93 / 152
82 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
しおりを挟む
82 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
リンゼヒースが来てから三日間。
四人で話し合い、俺はその三日の間に王都へ戻る支度を済ませる事になった。リンゼヒースが言うには王都を発つ際に凡ゆる人からなるべく早く連れて帰って来い、と急かされてきたらしい。
「俺はもっとゆっくりしたい」とごねながら外へ飛び出そうとするリンゼヒースの尻を蹴り飛ばして自身の支度をさせ、行かせたくなくて邪魔ばかりして来るオルテガに馬車の支度や大量の贈り物の整理なんかを言い付けて追い払い、やっとサディアスと話す時間が出来た頃には俺の方が疲労困憊だった。既に明日が出発予定日なのに。
「邪魔ばっかりしやがって。アイツらマジで許さん」
図書館の机に伸びながら文句を垂れる俺の頭をポンポンと撫でると、サディアスは紙の束をばさりと置いた。
「お疲れのところ悪いけど、これに目を通してね」
「こちらこそ悪いな。休暇だというのに」
「半分趣味みたいなものだから気にしないで」
肩を竦めるサディアスはそのまま本を読むようだ。俺はその間にサディアスが出してきた紙の束に目を通していく。
彼が寄越したのは先日渡した香水の成分表みたいな物だ。同時に書き込まれているのは彼の考察で、原因と思しき材料やその効能、危険性まで書いてある。
「凄いな、この短時間でここまで作ってくれたのか」
「お礼は君の手料理がいいな。前に作ってくれた果物のソースがかかった揚げ菓子」
「承知した。今度お前の好きな焼き菓子も添えて作るよ」
会話しながらも文字を目で追い、魔術師団長として正式に鑑定した内容を纏めてくれている書式に驚いた。このまま証拠として提出しても大丈夫だろう。
「書式まで本格的だな」
「仕留めるなら手っ取り早く確実に、でしょ?」
サディアスは悪戯っぽく笑っているものの雰囲気は物騒そのもの。やはり随分と怒っているようだ。早いところケリをつけないとそのうち死人が出る。
ぞっと背筋が冷えるのを感じながら全てに目を通してホッと息をついた。サディアスが協力してくれなかったらこの書類を作るだけでも結構な時間が掛かっただろう。
つくづく周囲の人間に恵まれているな。
「……ルアクも僕と同じ協力者だよ」
書類を読み終わって机の上に置いたところで、サディアスがぽつりと呟いた。その言葉に驚いて彼を見れば、金色の瞳でこちらを見つめている。
「この二日、二人で情報共有したんだ。同じ人物に協力している。君の……貴方の事は話していない。けれど、ルアクとも一度しっかり話した方が良いと思う」
「……分かった」
「俺」の事は伏せながらリンゼヒースにこれまでの経緯や分かっている事を話してくれたんだろう。サディアスの気遣いに感謝しながら書類を持って立ち上がる。多分、今ならオルテガもまだ片付けに追われているだろう。
不安は強いが、いつまでも逃れられるものでもない。このまま話に行こうと図書館の出口に向かって歩き出した時だ。
「リア」
優しく名を呼ばれて振り返る。
「大丈夫だよ」
柔らかな声と笑みが背を押してくれる。それだけで、少し心が軽くなった気がした。
「……ありがとう、メイ」
彼はなんて事ないよと言いたげに手をひらりと振って再び本へと視線を落とした。
一度自分の部屋に書類を置いてから、俺はリンゼヒースがいる客間へと向かった。
別の部屋で用意すると言ったんだが、旧交を暖めたいと雑魚寝承知でリンゼヒースはサディアスとの同室を望んだ。今はその部屋で旅支度をしているようで、真っ直ぐにその部屋に向かう。
