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王都編56 向こうでの出来事
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王都編56 向こうでの出来事
その後、ヘドヴィカとは長く腹を割って話した。
様々な事が飛び出して驚きもしたが、彼女の話を聞けて、また面と向かってお礼を言えて良かったと思う。
俺はまだ短期間だが、彼女は生まれたその時からこの世界にいた。俺よりも遙かに長い時間戦ってきたのだ。改めて様々な人に助けられているのだと痛感しながらこれからの事に思いを馳せる。
ヘドヴィカから聞いたのは主に三つ。
一つはセイアッドが関わるシナリオについてだ。一番重要だと言っても過言ではないと思っていたんだが、どうやら彼女の知る状況と現状はかなり…というよりめちゃくちゃ乖離しているようだ。
そもそもセイアッド自身が攻略対象になるのは旧バージョンからいる攻略対象達を全員攻略し、かつ全ルート制覇後に出現するグラシアールの全ルート攻略後らしい。各ステータスもMAXでやっとフラグが立てられるようになるそうで全ルート分の周回プレイは必須。セイアッドが追放される所までの流れは同じようだが、全ルート制覇後には少し流れが変わるらしい。
年上組の指摘によってセイアッドに掛けられた冤罪とミナルチークの企てが発覚し、セイアッドの名誉回復に動くというのが主なあらすじだ。フラグが立つまでセイアッド専用のアイテムも使えず、更にはグラシアールの後押しも必要で彼との好感度のバランスを取るのが難しいらしく、超絶高難易度を誇るようだ。「トゥルーエンドを見るまで何回失敗したことか……!」とヘドヴィカもテーブルを叩いていたので相当だったらしい。
そんな感じなので万が一何らかの強制力があったとしてもステラがセイアッドの攻略をするのはまず無理だと否定された。まあ、確かにフラグを立てるのに必要なステータスは足りず、グラシアールの攻略はおろか年上組の攻略も碌に出来ていない現状では無理だな。俺自身がステラにどうこうされるという懸念に関しては優先順位を下げても良さそうだ。
それにしても、セイアッドが攻略対象になっている可能性は考えていたが、そこまで高難易度に設定されていたのは予想外だった。移植バージョンのシナリオを手掛けたのは誰なんだろうな…。
二つ目は移植バージョンから追加されたアイテムについてだ。これは大方予想通りで、それぞれの個別キャラクターを対象にした好感度ブーストアイテムが存在するらしい。そして、それは各々をイメージした香水だという。
詳細を聞けば、レヴォネ領でレインが作っていた物と材料の一部が同じ物だった。どうやらあの香水が追加アイテムだったようだ。
その事実にゾッと背筋が冷えたが、原料と製法を知っていて作れる人材も資源もダーランが抑えているので問題ないだろう。高価な物や貴重な物が材料として挙げられていたので伝手がない人間がそう簡単に作れる物でもないしな。
一つ気になったのはオルテガとセイアッドの材料が入れ替わっていた事くらいか…。本来なら『黄昏』が少し苦い柑橘の香りがして、『月映』が甘いムスク系の香りらしい。相手を惹きつけるアイテムなら分かりやすくそれぞれの名が付く筈だから好んだ香り的にはこれが正しいんだろう。
その事実を指摘すると満面の笑みで微笑まれたので深く追求するのはやめた。恐らくレインが作った際にオルテガが好んだ物に『月映』の名を付けたからおかしくなっているんだと思う。
確かにあの香水はヤバい。オルテガが身に付けている状態で嗅ぐと脳天直撃で理性が溶けてしまう。ただ、単品で嗅ぐだけだったりサディアスと行った検証で誰彼構わず効く訳でもないようなのでその条件もそのうち調べたいものだ。
