盤上に咲くイオス

菫城 珪

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王都編44 歓楽街

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王都編44  歓楽街

 夕方になる前に俺とオルテガはそれぞれ服を着替える事にした。普段の格好では直ぐに正体がバレてしまうので変装して行くのである。
 普通に生きていれば変装して侵入ミッションなんてそうそうある事じゃなし、俺はとてもワクワクしていた。ひと足先に着替え終わったオルテガはそんな俺の様子に苦笑している。
 オルテガの格好はこの国の平民には一般的な格好だ。シャツに所々擦り切れた革のベストに薄汚れたズボン、ハイカットブーツ。中身がオルテガでなかったら王都の何処にでもいる平民といった出立ちである。一味違うのは彼の体型だな。スタイルの良さは服程度では隠せないらしい。
 対する俺はマーサにお願いして長い髪を編んで結い上げている所だ。服装はオルテガとは対照的にいつもよりは劣るもののそれなりに仕立ての良い服である。これに髪を隠すために帽子を深く被って更に魔道具を使う予定だ。
 ダーランも気合を入れて必要な物を揃えてきたようで認識を阻害する魔道具を二人分用意してくれた。これは見る者の印象を曖昧にする物で群衆に紛れるにはもってこいの品だという。
 ダーランがいうには服装と魔道具で誤魔化せばまずバレないだろうとの事だった。妙に詳しいから普段から彼も使っている手なのかもしれない。朱凰出身のダーランの容姿はこの国では目立つから。
「しかし、こんな物で本当に誤魔化せるのか?」
 そういってオルテガが弄ぶのは彼の腕にある細身の腕輪だ。腕輪には認識阻害の魔術回路と機動用の魔石がついている。パッと見はお洒落な腕輪にしか見えないが、これを起動させている間は認識阻害の魔術が発動するらしい。同じ腕輪を身に付けている者からは普通に認識出来るそうなので便利な品だ。
「ダーランが普段から使っている物らしいから大丈夫だろう」
「……こんな物使うような仕事をしているのか?」
「市場調査なんかに必要なのかもな」
 軽く誤魔化せば、オルテガが苦笑する。まあ、ダーランが多少後ろ暗い事をやっているのはオルテガも知っているだろう。いずれにせよ、便利なのだから使わせてもらうに限る。
 指輪やピアスは置いて行くから外したんだが、ずっとしていたから左手の薬指が何だか寂しい。そんな俺の機微を鋭く察したのか、いつの間にか近付いていたオルテガが俺の左手を取って指に唇を落とした。
 マーサが見ている前で。
「……人前でそういう事をするなって何度言ったら覚えるんだ」
「今更だろう」
「今更ですわね」
 ぐぬぅ、二人で声を揃えやがって。俺が折れて慣れた方が早いんだろうけど、恥ずかしいものは恥ずかしい。日本人の羞恥心を舐めるなよ。
「旦那様、時には諦めも肝心ですわよ」
 トドメを刺しにきたマーサの一言を受けながらキャスケット帽を被せられる。長い髪が綺麗に収まった事に感心していれば、オルテガに手を引かれて立たされた。
 鏡の中には平民姿のオルテガと裕福そうな若者といった姿の俺が写っている。コンセプトはズバリ「遊び人の平民とそれに籠絡された金持ちのボンボン」だ。
 今日行く予定の「雄山羊の剣亭」はあの界隈でも高級志向にあるらしいので出入りにはそれなりの身分か金が必要だ。代わりに一度入店すれば、身分の差など関係なく乱痴気騒ぎが繰り広げられているらしい。
 その気になれば平民でも貴族と繋がりを持てるとあって、のし上がりたい奴には垂涎の場所なんだそうだ。だから、敢えて平民と富裕層という組み合わせにした。
 どちらかだけの組み合わせだと他の連中から声を掛けられる可能性が高くなるからだ。俺達の目的はあくまでも一人の貴族。他の連中に絡まれるのは面倒でしかない。初めからカップルとしていれば邪魔をしてくる者も減るだろうという目論見なんだがうまく行くだろうか。
「そろそろ行くか。ついでにあの界隈を見ておきたい」
「俺としてはあの辺りをあまり出歩かせたくないんだが」
「魔道具を使うし、フィンが一緒なら大丈夫だろう」
 他力本願だが、荒事は不得意なんだ。ダーランも手の者を配備しているようなので何があってもまあ大丈夫かなーと思っている。そんな警戒心の無さが漏れているのか、溜め息をついたオルテガに軽く頬をつねられた。