軽くノックをすれば、中からは直ぐにどうぞと返事が返ってきた。
サディアスは大丈夫だと言ったが…。緊張で心臓が痛くなる中、深呼吸を一つしてからドアを開ける。
「リア」
鞄に荷物を詰めていたのだろうか。机の上で格闘していた様子のリンゼヒースは俺の姿を見てパッと表情を輝かせた。
「……今少し良いだろうか」
「もちろん。ちょうど休憩しようと思ってたところだ」
どう見てもぐちゃぐちゃな荷造りの様子に、サボる口実ができたとでも思ったのだろう。相変わらず下手な旅の荷造りに思わず笑みが零れる。
「メイから聞いた。私の為に色々と動いてくれてありがとう」
「気にするな。まあ、座って話そう。何か話があるんだろ?」
勧められてベッドに腰掛け、リンゼヒースは机のセットで置いてある椅子に座る。ソファーセットもあるんだが、ついベッドに座ってしまった。昔、彼と話す時はこの位置がいつも定位置だったから。
学生時代、寮で同室だった時はこうやって俺はベッドに、リンゼヒースは部屋に備え付けてあった椅子に座って話したものだ。最初は行儀が悪いと思っていたが、直ぐに慣れた。それまでは行儀良く良い子として振る舞う事しか知らなかったセイアッドに様々な事を教えてくれたのは彼等親友達だ。今の自分を形作るものに、彼等は多大な影響を残している。
「何だか懐かしいな。学生時代は良くこうやって夜遅くまで話したもんだ」
同じ事を考えていたのか、リンゼヒースが感慨深そうに呟く。その声を聞きながらどう切り出したものかと悩んでいた。勢いで来たものの、いくつかある話さなければならない事のどれもが繊細な話題だ。
「リア」
名前を呼ばれて知らずに落ちていた視線を上げてリンゼヒースを見る。そこには強い瞳をした幼馴染がいた。
嗚呼、そうか。君はもう覚悟を決めているのか。この国を背負うという覚悟を。
「……すまない。お前には重い物を背負わせる」
「いいんだ。いずれこうなる気はしていた」
肩を竦めながらリンゼヒースは窓の外へと視線を移す。その横顔には何とも言えない侘しさが浮かんでいた。
ユリシーズとリンゼヒースは十歳歳の離れた兄弟だ。年齢差もあってリンゼヒースが物心つく頃には既にユリシーズの後継として教育が始まっており、彼等の間に兄弟らしい時間は少なかったと聞いている。
それでも、リンゼヒースは兄としてユリシーズを慕っている。彼はずっと「自分はあくまでも王弟であり、国王である兄を臣下として支えていくのだ」と公言し続けてきた。
また、兄であるユリシーズもそんなリンゼヒースを弟として彼なりに可愛がっていたのだと思う。自由奔放な彼がやらかした時にも困ったように笑いながら「怪我がなくて良かった」と呟いているのを聞いた事があるし、リンゼヒースが魔物退治に発つ時にはいつも直接無事を祈る声を掛けていた。
「時節が悪かっただけさ。兄上もそう仰っていた」
「そうか……」
何と声を掛けていいのか分からない。貴族として生きた記憶も、宰相として働いた記憶もあるのに、王族の背負うものがどれ程の重荷なのか俺には分からなかった。
「お前が気に病む事じゃない。それに……他ならぬ兄上のお望みでもあるんだ」
「え……?」
「こちらに来る前に、短時間だが兄上と腹を割って話してきた」
リンゼヒースがこちらを見ながら膝の上でぐっと拳を握り締める。二人が話し合ってきた事も、陛下のお考えも予想外だ。
「……兄上は両親の間にやっと生まれた世継ぎだ。それだけ両親も周囲も兄上に期待した。ずっと国を継ぐようにと言われ、努力されて生きてきたんだ。俺もそんな兄上を見てきたからこそ、兄上に国王で在って欲しかった。だが……兄上にとって王座は苦痛でしかなかったようだ」
