盤上に咲くイオス

菫城 珪

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王都編43 騒乱の朝

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王都編43  騒乱の朝

 翌朝、俺はとっても御機嫌斜めだった。
 目が覚めるまではまあまあ良い気分だったと言うのに。
 昨日「俺」の感情に振り回されてへこみまくった挙句、それをオルテガに見咎められて帰ってから俺は散々甘やかされた。一から十まで構われているうちに羞恥心の方が勝り、もう勘弁してくれと解放してもらった後、ご丁寧に寝かしつけまでされたのである。俺はむずがる子供か。ちょっと反省しよう。
 そんなこんなで寝かしつけられて疲れていたのもあって大爆睡をしていたというのにアルバートによって早朝から叩き起こされた。そんな訳で俺は朝から非常に機嫌が悪いのである。
 何故なら叩き起こされた理由が休みだというのに朝っぱらからひっきりなしに来客が来るからだ。しかも、その殆どが約束もしておらず、先触れすらないときている。
 よほど慌てているのか、はたまた舐められているのか。これは多分後者だな。今の今まで舐めていた俺に対して礼儀を尽くすのは彼らのプライドが許さないのだろう。
 そんな無礼な来客の対応の為に早くから叩き起こされて俺はとっても不機嫌だった。
 ほとんどの者は追い返しているが、居座っている者やごねている者がいて非常に迷惑している。今もリビングまで聞こえてくるような大声でがなり立てている奴がいるようだ。
「騎士団には連絡を入れましたので直ぐに駆け付けてくださるかと」
「全く、どこまで舐め腐った態度を取るつもりなんだか」
 隣がガーランド家だから追っ払うだけなら隣に頼んだ方が早いと言えば早い。しかし、相手の不当性を訴えるなら正式に騎士団に依頼したという実績があった方が良いだろう。
「旦那様、アルバートさん!」
 ぶちぶち文句を言っていたら慌てた様子でメイドが飛び込んできた。普段ならばきちんと作法に則って入室してくる彼女の慌てっぷりに俺は身を硬くする。
「お客様の一人が無理矢理押し入って参りました! 護衛の方が押さえてますが、旦那様を出せと広間で騒いでおります」
「どこのどいつだその無礼者は……」
 道理で声がリビングまで聞こえてくる筈だ。
 溜め息を零してから立ち上がる。俺が相手をするまで引き下がる気もないんだろう。
「それが名乗りもせずに旦那様を出せの一点張りでして」
 揺れる声で答えるメイドの肩は小さく震えている。怒鳴り声の勢いから察するに、いきなり押し入ってきた奴を見て怖かったんだろう。
「怖い思いをさせてすまなかった。奥で少し休むと良い。直ぐに片付けてくるから」
「でも……」
 男が怒鳴る様子なんて恐ろしいものでしかないだろう。家人に怖い思いをさせてしまった事を申し訳なく思いながら告げれば、彼女は困惑したように呟く。
「メリンダ、旦那様のお言葉に甘えなさい。酷い顔色ですよ」
 後押しするようなアルバートの言葉に漸く小さく頷くとメイドは憔悴したように部屋を後にする。そんな彼女の様子に苛々もマックスである。
「直接相手をするからここに連れて来るように」
「承知致しました」
 アルバートが出ていって程なくして男が一人入って来る。確か宮廷貴族の一人だ。年齢は四十手前といったところか。
 記憶の中の人相と情報とを一致させる為に思案していれば、男は焦れたようにドカッと向かいに座った。
「失礼。考え事をしておりました故。それで、公休の朝から先触れもなく何用ですか」 
 暗に嫌味を言ってやるが、男は名乗りもせずに不遜な態度を崩さない。これが朝っぱらから勝手にやってきて人の家に押し入ってきた奴の態度か。
 この段階で丁寧に対応してやる気は完全に失せた。