飽きて膝で丸くなっているフィーヌースの背を撫でてやりながら思考を巡らせる。
ヘドヴィカと話した事柄の最後の一つ、それは朱凰の事だ。
これに関しては彼女もあまり覚えがないようだ。シンユエの事も話してみたが、彼が出て来たという記憶もないらしい。
セイアッドルートで出て来たのはサブキャラのダーランだけで朱凰の名前はダーランのキャラクター説明でちらりと出ただけ。更には王都中央に貧民窟が出来たとか薬物が出回るなんて展開はどんなルートでもなかったらしい。
そうなってくると、朱凰の動きの予測がつけ難くなる。シナリオがあるならばある程度それに則した動きをする筈だが、存在していないとなると何が起こるかわからない。警戒は強めておいた方が良さそうだ。ダーランにも改めて監視と探りを頼んでおこう。
…ヘドヴィカもまた日本で死んで此方で目覚めたそうだ。
元から難病を患っており、幾度も寛解と悪化を繰り返しながらそれでも自分なりに精一杯生きて人生を楽しんだ、と笑っていた。なんと声をかけて良いのか分からずにいた俺にヘドヴィカはこう言った。
『私が生きている間、オトサクに関わる事故と事件があった』と…。
その二つの事柄で一人は植物状態、もう一人は死亡したのだという。恐らく、そのどちらかが「俺」なのだろう。しかし、もう一人は一体誰なのだろうか。
「もう随分前の記憶になってしまうので詳細を覚えていなくて申し訳ないです。その頃には双葉の体調もあんまり良くなかったから……」
そう言いながら肩を落とす様子に軽く首を横に振る。その情報があるだけで十分だ。
先程からうんうん唸りながら必死に思い出そうとしているヘドヴィカはぽつぽつと話し始める。
「確か……過労が原因で事故が起きて……制作会社の同僚の人が労働基準法違反だと裁判を起こそうとしたんです。でも、訴えを起こそうとした人が殺されてしまって……それで世間では蜂の巣を突いたような騒ぎになっていました」
ヘドヴィカの言う事が正しいなら恐らく前者が「俺」で後者が他の誰かだ。その人は一体誰なんだろうか。
脳裏に浮かぶのは名も顔も思い出せないあの男だ。
緩やかに湧き上がる記憶の奔流。嗚呼、そうだ。階段から落ちた時、彼は一緒にいたんだ。
少し上にいた彼は落ちていく「俺」に気が付いて手を伸ばしてくれた。記憶に微かに残っていた誰かの叫び声は彼の声だ。そして、墜ちた「俺」の手を握ってくれたのもきっと……。
彼とは親しかった…と言っても良いと思う。何度も食事に誘ってくれて、声も良く掛けてくれた。たまに二人で飲みに行って、イベントの仕事も一緒にしたっけ。行きと、タイミングが合えば帰りの電車も一緒に乗って他愛のない話をしながらいつも俺に肩を貸してくれた男。
そして、彼こそがオルテガの生みの親だ。もし、彼が双葉の言ったもう一人の死者の方だとしたら…。
そこまで考えて軽く首を横に振って思考を打ち切った。この世界にやってくる基準や理由は分からない。それに、双葉は「事故をめぐって裁判を起こそうとして殺された」と言っている。彼が「俺」にそこまでしてくれる理由が見つからない。
彼は顔も頭も性格も良く、俗に言う完璧超人といった類いの人間だった。
人付き合いも上手く、俺以外にも親しい人が沢山いたように思う。恋人がいたかどうかは知らないが、あれだけ美形な男なら絶対付き合ってた人がいるだろう。そんな男が、たかが同僚一人の為にそこまでしてくれるとは思えなかった。しかし、誰かが「俺」のせいで死んでしまったのは確かなんだろう。
「……君は殺されてしまったと言ったが、何があったんだ。覚えていたら教えて欲しい」
本当は聞くのが恐ろしい。だが、俺は知らなくてはならない。「俺」の所為で何が起きたのか…。
