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王都編22 異国の客人
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王都編22 異国の客人
通常業務をひたすら片付けて夕方である。いつもの終業よりも少し早く執務室を抜け出した俺は半ばダッシュで馬車留めを目指していた。
オルテガに捕まる前にロアール商会に向かう為である。捕まったら最後、絶対ついてこようとするだろうから出し抜く形で早めの退勤をさせてもらった。
非公式であれど、国を訪問している別の国の王族と宰相とが内密に会うなんてバレたら下手すれば内乱を疑われてもおかしくない。そんなリスクにオルテガを巻き込みたくないというのが本音なんだが、説明した所であいつも絶対に引かないだろう。
軽く息を切らせながら馬車留めに辿り着くと、既にダーランがうちの馬車と共に待機していた。有り難く思いながら素早く乗り込んで直ぐに出発させ、跳ね橋とゲートハウスを通過した辺りで漸くホッと息を零す。この手段は二度は通じないだろうからまた何か出し抜く方法を考えなければ。
そんな俺の様子に苦笑しながらダーランが封筒を差し出してくる。
「昨日言ってた劇場とかの資料ね。行く時は俺に絶対声を掛けて。俺の配下にもついて行かせるから」
「過保護だな」
「そんな呑気な事言ってらんないって。資料を読みゃわかるよ」
そう促されるので封筒から書類の束を出して目を通していく。…あー、なるほど。これはダーランも心配する訳だ。どうやら、目指す場所は俺が予想していたよりアングラな場所らしい。
「明日、この劇場を仕切っている男に会うつもりなんだが、そんな大物には思えないんだよなぁ」
「それは俺も同感」
資料によれば、なかなかブラックな所に片足を突っ込んでいるようだ。しかし、ドルリーク男爵からちらっと聞いた話や事前に調べさせた情報では小心者で見栄っ張りとあったのでそんな大それた事をするタイプには思えない。この辺は実際に会って話してみない事には何とも言えないが、ビビりなようなので権力をチラつかせれば扱い易いのかもしれない。
いずれにせよ、明日は色々吐いてもらうつもりだ。
「ところでオルテガ様は無事にまけたの?」
ダーランの問いに少々ギクリとする。馬車には後方にガラス窓があるからそこからチラッと様子を窺うが、追って来ている馬車や馬影はなさそうだから大丈夫だろう。代わりに明日が怖いが。
「内緒話一つするのも大変だねぇ」
俺の危惧を分かっているんだろう。細い目を更に細めてニマニマ笑っているダーランの肩を軽くどついてから溜め息を一つ零す。執着も束縛もどんと来いと思っていたんだが、こういう時に不便だな。明日オルテガがどんな反応をするのか予想が出来ないのが恐ろしい。レヴォネ領にいる時だったら間違い無く抱き潰されていただろうが…。
そうこうしているうちに馬車は軽快に城下を駆け抜け、王都にあるロアール商会の店舗兼事務所に辿り着いた。
久々に入った店舗は夕方だというのに活気に溢れており、客の姿もまだ多く、従業員達は忙しそうに働いている。声を掛けてくる彼らに手を挙げて軽く応えてながら目指すのは二階にある事務所だ。この建物は三階建てで、一階が店舗、二階が事務作業や商談に使う事務所、三階が従業員の寮になっている。
どうやら客は先んじて待っているようだ。少々ドキドキしながら応接室のドアを開け、中で待っていた人物を見遣って思わず息を呑む。
そこにいたのは一人の青年だった。
魔石ランプの灯りを浴びて淡く輝く艶やかな長い銀色の髪。白く滑らかな肌に整った顔立ちはまるで人形のようだ。
まだ若いのか、幼さの滲む雰囲気は可愛らしく思わず庇護欲が湧く。極め付けは大きな漆黒の瞳だ。まるで夜の湖のように澄んでいて美しい。
まさに白皙の美青年という呼び方が相応しいだろう男を前に暫し言葉を失っていたが、背後からダーランに軽く小突かれてハッと我に返る。
「……失礼致しました。ローライツ王国宰相、セイアッド・リア・レヴォネと申します」
「っ……! こちらこそ無理を言って申し訳ありません。朱凰国第六皇子チュ・シンユエと申します」
お互いに見惚れていたのかぎこちなく挨拶を交わして頭を下げ合う。一応相手の方が王族の筈なんだが、何故か妙に腰が低いのが気になる。そして、待っていた者が予想外過ぎて正直戸惑いの方が大きい。もっと野心バリバリのゴツい男がいるのかと思ったら待っていたのは腰の低い美青年である。
ちらりとダーランを見遣れば、にんまり笑い返されたのでわかってて言わなかったようだ。後でしばいてやる。
とりあえず、座るよう勧めて改めて相手を観察した。線の細い美青年で立ち振る舞いも上品だ。話し方も雰囲気も穏やかで、ダーランが「悪い奴ではない」と言っていた意味がわかった気がする。問題は何を望んで俺との接触を望んだのか、だ。
「早速ですが、私にお話があるとか」
ダラダラ聞いても仕方ないと切り出せば、シンユエと名乗った青年は表情を輝かせて何度も頷いた。なんかこう、反応が読みにくいな。王族にしては妙に無邪気というかなんというか。一体何が目的なんだろうか。
「はい。実は今この国に来ている兄チュ・ティエンに関する情報をお話しさせて頂きたく……」
んん?ドストレートに返事が返って来たな。やはり足の引っ張り合いをしているのか?