 深い溜め息をつきながらソファーの背凭れにもたれて足を組めば、目の前に座る男が不快そうに顔を歪める。先に無礼な態度を取ったという自覚はないらしい。
「して、何用か。朝っぱらから騒々しい」
 敬語も取っ払って言葉を刺々しくした所でやっと公休日の朝だと思い出したらしい男がバツの悪そうな顔をする。もう遅いけどな。
 俺の服装だって寝起きのままだ。寝巻きの上にガウンというだるっだるの格好で如何にも寝起きでございますといった有り様である。
「……実は折り入ってレヴォネ卿に相談が」
「まわりくどい。さっさと用件を話せ」
 ちゃんと対応するのも面倒で単刀直入に用件を聞けば、多少は自分の立場を思い出したのか急に相手がしおらしくなる。
「先の計上についてレヴォネ卿に何とか便宜をお願いしたい」
 ほらみろ、やっぱりな。必死なようだが、初っ端の印象が最悪なのでこちらとしては話を聞いてやるのも業腹だ。
「それを聞いて私に何の見返りがある」
 冷たく言いおけば、男は震える手でテーブルの上にどさりと大きな袋を二つ置いた。置かれるのと同時に金属の擦れる音がしたから中身は金だろう。
「これは?」
「金だ! これで何とか取り計らって欲しい!」
 中身は分かっているが焦らすように小首を傾げながら訊ねれば、相手は声を荒げる。アルバートに視線をやって袋を開けさせれば、中身はこの国で流通している金貨だ。
 金額的にはかなりのものだろうか。貴族のひと財産といっても過言ではない。
 一枚摘み上げて金貨を改める。偽造したものではなさそうだが、摩耗し薄汚れているところを見るに流通して相当経ったものだろう。
 見栄っ張りを極めたこの国の貴族達はこういった金貨を使用するのを厭う風習がある。今回は綺麗な金貨を集める暇が無かったのか、はたまた比喩でも何でもなく本気で掻き集めてきたのか。どちらだろうな?
 摘んでいた金貨を袋の中へと放り投げて小さく溜め息を零す。
 確かこの男は宮廷貴族の一人で、奥方が領地持ちの伯爵家から嫁いでいた筈だ。ギャンブル好きで女遊びも激しく、奥方は実家からかなりの援助をしてもらい、日々辛酸を舐めているんだとか。
 がっつりミナルチーク派のこの男は申告に不正を加えているんだろう。バーリリーン元伯爵のようになるのを恐れて取引に来たようだ。だが…。
「貴殿はこの程度のはした金で私の関心が買えるとでも?」
 首を軽く傾げながらにこやかに返してやる。男にとっては全財産かもしれないが、俺にとっては大した金額ではないのだ。
 国でも有数の商会を営み、代々宰相を務める侯爵家の当主であり、領地は栄えている。そもそもの資金力が違うのだ。その事にやっと気がついたらしい。
 カタカタと震え始めた男の顔色は蒼白だった。
「奥方の実家の脛を齧らなければ立ち行かない男に何が出来るのかお聞きしたい。使えるようなら飼ってやってもいいが……お前にその価値があるとは思えない」
 手を伸ばし、指先で俯いている男の顎を掬って尋ねる。赤くなったり青くなったりと忙しい顔を見つめながら笑みを浮かべた。
「無能を飼う趣味はないんだ。今日はお帰り願おうか。沙汰については追って正式に言い渡そう」
 パッと手を離して見せれば、心得ていたであろうアルバートが侯爵家の護衛達に指示を出して男を摘み出す。愕然とした様子で連れ出されていく男の様を見つめながら俺は大きく溜め息をついた。
「もしかしなくてもこういう客ばかりか?」
「残念ながら」
 全然残念じゃなさそうな口調で淡々と告げるアルバートの言葉にうんざりする。今日は休みだって言ってるのに何故邪魔をするのか。
「今日は死ぬ程寝るつもりだったのに……!」
「自堕落の極みですな」
「王都に戻ってからはずっと仕事しているんだから公休くらい休んだって良いだろう」