ヘドヴィカは少し迷った様子だったが、ゆっくりと口を開いた。
「殺された方は事故にあった方が過重労働状態だった証拠を集めて提出しようとしていたんです。そして、隠蔽しようとした上司と揉み合いになったんだったかと。それで倒れた時に頭をぶつけて、その打ち所が悪くて……」
なんて事だ。「俺」なんて放っておいてくれれば良かったのに。
亡くなったのが誰かは分からないが、上司というのは俺の直属の上司だった男だろう。傲慢で狭量で、人を罵る事と上に良い顔をする事しか取り柄の無い自己愛の強い男だった。アイツに罵られた事を思い出して酷く嫌な気分になる。あんな奴や「俺」の所為で人生を終わらせて良い人なんてあの会社にはいなかった。
「……恐らく、事故にあったのが俺だろう。最後の記憶は地下鉄の階段を踏み外して落ちるところだから。だが、もう一人は見当がつかない」
「そのもう一人の方がオルテガ様になっているんでしょうか?」
ヘドヴィカの問いに考えてみるが、分からない。少なくともオトサクに関係がある人物なんだろうが…。
「わからない……。しかし、前にアイツが言っていたんだ。物心つく前から自分の胸の奥からセイアッドを守れと声がすると。彼が取る言動はこの世界のオルテガ本人のものだが、本人に自覚はなくともその声とやらの影響を受けている可能性は高いと思う」
「うーん、良くわからないですね。普通、こういう転生ものの鉄板って転生者として自我を持つ事が多いじゃないですか。今のセイアッド様みたいに」
急にメタいことを言い出すじゃないか。まあ確かに、流行りになっていたジャンルではそういったパターンが多かったように思う。
本来の人格と入れ替わるようにその世界で生きていく。今の「俺」と「私」の状況はそれに近いが、「私」の自我が完全に失せた訳ではない。感覚や記憶、感情を共有しているようだし、傷付いて深く沈んでいるだけでこちらに声を掛けてくる事もある。
何より、「俺」はいずれ「私」に全て返すつもりだ。
「今は真咲の方が表に出ているが……「俺」はいずれ消えるつもりでいる。今はセイアッド自身が深く傷付いて胸の奥で眠っている状態だが、それもいつか目が覚める時がくる筈だ。そうなったら異分子である「俺」はいない方がいい」
「そんな……」
俺の覚悟を話せば、ヘドヴィカが切なそうな顔をする。
「真咲さんは本当にそれでいいんですか?」
ヘドヴィカは優しく諭してくれる。自身を諦めるなと。
だがな、「俺」はもういいんだ。
この世界に来て、色んな人と出会えた。いくつもの縁を繋いで、日本ではできなかった事もたくさんした。
何よりオルテガという存在に出逢えた。例え仮初だったとしても貰った温もりも愛情ももう十分だと思う。その思い出があれば、「俺」は大丈夫。
「いいんだ。「俺」の目的は初めからセイアッドを幸せにする事だから」
「真咲さん……」
「……俺の自分勝手な言い分だけど……俺がセイアッドじゃなかった事でオルテガに拒絶されたくないんだ。だから、なるべくオルテガには現状を悟られたくない。でも、それもそろそろ限界らしい」
いつも愛おしそうにこちらを見つめてくれる黄昏色。その黄昏に拒絶の色が在ったら…多分「俺」はもう立ち直れない。他の誰に嫌われても疎まれても良い。ただ、彼にさえ嫌われなければ…。
「出来れば今のゴタゴタを全部片付けた後でオルテガに暴露る前にセイアッドが目覚めてくれると良いんだけどな」
誤魔化すように笑って見せれば、ヘドヴィカはそっと俺の手に自分の手を重ねた。細くて白い指は華奢だが、とても温かい手だ。
「……私に協力出来る事があるなら何でも言ってください。真咲さんの力になりますから」
小さく鼻を啜りながら呟かれた言葉は優しい。その優しさに感謝しなければ。
