盤上に咲くイオス

菫城 珪

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王都編45 享楽の伏魔殿

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王都編45  享楽の伏魔殿

 雄山羊の剣亭は例えるなら小規模な宮殿のような所だった。
 周りが木造の建物が多い中、歓楽街の最奥部に突然白亜の建物がドーンと建っているのだ。パッと見はギリシャ神殿のように見えるから余計にかもしれない。
 これのどこが酒場なんだと思いつつ、受付の男に促されるままバンディーから受け取った仮面を身に付けて入り口を潜る。中に入った俺は思わず呆気に取られた。
 中は薄暗くて少し肌寒い。空調でわざわざ冷やしているらしい。行き交う従業員と思しき者達は男女共に極彩色をしたオリエンタル調の露出の激しい衣装を身に纏っている。
 何より目を疑ったのは凡ゆる場所で睦み合う者達がいる事だ。顔を寄せ合って密やかに語らう者もいれば、客席代わりと思しき丸いソファーの上で愛撫しあう者もいる。中には隠しもせず…というよりも見せ付けるように行為に耽る者達も何組かいるようだ。
 そんな空間の中央には頭に山羊の角を生やした男性の像がでーんと鎮座している。これは悪魔崇拝的な奴では…?
 良く見ると下肢は山羊のように蹄がついた脚だ。胡座をかいた股座には御立派なものが起立している。どうやらあの像が店名の由来になっているらしい。ド直球すぎる。
 まさにカオスな空間に俺は一気に気圧された。こういった物事に耐性がないというのも大きいが、ここまであけすけに繰り広げられているとは思っていなかったので少なからず衝撃を受けている。
「大丈夫か?」
 あまりの光景にびっくりしていればオルテガがそっと声を掛けてくれた。その声に我に返って気を取り直す。こんな事に驚いている場合じゃない。
「大丈夫だ、少し驚いただけで……」
 話している間にオルテガの手が俺の腰に添えられて抱き寄せられる。くっついていない連中の方が少ないからこれくらいの方が自然なんだろうが、色んな意味でドキドキしてしょうがない。
「とりあえず適当に席に座ろう。立ったままだと目立ってしまう」
 ひそ、とオルテガに囁き掛けられて頷くのが精一杯である。キャパオーバー気味な俺とは裏腹にオルテガは慣れた足取りでカウンター席の方へと俺を連れていく。
「何かお飲みになりますか?」
 席に着いた途端、カウンターの向こうから紅いオリエンタルなドレスに身を包んだ女性が柔らかく声を掛けてきた。こちらも例に漏れず露出が多くて目のやり場に困る。
「そうだな、俺はジンを貰おう。此方には冷えた果実水を」
 軽薄な口調を作りながらオルテガが注文するのを聞いていれば、従業員の女性は俺達を交互に見てから意味深に微笑む。
「お客さん、ここは初めてでしょう?」
 注文した飲み物を作りながら女性が俺の方に声を掛けてきた。前屈みになりながらずいと身を乗り出してくるので胸の谷間が見えて本当に目のやり場に困る。そっと視線を逸らしながら頷けば、そんな俺のリアクションがお気に召したのか、視界の端で彼女は笑みを深くした。
「やだー、照れてる可愛い!」
 女性の方が遥かに場慣れしているようではしゃいだように声を挙げる。男としての矜持は粉々だ。
「あんまり揶揄わないでやってくれ。お坊ちゃんだから遊び慣れてないんだ」
 横からオルテガが俺の肩を抱き寄せてきて相手に釘を刺すが、彼女はにこにこと楽しそうにするばかりだ。
「ごめんなさい、最近は慣れたお客さんばっかりだったからこんなに初心な反応されるのが新鮮で」
「可愛いだろう?」
「お兄さんが羨ましいですよ。どこで捕まえたんですか」
「俺の勤め先の息子なんだ」
 自然な流れで会話を始めるオルテガと女性を見ながら出された果実水をちびりと飲み下す。酸味が強い独特な風味がするので南方の果物を使っているらしい。
 そろそろと巡らせた視界に入る物は殆どが高級品だ。成程、高い会費を取るだけあって高級クラブのような位置合いらしい。