 ぶーとむくれてみせるが幼い頃からの付き合いであるアルバートには通用しない。黙々と俺に新しいお茶を支度すると茶菓子のクッキーを添えて出してくる。
「……こういう時、父上ならどうしたと思う?」
 若い頃からずっとうちに仕えてくれているアルバートは父セオドアの執事でもあった。俺の質問に僅かに目を見張ると少しばかり思案してから口を開く。
「そうですね……大旦那様なら笑顔で鞭を振るって叩き出していたかと」
 どこの女王様だよ。そういう事するから変な信者が増えていたんじゃないのか? いやでもそういう身を守る術みたいなものは覚えておいて損はないのかもしれない。
「鞭か……私も何かそういうものを身に付けた方が良いんだろうか」
「旦那様は覚えなくて結構です」
 ズバッと一刀両断だった。
 しょんぼりしているとアルバートがクッキーを一枚追加してきた。彼はいつまで俺の事を子供だと思っているんだろうか。
「オルテガ様をお呼びするのが一番効果的でしょうに」
「この程度で彼を呼び付けるのもどうなんだ?」
 居てくれたらこれ以上ないくらい心強い事に間違いはないんだが…。
「まあ、そのうちおいでになるでしょう。今日の買い出しはシーニャですから」
 シーニャというのは比較的最近うちに勤めるようになった侍女見習いだ。快活な少女だが、少々口が軽いのが玉に瑕でマーサが良く頭を抱えている。何故彼女の名前が出て来るんだろうと疑問に思っていた所で部屋がノックされた。
「失礼致します。オルテガ様がお見えです」
 アルバートがドアを開ければ、マーサと一緒にオルテガが入ってきた。わあ、本当に来たな。
「リア、朝から訪問客に襲われているというのは本当か!?」
「はあ?」
 何がどうしてそうなっている。オルテガの言葉に困惑していると、彼は当然のように俺の隣に座って体を抱き寄せて来た。
「語弊がある。訪問客が押し寄せているのは事実だが、ほとんど門前払いにしているし、押し入ってきた者は今さっき叩き出した。誰から聞いたんだ」
「お前の家の侍女見習いからうちの侍女が聞いてきたんだが……」
 さっきアルバートが言っていたのはこういう事か!スピーカーにも程がある!
 一気に疲れた俺はマーサに視線をやってシーニャの捕獲を頼む。彼女も心得たもので一礼すると素早く部屋を出ていった。彼女に任せておけば直ぐにシーニャも捕まるだろう。
「何もされていないのか?」
「されていない。全く、心配し過ぎだ」
 心配そうに尋ねてくるオルテガに頷いて見せてから肩に軽く寄り掛かりながら今し方叩き出した男の事とアルバートから聞いた父の話を思い返す。
「……私も鞭の一つや二つ扱えたら舐められずに済んだんだろうか」
「何の話だ?」
 溜め息混じりに呟けば、オルテガが困惑した様子で首を傾げた。


 訪問客を追っ払っても俺の平穏な朝は来なかった。
 今度の敵は目の前にドンと置かれた手紙の山である。
「はああぁ……見なきゃダメか?」
「せめてお断りはいれませんと。断られていないからと揚げ足を取る連中が押し掛けてくるかもしれませんよ」
 アルバートの非情な一言にうんざりしながらもう一度盛大に溜め息をついてから山の一番上を手に取って開封する。そこに列んでいる文字列を読んで、俺は再び深い溜め息を零した。もうな、溜め息しか出ないんだよ。
 手紙の山の中身はセイアッドに対する婚約を打診するものだ。乙女ゲームの影響なのか何なのか、幼馴染達も含めて大人組にはみな婚約者がいない。
 そこに付け込んできたのか、王都に戻ってからやたらと婚約の話を持ち掛けられるようになって困っているのだ。
「随分憂鬱そうだが、何の手紙なんだ?」
 竜の卵を抱いたまま、興味津々といった様子でオルテガが手紙を覗き込もうとしてくるので慌てて抱き込んで隠す。こんなの見られたらヤバいに決まっている。
「……リア?」
 まあ、見せなかったら見せなかったで不機嫌になるんだけど!
