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王都編7 朝から一悶着
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王都編7 朝から一悶着
翌朝。過酷な移動とユリシーズとのやり取りの疲れが抜けないまま、睡眠時間も足りない俺はベッドから起き上がれずにいる。
そもそも「私」は非常に朝に弱く、激務に追われている時は目が覚めてからたっぷり小一時間は半寝ぼけ状態でいる事が多かった。オルテガと過ごす様になってから生活習慣が出来上がって規則正しい生活になっていたし、朝からトップスピードで甘やかしがスタートするので嫌でも目が覚めていたんだが、今はそのオルテガもいない。ついでに睡眠時間も足りてない。
「旦那様、湯の支度が出来ましたが」
「んー……おきる……」
アルバートの促しに返事をするが、これでもう三回目のやり取りだ。アルバートが呆れている気配がしているが、マジで起きられない。
起きようとはしているものの、意識がぼんやりして気が付けばウトウトしそうになっている。いっそ二度寝した方がさっぱり目が覚めそうだが、そんな事言っていられない。しかし、目が開かない。これの繰り返しだ。
改めてオルテガの偉大さを思い知りながらやっとの思いで身を起こして、風呂にでも入れば嫌でも目も覚めるだろうとフラフラしながら浴室に向かう。
王都にあるタウンハウスの風呂はこの世界で良くあるタイプの風呂で、大理石張りの部屋に猫足のバスタブが置かれているものだ。風呂に対する拘りが他所の家より強いせいか、割と豪華な造りになっている。普通の屋敷ならば壁はタイル張りだったりそもそも浴槽すらない家もあるらしい。
散々領地で広々とした天然温泉に浸かってきた後だと、豪華な筈の浴室も褪せて見える。サディアスじゃないが、庭に温泉でも作ってやろうか。
髪や体を洗おうといそいそやってきたメイド達に「自分でやるから」と下がる様に言い付けて、一人で浴室に入る。朝日が燦々と降り注ぐ室内は明るくて良い。うん、朝風呂も悪くないな。
髪と体を洗ってさっぱりすれば、やっと目も醒めてきた。猫足のバスタブに張られた湯に体を沈めてほっと息をつく。
足はそこそこ伸びるし、浴槽としては広い方だ。悪くはない。けれど、やっぱりちょっと狭いな。領地の広過ぎる風呂が贅沢だったんだが、あれを覚えてしまうと物足りない。
ゆらゆら揺れる湯の中に沈む俺の体にはポツポツとだがうっすらと赤い痕が残っている。出発前にオルテガにつけられたものだが、もう殆どが薄くなっているのが少々寂しい。
暫くは離れ離れになる事になるが、耐えられるだろうか、なんて不安に思ったりもした。しかし、復職すればそんな泣き言を言っている暇もないだろう。
国政立て直しRTAは今日俺が出仕し、ユリシーズから謝罪を受けた瞬間から始まる。既に部下には指示を幾つか出しているが、このゴタゴタが片付くまでどれくらい時間がかかるやら。
出掛ける前から少々うんざりしながらも湯から上がって用意してもらったタオルで体を拭き始めると、ドアがノックされた。
家人達はセイアッドが長風呂で邪魔されたくないのを知っている。わざわざノックしてくるなんて火急の用件でもあったのだろうかと思っていると、ドアの向こうから「俺だ」とオルテガの声がした。
「フィン? 少し待ってくれ」
髪を拭くのを諦めて慌ててバスローブを着込む。こんな早くに来ると思ってなかったから油断していた。
バスローブだけ着てドアを開ければ騎士の正装に身を包んだオルテガが居て思わず硬直する。
鍛え上げられた肢体を包む騎士服は機能性を重視しながらも洗練されたデザインで上品かつ格好良い。オルテガのスタイルの良さを引き立てる服装だった。
スチルなんかで死ぬ程見た服装だが、いざ本物を目の前にして脳の処理が追い付かない。
というかただでさえ良い男なのに、格好良すぎて直視出来ない…!!