困惑する俺に気が付いたのか、シンユエは小さく苦笑すると自分の身の上話を始めた。
彼曰く、母が皇帝の深い寵愛を受けて誕生した身ではあるが父も母もお互いと自分の下に生まれた妹に夢中で、自分に対しては酷く無関心である事。それなのに変に勘繰った周囲から帝位を狙っている、或いは帝位に近い存在だと勝手に決め付けられて幼少期から渦巻く悪意や暗殺に怯える日々を過ごして来た事。そんなこんなで朱凰にいるのが嫌になり、半ば出奔するような形で継承権の放棄をして国を飛び出した事。ぶらぶら旅をしているうちにどうせなら海外にも行こう! と適当に辿り着いた港で留まっていたそこら辺の船に乗せてもらってこの大陸までやって来た事。そして、紆余曲折の末にローライツ王国にやってきて今現在に至る…、と。
あまりにも軽快に重い話をされた事とシンユエ自身のフットワークの軽さに絶句していると、シンユエは俺の反応が面白かったのか悪戯っぽく微笑む。うーん、美青年は微笑むだけで眼福である。決して深く考えるのが面倒くさくなって現実逃避している訳じゃないぞ。
「そんな訳でして私は権力闘争なんて心底ごめんなんです。その為にしがらみとは無縁の、遠く離れたこの国までやってきたんですから」
現在進行形で絶賛権力闘争中の俺としては非常に気持ちが分かってしまう。本当に面倒臭いんだよな。
勝手に親近感を抱きつつも、何となく状況が掴めて来た。
「つまり第三皇子の勢力とシンユエ様は関係無い、と?」
「シンユエと呼び捨てで構いません。国も名も既に捨てておりますので。先程は形式的に名乗りましたが、私はただのシンユエです」
穏やかに微笑みながらそう言い切る様子に軽く戸惑う。なんかこう、グラシアールとは違ったやりにくさがあるんだよなぁ。
「では、シンユエと。私の事はリアと呼んでください」
「承知しました」
人懐こい様子で嬉しそうにニコニコしているのを見るとつい毒気が抜かれてしまう。無邪気で奔放。それが彼に抱いた第一印象だが、底知れぬ何かを抱えている気はする。生い立ち的にも見た目通りにただ天衣無縫な人物ではない筈だ。なんだろう、やっぱりやりにくい。
「話を戻しますが、兄がこの国を訪れた理由と私とは関係ありません。むしろ、向こうはこの国に私がいた事に驚いたんじゃないでしょうか」
「しかし、シンユエもミナルチーク伯爵と繋がりをお持ちでしょう?」
そこがネックなのだ。ダーランが最初に寄越した資料ではそれぞれがミナルチーク派と繋がりがあると言っていたが、実際どうなのだろうか。もし、ミナルチークと繋がっているならそう簡単に警戒を解く事は出来ない。
俺の心配に気が付いたのか、シンユエは困ったように笑みを浮かべる。
「それについてもお話しさせてください。先に言ってしまうと、私が望んでいるのはごく普通の暮らしです。いずれはダーラン殿のようにどこかの市井で腰を落ち着けて自分の力で働いて生きていきたいと思っています」
真剣な表情で話す姿に嘘は見えない。ダーランを基準にしていいのかどうかはさておいて、彼の望んでいる事は事実なのだろう。しかし、そんな思惑なのに何故よりにもよってミナルチークとの縁があるのか。
「話せば長くなるんですが」
そう前置きしながらシンユエが話し始めたのは彼がこの国にやって来た頃の話だった。
驚いた事にシンユエが国を飛び出したのはもう三年も前なのだという。
命を狙われ続ける事に辟易していたシンユエは唯一可愛がってくれていた第一皇子に協力してもらって継承権を放棄し、出奔してからあちらこちら見て回っていたらしい。
「私の国には何でもあると思っていましたが、世界とは広いものですね。元々暗殺から自分の身を守る為に薬草学を中心に医術を身につけていたのですが、各地の薬草学や医術を学ぶのが楽しくなってしまって」
「それで各地を回っているうちに一年程前にこの国に辿り着いた、と?」
「ええ。そんな感じです」
にこやかに答える美青年に思わず頭痛を覚えた。奔放過ぎる。リンゼヒースの行動力も凄いと思っていたが、シンユエには及ばないな。グラシアールといい、シンユエといい、何でこうこの世界の王族は自由人ばっかりなんだ。