リンゼヒースはそこからゆっくりと話を続けた。
弟であるリンゼヒースはずっと努力してきた兄こそ相応しく、兄が王で在るべきと時にはわざと軽率に振る舞っていた部分もあった。軽々しい行動を見て、彼が国王に相応しくないと思う者が多かった事は事実だ。しかし、兄であり国王であるユリシーズにとってその思いこそが重圧であったのだという。
両親の間に遅くにして生まれてからずっと王として相応しくあれと周囲に期待され、時には叱責され続けてきたユリシーズには自分を取り巻く全てがまるで檻のような存在だった。リンゼヒースと比べられ、囲われ、逃げ出す事も息を抜く事も出来ないまま、ただ周りが望む「王」を演じ、必死に日々をこなしていたのだと。
セイアッドという宰相がいた事で回っていた政務も、セイアッドが追放された事で逼迫した。王座を狙う者達はユリシーズにもずっと圧力を掛けていたらしく、そういった事が重なって彼はついに心が折れてしまったそうだ。
「兄上は酷く疲れておいでだった。それから……初めから俺に王位を譲っていれば良かったと」
そこまで話すと、リンゼヒースは拳を強く握り締めたまま俯いてしまった。兄を慕ってしていた事が相手にとって負担になっていたというのはショックだったんだろう。
腕を伸ばして、いつだったか彼がしてくれたように抱き締める。彼等兄弟には時間が足りなかったのだろう。兄弟として過ごす時間が。
国王と王弟という立場が先に出来上がってしまったから、本音を話す事もお互いの気持ちを知る事もできずに擦れ違ってしまった。理解者が一人でもいるだけで心は軽くなるが、ユリシーズにはそんな存在がいなかったのかもしれない。
「……兄上は俺を赦してくれるだろうか」
腕の中からぽつりと聞こえた言葉に答えるようにくしゃくしゃと薄紫がかった銀髪を撫でてやる。リンゼヒースはリンゼヒースでここに来るまでに葛藤し続けていたのだろう。
「大丈夫だ。これから話す時間も機会も作っていけば良い。それに……陛下はきっと怒ってないよ。むしろ、お前に重荷を背負わせてしまう事を気にされるだろう」
ユリシーズ自身は温和で穏やかといった人柄をした優しく誠実な男だ。積極性は確かに低いかもしれないが、抑える所はしっかり抑えてくれるし、今の今まで国が瓦解していなかったのはユリシーズの手腕も大きいだろう。
セイアッドが追い詰められながらも国務を放り出さなかったのは彼の存在もある。お互いに抱いていた仲間意識のようなものは確かに存在していたし、周りが思うよりも強固だった。
ユリシーズは俺がやろうとしている事を察して細々と手を回してくれていたのだろう。そうでなければ、こんなにスムーズに物事は進まなかった筈だ。
彼はこれから先に問われる責任を負って、退くつもりなのだ。だからこそ、リンゼヒースを此方に寄越した。やっと、彼の意図を察してそっと息を零す。
国王としての素質やインパクトはリンゼヒースに劣るかもしれないが、為政者として無能な訳ではない。ただ、彼は優しいだけだ。いつもリンゼヒースや国民達を見ていた優しい赤みがかった金色の瞳を思い出す。きっとユリシーズは普通の兄弟としてリンゼヒースと、一人の人間として人々と接したかったのだろう。
「私も陛下に謝罪しなければ。一緒に謝りに行こう。それから、まずは食事を共に。これまでの事も合わせて、沢山話そう」
「……ああ」
肩口が濡れるのを感じながら辛うじて聞こえた返事は、酷く震えていた。
リンゼヒースが来てから三日間。
四人で話し合い、俺はその三日の間に王都へ戻る支度を済ませる事になった。リンゼヒースが言うには王都を発つ際に凡ゆる人からなるべく早く連れて帰って来い、と急かされてきたらしい。