 グラス一つとっても老舗のガラス工房の品、それも中でもハイクラスな物だ。オルテガが飲んでいるジンも庶民が飲む安酒の代表だが、並んでいる瓶は粗悪品を風味で誤魔化した物ではない正規品。
 衣装の露出にばかり目が行ったが、従業員達は皆洗練された動作だ。それなりの教育を受けているんだろう。
 正に権力者が悦楽に耽る為の場所、といったところだろうか。
 世の快楽を貪り尽くした権力者が禁忌に手を伸ばしたくなるのはどこでもいつの時代でも変わらないのかもしれない。見た所無理矢理従事させられている者はいないようだが、まだ一部しか見ていないのだ。もし、そういった者がいるのなら、放っては置けない。
「ところで噂を聞いて来たんだが、貴族主催で面白い出し物をしてるんだって?」
 軽快に会話をしていたオルテガが核心に踏み込んだのが聞こえてきて慌てて思考を二人の会話に戻す。つい気が逸れてしまった。
「他所でも噂になってるんですか……」
 彼女はうんざりした様子で溜め息を零す。今までの快活な様子からは打って変わった様子に内心でほくそ笑む。もしかすると例の貴族は予想より疎まれているのかもしれない。
「あんまり大きな声じゃ言えないんですけど、アレは此処ですら趣味の良い見せ物とは言えないですよ。一部の人には受けてるみたいですけど……」
 女性は俺達の方に顔を寄せながらひそひそと囁き掛けてくる。
 彼女が言うにはその貴族は元から好色で有名であり、パトロンとしてこの店に多額の出資をしていたらしい。ここ数ヶ月でその放蕩ぶりが悪化し、何処からか見つけてきたのかお気に入りの相手を嬲るショーを半ば無理矢理開いているそうだ。
「最近流行ってる良くない薬を使ってる噂もあるんですけど、沢山お金を出してるみたいで誰も文句が言えないんです。アタシ、見てて可哀想で……」
 小さく溜め息を零しながらそこまで話した所で彼女はハッと我に返って周囲をキョロキョロ見回してから再び俺達に顔を近付けて「内緒にしてくださいね」と頼んできた。
「もちろん、黙っておくよ」
「お兄さんのお連れさん、黒髪ですよね。気を付けてくださいね。黒髪の人が好みみたいなんです」
 真剣な表情で忠告してくる彼女の様子に背筋がぞわりとする。
 ダーランに調べてもらって相手の貴族についてはある程度情報は入っているが、その際にはダーランに随分と報告を渋られた。どうやら相手はセイアッドに対して酷く執着しているらしいのだ。
「そんな奴にわざわざ近付くなんて」とダーランには言われたが、その執着心を利用しない手はない。ヤロミールのように籠絡出来るなら手の内に収めたいし、それが無理なら放蕩を理由に排除したいところだ。
「ありがとう、気をつけるよ」
 意識を思考に向けていると不意打ちで隣から頬にキスをされた。驚いているとオルテガが俺の顎に指を掛けて自分の方へと顔を向けさせる。
「離れるのは許さないからな」
 耳元で囁かれた短い一言に、先程とは違った意味で背筋がゾクゾクする。普段あんまりされない命令口調で言われて腰が砕けそうだ。やっぱり俺はMらしい。
「わ、わかっ……りました」
 普段通りに返事をしかけて慌てて敬語にする。お上品な坊ちゃんという設定なので言葉遣いも気を付けた方がいいだろう。
「お兄さんが一緒なら大丈夫だと思うけど……何かあったら直ぐに声を挙げてください。従業員が駆け付けますから」
 にこやかにそう言われて少々驚く。ルール無用の無法地帯かと思っていたんだが。
「ここは紳士淑女の遊び場です。行き過ぎた方にはそれなりの制裁が下りますよ。……あの人には難しいかもしれないけど、それでも牽制にはなると思うので覚えておいてください」
 にこやかに告げる彼女が冗談を言っているようには見えないのである程度は事実なんだろう。バンディーはああ言っていたが、此処には此処なりの秩序があるんだろうか。うーん、良くわからない世界だ。
 飲み物の代金と共にチップとして金貨一枚を彼女に握らせて俺達は移動する事にした。飲み物も飲んで多少落ち着いてきたお陰か、周りを見る余裕が出来てきたんだが、確かにそれなりにルールがあるらしい。
