盤上に咲くイオス

菫城 珪

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王都編31 峻厳なる月

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王都編31  峻厳なる月

 それから幾つか議題を話し終わり、ついにユリシーズがサディアスへと視線をやった。
「先に上がっていた議題は以上だが、本日は更に二つ話がある。……ノーシェルト魔術師団長」
「はっ」
 視線を受けたサディアスは自分の後ろにいた副官に書類を配るように命じ、自分はそっと立ち上がる。
「魔術師団長、サディアス・メイ・ノーシェルトです。これより王太子殿下及び高位貴族令息に使用された疑惑のある薬物について説明をさせて頂きます」
 サディアスの言葉に、室内に大きな騒めきが起きる。そりゃそうだ。王太子に薬物だなんて前代未聞の大問題だろう。
 サディアスから事前に話を聞いていたが、香水という事は伏せて薬効の話だけするらしい。犯人についてはこの場では言及しないが、まあ噂は広がるだろうな。
 立つ瀬がどんどん無くなっていくが、ステラは気が付いているんだろうか。勝手に沈まれては困るんだが。
「ライドハルト殿下及び、マーティン・マーク・ガーランド侯爵家令息、ダグラス・カイ・ノーシェルト公爵家令息三名には薬物が盛られていた事が疑われています。その薬物には正常な思考を奪い、薬を与えた者の言う事を信じ易くなる作用が……」
 淡々と説明を始めたサディアスはステラと香水のことを伏せながら上手く説明してくれた。材料についても完成した物についても悪用されないよう明記はしていない。
 手元に配られた資料だって簡素なものだ。
 薬物の元になる花の名もなければ、精製された香水も載っていない。ただ、構成する成分の一部とそれらが齎す作用が、人の心を惑わす悪魔の薬だと言外に記されている。
 内心でほくそ笑みながらそっと視線だけ巡らせて相手の様子を窺う。赤ら顔が青くなっているのを見て、ミナルチークが焦っているのが手に取るように分かる。
 本当に、何でこんな奴らにやり込められていたんだか。
「幸いな事に効果が強い反面、影響が抜けるのも早いようです。今現在、ガーランド侯爵令息、ノーシェルト公爵令息共に正常な思考力を取り戻しているものと思われます」
 ここでライドハルトの名が出て来ない事に違和感を覚える。ステラが一番多く近くにいたのは恐らくライドハルトだ。まだ影響が抜けないんだろうか。
「ライドハルト殿下のお加減は如何なのですか?」
 俺の心情を代弁するように、ライドハルトを推していた貴族の一人が焦ったような声を挙げる。
「殿下は王太子宮にて療養中です。薬物の影響が最も強かった様子なので医師同席の上で経過観察を行っております」
 にこりと微笑みながらやんわり報告するサディアスの声と様子にも少々違和感を覚える。機密事項だろうし、そうそう情報を与える訳にもいかないか。まあそのうち報告が来るだろ。
 室内は王太子の状況に騒然としている。騒ついている連中は自国がどういう状況なのかやっと正確に把握し始めたのだろう。
 何者かが薬物を使用し、王太子及び高位貴族令息を惑わせた挙句、宰相にいわれなき罪を着せて追放した。
 国家反逆罪と取られてもおかしくないよな。
「私からの報告は以上になります」
 にこやかにユリシーズに声を掛けてさっさと座る事で話をぶった斬ったサディアスはこれ以上話す気は無いらしい。何かあっても話せないのかもしれないが、そんな態度俺には無理だ。
 見た目こそ攻略対象者の中では若々しく可愛らしいから合法ショタだとファンの間で言われていた事もあったが、サディアスの性格は見た目にそぐわず豪胆で結構激しい所がある。そのギャップが良いんだろうが、目の当たりにすると少々心臓に悪い。
 サディアスの話が終わった事でいよいよ俺の番だ。ユリシーズから視線を寄越され、小さく息をつく。
「次は宰相、レヴォネ卿からだ」
「はっ」
 小さく返事をして立ち上がり、ルファスに視線で資料を配るよう指示を出す。静々と書類が配られていく内に貴族達の間でざわざわと囁き合う声が湧いていく。そして、いよいよ本日の生贄にも書類が渡り、彼の顔色が急激に悪くなっていった。
