盤上に咲くイオス

菫城 珪

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王都編4 ユリシーズ

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王都編4  ユリシーズ
 
「まずは座って、食事でもしながら話そう。随分急いで戻ってきたんだろう」
 そう言ってユリシーズは俺に座るよう促し、自分はティーテーブルの上に置いてあったベルを取って鳴らした。直ぐ様入ってきた侍従にユリシーズが食事の支度を頼むと、侍従は頭を下げて部屋から出て行く。
 確かに休みも最小限で飛ばして戻ってきたから空腹を感じてはいるものの、この空間でユリシーズと共に食事を摂るのは少々気が引ける。しかし、食事を共にする事が腹を割って話すのに潤滑油的な役割になるのは確かだ。
 覚悟を決めきれないうちに、出て行ったばかりの侍従がカートを押しながらもう戻ってきた。その速さに驚いていれば、「先に準備していたんだ」とユリシーズが笑う。
 目の前に饗されたのは生ハムやチーズ、オリーブといった物が真っ白な皿に整然と盛られたアンティパストだ。
「遠慮せずに食べて欲しい」
 そういってユリシーズは手ずから赤ワインをグラスに注いでくれる。真紅に揺れるワインの芳香を感じながらそっと唾を飲む。王族に供されるものならば、どれもこれも最高級品だろう。
 そもそも、「俺」も「私」も美味いものに目が無い。セイアッドの興味を引くなら金や宝石よりも美味いものや珍しい食べ物が一番効果的だろう。
 生ハムは深いルビー色が美しい一品で白く奔る脂とのバランスが絶妙だ。淡い桜色のチーズは珍しい牛から採れた乳を使用した稀少品。皿の上に乗っている物はシンプルながらどれも高級食材であり、かつ美味そうだ。
 だが、まずは乾杯だろうとワイングラスを手に取った。
「君の帰還に感謝して」
 なんと言ったものかと悩んでいるうちにユリシーズに先を越されてしまった。微かな音を立てて軽くぶつけられるワイングラス。そのガラスも恐ろしいほど薄くてちょっと力の入れ方を間違えたら簡単に壊してしまいそうだ。
 恐る恐る口をつければ、驚く程口当たりが良い。濃い果物と花のような芳香が鼻先を擽り、まろやかな酸味と深い渋みが舌の上に広がる。
 少し飲んだだけだが、とてつもなく良いワインなのだろう。オルテガも喜びそうな味だった。聞いたら銘柄を教えてもらえないだろうか。王族が嗜むような代物だから手に入るかどうかは分からないが。
 促されるままにフォークを手に取り、アンティパストにも手を付ける。こちらもまた絶品だ。
 ワインに合うように考え抜かれているのだろう。どれも最高の組み合わせだった。
 皿が空になった頃には美味い物を食べた愉悦が顔に出ていたのか、ユリシーズが柔らかく笑みを浮かべる。
「ルアクの言っていた通りだな。君を懐柔するのに必要な物は金でも名誉でもなく、何より美味い食事だと」
「……」
 どうやらリンゼヒースがユリシーズに入れ知恵していたらしい。食いしん坊認定された事に少々複雑な気分になりながらもタイミングを見計らったように運ばれてきた次の料理に興味が移る。
 次に出てきたのはトマトベースのスープ。小さく切った野菜が沢山入っているもので、日本で言うならばミネストローネに近い料理だ。そこではたと一つの事に気がついた。
「俺」が知る限り、ゲームでの設定の中で領地のあるキャラクターはそれぞれモデルとなった国がある。王都や王家はフランス、オルテガやマーティンはスペインといったように分けられていて、ゲーム内のシナリオでもそれぞれのエピソードにその設定が絡んでいた。
 セイアッドの領地のモデルはイタリアだ。その影響なのか、はたまた設定を作った「俺」の方が此方の世界の影響を受けていたのか、レヴォネの風土や風習はイタリアの物に近い部分も多い。
 今、饗されているものはレヴォネ領の伝統的なコースの組み方と料理内容になっている。レヴォネでのコースはアンティパストに始まり、二品目にスープやパスタ、リゾットといった腹を満たす為の料理がセットで出され、三品目にメインの肉か魚といった料理が続く。今回はさっぱりしたスープが出されたから次は味の濃い麺料理が来るだろうか。
 王都式ではなく、こちらに合わせた料理を出してくるのを憎い心遣いだと思いながらスプーンを手にスープを口に運ぶ。トマトベースだから酸味があるが、野菜や燻製肉の旨味も強い。少し冷めているのが残念だが、それでも十分に美味かった。
「君は本当に美味しそうに食べるな」
 滅多に食べられない王宮の味を堪能するのに夢中で苦笑混じりのユリシーズの声にハッと我に返る。食事があるとすぐそちらに意識がいってしまうのは「俺」達の悪い癖だ。
「申し訳ありません。あまりに美味しくて……」
 話をしようと言われていたのに全然話どころじゃなくなっていた。恥入っていれば、ユリシーズが楽しそうにくすくすと笑う。
「構わないよ。先に食事を済ませてしまおうか」
 運ばれてきたクリームパスタを目の前に、ユリシーズは柔らかく笑みを浮かべてフォークを手にした。
 