 仮面の飾りについては一定の効果はあるようだ。しかし、とある一画では幾人も入り乱れて会話したり、複数で睦み合っている場所もあったりするので、もしかすると参加者達が自然と棲み分けしているのかもしれない。
 先程の口振りからするにお互いの信頼の上に成り立つ遊び場なのだろうか。
 ……なーんて思っていたんだが、移動しているうちに考えが変わった。
 理由はオルテガだ。
 魔道具を使っている筈なのに、オルテガが妙にモテるのだ。そりゃまあ服装や魔道具程度で彼の魅力が隠し切れると思ってはいなかったが、こうもあからさまに寄って来られると面白くない。
 適当に過ごす場所を探しつつ見て回っている間にもう三回も声を掛けられた。遠巻きに視線を投げてくる連中も多いし、非常に面白くない。
 そんな不機嫌さを察知したのか、オルテガが俺の腰を抱き寄せて周りに見せ付けるように額にキスを落としてきた。
「あんまり妬くな。怪しまれるぞ」
 ついでに囁かれた苦情混じりの一言に脇腹を思いっきり抓ってやる。自分が同じ立場だったらもっと妬く癖に。
 思いっきり抓っているつもりなんだがオルテガには大したダメージはないらしく、平然と酒場内の奥へと歩いていく。彼が向かう先には貰った図面の通りならカートがかんでいる劇場スペースがある筈だ。
 酒場と劇場とを隔てているドアの前には誰もおらず、中からはやけにムーディーな音楽が微かに漏れ聴こえてくる。どうやら出入り自由で今現在は何か出し物をしている最中らしい。
 事前に聞いた話では目的の演目まで一時間ほどある筈だ。もう入るのかと思っていれば、オルテガがドアを開ける。
 中は劇場といっても小規模なもののようだ。小さな舞台では露出の激しい衣装を身につけた女性が数人でセクシーなダンスを踊っている。20人も入れば一杯になりそうな客席にそこそこの人影はあるものの、皆あんまり舞台を見ていないようだ。理由は薄闇の中そこかしこから粘ついた水音や高い嬌声が聴こえてくる事で嫌でも察してしまう。
 密閉された空間は先程までいた場所よりも熱気を感じる。微かにお香のような香りがするが、これは合法で出回っているお香で気分を盛り上げるという触れ込みの物だった筈だ。
 雰囲気に当てられたのか、周りに影響されたのか。先程からじわじわと体が熱くなっているような気がする。そういえば、南国の果物で媚薬効果を謳った酸っぱい物があったような…。
「リア、大丈夫か?」
 俺の異変に気が付いたのか、オルテガが少々焦った様に声を掛けてくる。大丈夫だ、と言おうとしたが、それより早く抱き上げられて運ばれてしまう。
 劇場後方はカップルシートのようになっているらしい。広いカウチが幾つか用意されていてそこにそっと下ろされた。
「雰囲気に当てられただけだ。果実水の原料に媚薬成分が入っていたかもしれないが、少し休めば……」
 良くなる、と言い掛けたところでオルテガが顔色を変える。
「媚薬だと!?」
「……そういった効能を持つ果実があるのは知っていたが、味までは知らないから確実なことは言えない」
 声を潜めつつも訊ねてくるオルテガに言い淀む事しか出来なかった。出されたものをそのまま口にしたのはちょっと迂闊だったかもしれない。
「なるほど、これのことか……」
 額に手を当てながら深い溜め息を零すオルテガの様子を不思議に思っていれば、先程の女性から別れ際に「初めての人は効き過ぎるかも」と言われたんだそうだ。その時は何の事か分からなかったが、俺の様子に合点がいったらしい。
 まさか出している飲み物に媚薬効果があるとは思いもしなかったが、ここが享楽の伏魔殿なのを忘れていた。
 そして、自覚したせいなのか、じわじわと体が熱に蝕まれていく感覚が強くなった様な気がする。
「少し休もう。幸い時間はまだある」
 カウチに横にされてそっと頬を撫でられる。いつもならもっと熱く感じるオルテガの手が普段よりも冷たく感じた。自分が思っているより効きが良いのかもしれない。
 そう思いながらじりじりと身を焦がす熱を逃す様に俺は息を吐いた。
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