「祝夏の宴前に貴公らには各自の収支報告書を提出してもらっている。しかし、一部の申告に虚偽或いは意図的と思われる間違いが発覚した。よってこの場をお借りして告発を行う。……バーリリーン伯爵よ、何か言い分はあるか?」
 全員がある程度書類を読んだと思しきタイミングで声を挙げ、生贄に声を掛ける。びくりと肩を震わせながら哀れな程真っ青になった男はガタガタと震えていて、何やら言い返そうとしているが上手く言葉にならないのか呻いているだけだった。丸々と太った男が小さくなって恐怖に震える様はあまりにも無様だ。
 書面にあるのは彼が犯した罪。
 違法な重税を領民に課し、逆らう者には惨い私刑を行う。
 年頃の娘がいれば、難癖をつけて攫って弄ぶ。
 そうして領民を虐げ、金を集めている癖に国に計上する時には領が不作だなんだと言い訳して本来の数字より過小な数字を上げる。
 領民を犠牲に肥やした私腹でバーリリーン伯爵一族は贅沢三昧。その裏では餓死する者や身売りする者もいるというのに、だ。
 違法な課税、横領、国に対する虚偽申告、私刑、婦女暴行。どいつも貴族としての在り方を問うには十分な罪状だ。
「我々には民に報いる義務がある。貴族としての義務を果たせない者をのうのうとのさばらせておくくらいならばその首をさっさと挿げ替えて優秀な者に運営してもらった方が効率的だろう?」
 実質的な判決を告げながらゆっくりとバーリリーンの方へと歩く。座っている貴族達の後ろを歩いていれば、幾人かは同じように俯いて震えていた。
 やがて、バーリリーン伯爵の後ろに辿り着く。
 最初の生贄は見ていて哀れな程に震え慄いている。しかし、この場にいる誰も彼の味方をする事はないようだ。
 気の毒に。仲間だと思っていた連中からも見捨てられたらしい。
「愚かな事だ。自らの本分を忘れて欲に溺れるなど」
 背後から顔を近付けてバーリリーンの耳元で囁いてやれば、大袈裟な程彼の肩がびくりと跳ねた。その反応に満足して体を起こし、周りにいる残りの貴族達を一瞥する。
「……古き家柄というだけで驕り高ぶり、自らの欲を満たす事にのみ夢中でまともに機能していない家を遺す意味などない。バーリリーン伯爵家は奪爵、領地及び一族の私財は残らず接収し、私財は旧バーリリーン伯爵領の領民に還元する」
 奪爵とは書いて字の如く爵位を剥奪する事だ。要するに家を取り潰し、一族が貴族としての居られなくなる。ついでに私財は全部没収で一文無しとなる訳だ。
 没収した財産を返す程度では領民達が満足するとは思えないが、それでも幾らかは慰められるだろうか。
 俺の宣言にも言い返す声は無い。視線を巡らせながら俺は自分の席に戻る為に再び会議室の中を歩き出す。
「他の領はこれから精査するが……書類すらまともに作れない、計算すら碌に出来ない者が他にいない事を祈る」
 出来るだけ冷たく聞こえるような声を努めながら言い置いた。自分の席に戻った俺はユリシーズに視線を向け、首を下げる。
「私からは以上で御座います」
「……大義であった。此度の件は領地を治める者としては許されるものでは無い。同様の事があれば如何様な者にも厳罰が下るものと心得よ。他に議題のある者はいるか」
 ユリシーズがトドメと言わんばかりに特大の釘を刺す。大部分の者には関係ない事だが、一部の者は顔色を真っ青にしている。
 今のうちにどちらに着くのが得なのか良くよく考えておくがいい。
 これまでは舐めていたかもしれないが、今回の事で俺が手にした権限の大きさを嫌というほど思い知っただろう。
 落ち目のミナルチークに付き従って破滅するか、セイアッドに頭を下げてダメージは負いつつも貴族として生き残るか。それは当事者である彼等の自由だ。
 だが、「俺」は敵対を選んだ者には容赦しない。
 バーリリーン伯爵は見せしめだ。それなりに歴史もある高位貴族でも俺の一言で潰せるのだという実績には十分だろう。
 バーリリーンも、セイアッドに敵対する者も、ミナルチークも何も言わない。否、言えないのだろうか。
「他にはないようだな。本日はここまでとする」
 ユリシーズの一言で全てが決した瞬間だった。

