盤上に咲くイオス

菫城 珪

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王都編32 色んな意味で瀕死状態です

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王都編32   色んな意味で瀕死状態です

 面倒臭い会議も終わって自分の執務室に帰ったところで俺は力尽きた。
 ああいった場面に「俺」が出る事なんてなかったから緊張感が凄かった。上手くやれたかどうか不安で仕方ないが、兎に角今は脱力したい。
 自分の椅子に座って姿勢を崩せば、共について来てくれていたルファスが小さく苦笑するのが見える。
「お疲れ様でした。今お茶をお持ちします」
「ありがとう」
 デスクから離れて部屋を出ていくルファスの背を見送りながら小さく息を吐く。
 バーリリーンの末路を見て、慌てて訂正の書類を出してくる連中が出てくるだろう。予め補佐官達には言ってあるが、ゴネる連中もいるに違いない。
「……慣れないことは疲れるもんだな」
 部屋に誰もいないからつい本音が零れた。本当にどっと疲労感が押し寄せている。いや、これは罪悪感か。
 敵を叩き潰すのは平気だと思っていたが、いくら悪人とはいえ幾人もの人間の未来を奪うのは極々普通の一般人でしかなかった「俺」には少々荷が重かったようだ。だが、これからはこれも日常になる。
 俺の手で未来を刈り取る事で不幸になる人間は少なからずいるだろう。当然怨みも買うし、罪悪感は付き纏う。
 しかし、ここで足を止める訳にはいかない。出来る限り「俺」がやらなければ、優しい「私」はきっと許してしまうから。
 胸が痛いのはきっと「私」の感情に引き摺られているからだ。
 バーリリーン伯爵家には年頃の娘も成人前の子供もいる。彼等は親と同じく横暴の限りを尽くしていたが、見本となるべき親が醜悪だったのだ。もっと別の環境ならば、心優しい人間になっていたかもしれない。
 彼等は奪爵された事で平民に落ちる。貴族としての暮らししか知らない彼等にとってそれは死にも等しい事だろう。
 更には周りには彼等に恨みを抱く領民達がいる。どんな目に遭うかなんて子供でも分かる。
 そんな状況に年頃の女性や子供達がいるのは……。
 そこまで考えたところでルファスが戻って来たのか、ノックの音がした。その音ではっと我に返る。
 返事をする前に軽く自分の両頬を叩く。いかんいかん、「私」のこの感情には引き摺られてはならない。
 気持ちはわかるが、これこそ「私」が追いやられた原因の一つだろう。
 優し過ぎる「私」はこういった事を好まなかった。対話をすればいつか分かってくれると思っていた。
 されど、そんな甘い対応はセオドアによって追い詰められていた敵対派閥にとっては付け入る隙でしかなかった。
 散々話し合いの場を設けながら「私」の言葉に耳を貸さずにつけ上がったのはアイツらだ。それに、彼等は数多の人々を踏み付けて甘い蜜を貪っていた罪がある。
 いくら子供とはいえ、貴族として教育を受けていたのなら正しい貴族の在り方を知っている筈だ。幼なくとも弱き者を虐げた事実は変わらない。
「セイアッド様……?」
 返事がなかった事でおずおずといった様子で入って来たルファスが心配そうに声を掛けてくる。
「……すまない。少し考え事をしていた」
「それなら良いのですが」
 カチャリと微かな音を立てながらミルクティーがデスクに置かれる。ソーサーに添えられたドライフルーツはルファスの気遣いだろう。
 カップを取って一口飲み下すとふんわりと甘味が口の中に広がった。気を遣ってまた甘くしてくれたらしい。
 部下に心配を掛けるなんて上司失格だな。気合いを入れ直さなければ。
「ありがとう。甘くて美味しい」
「良かった」
 微笑みながら礼を告げれば、ルファスがホッと息をついた。どうやら余程酷い顔をしていたようだ。
「流石に今日来る事はないと思うが、明日以降差し替えの申し出があったら直ぐに知らせて欲しい。財務大臣のノーシェルト公にも話は通してあるが、対応は全てこちらで行う」
「承知致しました」
 ルファスの返事を聞きながらペンを手に取る。本日分のでかい仕事はこれで終わりだが、通常業務は山程あるのだ。
 仕事が終われば、今夜はオルテガと劇場に出掛ける。それを楽しみにもうひと頑張りするとしようか。