「リア?」
「悪い、意識が飛んでいた」
怪訝そうな声で呼ぶオルテガに慌てて背を向ける。心臓が爆発しそうな勢いで跳ね回ってるんだがどうしよう。
何とか落ち着かせようとこっそり深呼吸をしていれば、背後から俺の腹に腕がまわって熱に包まれる。
「どうした、大丈夫か?」
耳元で低くて甘い声が心配するように訊ねてくる。騎士服姿に加えて移動中久しくまともに触れ合っていなかった所にこんな事されて俺は一杯いっぱいだった。
「だ、大丈夫だ。少し長湯し過ぎただけで……」
あわあわと言い訳するが、オルテガにはお見通しだろう。自分の顔や耳が熱いから後ろから見れば直ぐにわかってしまうだろうし。
「リア」
揶揄う様にオルテガが俺の耳をはむ。びくりと体を震わせていれば、逃げられないようにがっちり抱き込まれて動けなくなる。
「すっかり薄くなっているな」
首筋に付けた痕を指で辿っているのか、指先が髪の合間でうなじをなぞる。わざと煽る様な触れ方をしているのが分かってしまうのが悔しい。
「んっ……」
「この服装が好みだったか?」
くそ、やっぱりお見通しだったようだ。
領地にいた頃の寛いだ姿も勿論大好きだが、かっちりした騎士服も最高。本当に俺の恋人が良い男過ぎて参ってしまう。
「……早くお前を名実共に俺のものにしたいな。同じ屋根の下で寝起きも食事も共にして……毎晩お前を貪りたい」
「フィン……」
耳元に直球でぶつけられた願望に背筋がゾクゾクと震える。
嗚呼、そうなったらどれ程幸せな事だろう。
方向を変えようと身動げば、察したオルテガが少し腕の力を緩めてくれた。向き合うように体勢を変えてオルテガの首に腕を回して抱き着く。
「私も同じ気持ちだ。朝、隣にお前がいないのは寂しい」
すり、と騎士服の胸元に頬を擦り寄せる。優しく抱き締めてくれる腕が心地良くて堪らない。優しい心臓の鼓動も、呼吸する度に僅かに上下する胸も全てが俺を包み込んでくれるから。此処がこの世界で一番安心出来る場所だ。
オルテガの腕の中にいるとそれだけで幸せになる。しかし、そうなってくると顔を出すのは追い出した筈の睡魔で。
「……」
「リア、起きてるか?」
「……なんとか」
苦笑混じりの声が訊ねてくるから応えたが、このまま気持ち良く二度寝してしまいたい気分だ。
「初日から寝坊させる訳にはいかないな。髪を乾かすのはやらせてくれ」
睡魔のせいで雰囲気をぶち壊してしまったがこれで良かったのだろう。あのままだと多分お互いにブレーキが効かなくなっていた。
オルテガに促されるまま浴室の隣に設えられた身嗜みを整えるスペースに連れて行かれ、鏡の前に置かれた椅子に座れば、彼は日本でいうドライヤーのような魔道具を使って俺の髪を乾かし始めた。
温かい風と髪を通り抜けて行くオルテガの手が心地良い。御機嫌で手入れされているとふと鏡越しに見るオルテガが微妙な顔をしていた。
「どうした?」
「今回の移動で碌に手入れ出来なかった所為で髪が少し傷んでいる」
マジか。全然気が付かなかった。
「お前が人前に戻るなら俺の手で最高の状態にして送り出したかった……」
残念そうに言うオルテガは魔道具を置いてそこらに置いてあった瓶を一つ手に取った。開けるといつも髪の毛の手入れに使う香油の匂いがしたからそれなんだろう。
入念に手入れを始めた姿を鏡越しに見ながら俺は思った。今日も絶好調に愛が重いな、と。
相当急いで来たから多少は致し方ないだろうに納得いかないらしい。
「またフィンが手入れしてくれ。私じゃ良し悪しが分からない」
ダーラン辺りが聞いたら「無頓着過ぎる」と呆れられそうだが、本当に分からないのだからそういうのが分かってやる気のある奴に任せるのが一番だろう。