「俺はもっとゆっくりしたい」とごねながら外へ飛び出そうとするリンゼヒースの尻を蹴り飛ばして自身の支度をさせ、行かせたくなくて邪魔ばかりして来るオルテガに馬車の支度や大量の贈り物の整理なんかを言い付けて追い払い、やっとサディアスと話す時間が出来た頃には俺の方が疲労困憊だった。既に明日が出発予定日なのに。
「邪魔ばっかりしやがって。アイツらマジで許さん」
図書館の机に伸びながら文句を垂れる俺の頭をポンポンと撫でると、サディアスは紙の束をばさりと置いた。
「お疲れのところ悪いけど、これに目を通してね」
「こちらこそ悪いな。休暇だというのに」
「半分趣味みたいなものだから気にしないで」
肩を竦めるサディアスはそのまま本を読むようだ。俺はその間にサディアスが出してきた紙の束に目を通していく。
彼が寄越したのは先日渡した香水の成分表みたいな物だ。同時に書き込まれているのは彼の考察で、原因と思しき材料やその効能、危険性まで書いてある。
「凄いな、この短時間でここまで作ってくれたのか」
「お礼は君の手料理がいいな。前に作ってくれた果物のソースがかかった揚げ菓子」
「承知した。今度お前の好きな焼き菓子も添えて作るよ」
会話しながらも文字を目で追い、魔術師団長として正式に鑑定した内容を纏めてくれている書式に驚いた。このまま証拠として提出しても大丈夫だろう。
「書式まで本格的だな」
「仕留めるなら手っ取り早く確実に、でしょ?」
サディアスは悪戯っぽく笑っているものの雰囲気は物騒そのもの。やはり随分と怒っているようだ。早いところケリをつけないとそのうち死人が出る。
ぞっと背筋が冷えるのを感じながら全てに目を通してホッと息をついた。サディアスが協力してくれなかったらこの書類を作るだけでも結構な時間が掛かっただろう。
つくづく周囲の人間に恵まれているな。
「……ルアクも僕と同じ協力者だよ」
書類を読み終わって机の上に置いたところで、サディアスがぽつりと呟いた。その言葉に驚いて彼を見れば、金色の瞳でこちらを見つめている。
「この二日、二人で情報共有したんだ。同じ人物に協力している。君の……貴方の事は話していない。けれど、ルアクとも一度しっかり話した方が良いと思う」
「……分かった」
「俺」の事は伏せながらリンゼヒースにこれまでの経緯や分かっている事を話してくれたんだろう。サディアスの気遣いに感謝しながら書類を持って立ち上がる。多分、今ならオルテガもまだ片付けに追われているだろう。
不安は強いが、いつまでも逃れられるものでもない。このまま話に行こうと図書館の出口に向かって歩き出した時だ。
「リア」
優しく名を呼ばれて振り返る。
「大丈夫だよ」
柔らかな声と笑みが背を押してくれる。それだけで、少し心が軽くなった気がした。
「……ありがとう、メイ」
彼はなんて事ないよと言いたげに手をひらりと振って再び本へと視線を落とした。
一度自分の部屋に書類を置いてから、俺はリンゼヒースがいる客間へと向かった。
別の部屋で用意すると言ったんだが、旧交を暖めたいと雑魚寝承知でリンゼヒースはサディアスとの同室を望んだ。今はその部屋で旅支度をしているようで、真っ直ぐにその部屋に向かう。
軽くノックをすれば、中からは直ぐにどうぞと返事が返ってきた。
サディアスは大丈夫だと言ったが…。緊張で心臓が痛くなる中、深呼吸を一つしてからドアを開ける。
「リア」
鞄に荷物を詰めていたのだろうか。机の上で格闘していた様子のリンゼヒースは俺の姿を見てパッと表情を輝かせた。
「……今少し良いだろうか」
「もちろん。ちょうど休憩しようと思ってたところだ」
どう見てもぐちゃぐちゃな荷造りの様子に、サボる口実ができたとでも思ったのだろう。相変わらず下手な旅の荷造りに思わず笑みが零れる。
