盤上に咲くイオス

菫城 珪

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王都編29 仇敵と生贄

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王都編29   仇敵と生贄

 うっかりやらかしながらも気合を入れ直していざ入室だ。心無しか会議室の前にいた係の者達の表情が生暖かいのが居た堪れない。
 考え事に夢中になると周りが疎かになるのは俺の悪い癖だろう。最近ではオルテガが介護してくれる事にすっかり慣れてしまっていたからこその失態だ。
 甘やかし上手なオルテガに対して「俺」達はどちらも人に甘える事が苦手だ。そんな俺をオルテガはあの手この手でベッタベタに甘やかしてくる。そのせいでオルテガにやってもらう事が当たり前になってしまった習慣もあるくらいだ。やっぱりオルテガが近くにいるとダメ人間一直線な気がする。あの男は俺をどうしたいんだ。
「本当にそんな調子で大丈夫なの? 今日は一発おみまいしてやるんだってあんなに張り切ってたのに」
「うっ、大丈夫だ。ちょっと考え事をしていて意識が飛んでただけで……メイにも話したい事だから近いうちに時間が欲しい」
「分かったよ。君の事だからまた何か面白い話を聞かせてくれるんでしょ」
「期待に添えるかは分からないぞ」
 こそこそ話し合ってるうちに係の男が名前を告げながらドアを開けてくれる。
 中に入ればそこは広々とした会議室だ。開始まではまだ時間があるが、既に半数の者は集まっている様であちらこちらにグループが出来て各々話をしている。
 サディアスと別れて歩く俺に向けられる視線は様々だ。侮蔑や憎しみの籠ったものから好意的なものまで、本当に人それぞれ。
 その中でも一際鮮やかな憎悪を燃やす緑色の目と視線が合った。自身の派閥の者を周りに侍らせながらこちらを睨み付ける男の名はラドミール・マチェイ・ミナルチーク。
 ギラついた瞳は強い怒りと深い憎しみがないまぜになったものだ。以前ならばこの瞳に怖気付いたかもしれない。しかし、今は違う。俺はそんな彼に対してにっこり微笑み返してやった。
 途端に相手の顔が怒りで真っ赤になるのが面白いな。見下して小馬鹿にしていた若造に馬鹿にされる気分はどうだろうか。プライドの高そうなこの男にはきっと耐え難い程の苦痛に違いない。
 憎しみに歪む顔を隠しもしない辺り、ラドミールには余裕がないのだろう。周りはそんな俺達の様子を遠巻きに見ている。傍から見ればまるで睨み合うハブとマングースだろう。
 見たところ彼の周囲にいる取り巻きはミナルチーク派の宮廷貴族と彼と懇意にしている領地持ちの貴族達か。その取り巻きの一人に本日のターゲットを見つけて思わず嬉しくなる。ミナルチークに近ければ近い程相手の派閥にダメージを与えられるだろう。
 仕事をしながら聞いたが、この件を担当した文官はバーリリーン伯爵領出身の者だった。前々から領民達はバーリリーン伯爵の不当な税の引き上げに苦しみ、それに付随する横領の気配に気が付いていたようだ。しかし、いくら中央に陳情を上げてもミナルチークに握り潰されてしまい、改善される事はなかった。それどころか陳情を上げた者には凄惨な罰が与えられたというのだから領主として最低の連中だ。
 故郷の状況をどうにかするべく、彼は中央の文官を目指したのだという。しかし、王都に来てから調べてみればミナルチークもバーリリーンも巧妙に不正を隠し、一人の文官の立場で告発する事も難しかったようだ。
 そんな積年の恨みが積もり積もっていたが故に、人々は少しずつ不正の証拠を集めていた。いつか裁きが下る事だけを望んで密やかに、綿密に。ついにその努力が実る時が来たのだ。
 俺がじっと見つめている事に困惑したのか、バーリリーン伯爵が狼狽えたように視線を彷徨わせ、こそこそと近くにいた者に話しかけている。そうだな、今のうちにせいぜいお仲間との別れを惜しんでおくといい。