なんて考えていたらオルテガが非常に微妙な顔をして鏡越しに俺を見ている。
「なんでお前はそうも自分の事に興味が無いんだ」
呆れたように言われてついでに溜め息までつかれた。ぶっちゃけ、美容だなんだと言われても良く分からないし、多少は自分の容姿が武器になるとは思っているが、然程重要では無いだろうと思っている。
憮然としていれば、オルテガがもう一度深い溜め息を吐いて鏡越しに俺を見つめた。ギラついた瞳にドキリとしているうちに両腕を捕らえられて逃げられなくなる。
まずい、どうやら地雷を踏んだらしい。
「……どれ程の者がお前の寵を望み、またお前が欲しいと餓えているか……分かっているのか?」
オルテガの吐息と低い囁きが耳元を撫ぜ、ゾクゾクと背筋が震える。
「フィン?」
名前を呼ぶが、オルテガは手を離してくれない。背後から俺の首筋に鼻先を埋めながら鏡の中の夕焼け色の瞳がギロリと俺を見る。
「他の男がお前を見る度に、お前が俺以外の誰かと話す度に煮え滾る俺の胸の内を見せてやりたい。……他の誰にも渡さない。リア、お前にこうして触れる事が出来るのは俺だけだ」
「っ!」
がり、と首筋を噛まれて痛みと快楽が走る中、オルテガに噛まれた所を舐められる。ヒリヒリするから血が出ているかもしれない。
「お前は俺のものだ。他の奴がこの肌に触れる事を許すな」
普段は絶対にしない命令口調の低い声にどうしようもない程ゾクゾクしてしまう。思わず零れそうになる嬌声を慌てて飲み込むがオルテガにはお見通しだ。
鏡の中の黄昏色の瞳が真っ直ぐに俺を見つめている。「俺」の抱える浅ましい欲を見透かすように。
こうやって言葉に、態度に執着を出される事で「俺」は満たされるのだ。いつだって「俺」は要らないものだったから。
誰かに求められる事もなくてただ疎まれるだけだったから、こんな風に求められるだけでどうしようもなく薄汚い歓喜を感じてしまう。
ちくしょう、自分がこんなドMだなんて知りたくなかった…!
「っ……分かった! 分かったから!」
残った理性を総動員して何とか逃げようとするが、オルテガはやはり離してくれない。このままだとまずい。足腰が立たなくなるまで抱かれる気がするが、流石にそんな時間はない。
「フィン、ちゃんと気を付ける。お前以外に触れさせないから」
必死に許しを乞うが、オルテガは許してくれないようだ。香油で濡れた大きな手がバスローブの隙間から入ってくる。ぬるりとした熱い手が肌に触れるだけで散々快楽を教え込まれた体は従順に反応を返す。
「少し触れただけだぞ」
いやらしくなったな、と低い声で囁かれた。すっかり立ち上がった乳首を指先で撫でられながら責めるような声に余計に自分の浅ましさを思い知らされる。
「誰の所為だと……!」
お前が散々教えたんだろうがと鏡越しにオルテガを睨むが、久々の快楽に浮かされて涙目になった目では我ながら全く迫力がなかった。
領地にいる間は毎日のように体を重ねていたのに、王都に戻る為の旅路の合間はこんな風に触れ合う事すら出来なかった。その分、久方振りに与えられる愛撫に体が期待してしまう。
胎の奥がきゅんきゅん疼き、触れられるだけで勝手に甘い声が漏れる。
体が熱を持ち、先の快楽を期待して震えた。朝日の溢れる明るい浴室に満ちるのは濃密な気配だ。
本格的に体を触れ始めた大きな手は香油の滑りを借りて俺の肌を焦らすように撫でていく。物足りない刺激に身を捩るうちにバスローブがはだけ、鏡の中には肌を晒していやらしい顔をしている俺が映っている。
その表情に気が付いてカッと顔が熱くなると同時に我に返る。
これ以上は駄目だ! 本気で押さえが効かなくなる!