 結局、話も碌にしないままにメインの子羊のローストや野菜料理、デザートまで堪能してしまった。
 どれもこれも絶品で、とても美味しかった。これが毎日食べられるなら王族も悪くないかもしれない。
 食後の深い余韻に浸っていればその余韻を断ち切るように紅茶が運ばれてくる。窓の外から見える景色は残照も失せてすっかり真っ暗になっていた。
 いやいや、惑溺してる場合じゃない。いい加減、真面目に話をしなくては。
「食事は気に入ってもらえただろうか?」
 食後の紅茶を嗜みながらユリシーズが鷹揚に訊ねてきた。空腹が強かった事もあるが、うっかり夢中になってしまったと反省する。いやほんと美味しかったんだよ。
「どれも絶品でした」
 ただ、気になったのは温かい状態で出される筈の料理がどれも冷めていた事だ。毒味やらなんやらで提供されるまでに冷えてしまうのだろう。出来立てだったらもっと美味しかったに違いない。
「家族以外の誰かと個人的に食事を摂るのは久方振りだ」
 ユリシーズの言葉に驚いてそちらを見遣れば、彼は寂しそうに笑っている。
「私には私的な付き合いが出来る者が少なくてね。君とこうして食事が出来て嬉しい」
 多分、本音なのだろう。夜明けの太陽色の瞳が魔石ランプの灯りを受けて幽かに揺れている。
 ユリシーズは前国王夫妻の間に遅く生まれた。待望の世継ぎであった影響か、前国王夫妻はユリシーズに対して酷く過保護だったと聞いている。それこそ、友人関係や行動の一つひとつにすら口を出す程に。
 ユリシーズが学園に通っていた時分に有力貴族の子息が少なかった事も大きいのだろう。ユリシーズが学生時代には碌に友人と外出した事もないのだといつかリンゼヒースが話していた。
 王都にはグロワール学園の学生が護衛をつけずとも出歩ける区画がある。大部分の貴族子女は学生時代にはそこに出掛けて遊ぶものだし、実際セイアッド達が学生時代には良く遊びに行っていた。前国王も遊びに来ていたという話を聞いてはいたものの、ユリシーズが遊びに出ていたという話を聞いた事がなかった事に今更ながらに気が付く。
 王族というものはその地位と引き換えに不自由な生活を強いられるものだ。リンゼヒースの奔放さが特例と言っていいだろう。それでも、王族という立場から離れた自分自身の付き合いや私的な友人が在って然るべきだというのに。
 ユリシーズにはそれすら存在していないというのか。
 その事実に愕然としていれば、ユリシーズが柔らかく微笑む。
「……正直な事を言えば、私はずっとルアクが羨ましかったんだ」
 暗い窓の外、彼が見つめる先には王都が、この国がある。
「私と違ってルアクは性格も明るく人に好かれやすい。時折無謀な事をするが理解して助けてくれる者も多い。この国の事を自らの耳で目で知り、外の国も巡ってきた。……私にはないものばかりだ」
 ユリシーズの短い独白はそれだけで彼が抱える孤独の深さを知るには十分な程悲痛だ。
 彼には生まれてからずっと王座しかなかったのだろう。
 世継ぎとしての期待を背負い、過剰に守られ制限されてきたせいで「王」として生きる事以外の知らない。
 そんな彼からすれば、自由に駆け巡る弟はさぞ眩しく見えた事だろう。それでもユリシーズはリンゼヒースや周囲を恨んだり憎む事もなく、時に手助けや叱責をしながら優しく見守っていた。