 夕闇も迫る中、俺とオルテガは辻馬車に扮したうちの馬車で王都西側の歓楽街へとやってきた。御者は変装したルーで俺達の仕事が終わるまで待ってくれるらしい。
 馬車の中で魔道具を起動してからオルテガのエスコートで降りたその場所はとても賑やかだった。
 あちらこちらで怒号やはしゃいだような笑い声が上がり、色んな酒場から漏れる音楽が音の奔流を生み出している。酒場の看板はカラフルで昼間に見たら歌舞伎町のように見えるかもしれない。屋台も沢山出ていて美味しそうな匂いもする。ただ、あまり衛生的とは言えないような様子なので食べるのはやめておいた方がいいかもしれない。
 初めて目にする歓楽街の様子に呆気に取られ、高揚していると横からぐいと腰を引かれて抱き寄せられる。驚いて見上げれば、オルテガが困ったような顔をして俺を見下ろしていた。
「あまりよそ見をすると逸れるぞ」
「すまない。何もかもが目新しくて」
 これだけくっ付いていても周りの人間は俺達には無関心だ。元からやたら密着している人間が他にも沢山いるからというのもあるが、目立つ容姿をしている俺達に対して誰も視線を向けない。
 魔道具というのは凄いな。この世界で目が覚めてから常に視線に追われていた俺的にはこの状況はとても有り難い。俺もこの魔道具が欲しくなったので後でダーランに強請るとしよう。
 誰もこちらを気にしない事にオルテガも気が付いたようで少々驚いたような顔をしている。これ幸いと彼の腕に自分の腕を絡ませて見せれば、応えるように直ぐに手を握られた。いわゆる恋人繋ぎというやつだ。
「……少し見て回ろう。俺の手を離さないでくれ」
 薄い残照の中で柔らかく微笑みながらそう宣うオルテガにこくりと頷いて見せながら俺は内心で悶絶していた。不意打ちであんな表情と台詞は狡い。スチルがあったらスクショ確定だよ。
 どうやら俺は心底オルテガの顔と声に弱いらしい。だってこんな良い男、他には居ないだろう。
 この魔道具に感謝しなければ。俺以外の誰も彼の姿を知らないのだから。他の奴が寄って来たら間違い無く妬く。超絶妬く。
 そんなこんなで内心は千々乱れつつもオルテガに手を引かれながら初めて歩いた歓楽街は強烈の一言だった。
 普通に歩いていれば路地裏から怒号と共に人が吹っ飛ばされてくるし、その辺では露出の高い服を纏った男女が道行く人を誘惑している。暗がりからは明らかに嬌声が聞こえてくるし、何なら通りの物陰で隠れ切れていないというのに致している連中もいた。
 極め付けは臭いだ。入り口の辺りでは食べ物の匂いだけだったが、通りを進むにつれて他の臭いが混じってきてなかなか凄い臭いがする。食べ物と酒と何やら饐えたような臭い。それから妙に鼻につく甘ったるい匂い。
 花や蜂蜜なんかとは違う人工的な甘い匂いの出処を探る為に視線を巡らせて見れば、風上にいる集団から香るようだった。彼等は路上の隅を陣取ってシーシャのような器具を囲って煙を吐いている。
 オルテガと共に横を通り抜けながら横目で様子を窺う。その目はどろりと濁っており、開きっぱなしの口元からは唾液が溢れていた。ただ、手と口だけが操られたかのようにホースで繋がったマウスピースを手繰り寄せて煙を貪っている。
 吐き出される紫煙は鼻腔の奥にこびりつくような匂いだった。なんだこの妙に甘ったるい匂いは、と思ったところで急に横から口と鼻を塞がれる。
「リア、この煙はあまり吸うな。恐らくこれが例の禁制品だ」
 オルテガの言葉に慌てて服の袖で口や鼻周りを覆う。まさかこんな所で近頃出回っているという薬物に遭遇するとは。
 強烈な甘い匂いをさせる連中の周りには人が居ない。どうやらこの街の住人ですら好んで近寄りたくない相手のようだ。
「まずは協力者との待ち合わせだな」
 そう言ってオルテガが足を進めるのは数ある店の中でも目立たない店だ。看板も小さくて控えめなので良くよく見ないと店だとすらわからない。ダーランから店の位置や名前を聞いていたが、俺では見つけられなかったかもしれないな。