最後の理性を奮い立たせて頭を振ってオルテガに頭突きを喰らわせる。大した勢いもないからダメージにはならなかったようだが、頭がぶつかったオルテガが驚いた顔をして動きを止めた。
「い、今は駄目だ! 今日から出仕しなければならないんだぞっ」
慌ててバスローブを掻き合せながらの俺の台詞にオルテガは不服そうに目を細めた。定番の台詞、「俺より仕事を取るのか」とか言い出しそうだな。実際そんな状況な訳だが、初っ端から遅刻なんて出来ない。
「…………今じゃなければ良いのか?」
恨みがましげな黄昏色の瞳にじろりと睨まれて了承しそうになるが、慌てて言葉を飲み込む。ここでちゃんとルールを定めないといけない気がしたからだ。城で前後不覚になるなんて絶対に避けたい。
「か、帰ってから、だ! 城から帰って屋敷の中に入ったら触ってもいい」
じっとりとした視線が俺を責めるが、ここで下手な事を言うと後で痛い目を見る気がしてならない。そもそも婚約もしていない相手と一つ屋根の下で過ごすなんて領地ならともかく王都では恰好の醜聞になる。なるべく悪い噂は避けたかったんだが、それも難しそうだな。たまに共に食事を摂るくらいならいいかと思っていたが、距離を取るのは早々に破綻しそうで内心溜め息を零す。
自分とオルテガが抱える互いへの執着と堪え性の無さを甘く見ていたな。
「……屋敷に帰ったら何をしてもいい、と?」
確認するようなオルテガの言葉と視線に気まずく視線を逸らす。
「う……翌日に障るような事は勘弁して欲しい」
本当は好きにさせてやりたいが、そうもいかない。翌日動けなくなるような事態は避けなければ。
今は国が最優先だ。
オルテガもその辺は分かってくれているのだろう。俯きながら深い溜め息を零し、顔を上げた時にはいつものオルテガだった。
「……分かった。今は我慢しよう」
オルテガが譲歩してくれた事に内心安堵するが、そうは問屋が卸さなかった。
男らしい指が悪戯するように微かにまだ湿った俺の長い黒髪を掬い上げて耳に掛ける。
「代わりに今夜ここに俺の印をつけさせてくれ」
そう囁かれて指先で弄られるのは耳朶。思い出すのは領地にいる時に贈られたオルテガの瞳と同じ色をした宝石のピアスだ。
セイアッドの耳にピアスホールはないから、自分に穴を開けさせろ、とこの男は言っているのだ。
「城にいる間は耳を出して欲しい」
鏡越しに見つめられながらそう告げられて顔が熱くなった。
独占欲の証を着けさせるだけでは満足せず、見せびらかしたいらしい。この上ない牽制になるだろうが、俺は死ぬ程恥ずかしい気がする。
「ーっ! ……善処する!」
赤くなった顔をいつの間にか解放されていた手で隠しながら折れれば、背後でオルテガが笑う気配がした。
翌朝。過酷な移動とユリシーズとのやり取りの疲れが抜けないまま、睡眠時間も足りない俺はベッドから起き上がれずにいる。
そもそも「私」は非常に朝に弱く、激務に追われている時は目が覚めてからたっぷり小一時間は半寝ぼけ状態でいる事が多かった。オルテガと過ごす様になってから生活習慣が出来上がって規則正しい生活になっていたし、朝からトップスピードで甘やかしがスタートするので嫌でも目が覚めていたんだが、今はそのオルテガもいない。ついでに睡眠時間も足りてない。
「旦那様、湯の支度が出来ましたが」
「んー……おきる……」
アルバートの促しに返事をするが、これでもう三回目のやり取りだ。アルバートが呆れている気配がしているが、マジで起きられない。
起きようとはしているものの、意識がぼんやりして気が付けばウトウトしそうになっている。いっそ二度寝した方がさっぱり目が覚めそうだが、そんな事言っていられない。しかし、目が開かない。これの繰り返しだ。
改めてオルテガの偉大さを思い知りながらやっとの思いで身を起こして、風呂にでも入れば嫌でも目も覚めるだろうとフラフラしながら浴室に向かう。