「私の周りにいる朱凰の者は医術の師匠や兄弟弟子達です。外国に行くと言ったら我も我もとついてきまして……」
フットワークの軽さはその師匠とやらのせいなんだろうか。それとも朱凰の国民性なのか。良く考えたらダーランも金儲けに関しては行動力に溢れているので興味関心のある事柄に対するフットワークの軽さは国民性なのかもしれない。
「この国にやってきて王都の片隅に薬や薬草の店を開いてから暫くした頃、一人の少女が尋ねてきました」
少女という単語に反応すれば、シンユエが小さく笑みを浮かべる。美しい笑みだが、どこか妖しさが漂う。
「彼女の望んでいたのはとある香水です。花のような甘い香りがするもので、それを身に纏って意中の者に近付けば、その者を手に入れる事が出来るという代物だと」
間違いない。ステラだ。探していたのは『恋風の雫』だろう。
「残念ながら私にも師匠達にもそんな物騒な品の心当たりがなかったのでその時はお帰り願いました。しかし、それからその少女は度々顔を出すようになったのです。此方としては特に用事もないのに長居するので辟易していたのですが、身に付けているものからどうやら貴族らしいと思ったので当たり障りのない対応をしておりました」
ステラは俺を追い出した後に攻略対象の連中以外にも近衛騎士や顔の良い貴族に声を掛けたりしていたらしい。節操がないなと呆れていたんだが、乙女ゲームをやっていた人間なら面食いなのもまあわからんでもない。しかし、市井の者にも声を掛けているなんて思いもしなかった。どうやら本当に手当たり次第だったようだ。或いはシンユエが俺の知らない攻略対象者なのか…。
軽い胃痛を覚えながらシンユエの話を聞いているうちに何となく状況が読めて来た。恐らく、シンユエを気に入ったステラが入り浸っていたから繋がりがあると思われたのだろう。
「そのうち、彼女の父親もうちに良くいらっしゃるようになりました。初めは普通に薬を買い求めるだけだったのですが、最近ではこの国で禁止されている薬物について問い合わせしてくるようになりまして。父娘共々に手を焼いていたのです」
頬に手をやりながら困ったように溜め息をつく姿は玲瓏だ。しかし、言い方に隠し切れない棘がある。どうやらミナルチーク父娘によって随分迷惑を被っていたらしい。
「第三皇子殿下とはどのようなご関係で?」
「碌に顔も合わせた事のない親族です。正直、兄がこの国でやっている事は私にとって非常に不都合なのです。私はこの国が気に入りました。気候は穏やかで治安も良く、物流も豊か。移民に対して偏見も然程強くありませんし、物価も比較的安定しています」
にこにこしながら国の事を褒める様子に警戒心を抱く。あっさり話をしてくるが、一体何が彼の望みなのだろうか。
「兄が荒らす事によって我々朱凰の者がこの国で暮らしにくくなるのは迷惑なのです。ですから、私は貴方に私の知っている全てをお話しします」
「……その対価は?」
俺の問いに、シンユエは嬉しそうに笑みを浮かべる。めちゃくちゃな要求をして来ないと良いんだが…。
「私と連れの中で望む者にこの国の国籍を」
うーん、そう来たかぁ。
通常業務をひたすら片付けて夕方である。いつもの終業よりも少し早く執務室を抜け出した俺は半ばダッシュで馬車留めを目指していた。
オルテガに捕まる前にロアール商会に向かう為である。捕まったら最後、絶対ついてこようとするだろうから出し抜く形で早めの退勤をさせてもらった。
非公式であれど、国を訪問している別の国の王族と宰相とが内密に会うなんてバレたら下手すれば内乱を疑われてもおかしくない。そんなリスクにオルテガを巻き込みたくないというのが本音なんだが、説明した所であいつも絶対に引かないだろう。
軽く息を切らせながら馬車留めに辿り着くと、既にダーランがうちの馬車と共に待機していた。有り難く思いながら素早く乗り込んで直ぐに出発させ、跳ね橋とゲートハウスを通過した辺りで漸くホッと息を零す。この手段は二度は通じないだろうからまた何か出し抜く方法を考えなければ。
そんな俺の様子に苦笑しながらダーランが封筒を差し出してくる。
