、微かな溜息が落ちてきた。お前に溜息をつかれる筋合いはない! と心中でだけ苛立ちを叫ぶ。

「何故お食事を召し上がられないのですか」

 そう尋ねるジェイドの声には非難する響きがあった。
 倒れた原因が栄養失調だなどということは俺も、もちろんジェイドもわかりきっていた。毎日あれっぽっちしか食べずにいたのだから、医者に診てもらうまでもなかったのだ。それほどまでに食事を拒否するのを、ジェイドは貴族のわがままとでも思っているのかもしれない。馬鹿らしい。
 答える言葉はなく、俺は依然顔を背けたまま黙り込んだ。
 しばらくすると、さっきよりもはっきりとした溜息の音が聞こえてきた。

「今お食事をお持ちします。栄養のあるものを摂って安静にしていれば直に回復するだろうということでした」
「いらん」
「食事を摂らなければ良くなりません」

 部屋を出て行こうとしたジェイドに間髪いれずに言葉を投げつけると、それに対して苛立ちの滲んだ声が返ってきた。

「食欲がない。食べたくないんだよ」

 俺も不機嫌な声音で応酬すると、ジェイドがベッドを回り込んで俺の視界に割り込んできた。強引に目を合わせてきては「何故ですか」と低い声で問いただしてくる。俺はそんな奴を鼻で笑った。

「随分と必死だな?」
「笑っている場合ですか。このままでは貴方は死ぬんですよ」
「そうしたらお前の家族を解放する当てがなくなるものな?」
「そんなことを言ってるんじゃありません」

 怒気を含んだ声音にまたも失笑する。こいつは俺を心配しているとでも言うつもりか? 笑わせる。

「じゃあ何か? 俺が侯爵家で振る舞われていたような食事なら食べるとでも言えば、お前は俺を家に送り届けるのか? そしたら、お前はよくて折檻、悪くて一家処刑だろうな」

 俺の言葉にジェイドの表情が険しいものへと変わる。憎しみと軽蔑を露わにした碧眼が俺を睨みつけた。だが、そんなものは痛くも痒くもない。
 俺は精一杯の嘲りを込めて吐き捨ててやった。

「善人ぶるなよ、偽善者め」

 ジェイドの顔には怒りがありありと浮かんでいたが、何も言い返してはこなかった。しばらく黙り込んだ後、怒りを抑え込んだ声でもう一度「お食事をお持ちします」と言って、静かに部屋から出て行った。

 それから少しして、ジェイドはスープの皿を手に戻ってきた。
 ベッド脇までやってきて、「どうぞ」と無愛想に差し出してくる。その手を跳ね除けてスープをひっくり返してやろうかと思ったが、やめた。代わりに食べないのではなく"食べられない"のだと見せつけてやることにする。その方が奴に打撃を与えることができると考えたからだ。
 渡された皿には細かく切った野菜が入った琥珀色の液体が入っていた。ほのかに湯気を上げている。だが、俺の鼻は何の匂いも感知しない。
 スプーンでスープをひと掬いして口に運び入れる。何の味もしない。ただの熱い液体だ。柔らかく煮込まれた野菜も、俺にとっては泥のようだった。数口も飲むと、途端に胃から迫り上がってくるものがあった。
 俺はとっさにスープの皿をジェイドに押し付けて、口を覆った。

「っう、ぐ、おぇっ……」

 空っぽの胃からは胃液が出てくるだけだった。えずく俺をジェイドが驚きで呆然と見つめる。

「げほっ、はぁ……。わか、ったか? 食べられないんだよ」

 睨み上げながら言ってやると、ジェイドは困惑した様子で眉を潜めた。奴の想像よりも事態は深刻なのだと気付いたことだろう。いい気味だ。
 この偽善者は俺が死ぬ時喜ぶのか悔やむのか、それを知ることだけは少し楽しみになった。
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