王都にあるタウンハウスの風呂はこの世界で良くあるタイプの風呂で、大理石張りの部屋に猫足のバスタブが置かれているものだ。風呂に対する拘りが他所の家より強いせいか、割と豪華な造りになっている。普通の屋敷ならば壁はタイル張りだったりそもそも浴槽すらない家もあるらしい。
散々領地で広々とした天然温泉に浸かってきた後だと、豪華な筈の浴室も褪せて見える。サディアスじゃないが、庭に温泉でも作ってやろうか。
髪や体を洗おうといそいそやってきたメイド達に「自分でやるから」と下がる様に言い付けて、一人で浴室に入る。朝日が燦々と降り注ぐ室内は明るくて良い。うん、朝風呂も悪くないな。
髪と体を洗ってさっぱりすれば、やっと目も醒めてきた。猫足のバスタブに張られた湯に体を沈めてほっと息をつく。
足はそこそこ伸びるし、浴槽としては広い方だ。悪くはない。けれど、やっぱりちょっと狭いな。領地の広過ぎる風呂が贅沢だったんだが、あれを覚えてしまうと物足りない。
ゆらゆら揺れる湯の中に沈む俺の体にはポツポツとだがうっすらと赤い痕が残っている。出発前にオルテガにつけられたものだが、もう殆どが薄くなっているのが少々寂しい。
暫くは離れ離れになる事になるが、耐えられるだろうか、なんて不安に思ったりもした。しかし、復職すればそんな泣き言を言っている暇もないだろう。
国政立て直しRTAは今日俺が出仕し、ユリシーズから謝罪を受けた瞬間から始まる。既に部下には指示を幾つか出しているが、このゴタゴタが片付くまでどれくらい時間がかかるやら。
出掛ける前から少々うんざりしながらも湯から上がって用意してもらったタオルで体を拭き始めると、ドアがノックされた。
家人達はセイアッドが長風呂で邪魔されたくないのを知っている。わざわざノックしてくるなんて火急の用件でもあったのだろうかと思っていると、ドアの向こうから「俺だ」とオルテガの声がした。
「フィン? 少し待ってくれ」
髪を拭くのを諦めて慌ててバスローブを着込む。こんな早くに来ると思ってなかったから油断していた。
バスローブだけ着てドアを開ければ騎士の正装に身を包んだオルテガが居て思わず硬直する。
鍛え上げられた肢体を包む騎士服は機能性を重視しながらも洗練されたデザインで上品かつ格好良い。オルテガのスタイルの良さを引き立てる服装だった。
スチルなんかで死ぬ程見た服装だが、いざ本物を目の前にして脳の処理が追い付かない。
というかただでさえ良い男なのに、格好良すぎて直視出来ない…!!
「リア?」
「悪い、意識が飛んでいた」
怪訝そうな声で呼ぶオルテガに慌てて背を向ける。心臓が爆発しそうな勢いで跳ね回ってるんだがどうしよう。
何とか落ち着かせようとこっそり深呼吸をしていれば、背後から俺の腹に腕がまわって熱に包まれる。
「どうした、大丈夫か?」
耳元で低くて甘い声が心配するように訊ねてくる。騎士服姿に加えて移動中久しくまともに触れ合っていなかった所にこんな事されて俺は一杯いっぱいだった。
「だ、大丈夫だ。少し長湯し過ぎただけで……」
あわあわと言い訳するが、オルテガにはお見通しだろう。自分の顔や耳が熱いから後ろから見れば直ぐにわかってしまうだろうし。
「リア」
揶揄う様にオルテガが俺の耳をはむ。びくりと体を震わせていれば、逃げられないようにがっちり抱き込まれて動けなくなる。
「すっかり薄くなっているな」
首筋に付けた痕を指で辿っているのか、指先が髪の合間でうなじをなぞる。わざと煽る様な触れ方をしているのが分かってしまうのが悔しい。
「んっ……」
「この服装が好みだったか?」
くそ、やっぱりお見通しだったようだ。
領地にいた頃の寛いだ姿も勿論大好きだが、かっちりした騎士服も最高。本当に俺の恋人が良い男過ぎて参ってしまう。
「……早くお前を名実共に俺のものにしたいな。同じ屋根の下で寝起きも食事も共にして……毎晩お前を貪りたい」
「フィン……」
耳元に直球でぶつけられた願望に背筋がゾクゾクと震える。
嗚呼、そうなったらどれ程幸せな事だろう。