「ありがとう」
短く返した言葉は、これまで紡いできたお礼の中で一番重いものだった。
その後、ヘドヴィカとは長く腹を割って話した。
様々な事が飛び出して驚きもしたが、彼女の話を聞けて、また面と向かってお礼を言えて良かったと思う。
俺はまだ短期間だが、彼女は生まれたその時からこの世界にいた。俺よりも遙かに長い時間戦ってきたのだ。改めて様々な人に助けられているのだと痛感しながらこれからの事に思いを馳せる。
ヘドヴィカから聞いたのは主に三つ。
一つはセイアッドが関わるシナリオについてだ。一番重要だと言っても過言ではないと思っていたんだが、どうやら彼女の知る状況と現状はかなり…というよりめちゃくちゃ乖離しているようだ。
そもそもセイアッド自身が攻略対象になるのは旧バージョンからいる攻略対象達を全員攻略し、かつ全ルート制覇後に出現するグラシアールの全ルート攻略後らしい。各ステータスもMAXでやっとフラグが立てられるようになるそうで全ルート分の周回プレイは必須。セイアッドが追放される所までの流れは同じようだが、全ルート制覇後には少し流れが変わるらしい。
年上組の指摘によってセイアッドに掛けられた冤罪とミナルチークの企てが発覚し、セイアッドの名誉回復に動くというのが主なあらすじだ。フラグが立つまでセイアッド専用のアイテムも使えず、更にはグラシアールの後押しも必要で彼との好感度のバランスを取るのが難しいらしく、超絶高難易度を誇るようだ。「トゥルーエンドを見るまで何回失敗したことか……!」とヘドヴィカもテーブルを叩いていたので相当だったらしい。
そんな感じなので万が一何らかの強制力があったとしてもステラがセイアッドの攻略をするのはまず無理だと否定された。まあ、確かにフラグを立てるのに必要なステータスは足りず、グラシアールの攻略はおろか年上組の攻略も碌に出来ていない現状では無理だな。俺自身がステラにどうこうされるという懸念に関しては優先順位を下げても良さそうだ。
それにしても、セイアッドが攻略対象になっている可能性は考えていたが、そこまで高難易度に設定されていたのは予想外だった。移植バージョンのシナリオを手掛けたのは誰なんだろうな…。
二つ目は移植バージョンから追加されたアイテムについてだ。これは大方予想通りで、それぞれの個別キャラクターを対象にした好感度ブーストアイテムが存在するらしい。そして、それは各々をイメージした香水だという。
詳細を聞けば、レヴォネ領でレインが作っていた物と材料の一部が同じ物だった。どうやらあの香水が追加アイテムだったようだ。
その事実にゾッと背筋が冷えたが、原料と製法を知っていて作れる人材も資源もダーランが抑えているので問題ないだろう。高価な物や貴重な物が材料として挙げられていたので伝手がない人間がそう簡単に作れる物でもないしな。
一つ気になったのはオルテガとセイアッドの材料が入れ替わっていた事くらいか…。本来なら『黄昏』が少し苦い柑橘の香りがして、『月映』が甘いムスク系の香りらしい。相手を惹きつけるアイテムなら分かりやすくそれぞれの名が付く筈だから好んだ香り的にはこれが正しいんだろう。
その事実を指摘すると満面の笑みで微笑まれたので深く追求するのはやめた。恐らくレインが作った際にオルテガが好んだ物に『月映』の名を付けたからおかしくなっているんだと思う。
確かにあの香水はヤバい。オルテガが身に付けている状態で嗅ぐと脳天直撃で理性が溶けてしまう。ただ、単品で嗅ぐだけだったりサディアスと行った検証で誰彼構わず効く訳でもないようなのでその条件もそのうち調べたいものだ。
飽きて膝で丸くなっているフィーヌースの背を撫でてやりながら思考を巡らせる。
ヘドヴィカと話した事柄の最後の一つ、それは朱凰の事だ。