「メイから聞いた。私の為に色々と動いてくれてありがとう」
「気にするな。まあ、座って話そう。何か話があるんだろ?」
勧められてベッドに腰掛け、リンゼヒースは机のセットで置いてある椅子に座る。ソファーセットもあるんだが、ついベッドに座ってしまった。昔、彼と話す時はこの位置がいつも定位置だったから。
学生時代、寮で同室だった時はこうやって俺はベッドに、リンゼヒースは部屋に備え付けてあった椅子に座って話したものだ。最初は行儀が悪いと思っていたが、直ぐに慣れた。それまでは行儀良く良い子として振る舞う事しか知らなかったセイアッドに様々な事を教えてくれたのは彼等親友達だ。今の自分を形作るものに、彼等は多大な影響を残している。
「何だか懐かしいな。学生時代は良くこうやって夜遅くまで話したもんだ」
同じ事を考えていたのか、リンゼヒースが感慨深そうに呟く。その声を聞きながらどう切り出したものかと悩んでいた。勢いで来たものの、いくつかある話さなければならない事のどれもが繊細な話題だ。
「リア」
名前を呼ばれて知らずに落ちていた視線を上げてリンゼヒースを見る。そこには強い瞳をした幼馴染がいた。
嗚呼、そうか。君はもう覚悟を決めているのか。この国を背負うという覚悟を。
「……すまない。お前には重い物を背負わせる」
「いいんだ。いずれこうなる気はしていた」
肩を竦めながらリンゼヒースは窓の外へと視線を移す。その横顔には何とも言えない侘しさが浮かんでいた。
ユリシーズとリンゼヒースは十歳歳の離れた兄弟だ。年齢差もあってリンゼヒースが物心つく頃には既にユリシーズの後継として教育が始まっており、彼等の間に兄弟らしい時間は少なかったと聞いている。
それでも、リンゼヒースは兄としてユリシーズを慕っている。彼はずっと「自分はあくまでも王弟であり、国王である兄を臣下として支えていくのだ」と公言し続けてきた。
また、兄であるユリシーズもそんなリンゼヒースを弟として彼なりに可愛がっていたのだと思う。自由奔放な彼がやらかした時にも困ったように笑いながら「怪我がなくて良かった」と呟いているのを聞いた事があるし、リンゼヒースが魔物退治に発つ時にはいつも直接無事を祈る声を掛けていた。
「時節が悪かっただけさ。兄上もそう仰っていた」
「そうか……」
何と声を掛けていいのか分からない。貴族として生きた記憶も、宰相として働いた記憶もあるのに、王族の背負うものがどれ程の重荷なのか俺には分からなかった。
「お前が気に病む事じゃない。それに……他ならぬ兄上のお望みでもあるんだ」
「え……?」
「こちらに来る前に、短時間だが兄上と腹を割って話してきた」
リンゼヒースがこちらを見ながら膝の上でぐっと拳を握り締める。二人が話し合ってきた事も、陛下のお考えも予想外だ。
「……兄上は両親の間にやっと生まれた世継ぎだ。それだけ両親も周囲も兄上に期待した。ずっと国を継ぐようにと言われ、努力されて生きてきたんだ。俺もそんな兄上を見てきたからこそ、兄上に国王で在って欲しかった。だが……兄上にとって王座は苦痛でしかなかったようだ」
リンゼヒースはそこからゆっくりと話を続けた。
弟であるリンゼヒースはずっと努力してきた兄こそ相応しく、兄が王で在るべきと時にはわざと軽率に振る舞っていた部分もあった。軽々しい行動を見て、彼が国王に相応しくないと思う者が多かった事は事実だ。しかし、兄であり国王であるユリシーズにとってその思いこそが重圧であったのだという。
両親の間に遅くにして生まれてからずっと王として相応しくあれと周囲に期待され、時には叱責され続けてきたユリシーズには自分を取り巻く全てがまるで檻のような存在だった。リンゼヒースと比べられ、囲われ、逃げ出す事も息を抜く事も出来ないまま、ただ周りが望む「王」を演じ、必死に日々をこなしていたのだと。