方向を変えようと身動げば、察したオルテガが少し腕の力を緩めてくれた。向き合うように体勢を変えてオルテガの首に腕を回して抱き着く。
「私も同じ気持ちだ。朝、隣にお前がいないのは寂しい」
すり、と騎士服の胸元に頬を擦り寄せる。優しく抱き締めてくれる腕が心地良くて堪らない。優しい心臓の鼓動も、呼吸する度に僅かに上下する胸も全てが俺を包み込んでくれるから。此処がこの世界で一番安心出来る場所だ。
オルテガの腕の中にいるとそれだけで幸せになる。しかし、そうなってくると顔を出すのは追い出した筈の睡魔で。
「……」
「リア、起きてるか?」
「……なんとか」
苦笑混じりの声が訊ねてくるから応えたが、このまま気持ち良く二度寝してしまいたい気分だ。
「初日から寝坊させる訳にはいかないな。髪を乾かすのはやらせてくれ」
睡魔のせいで雰囲気をぶち壊してしまったがこれで良かったのだろう。あのままだと多分お互いにブレーキが効かなくなっていた。
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温かい風と髪を通り抜けて行くオルテガの手が心地良い。御機嫌で手入れされているとふと鏡越しに見るオルテガが微妙な顔をしていた。
「どうした?」
「今回の移動で碌に手入れ出来なかった所為で髪が少し傷んでいる」
マジか。全然気が付かなかった。
「お前が人前に戻るなら俺の手で最高の状態にして送り出したかった……」
残念そうに言うオルテガは魔道具を置いてそこらに置いてあった瓶を一つ手に取った。開けるといつも髪の毛の手入れに使う香油の匂いがしたからそれなんだろう。
入念に手入れを始めた姿を鏡越しに見ながら俺は思った。今日も絶好調に愛が重いな、と。
相当急いで来たから多少は致し方ないだろうに納得いかないらしい。
「またフィンが手入れしてくれ。私じゃ良し悪しが分からない」
ダーラン辺りが聞いたら「無頓着過ぎる」と呆れられそうだが、本当に分からないのだからそういうのが分かってやる気のある奴に任せるのが一番だろう。
なんて考えていたらオルテガが非常に微妙な顔をして鏡越しに俺を見ている。
「なんでお前はそうも自分の事に興味が無いんだ」
呆れたように言われてついでに溜め息までつかれた。ぶっちゃけ、美容だなんだと言われても良く分からないし、多少は自分の容姿が武器になるとは思っているが、然程重要では無いだろうと思っている。
憮然としていれば、オルテガがもう一度深い溜め息を吐いて鏡越しに俺を見つめた。ギラついた瞳にドキリとしているうちに両腕を捕らえられて逃げられなくなる。
まずい、どうやら地雷を踏んだらしい。
「……どれ程の者がお前の寵を望み、またお前が欲しいと餓えているか……分かっているのか?」
オルテガの吐息と低い囁きが耳元を撫ぜ、ゾクゾクと背筋が震える。
「フィン?」
名前を呼ぶが、オルテガは手を離してくれない。背後から俺の首筋に鼻先を埋めながら鏡の中の夕焼け色の瞳がギロリと俺を見る。
「他の男がお前を見る度に、お前が俺以外の誰かと話す度に煮え滾る俺の胸の内を見せてやりたい。……他の誰にも渡さない。リア、お前にこうして触れる事が出来るのは俺だけだ」
「っ!」
がり、と首筋を噛まれて痛みと快楽が走る中、オルテガに噛まれた所を舐められる。ヒリヒリするから血が出ているかもしれない。
「お前は俺のものだ。他の奴がこの肌に触れる事を許すな」
普段は絶対にしない命令口調の低い声にどうしようもない程ゾクゾクしてしまう。思わず零れそうになる嬌声を慌てて飲み込むがオルテガにはお見通しだ。
鏡の中の黄昏色の瞳が真っ直ぐに俺を見つめている。「俺」の抱える浅ましい欲を見透かすように。
こうやって言葉に、態度に執着を出される事で「俺」は満たされるのだ。いつだって「俺」は要らないものだったから。
誰かに求められる事もなくてただ疎まれるだけだったから、こんな風に求められるだけでどうしようもなく薄汚い歓喜を感じてしまう。
ちくしょう、自分がこんなドMだなんて知りたくなかった…!