これに関しては彼女もあまり覚えがないようだ。シンユエの事も話してみたが、彼が出て来たという記憶もないらしい。
セイアッドルートで出て来たのはサブキャラのダーランだけで朱凰の名前はダーランのキャラクター説明でちらりと出ただけ。更には王都中央に貧民窟が出来たとか薬物が出回るなんて展開はどんなルートでもなかったらしい。
そうなってくると、朱凰の動きの予測がつけ難くなる。シナリオがあるならばある程度それに則した動きをする筈だが、存在していないとなると何が起こるかわからない。警戒は強めておいた方が良さそうだ。ダーランにも改めて監視と探りを頼んでおこう。
…ヘドヴィカもまた日本で死んで此方で目覚めたそうだ。
元から難病を患っており、幾度も寛解と悪化を繰り返しながらそれでも自分なりに精一杯生きて人生を楽しんだ、と笑っていた。なんと声をかけて良いのか分からずにいた俺にヘドヴィカはこう言った。
『私が生きている間、オトサクに関わる事故と事件があった』と…。
その二つの事柄で一人は植物状態、もう一人は死亡したのだという。恐らく、そのどちらかが「俺」なのだろう。しかし、もう一人は一体誰なのだろうか。
「もう随分前の記憶になってしまうので詳細を覚えていなくて申し訳ないです。その頃には双葉の体調もあんまり良くなかったから……」
そう言いながら肩を落とす様子に軽く首を横に振る。その情報があるだけで十分だ。
先程からうんうん唸りながら必死に思い出そうとしているヘドヴィカはぽつぽつと話し始める。
「確か……過労が原因で事故が起きて……制作会社の同僚の人が労働基準法違反だと裁判を起こそうとしたんです。でも、訴えを起こそうとした人が殺されてしまって……それで世間では蜂の巣を突いたような騒ぎになっていました」
ヘドヴィカの言う事が正しいなら恐らく前者が「俺」で後者が他の誰かだ。その人は一体誰なんだろうか。
脳裏に浮かぶのは名も顔も思い出せないあの男だ。
緩やかに湧き上がる記憶の奔流。嗚呼、そうだ。階段から落ちた時、彼は一緒にいたんだ。
少し上にいた彼は落ちていく「俺」に気が付いて手を伸ばしてくれた。記憶に微かに残っていた誰かの叫び声は彼の声だ。そして、墜ちた「俺」の手を握ってくれたのもきっと……。
彼とは親しかった…と言っても良いと思う。何度も食事に誘ってくれて、声も良く掛けてくれた。たまに二人で飲みに行って、イベントの仕事も一緒にしたっけ。行きと、タイミングが合えば帰りの電車も一緒に乗って他愛のない話をしながらいつも俺に肩を貸してくれた男。
そして、彼こそがオルテガの生みの親だ。もし、彼が双葉の言ったもう一人の死者の方だとしたら…。
そこまで考えて軽く首を横に振って思考を打ち切った。この世界にやってくる基準や理由は分からない。それに、双葉は「事故をめぐって裁判を起こそうとして殺された」と言っている。彼が「俺」にそこまでしてくれる理由が見つからない。
彼は顔も頭も性格も良く、俗に言う完璧超人といった類いの人間だった。
人付き合いも上手く、俺以外にも親しい人が沢山いたように思う。恋人がいたかどうかは知らないが、あれだけ美形な男なら絶対付き合ってた人がいるだろう。そんな男が、たかが同僚一人の為にそこまでしてくれるとは思えなかった。しかし、誰かが「俺」のせいで死んでしまったのは確かなんだろう。
「……君は殺されてしまったと言ったが、何があったんだ。覚えていたら教えて欲しい」
本当は聞くのが恐ろしい。だが、俺は知らなくてはならない。「俺」の所為で何が起きたのか…。
ヘドヴィカは少し迷った様子だったが、ゆっくりと口を開いた。
「殺された方は事故にあった方が過重労働状態だった証拠を集めて提出しようとしていたんです。そして、隠蔽しようとした上司と揉み合いになったんだったかと。それで倒れた時に頭をぶつけて、その打ち所が悪くて……」