 ユリシーズの事を知る程に、深い後悔が胸の奥に沈んでいく。「私」はあまりにも何も知らな過ぎた。否、知ろうとすらしなかった。一番近くで共に国を担ってきたというのに。
 誰が彼の孤独と苦悩を真に理解してあげられるのだろう。
 リンゼヒースのようになんでも打ち明けられて時には巫山戯あえる親友がいれば。或いはグラシアールのように忌憚なく話が出来る強固な腹心がいれば。
 時節に恵まれず、また過保護だった前陛下の意向で同年代との交流も少なかったような状況では作りたくとも友人など上手く作れなかっただろう。
 前国王、前宰相の時から混乱している国政の中、碌な経験を積めないままに前国王が亡くなった事でいきなり国王として祭り上げられては誰を信用していいのかなんて分からなかったに違いない。本来ならば補佐するべき立場の宰相セイアッドも同じような状況だったのだから相談するにも出来なかったのだろう。
 何と言葉を返せば良いのか分からずに俯けば、涙が滲んで視界が歪む。結局、「俺」も、「私」も真にこの方を理解出来ていなかった。
 悪い方ではなかった。ただ、運が悪かったのだ。
 世が世であるならば、きっと良き王になっていただろうに。
「……ユリシーズ様、私の領地には温泉を引いた別荘があります。お時間が出来た暁には是非遊びに来てください」
 暫しの沈黙の後、俯きながら微かに震える声で提案すれば、ユリシーズが視界の端で柔らかく微笑んだ。
「迷惑ではないか?」
「いいえ、領をあげて歓迎致します。それからもっと共に食事をしましょう。今度は私がご馳走致します。「私」は……ずっと……貴方とゆっくり話がしてみたかった」
 涙を拭って真っ直ぐ見つめながら告げた言葉に、ユリシーズは目を丸くした。しかし、それも一瞬で彼は嬉しそうに破顔する。
「私もだ。なあ、セイアッド。私の事をアシェルと呼んでくれないか」
 はしゃいだ声音で一足飛びに真名呼びを提案されたことに驚く。王族を真名呼び出来るのは余程親しい間柄でなければならないからだ。
「……宜しいのですか?」
 恐る恐る訊ねれば、ユリシーズが鷹揚に頷いて笑みを浮かべながら俺の手を取った。
「ああ。堅苦しい言葉遣いもやめてくれ。これからは王と宰相ではなく、友として君と付き合いたい」
「しかし……」
 いきなりの話に躊躇している俺とは裏腹に、ユリシーズはもう腹を決めてしまったのだろう。更に追い討ちをかけるように彼が口を開く。
「王の姿を繕う事にも疲れてしまったんだ。真実の私を知る君の前でくらい一人の人間で居させて欲しい」
 縋るような目に、ついぐらりと来てしまう。リンゼヒースもそうなんだが、人に強請るのが上手い人のようだ。やはり素のユリシーズは人懐こくて明るい人柄なのだろう。ただ、接し方や振る舞い方がわからないだけだ。皆がユリシーズの為人を知ったらきっと人気者になるに違いない。
「……わかりました。私の事もリア、と」
「ありがとう、リア」
 嬉しい、と柔らかな表情を浮かべて本当に嬉しそうにぽつりと呟くのを聞いてしまったら、俺はもう諦めて受け入れざるを得なかった。
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