「っ……分かった! 分かったから!」
残った理性を総動員して何とか逃げようとするが、オルテガはやはり離してくれない。このままだとまずい。足腰が立たなくなるまで抱かれる気がするが、流石にそんな時間はない。
「フィン、ちゃんと気を付ける。お前以外に触れさせないから」
必死に許しを乞うが、オルテガは許してくれないようだ。香油で濡れた大きな手がバスローブの隙間から入ってくる。ぬるりとした熱い手が肌に触れるだけで散々快楽を教え込まれた体は従順に反応を返す。
「少し触れただけだぞ」
いやらしくなったな、と低い声で囁かれた。すっかり立ち上がった乳首を指先で撫でられながら責めるような声に余計に自分の浅ましさを思い知らされる。
「誰の所為だと……!」
お前が散々教えたんだろうがと鏡越しにオルテガを睨むが、久々の快楽に浮かされて涙目になった目では我ながら全く迫力がなかった。
領地にいる間は毎日のように体を重ねていたのに、王都に戻る為の旅路の合間はこんな風に触れ合う事すら出来なかった。その分、久方振りに与えられる愛撫に体が期待してしまう。
胎の奥がきゅんきゅん疼き、触れられるだけで勝手に甘い声が漏れる。
体が熱を持ち、先の快楽を期待して震えた。朝日の溢れる明るい浴室に満ちるのは濃密な気配だ。
本格的に体を触れ始めた大きな手は香油の滑りを借りて俺の肌を焦らすように撫でていく。物足りない刺激に身を捩るうちにバスローブがはだけ、鏡の中には肌を晒していやらしい顔をしている俺が映っている。
その表情に気が付いてカッと顔が熱くなると同時に我に返る。
これ以上は駄目だ! 本気で押さえが効かなくなる!
最後の理性を奮い立たせて頭を振ってオルテガに頭突きを喰らわせる。大した勢いもないからダメージにはならなかったようだが、頭がぶつかったオルテガが驚いた顔をして動きを止めた。
「い、今は駄目だ! 今日から出仕しなければならないんだぞっ」
慌ててバスローブを掻き合せながらの俺の台詞にオルテガは不服そうに目を細めた。定番の台詞、「俺より仕事を取るのか」とか言い出しそうだな。実際そんな状況な訳だが、初っ端から遅刻なんて出来ない。
「…………今じゃなければ良いのか?」
恨みがましげな黄昏色の瞳にじろりと睨まれて了承しそうになるが、慌てて言葉を飲み込む。ここでちゃんとルールを定めないといけない気がしたからだ。城で前後不覚になるなんて絶対に避けたい。
「か、帰ってから、だ! 城から帰って屋敷の中に入ったら触ってもいい」
じっとりとした視線が俺を責めるが、ここで下手な事を言うと後で痛い目を見る気がしてならない。そもそも婚約もしていない相手と一つ屋根の下で過ごすなんて領地ならともかく王都では恰好の醜聞になる。なるべく悪い噂は避けたかったんだが、それも難しそうだな。たまに共に食事を摂るくらいならいいかと思っていたが、距離を取るのは早々に破綻しそうで内心溜め息を零す。
自分とオルテガが抱える互いへの執着と堪え性の無さを甘く見ていたな。
「……屋敷に帰ったら何をしてもいい、と?」
確認するようなオルテガの言葉と視線に気まずく視線を逸らす。
「う……翌日に障るような事は勘弁して欲しい」
本当は好きにさせてやりたいが、そうもいかない。翌日動けなくなるような事態は避けなければ。
今は国が最優先だ。
オルテガもその辺は分かってくれているのだろう。俯きながら深い溜め息を零し、顔を上げた時にはいつものオルテガだった。
「……分かった。今は我慢しよう」
オルテガが譲歩してくれた事に内心安堵するが、そうは問屋が卸さなかった。
男らしい指が悪戯するように微かにまだ湿った俺の長い黒髪を掬い上げて耳に掛ける。
「代わりに今夜ここに俺の印をつけさせてくれ」
そう囁かれて指先で弄られるのは耳朶。思い出すのは領地にいる時に贈られたオルテガの瞳と同じ色をした宝石のピアスだ。
セイアッドの耳にピアスホールはないから、自分に穴を開けさせろ、とこの男は言っているのだ。
「城にいる間は耳を出して欲しい」
鏡越しに見つめられながらそう告げられて顔が熱くなった。
独占欲の証を着けさせるだけでは満足せず、見せびらかしたいらしい。この上ない牽制になるだろうが、俺は死ぬ程恥ずかしい気がする。
「ーっ! ……善処する!」
赤くなった顔をいつの間にか解放されていた手で隠しながら折れれば、背後でオルテガが笑う気配がした。
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本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。
こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
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