「昨日言ってた劇場とかの資料ね。行く時は俺に絶対声を掛けて。俺の配下にもついて行かせるから」
「過保護だな」
「そんな呑気な事言ってらんないって。資料を読みゃわかるよ」
そう促されるので封筒から書類の束を出して目を通していく。…あー、なるほど。これはダーランも心配する訳だ。どうやら、目指す場所は俺が予想していたよりアングラな場所らしい。
「明日、この劇場を仕切っている男に会うつもりなんだが、そんな大物には思えないんだよなぁ」
「それは俺も同感」
資料によれば、なかなかブラックな所に片足を突っ込んでいるようだ。しかし、ドルリーク男爵からちらっと聞いた話や事前に調べさせた情報では小心者で見栄っ張りとあったのでそんな大それた事をするタイプには思えない。この辺は実際に会って話してみない事には何とも言えないが、ビビりなようなので権力をチラつかせれば扱い易いのかもしれない。
いずれにせよ、明日は色々吐いてもらうつもりだ。
「ところでオルテガ様は無事にまけたの?」
ダーランの問いに少々ギクリとする。馬車には後方にガラス窓があるからそこからチラッと様子を窺うが、追って来ている馬車や馬影はなさそうだから大丈夫だろう。代わりに明日が怖いが。
「内緒話一つするのも大変だねぇ」
俺の危惧を分かっているんだろう。細い目を更に細めてニマニマ笑っているダーランの肩を軽くどついてから溜め息を一つ零す。執着も束縛もどんと来いと思っていたんだが、こういう時に不便だな。明日オルテガがどんな反応をするのか予想が出来ないのが恐ろしい。レヴォネ領にいる時だったら間違い無く抱き潰されていただろうが…。
そうこうしているうちに馬車は軽快に城下を駆け抜け、王都にあるロアール商会の店舗兼事務所に辿り着いた。
久々に入った店舗は夕方だというのに活気に溢れており、客の姿もまだ多く、従業員達は忙しそうに働いている。声を掛けてくる彼らに手を挙げて軽く応えてながら目指すのは二階にある事務所だ。この建物は三階建てで、一階が店舗、二階が事務作業や商談に使う事務所、三階が従業員の寮になっている。
どうやら客は先んじて待っているようだ。少々ドキドキしながら応接室のドアを開け、中で待っていた人物を見遣って思わず息を呑む。
そこにいたのは一人の青年だった。
魔石ランプの灯りを浴びて淡く輝く艶やかな長い銀色の髪。白く滑らかな肌に整った顔立ちはまるで人形のようだ。
まだ若いのか、幼さの滲む雰囲気は可愛らしく思わず庇護欲が湧く。極め付けは大きな漆黒の瞳だ。まるで夜の湖のように澄んでいて美しい。
まさに白皙の美青年という呼び方が相応しいだろう男を前に暫し言葉を失っていたが、背後からダーランに軽く小突かれてハッと我に返る。
「……失礼致しました。ローライツ王国宰相、セイアッド・リア・レヴォネと申します」
「っ……! こちらこそ無理を言って申し訳ありません。朱凰国第六皇子チュ・シンユエと申します」
お互いに見惚れていたのかぎこちなく挨拶を交わして頭を下げ合う。一応相手の方が王族の筈なんだが、何故か妙に腰が低いのが気になる。そして、待っていた者が予想外過ぎて正直戸惑いの方が大きい。もっと野心バリバリのゴツい男がいるのかと思ったら待っていたのは腰の低い美青年である。
ちらりとダーランを見遣れば、にんまり笑い返されたのでわかってて言わなかったようだ。後でしばいてやる。
とりあえず、座るよう勧めて改めて相手を観察した。線の細い美青年で立ち振る舞いも上品だ。話し方も雰囲気も穏やかで、ダーランが「悪い奴ではない」と言っていた意味がわかった気がする。問題は何を望んで俺との接触を望んだのか、だ。
「早速ですが、私にお話があるとか」
ダラダラ聞いても仕方ないと切り出せば、シンユエと名乗った青年は表情を輝かせて何度も頷いた。なんかこう、反応が読みにくいな。王族にしては妙に無邪気というかなんというか。一体何が目的なんだろうか。
「はい。実は今この国に来ている兄チュ・ティエンに関する情報をお話しさせて頂きたく……」
んん?ドストレートに返事が返って来たな。やはり足の引っ張り合いをしているのか?