なんて事だ。「俺」なんて放っておいてくれれば良かったのに。
亡くなったのが誰かは分からないが、上司というのは俺の直属の上司だった男だろう。傲慢で狭量で、人を罵る事と上に良い顔をする事しか取り柄の無い自己愛の強い男だった。アイツに罵られた事を思い出して酷く嫌な気分になる。あんな奴や「俺」の所為で人生を終わらせて良い人なんてあの会社にはいなかった。
「……恐らく、事故にあったのが俺だろう。最後の記憶は地下鉄の階段を踏み外して落ちるところだから。だが、もう一人は見当がつかない」
「そのもう一人の方がオルテガ様になっているんでしょうか?」
ヘドヴィカの問いに考えてみるが、分からない。少なくともオトサクに関係がある人物なんだろうが…。
「わからない……。しかし、前にアイツが言っていたんだ。物心つく前から自分の胸の奥からセイアッドを守れと声がすると。彼が取る言動はこの世界のオルテガ本人のものだが、本人に自覚はなくともその声とやらの影響を受けている可能性は高いと思う」
「うーん、良くわからないですね。普通、こういう転生ものの鉄板って転生者として自我を持つ事が多いじゃないですか。今のセイアッド様みたいに」
急にメタいことを言い出すじゃないか。まあ確かに、流行りになっていたジャンルではそういったパターンが多かったように思う。
本来の人格と入れ替わるようにその世界で生きていく。今の「俺」と「私」の状況はそれに近いが、「私」の自我が完全に失せた訳ではない。感覚や記憶、感情を共有しているようだし、傷付いて深く沈んでいるだけでこちらに声を掛けてくる事もある。
何より、「俺」はいずれ「私」に全て返すつもりだ。
「今は真咲の方が表に出ているが……「俺」はいずれ消えるつもりでいる。今はセイアッド自身が深く傷付いて胸の奥で眠っている状態だが、それもいつか目が覚める時がくる筈だ。そうなったら異分子である「俺」はいない方がいい」
「そんな……」
俺の覚悟を話せば、ヘドヴィカが切なそうな顔をする。
「真咲さんは本当にそれでいいんですか?」
ヘドヴィカは優しく諭してくれる。自身を諦めるなと。
だがな、「俺」はもういいんだ。
この世界に来て、色んな人と出会えた。いくつもの縁を繋いで、日本ではできなかった事もたくさんした。
何よりオルテガという存在に出逢えた。例え仮初だったとしても貰った温もりも愛情ももう十分だと思う。その思い出があれば、「俺」は大丈夫。
「いいんだ。「俺」の目的は初めからセイアッドを幸せにする事だから」
「真咲さん……」
「……俺の自分勝手な言い分だけど……俺がセイアッドじゃなかった事でオルテガに拒絶されたくないんだ。だから、なるべくオルテガには現状を悟られたくない。でも、それもそろそろ限界らしい」
いつも愛おしそうにこちらを見つめてくれる黄昏色。その黄昏に拒絶の色が在ったら…多分「俺」はもう立ち直れない。他の誰に嫌われても疎まれても良い。ただ、彼にさえ嫌われなければ…。
「出来れば今のゴタゴタを全部片付けた後でオルテガに暴露る前にセイアッドが目覚めてくれると良いんだけどな」
誤魔化すように笑って見せれば、ヘドヴィカはそっと俺の手に自分の手を重ねた。細くて白い指は華奢だが、とても温かい手だ。
「……私に協力出来る事があるなら何でも言ってください。真咲さんの力になりますから」
小さく鼻を啜りながら呟かれた言葉は優しい。その優しさに感謝しなければ。
「ありがとう」
短く返した言葉は、これまで紡いできたお礼の中で一番重いものだった。
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