悪徳貴族は繰り返す破滅を終わらせたい

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 夜明け前、街を出る街道を俺とジェイドは歩いていた。外套越しに早春の冷気が肌を撫でていく。俺たち以外に人の姿はなかったが、念のためフードは目深に被っていた。
 ジェイドは無言で俺の後ろをついてくる。ちらと振り返って様子を見てみるが、フードのせいで表情は見えない。だが、今のところ不審な様子はなく、大人しく従っているようだった。



***



「何もかも嫌になった。家を出る」

 そう俺が告げると告げると、ジェイドはあからさまに怪訝そうな顔をした。「どうされたのですか」と儀礼的に聞いてくるので、「どうもしない。この家に嫌気が差した」と答えた。
 ジェイドの視線が懐疑的なものに変わる。“3月9日”以前の俺からは考えられない言葉だったのかもしれない。俺の言葉の裏を探ろうとするように、エメラルドの瞳がじっと俺を見つめる。まあ、裏はある。

「お前もついて来い」
「は……?」

 俺の言葉に理解が追いつかないのか、呆けた顔をする。「聞こえなかったか?」と声を低くして問うと、ジェイドは「いえ」と取り繕った。しかし、表情には困惑と疑念がありありと浮かんでいる。全然繕えていないわけだが、些末なことは気にしないことにした。

「俺は家を出る。お前は俺についてくる。わかったか」
「しかし」
「お前の意見は聞いていない。これは決定事項だ」

 俺の言葉にジェイドは黙り込む。が、俺もこんな言葉だけでジェイドを従わせることができると考えるほど阿呆ではない。
 苦々しげに言葉を飲み込むジェイドに、俺は「1年だだ」と言葉を続けた。

「1年間、俺に付き合えば家族を解放してやる」

 そう言うと、途端にジェイドの表情がハッとなる。が、すぐさまそこに疑念の色が浮かんだ。

「……本当ですか」
「本当だとも。俺が嘘をついたことがあったか?」
「……」
「もちろん、俺の言葉は偽りだったことの方が多いだろう。お前は俺の言葉など信じられないだろうな。だが、俺の言葉が嘘だろうが本当だろうが、お前は俺に従うしかない。違うか?」

 笑いかけてやれば、ジェイドは屈辱に顔を歪める。いちいち感情が表情に出る奴だな、と呆れた気持ちになる。そんなだから甚振られるのだとわかっているのだろうか。

「このまま一生を侯爵家に仕えて死ぬか、それとも俺に大人しく一年間付き合って家族揃ってなんのしがらみもなく自由の身となるか、二つにひとつだ。もちろん、俺を裏切ればお前にもお前の家族にも未来はないものと思え」

 敢えて何の感情も込めずに言う。ジェイドは険しい表情のまま、「ご同行いたします」と固い声で答えた。



***



 とまあ、こんな感じでジェイドを連れてあの家から出ることに成功したわけだ。
 実際のところ、ジェイドが誰かに告げ口したり、今ここで俺に襲い掛かったりしたところで、俺に打つ手はない。だが、ジェイドとて家族の命を天秤にかけられて無謀な行動に出るほど馬鹿でもあるまい。

「これからどうされるのですか?」
「このまま歩く。乗合馬車が通りかかれば拾う。その繰り返しだ。2週間もあれば目的地に着くだろう」
「目的地は」
「アーネスタ領だ。すでに住居も手配してある。そこで一年間何事もなく過ごせたら、晴れてお前とお前の家族は自由の身だ」

 アーネスタはノイフォートからほど遠い、何の特色もないド田舎の領地だ。金もなく兵力も弱いこの土地は国内において極めて存在感が希薄だ。身を潜めるにはちょうどいい。

「国内に留まられるのですか」
「俺には俺の事情があるんだよ」

 何の説明にもなっていない俺の言葉にジェイドは眉を顰めた。詳しく説明すると、要するに生きて国境を越えられたことがないのだ。だが、それをジェイドに言ったところで「何言ってんだこいつ」となるだけだ。
 それに、ジェイドが懸念しているであろう追手についても、心配が不要であることを俺は知っている。今までの逃亡の中で連れ戻されたことは一度たりともない。つまり、探されてもいない。何も言わずに姿を消した俺を父はすぐさま切り捨てたのだろう。もともと大して期待もされていなかったから、当然の流れなのかもしれない。

「心配せずとも、どうせ誰も連れ戻しになんて来ない」

 思わず口から出た言葉は惨めな響きを伴っていた。ジェイドがハッとしたように俺を見る。その視線に哀れみが滲んでいるようで、一気に殺意が込み上げてきた。だが、ここでこの男を殺すわけにはいくまいと剣に伸ばしかけた腕を堪えた。

「これ以上の無駄口に付き合うつもりはない。黙って歩け」

 極力感情を抑え込みながらそう告げると、ジェイドは声もなく従った。
 出発した頃にはまだ薄らと見えていた星と月が、今ではもう白む空の彼方に消えていた。
 遠のき小さくなった街を背に俺たちは歩みを再開した。
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