セイアッドという宰相がいた事で回っていた政務も、セイアッドが追放された事で逼迫した。王座を狙う者達はユリシーズにもずっと圧力を掛けていたらしく、そういった事が重なって彼はついに心が折れてしまったそうだ。
「兄上は酷く疲れておいでだった。それから……初めから俺に王位を譲っていれば良かったと」
そこまで話すと、リンゼヒースは拳を強く握り締めたまま俯いてしまった。兄を慕ってしていた事が相手にとって負担になっていたというのはショックだったんだろう。
腕を伸ばして、いつだったか彼がしてくれたように抱き締める。彼等兄弟には時間が足りなかったのだろう。兄弟として過ごす時間が。
国王と王弟という立場が先に出来上がってしまったから、本音を話す事もお互いの気持ちを知る事もできずに擦れ違ってしまった。理解者が一人でもいるだけで心は軽くなるが、ユリシーズにはそんな存在がいなかったのかもしれない。
「……兄上は俺を赦してくれるだろうか」
腕の中からぽつりと聞こえた言葉に答えるようにくしゃくしゃと薄紫がかった銀髪を撫でてやる。リンゼヒースはリンゼヒースでここに来るまでに葛藤し続けていたのだろう。
「大丈夫だ。これから話す時間も機会も作っていけば良い。それに……陛下はきっと怒ってないよ。むしろ、お前に重荷を背負わせてしまう事を気にされるだろう」
ユリシーズ自身は温和で穏やかといった人柄をした優しく誠実な男だ。積極性は確かに低いかもしれないが、抑える所はしっかり抑えてくれるし、今の今まで国が瓦解していなかったのはユリシーズの手腕も大きいだろう。
セイアッドが追い詰められながらも国務を放り出さなかったのは彼の存在もある。お互いに抱いていた仲間意識のようなものは確かに存在していたし、周りが思うよりも強固だった。
ユリシーズは俺がやろうとしている事を察して細々と手を回してくれていたのだろう。そうでなければ、こんなにスムーズに物事は進まなかった筈だ。
彼はこれから先に問われる責任を負って、退くつもりなのだ。だからこそ、リンゼヒースを此方に寄越した。やっと、彼の意図を察してそっと息を零す。
国王としての素質やインパクトはリンゼヒースに劣るかもしれないが、為政者として無能な訳ではない。ただ、彼は優しいだけだ。いつもリンゼヒースや国民達を見ていた優しい赤みがかった金色の瞳を思い出す。きっとユリシーズは普通の兄弟としてリンゼヒースと、一人の人間として人々と接したかったのだろう。
「私も陛下に謝罪しなければ。一緒に謝りに行こう。それから、まずは食事を共に。これまでの事も合わせて、沢山話そう」
「……ああ」
肩口が濡れるのを感じながら辛うじて聞こえた返事は、酷く震えていた。
66
お気に入りに追加
331
あなたにおすすめの小説
【書籍化進行中】契約婚ですが可愛い継子を溺愛します
綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
恋愛
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ
前世の記憶がうっすら残る私が転生したのは、貧乏伯爵家の長女。父親に頼まれ、公爵家の圧力と財力に負けた我が家は私を売った。
悲壮感漂う状況のようだが、契約婚は悪くない。実家の借金を返し、可愛い継子を愛でながら、旦那様は元気で留守が最高! と日常を謳歌する。旦那様に放置された妻ですが、息子や使用人と快適ライフを追求する。
逞しく生きる私に、旦那様が距離を詰めてきて? 本気の恋愛や溺愛はお断りです!!