困惑する俺に気が付いたのか、シンユエは小さく苦笑すると自分の身の上話を始めた。
彼曰く、母が皇帝の深い寵愛を受けて誕生した身ではあるが父も母もお互いと自分の下に生まれた妹に夢中で、自分に対しては酷く無関心である事。それなのに変に勘繰った周囲から帝位を狙っている、或いは帝位に近い存在だと勝手に決め付けられて幼少期から渦巻く悪意や暗殺に怯える日々を過ごして来た事。そんなこんなで朱凰にいるのが嫌になり、半ば出奔するような形で継承権の放棄をして国を飛び出した事。ぶらぶら旅をしているうちにどうせなら海外にも行こう! と適当に辿り着いた港で留まっていたそこら辺の船に乗せてもらってこの大陸までやって来た事。そして、紆余曲折の末にローライツ王国にやってきて今現在に至る…、と。
あまりにも軽快に重い話をされた事とシンユエ自身のフットワークの軽さに絶句していると、シンユエは俺の反応が面白かったのか悪戯っぽく微笑む。うーん、美青年は微笑むだけで眼福である。決して深く考えるのが面倒くさくなって現実逃避している訳じゃないぞ。
「そんな訳でして私は権力闘争なんて心底ごめんなんです。その為にしがらみとは無縁の、遠く離れたこの国までやってきたんですから」
現在進行形で絶賛権力闘争中の俺としては非常に気持ちが分かってしまう。本当に面倒臭いんだよな。
勝手に親近感を抱きつつも、何となく状況が掴めて来た。
「つまり第三皇子の勢力とシンユエ様は関係無い、と?」
「シンユエと呼び捨てで構いません。国も名も既に捨てておりますので。先程は形式的に名乗りましたが、私はただのシンユエです」
穏やかに微笑みながらそう言い切る様子に軽く戸惑う。なんかこう、グラシアールとは違ったやりにくさがあるんだよなぁ。
「では、シンユエと。私の事はリアと呼んでください」
「承知しました」
人懐こい様子で嬉しそうにニコニコしているのを見るとつい毒気が抜かれてしまう。無邪気で奔放。それが彼に抱いた第一印象だが、底知れぬ何かを抱えている気はする。生い立ち的にも見た目通りにただ天衣無縫な人物ではない筈だ。なんだろう、やっぱりやりにくい。
「話を戻しますが、兄がこの国を訪れた理由と私とは関係ありません。むしろ、向こうはこの国に私がいた事に驚いたんじゃないでしょうか」
「しかし、シンユエもミナルチーク伯爵と繋がりをお持ちでしょう?」
そこがネックなのだ。ダーランが最初に寄越した資料ではそれぞれがミナルチーク派と繋がりがあると言っていたが、実際どうなのだろうか。もし、ミナルチークと繋がっているならそう簡単に警戒を解く事は出来ない。
俺の心配に気が付いたのか、シンユエは困ったように笑みを浮かべる。
「それについてもお話しさせてください。先に言ってしまうと、私が望んでいるのはごく普通の暮らしです。いずれはダーラン殿のようにどこかの市井で腰を落ち着けて自分の力で働いて生きていきたいと思っています」
真剣な表情で話す姿に嘘は見えない。ダーランを基準にしていいのかどうかはさておいて、彼の望んでいる事は事実なのだろう。しかし、そんな思惑なのに何故よりにもよってミナルチークとの縁があるのか。
「話せば長くなるんですが」
そう前置きしながらシンユエが話し始めたのは彼がこの国にやって来た頃の話だった。
驚いた事にシンユエが国を飛び出したのはもう三年も前なのだという。
命を狙われ続ける事に辟易していたシンユエは唯一可愛がってくれていた第一皇子に協力してもらって継承権を放棄し、出奔してからあちらこちら見て回っていたらしい。
「私の国には何でもあると思っていましたが、世界とは広いものですね。元々暗殺から自分の身を守る為に薬草学を中心に医術を身につけていたのですが、各地の薬草学や医術を学ぶのが楽しくなってしまって」