 終業の鐘が鳴り、部下達に帰るよう促した俺は予め押さえておいた部屋に向かう。
 今日の観劇はそこを借りて着替えてから直接向かうのだ。
 護衛の近衛についてきてもらいながら押さえていた部屋に着くと、そこにはうちの侍女達が幾つかの箱と共に待ち構えていた。
 箱の中身は「俺の選んだ服を着てくれ」とオルテガに先んじて渡されていた服飾品一式だ。
 忙しくて中身を改めていないのでどんな服が入っているのか、俺は知らない。デザインは少々不安だが致し方ない。とんでもないものを寄越してはこないだろう。
「わざわざ来てもらってすまないな」
「いいえ。旦那様のお手伝いが出来て、私共は嬉しゅうございますよ」
 大荷物に申し訳なく思って侍女長であるマーサに声を掛ければ、にこやかに答えられた。
 彼女は地方の出身で男爵家の三女である。セイアッドより三つ年下で今年で22歳になる女性だ。
 他家に働きに出るのは多子の下位貴族には良くある事なのだが、特に女性は高位貴族の侍女として勤める事が多い。彼女もそんな中の一人で、レヴォネには四年前から勤めてくれている。セイアッドが信頼する者の一人だ。
「さあ、早速始めましょう。貴方達、準備して。旦那様はお召し物を脱いで頂きます」
 テキパキと指示を飛ばすマーサに急かされて、宰相用に誂えられた服を脱ぐ。全体的に長い布が使われている服を脱ぎ去れば、堪らずにホッと息が零れた。これ重いんだよなぁ。
 軽装になった事で安堵するのも束の間、代わりに差し出されるのはオルテガから贈られた服一式だ。
 どんな物かと思えば、質の良い絹で作られた白いシャツに黒に近い深い藍色のウェストコート、同じ色のジャケット。スラックスも同じ生地で仕立ててあるようだ。それから足元は膝丈程のロングブーツで五センチ程のヒールがある。タイは精緻なレースで作られたクラヴァット。飾り用のブローチは鮮やかなスペサルティンガーネットだ。
 もっとひらひらふわふわしたものとか露出のあるようなものが来るかと思ったらシンプルかつ洗練された物で少々驚く。セイアッドに良く似合いそうだ。
 侍女達に手伝ってもらいながら服を纏い、鏡を見てみる。
 かなり体に沿うように作られているようで腰や脚のラインが出るのが少し恥ずかしいが、これくらいなら許容範囲だろう。ジャケットの裾が長めなので尻から太腿の辺りは隠れそうだし。
 それにしても、体のラインが出るような服がオルテガの趣味なんだろうか。アイツむっつりだったのか。
 一揃い飾り立てられ、髪も整えられる。サイドに流すように緩く三つ編みにされて少し明るい藍色のリボンで丁寧に留められた。
 黒い髪に藍色のリボンだからあまり目立たないが、頭からつま先までオルテガに贈られた物だと思うと少々気恥ずかしい。
「オルテガ様の独占欲は凄まじいですね。相手が婚約者でもここまで贈りませんよ」
 揶揄うようなマーサの言葉に顔が熱くなる。確かに、婚約者に対して髪や瞳など自分の色を贈るのは良くある事だ。しかし、それも髪飾りやアクセサリー、もっといくとドレスといった一部だけで頭からつま先までというのはなかなか聞いた事がない。
「……急に恥ずかしくなってきた」
「何を今更仰ってるんですか」
 呆れ顔のマーサからは散々いちゃついておきながら、という心の声が聞こえてきそうだ。冷静になるとめちゃくちゃ恥ずかしい。これは我に返ったら負けだ。腹を括るしかない。
 いやでも、この格好でオルテガにエスコートされながら城の中を歩いて馬車留めまで行かなきゃいけないんだよな? 今から馬車留め集合にしちゃダメだろうか。
 なんて悶々としている俺を他所に、室内に無情なノックが響く。同時に外からオルテガの声がしてしまった。
 なんでこんな時に限って早く来るんだ。いやこれは俺が逃げるのを見越して早く来たな…!
 出迎える事に躊躇していれば、マーサが背中を軽く押して急かしてくる。自分達が開ける気はないようだ。
 小さく息を吐いてからオルテガの元へ向かう。
 そして、ドアの向こうにいた彼は漆黒を纏っていた。
 整えられた髪型、均整の取れた美しい体躯の魅力を最大限に引き出す素晴らしいデザインの服。
 あまりにも格好良過ぎて直視出来ないんだが!?
「リア」
 思わず俯いていれば、柔らかく名を呼ばれて抱き寄せられる。そのまま顎にそっと指を掛けられて上を向かされるのでバッチリオルテガと目が合ってしまった。
「良く似合っている」
 弾んだ声で褒められて頬や額にキスが落とされる。距離とオルテガの格好良さに久々にキャパオーバーを起こしていた俺は一瞬何を言われたのか理解が遅れた。
 そうか、俺の服の話か。オルテガの贈ってくれた服を着ているんだった。ダメだ、頭が全然回ってない。
「フィンも……その、良く似合っている」
 オルテガにだけ聞こえるような声で小さく呟くと、嬉しそうに破顔するのが見えてもうダメだった。誰か助けてくれ! このままだと俺はこの男に萌え殺される!
 御機嫌なオルテガと裏腹に、観劇に出掛ける前から情緒が瀕死状態の俺は当初の目的が果たせるかどうか、非常に不安になってきたのだった。
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