 ふいと視線を外して部屋の奥側を目指して歩き出す。宰相であるセイアッドは国王近くに席を用意されている筈だ。
 席順は高位貴族ほど国王の近くになり、逆に低位貴族ほど入り口側に座る事になっていた。
「レヴォネ卿、君の席は此方だ」
 声を掛けられて其方に顔を向ければ、にこやかなシガウスが自分の隣を指している。その直ぐ横が誕生日席になっているからここにはユリシーズが座るのだろう。
「夜会の出席承諾をありがとう。レインも喜んでいた」
 座った途端にシガウスが話し掛けてくるのはレインの誕生日を祝う夜会の事だ。その話を聞いていたであろう周りが少々騒めく。
 セオドアが亡くなり、自身が宰相となってから忙殺されていたセイアッドは社交界に殆ど顔を出す事がなかった。そんなセイアッドが夜会に参加するとなれば多少の注目も集めるか。
「此方こそ御招待ありがとうございます。当日に合わせてオルディーヌ嬢に成人祝いの髪飾りを贈りたいのですが、お許し頂けますか?」
「そんな他人行儀にする事はないだろう。レヴォネで療養中、娘は君の事を実の兄以上に慕っていた。そんな君からの贈り物を私が拒む事はないよ」
 続く会話に更に周りがどよめく。この会話だけでセイアッドとスレシンジャー公爵家が親しくしているのが分かったのだろう。そういうのを見越して声を掛けてくるのだからこの男は。
 宰相として返り咲いたセイアッドとの関係は各々の貴族達にとって今後の身の振り方に大きく関わってくるだろう。長らくミナルチーク家とレヴォネ家は敵対してきたが、以前と形勢は逆転しつつあるのだから。
 ミナルチーク派は古くからある宮廷貴族の家柄が中心で、領地持ちの貴族は男爵から伯爵の家柄が殆どだ。中には利害関係から親しくしている高位貴族もいる様だが、その家もあまりパッとしない者が多い。古さだけが自慢で祖先の栄光に驕って碌に努力もせず、必死に対面だけは取り繕っているものの実状は火の車、なんて良くある話だ。
 対するセイアッドは勢いのある若手の貴族や高位貴族達からの支持が厚い。自身は国の要所を任されている侯爵家当主であり、国内でも随一の商会を持っている。更には王弟リンゼヒース、魔術師団長サディアス、総騎士団長オルテガとは幼馴染の仲で関係は良好だ。
 宰相という役職に就いているから他国との交流も多い。特に隣国ラソワの王太子であるグラシアールはセイアッドと親しい事を公言したし、会談の場にもセイアッドを望んだ。それだけでも後ろ盾としては十分だろうが、そこにスレシンジャー家が加わるのだからさあ大変。
 顔色を悪くしているミナルチーク派の連中がチラホラいるようだ。見れば比較的高位の貴族が多そうだな。
 改めて考えてみれば、こんな好条件で追いやられていたのやら。その気になれば直ぐに叩き潰せそうな気もするんだが…。
「それに、私も君と過ごすのを歓迎したい。君といると退屈しないからな」
 にこやかにそう宣う男は非常に機嫌が良さそうだ。お気に入りのおもちゃといったところか。絶対楽しんでやがるな。
「……シガウス殿も意地が悪い」
 溜め息混じりに肩を竦めれば、隣に座る男の目がキラリと光った気がした。あ、なんか嫌な予感がする…!!
「私の事はサーレと呼びなさいと言った筈だが?」
 ほら来た、性格の悪いからかい方をする人だ。弄ばれているのは分かっているんだが、人生経験値が違い過ぎてどう返してもこの男に勝てる気がしない。
「勘弁して頂きたい。公式の場なのに」
「まだ会議も始まっていない自由時間なのだから良いだろう。全く、君は真面目過ぎる」
 アンタの悪巫山戯が過ぎるんだ。そう言い返したいのをグッと呑み込んで、代わりに俺は深い溜め息を零した。
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