「それで各地を回っているうちに一年程前にこの国に辿り着いた、と?」
「ええ。そんな感じです」
にこやかに答える美青年に思わず頭痛を覚えた。奔放過ぎる。リンゼヒースの行動力も凄いと思っていたが、シンユエには及ばないな。グラシアールといい、シンユエといい、何でこうこの世界の王族は自由人ばっかりなんだ。
「私の周りにいる朱凰の者は医術の師匠や兄弟弟子達です。外国に行くと言ったら我も我もとついてきまして……」
フットワークの軽さはその師匠とやらのせいなんだろうか。それとも朱凰の国民性なのか。良く考えたらダーランも金儲けに関しては行動力に溢れているので興味関心のある事柄に対するフットワークの軽さは国民性なのかもしれない。
「この国にやってきて王都の片隅に薬や薬草の店を開いてから暫くした頃、一人の少女が尋ねてきました」
少女という単語に反応すれば、シンユエが小さく笑みを浮かべる。美しい笑みだが、どこか妖しさが漂う。
「彼女の望んでいたのはとある香水です。花のような甘い香りがするもので、それを身に纏って意中の者に近付けば、その者を手に入れる事が出来るという代物だと」
間違いない。ステラだ。探していたのは『恋風の雫』だろう。
「残念ながら私にも師匠達にもそんな物騒な品の心当たりがなかったのでその時はお帰り願いました。しかし、それからその少女は度々顔を出すようになったのです。此方としては特に用事もないのに長居するので辟易していたのですが、身に付けているものからどうやら貴族らしいと思ったので当たり障りのない対応をしておりました」
ステラは俺を追い出した後に攻略対象の連中以外にも近衛騎士や顔の良い貴族に声を掛けたりしていたらしい。節操がないなと呆れていたんだが、乙女ゲームをやっていた人間なら面食いなのもまあわからんでもない。しかし、市井の者にも声を掛けているなんて思いもしなかった。どうやら本当に手当たり次第だったようだ。或いはシンユエが俺の知らない攻略対象者なのか…。
軽い胃痛を覚えながらシンユエの話を聞いているうちに何となく状況が読めて来た。恐らく、シンユエを気に入ったステラが入り浸っていたから繋がりがあると思われたのだろう。
「そのうち、彼女の父親もうちに良くいらっしゃるようになりました。初めは普通に薬を買い求めるだけだったのですが、最近ではこの国で禁止されている薬物について問い合わせしてくるようになりまして。父娘共々に手を焼いていたのです」
頬に手をやりながら困ったように溜め息をつく姿は玲瓏だ。しかし、言い方に隠し切れない棘がある。どうやらミナルチーク父娘によって随分迷惑を被っていたらしい。
「第三皇子殿下とはどのようなご関係で?」
「碌に顔も合わせた事のない親族です。正直、兄がこの国でやっている事は私にとって非常に不都合なのです。私はこの国が気に入りました。気候は穏やかで治安も良く、物流も豊か。移民に対して偏見も然程強くありませんし、物価も比較的安定しています」
にこにこしながら国の事を褒める様子に警戒心を抱く。あっさり話をしてくるが、一体何が彼の望みなのだろうか。
「兄が荒らす事によって我々朱凰の者がこの国で暮らしにくくなるのは迷惑なのです。ですから、私は貴方に私の知っている全てをお話しします」
「……その対価は?」
俺の問いに、シンユエは嬉しそうに笑みを浮かべる。めちゃくちゃな要求をして来ないと良いんだが…。
「私と連れの中で望む者にこの国の国籍を」
うーん、そう来たかぁ。
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