 ◆◆◆

 セイアッドが復帰して初の会議はまさに波乱の一言に尽きた。
 追放されるまではやり込められ、やられ放題だった青年がたった数ヶ月で激変して戻ってきたのだ。
 冷徹に切り捨てる姿に、会議室にいる者達は彼の父親セオドアを思い出す。
 セオドアは優美な姿に似合わず苛烈な男だった。特に長年国を腐敗させて栄華を誇ってきた者達にとってセオドアは厄災でしかない。
 その息子であるセイアッドは穏やかな気性をした男だった。柔和で心優しい穏やかな青年はセオドアに追いやられた者達にとって格好の餌食だったのに。
 穏やかな美しい月光色の瞳はまるで凍てついた冬の夜風のように冷たい。いつも柔らかな声は無慈悲だ。
「……古き家柄というだけで驕り高ぶり、自らの欲を満たす事にのみ夢中でまともに機能していない家を遺す意味などない。バーリリーン伯爵家は奪爵、領地及び一族の私財は残らず接収し、私財は旧バーリリーン伯爵領の領民に還元する」
 そう冷たく言い置いて、セイアッドはコツと靴音を響かせながらその場を後にする。短い一言ながら会議室内にいる貴族達への効果は抜群だった。
 若造の宰相と侮り見下してきた。これまでと同じように足を引っ張ってやれば良いと思っていたのに。
 国に背き領民を虐げて自らは肥え太り、栄華を極めていた者が見下していた若者のたった一言で地獄に堕ちる様を見て、その場にいる者達は恐れ慄いた。
 上手く立ち回らなければ次にこうなるのは自分なのだ。逆らえば領地を奪われ、貴族として振る舞う事すら難しくなるのだと突き付けられた。そして、相手はそれが行える立場なのだと思い知らされた。
 程なくしてユリシーズが会議の終了を告げ、退室する。
 入れ替わるように入ってくるのは数人の近衛騎士達だ。彼等は脱力して動けない元バーリリーン伯爵の両脇を抱えるとあっという間に部屋から連れ出していった。
 近衛騎士達が部屋を出てドアが閉まった途端に室内は騒然とした。
 それなりに歴史のある高位の家ですら容赦無く切り捨てられたのだから、それより下の地位の者達数名は慌ててその場から立ち上がる。若き宰相は他にも適当な書類を作った者達がいる事をわかっていてこの場で発言したのだろう。
 自らの地位が奪われ兼ねない状況に、ミナルチーク派の貴族達は内心で慌てふためいていた。勝算があるからと乗った話なのに、このままでは全てを失くす羽目になる。
 暗に猶予を与えられた事に気がついた者のうち幾人は会議が終了するのと同時に自らの保身の為に逃げる様にその場を離れていく。
 残された者達はたった今起きた事について密かに囁き合う。そんな彼等の視線は自然とセイアッドに向けられていく。
 仲の良い者と話す姿は穏やかそのもの。柔らかな笑みを浮かべながら談笑している様子には先程の苛烈な様相など微塵も残されていない。
 その差に、人々の背筋は寒くなる。
 これまでのセイアッドはどんな話でも相手に歩み寄り寄り添うような対話を望んでいた。しかし、それを無下に突っ撥ねられ続けた彼は終に対話を諦めたようだ。
 セオドアに良く似た冷たい視線、苛烈な処断に人々は恐怖し、同時に歓喜する。
 不正を厭い、国を良くしようとしていた者達にとってセイアッドの変貌は良い兆しであるのだから…。
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