 俺には笑って見せているが、雰囲気が不穏だ。
「何でもない、ただの私用の手紙で……!」
「アルバート」
「は、旦那様宛に届いた婚約打診の手紙に御座います」
 慌てて誤魔化そうとする俺ではなくアルバートに聞く辺りオルテガも良く分かっている。というか、アルバートも主人の許しなく答えなくていい!
「ほう……?」
 ほらー! オルテガの空気が一気に不穏になった!
「ぜ、全部断るものだから良いだろう?」
 あわあわとオルテガの機嫌を取ろうとするが、どうにも許してくれそうにない。というか、勝手に手紙を送り付けられて困っているのに俺が責められるなんて理不尽過ぎる。
「はぁ……今から断りの手紙を書くところだったんだ。邪魔をするなら家に戻れ」
 軽い頭痛がしてきたところでうんざりしながら家に帰るよう促すと、オルテガが怒りを向ける先が違う事に気がついたらしい。
「……すまなかった。せめて差し出し人を控えさせてくれ」
「却下」
 控えてどうするんだ、闇討ちでもする気か。やりかねないから怖いんだよ。
「全く……邪魔しないならこの部屋には居てもいい。邪魔をしたら追い出すからな」
「分かった」
 しょんぼりしながら応接用のソファーに移動して卵の殻を撫でている大男の様はなんだかシュールだ。それでも、俺の傍に居たいと大人しくしている様子を可愛いと思ってしまう辺り俺も重症だろう。
 大人しくなったオルテガの様子に溜め息を零しながら一通目の相手に返事を書く。悲しい事にこいつはまだマシな方だった。
 二通目、三通目と目を通して返事を書く内にだんだんイライラしてくる。どいつもこいつも上から目線で「婚約してやっても良い」みたいな態度が透けて見えるからだ。或いはねっとりとした執着を感じるかのどちらかなので見るのも嫌になってきた。
 そして、年齢だ。相手の年齢が適齢の奴ならまだしも上は五十、下は四つだった。前者はまだ良い。ちょっと変態臭いがまだいい。後者は必死すぎるだろう。相手が結婚できる歳になったら俺は四十路も目の前だぞ。
 兎にも角にもひたすら丁寧にお断りの手紙をしたためて、レヴォネ家の印章を押した封蝋で綴じてアルバートに押し付ける。
「早急に届ける様に」
「承知致しました。お食事の支度が済んでおりますが、如何なさいますか」
 アルバートに訊ねられて時計を見ればもう昼だ。たっぷり朝寝するつもりだったのにと思いながら二人分支度する様に頼んで溜め息を零す。
 眉間を揉んでいるといつの間にか背後に回ったオルテガに肩を揉まれた。大きな手だし、力も強いからなのかオルテガはやたらとマッサージが上手い。連日の書類仕事で凝り固まった筋肉が解されて思わず間の抜けた声が零れる。
「あー……流石に疲れたな」
「食事を摂ったら少し休め。夕方にはまた出掛けるんだろう?」
「ん、そうするか」
 そう、今日の夕方はいよいよ雄山羊の剣亭に乗り込むのだ。その為にダーランに頼んで色々準備してもらったし、ちょっとワクワクしている。変装して潜入なんてなかなかやるものじゃないからな。
 俺が楽しそうにしているのを察したのか、オルテガがマッサージをやめて代わりに俺を抱き締めてくる。自分に触れる温もりを心地良く思いながら遠慮無く寄り掛かり、甘えて見せた。
「……ダーランからある程度概要は聞いてると思うが、相手を殺すなよ?」
「善処はしよう」
 にこやかにそう答えられた俺は隠しもせずに溜め息を零す。多分、いや絶対譲歩するつもりなさそうだ。相手を殺されたんじゃ意味がないからオルテガが暴走した時は死ぬ気で止めなければ。
 別の意味で危機感を覚えながら俺はもう一度小さく溜め息を零すのだった。
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