 手慣れた様子でドアを開けて入ると、ドアベルがチリンと可愛らしい音を転がす。中は随分とシックな造りでまるで隠れ家バーのような様相だ。
「よお、いらっしゃい」
 カウンターの奥から気安い口調で声を掛けてくるのは店の雰囲気に似つかわしくない屈強な体躯をした隻眼の男だった。
 そんな彼を見て俺は俺は驚いた。見覚えのある男だったからだ。
「バンディー? バンディーなのか?」
 思わず声を掛ければ、相手は怪訝そうに俺を見る。そうか、魔道具が発動しているんだった。
 解除すれば隣にいるオルテガが慌て、カウンターの奥にいる男は残った右目を丸くする。
「なんだ、誰かと思ったらレヴォネの坊ちゃんじゃねぇか! お待ちしてましたぜ」
 にぱっと破顔した相手はカウンターの奥から俺の方に近付いてくる。
 この男はダーランと同じく貧民街で起きた大火で懇意になった男だ。あの火事で建物の倒壊に巻き込まれて半死半生だったところを「私」が助け、暫く面倒を見ていた。酷く潰れてしまった左目を治す事は出来なかったものの、他の火傷や骨折などは綺麗に治ってレヴォネ家を離れた後は王都で働いているとは聞いていた。まさかこんな所で再会するとは思わなかったが…。
「元気そうで何よりだ」
「そりゃあこっちの台詞で。こんな場末に忍び込むなんて大旦那の真似して悪さでもするつもりですかい?」
 彼の口ぶりからするに協力者というのはバンディーで間違いないらしい。ダーランも一言くらい言ってくれれば良いのに。
 療養のために暫くうちの屋敷にいた事もあってバンディーは気心も知れた仲だ。見た目こそいかついものの気の良い男であり、セオドアとも仲が良かった。
 揶揄うような口調で言いながら彼がカウンターの下から取り出したのは二枚の仮面。繊細なレース編みで作られたその仮面は顔の上半分を隠すような形になっており、それぞれ赤と青で染めた鳥の羽が花のような形に装飾として付けられている。
「雄山羊の剣亭は会員制で、この仮面が会員証代わりになってます。坊ちゃんは赤を、お連れの旦那は青を身に付けてくだせぇ」
「色に意味があるのか?」
 それまで黙っていたオルテガが口を開く。確かにわざわざ色の指定が入るのは不思議だ。
「羽飾りはパートナーの有無を、色はどちら側なのかを示しているんです」
 要するに仮面一つでパートナーがいる事とトップとボトムとが一目瞭然だということか。なんだか一気に小っ恥ずかしくなってきた。
「酒場の中では常識は通じねぇと思ってください。あそこに出入りしている連中に貞操観念なんてもんはありやせんから。一応規則として、仮面に羽飾りを付けている奴に声を掛けるのは御法度なんですが、あってないような規則なので期待しねぇ方がいい」
「……肝に銘じておく」
 唸るようなオルテガの声を聞きながら若干臆していた。割と軽い気持ちで来たが、大丈夫だろうか。ダーランが渋っていた理由はこういう所だろう。
 万が一俺が誰かから声を掛けられたら多分血の雨が降る。鈍いだのなんだの散々言われてきたが、それくらいは分かる。相手と接触する前に騒ぎを起こすのは本意ではないので気を付けなければ。
「お気を付けて。何かあった時には直ぐうちに来てくだせぇ」
 笑って送り出してくれるバンディーに礼を言って俺達は改めて魔道具を発動させてから店を後にする。
 外は夜の帳が下り始めていた。暗くなり始めた通りには魔石ランプの灯りが灯り、先程よりも人出が増えたのかより混沌とした様子になっている。無意識のうちにオルテガの手をぎゅっと握っていれば、頭にキスを落とされた。
「大丈夫だ」
 低い声がそう囁いてくれるだけで、手を握り返してくれるだけで胸の内は深い安堵で満ちていく。
 オルテガに頷き返して見せながら、俺達は雄山羊の剣亭に向かって歓楽街の奥へと歩き出すのだった。
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