ハッピーエンド確定
【同時掲載】小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2024/12/26……書籍化確定、公表
2024/09/07……カクヨム、恋愛週間 4位
2024/09/02……小説家になろう、総合連載 2位
2024/09/02……小説家になろう、週間恋愛 2位
2024/08/28……小説家になろう、日間恋愛連載 1位
2024/08/24……アルファポリス 女性向けHOT 8位
2024/08/16……エブリスタ 恋愛ファンタジー 1位
2024/08/14……連載開始
中華マフィア若頭の寵愛が重すぎて頭を抱えています
橋本しら子
BL
あの時、あの場所に近づかなければ、変わらない日常の中にいることができたのかもしれない。居酒屋でアルバイトをしながら学費を稼ぐ苦学生の桃瀬朱兎(ももせあやと)は、バイト終わりに自宅近くの裏路地で怪我をしていた一人の男を助けた。その男こそ、朱龍会日本支部を取り仕切っている中華マフィアの若頭【鼬瓏(ゆうろん)】その人。彼に関わったことから事件に巻き込まれてしまい、気づけば闇オークションで人身売買に掛けられていた。偶然居合わせた鼬瓏に買われたことにより普通の日常から一変、非日常へ身を置くことになってしまったが……
想像していたような酷い扱いなどなく、ただ鼬瓏に甘やかされながら何時も通りの生活を送っていた。
※付きのお話は18指定になります。ご注意ください。
更新は不定期です。
平凡なSubの俺はスパダリDomに愛されて幸せです
おもち
BL
スパダリDom(いつもの)× 平凡Sub(いつもの)
BDSM要素はほぼ無し。
甘やかすのが好きなDomが好きなので、安定にイチャイチャ溺愛しています。
順次スケベパートも追加していきます
突然異世界転移させられたと思ったら騎士に拾われて執事にされて愛されています
ブラフ
BL
学校からの帰宅中、突然マンホールが光って知らない場所にいた神田伊織は森の中を彷徨っていた
魔獣に襲われ通りかかった騎士に助けてもらったところ、なぜだか騎士にいたく気に入られて屋敷に連れて帰られて執事となった。
そこまではよかったがなぜだか騎士に別の意味で気に入られていたのだった。
だがその騎士にも秘密があった―――。
その秘密を知り、伊織はどう決断していくのか。
主人公のライバルポジにいるようなので、主人公のカッコ可愛さを特等席で愛でたいと思います。
小鷹けい
BL
以前、なろうサイトさまに途中まであげて、結局書きかけのまま放置していたものになります(アカウントごと削除済み)タイトルさえもうろ覚え。
そのうち続きを書くぞ、の意気込みついでに数話分投稿させていただきます。
先輩×後輩
攻略キャラ×当て馬キャラ
総受けではありません。
嫌われ→からの溺愛。こちらも面倒くさい拗らせ攻めです。
ある日、目が覚めたら大好きだったBLゲームの当て馬キャラになっていた。死んだ覚えはないが、そのキャラクターとして生きてきた期間の記憶もある。
だけど、ここでひとつ問題が……。『おれ』の推し、『僕』が今まで嫌がらせし続けてきた、このゲームの主人公キャラなんだよね……。
え、イジめなきゃダメなの??死ぬほど嫌なんだけど。絶対嫌でしょ……。
でも、主人公が攻略キャラとBLしてるところはなんとしても見たい!!ひっそりと。なんなら近くで見たい!!
……って、なったライバルポジとして生きることになった『おれ(僕)』が、主人公と仲良くしつつ、攻略キャラを巻き込んでひっそり推し活する……みたいな話です。
本来なら当て馬キャラとして冷たくあしらわれ、手酷くフラれるはずの『ハルカ先輩』から、バグなのかなんなのか徐々に距離を詰めてこられて戸惑いまくる当て馬の話。
こちらは、ゆるゆる不定期更新になります。
どうせ全部、知ってるくせに。
楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】
親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。
飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。
※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。
いじめっこ令息に転生したけど、いじめなかったのに義弟が酷い。
えっしゃー(エミリオ猫)
BL
オレはデニス=アッカー伯爵令息(18才)。成績が悪くて跡継ぎから外された一人息子だ。跡継ぎに養子に来た義弟アルフ(15才)を、グレていじめる令息…の予定だったが、ここが物語の中で、義弟いじめの途中に事故で亡くなる事を思いだした。死にたくないので、優しい兄を目指してるのに、義弟はなかなか義兄上大好き!と言ってくれません。反抗期?思春期かな?
そして今日も何故かオレの服が脱げそうです?
そんなある日、義弟の親友と出会って…。
不良高校に転校したら溺愛されて思ってたのと違う
らる
BL
幸せな家庭ですくすくと育ち普通の高校に通い楽しく毎日を過ごしている七瀬透。
唯一普通じゃない所は人たらしなふわふわ天然男子である。
そんな透は本で見た不良に憧れ、勢いで日本一と言われる不良学園に転校。
いったいどうなる!?
[強くて怖い生徒会長]×[天然ふわふわボーイ]固定です。
※更新頻度遅め。一日一話を目標にしてます。
※誤字脱字は見つけ次第時間のある時修正します。それまではご了承ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる