盤上に咲くイオス

菫城 珪

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78 惚れ薬の正体

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78  惚れ薬の正体
 
「やあ、おはよう。お楽しみだったようで何よりだよ」
 夕食を摂る為に来た食堂にて少々刺々しいサディアスの出迎えを受けながら思わず苦笑する。オルテガは既にサディアスと話していたようだが、事後なこともあって俺はだいぶ気まずい。
「ともあれ、香水の効き目は証明出来た。君達がイチャイチャしている間にこっちの方を少し調べさせてもらったよ」
 そう言いながら彼がテーブルの上に置くのは『恋風の雫』だ。初見のオルテガは興味深そうに眺めている。
「結論から言えば、『恋風の雫』にはある種の麻薬成分が含まれているみたいだ。材料に使われているアシュクという花に聞き覚えがなくて調べてみたんだけど、この国内でも一部の地域にしか生息していない珍しい花で、大昔はこの花から抽出した物を使って色んな儀式をしていたらしい」
 日本で言う大麻やアヘン、覚醒剤のような物だろうか。南米の方でもシャーマンがそういった物を使用していたようだし、何かしらの成分が含まれているんだろう。その辺は「俺」も専門外だから良くわからない。
「ふむ、常習性があるんだろうか」
「アシュクの文献には『香りを纏って意中の者に近付けば、いずれその心を得られる』って書いてあったから文献を信じるならそう考えた方がいいと思う。近くにいる事で花の香りに惑わされて常習性が出来上がっていき、それを好意と勘違いするとかそんな感じじゃないかな」
 成程。それならば、離れる事でいずれは効果が薄れていきそうだな。実際、王都からの報告ではステラと距離を置いた事でダグラスとマーティンには行動の変化が出ているようだ。向こうに戻ったら彼等とも直接話せるといいが。
「製作者の人とも少し話したいんだけど、できる?」
「ダーランに話を通しておこう」
 軽く手を上げて控えていたアルバートに目配せをすれば、彼は軽く会釈をして食堂を後にする。任せておけばダーランと繋いでくれるだろう。
「これは流通させない方が良さそうだな。他にも悪用する者が出て来そうだ」
 オルテガの言葉に頷きながら脳内の「王都に帰ったらやる事リスト」に追加しておく。禁製品の薬物や植物はいくつかあるのでそれと同じ扱いにすれば表立って売る者はいなくなるだろう。そもそもアシュクの花が珍しい植物で製法を知る者が少ないのは僥倖だ。規制し易くなるし、今現在出回っている量も少ない。
 リクオルから聞いたが、村でもアシュクの花を加工する技術を持っていたのは彼の家だけらしいのでリクオルが新たに作らなければこの世には出回らないだろう。だが、表立って禁止する事で相手を牽制する効果はある。
 それにしても。運ばれて来た夕食を摂りながらも惚れ薬の正体が麻薬だなんて、と少々がっかりした。心に働きかけるものなんてやはりファンタジーの産物か。その点でいえば、個人を対象にした『黄昏』や『月映』はそちら寄りなのかもしれない。
 レインから聞いていたが、セイアッド達をモデルにした香水は最初に作った物は高級過ぎる材料だったり貴重な物を使用した代物だったらしい。『月映』や『黄昏』も最初期に作られ、そこからイメージを損なわないようにしつつ、材料を変えて試行錯誤しながら安価に抑えていったそうだ。
 市販するつもりの香水達には極一般的な材料しか使われていないからこちらが出回る事で我々歳上組が惑わされる事はないと思っている。恐らく各々に使われていた珍しい、或いは高価な素材に魅了効果があったんだろう。
 そういった物の精査はまたやるとして、今は『恋風の雫』の規制だな。王都に帰って、ちゃんと効果の証明をして書類や手続きもしないといけない。その際にはサディアスにも手伝って貰わないと。
「リア、手が止まっているぞ」
 隣からオルテガに声を掛けられてハッと我に返る。いかんいかん、考え事をし始めるとつい他事が疎かになってしまう。
「考え事し始めると意識どっか行っちゃうのはリアの悪い癖だよ」
 サディアスにも怒られたので思考を打ち切って夕食に集中する。今日のメインは近くの森で獲れた鹿に似た魔物の肉のソテーだ。赤ワインのソースと良く合う、味の濃い赤身の肉質が美味い。
 うちのシェフの腕は確かだし、レヴォネの食べ物は皆新鮮だ。王都に戻っても美味しい物はあるが、物流の関係で鮮度は落ちる事が多い。特に魚介類は加工品が多くなるので生ではまず食べられない。
「……食事がイマイチになるのを考えると帰りたくないなぁ」
「そりゃ我儘ってもんだよ。確かに、レヴォネの食べ物を覚えたら王都の食事が物足りないのはわかるけど。ついこの間まで遠征に出てた身としては贅沢な悩みだと思うよ」
「遠征中の食事は大分改善されたが、やはり保存食中心の食事は味気ないからな」
 サディアスとオルテガの話を聞きながらふと懐かしい事を思い出す。あれはまだ成人してすぐの18歳の頃。セオドアも存命中でオルテガとサディアスが一足先にそれぞれの道を歩み始めた辺りだった。
 二人から遠征の食事が酷いという話を聞いて調査したんだ。そうしたら二人のいう通り、あまりにも当時の食料事情が酷くて意見書やら新しい保存食やらを作って当時の上司達に働き掛けたんだっけ。
「リアのおかげで大分向上したが、その前までは本当に酷かったからな……」
「塩辛いだけの干し肉と歯が立たない程硬いパンとワイン、だったか?」
「そうそう! 懐かしいねー! 渋る大臣達に対して『こんな不味い食事で現場の者達のやる気が起きるかー!』って啖呵切ったのを見て魔術師団と騎士兵団から喝采が起きたんだよね」
 そう言われるとやらかしエピソードな気がしてきた。
 レヴォネ一族は領地での食生活が良いせいか舌が肥えている為に食事に対する拘りが強い。『何かするなら先ず美味い飯の確保から』という家訓があるセイアッドが幼馴染達から聞いた遠征中のあまりにも酷い食生活にショックを受けてサディアスが言った一連の事をやらかした訳である。
「あの一件から食事は改善されたし、食事が原因で体調を崩す者も減った。結果が出ているんだから誰も文句は言えないだろう」
 オルテガのフォローは有難いが、結果が出ていなかったらただの貴族子息の我儘になる所だった。
「そうそう。……ってリア、そんな指輪なんてしてたっ、け……!?」
 俺の指輪に気がついたサディアスが驚愕の声を上げる中、オルテガが俺の左手を取って指輪にキスをしてくる。恥ずかしいからやめろと視線で文句を言っても余裕の笑みを返されるばかりだ。
「……気が付いたらはめられていた」
「えぇ、同意無しは流石にどうなの?」
「失礼だな。ちゃんと事前に同意は得ている」
 軽くリップ音を立てながら指にキスする男は悪戯っぽい笑みを浮かべる。こういう所は昔から変わらない悪ガキだ。
「ねえ、見せて」
 サディアスに促されて、彼の方に左手を差し出す。魔石を誂えたシャンデリアから降り注ぐ柔らかな光を浴びて、黄昏色の宝石がキラキラと輝いた。
「……綺麗な夕焼け色だね。フィンの瞳にそっくりだ」
「スペサルティンガーネットという宝石らしい」
 あの後、寝室で聞いた宝石の種類だ。ガーネットは普通であれば柘榴のような深い赤色をした宝石だが、混ざった物の組成によって色を変えるのだという。その中でもこの宝石のように鮮やかなオレンジ色をした物をスペサルティンガーネットと呼ぶそうだ。
 今日オルテガが俺から離れてアルカマルに行っていたのはどうやらこの指輪の件だったようでダーランに頼んで宝石商やアクセサリー職人に依頼していたらしい。
 シンプルながらも希少な金属で作られた指輪本体、それに埋め込まれているスペサルティンガーネット。指輪の裏側にはセイアッドとオルテガのイニシャルと愛を誓う言葉が彫られている。オルテガから贈られた愛の証だ。
「……綺麗な石だ」
 呟きながらすり、と指先で指輪をなぞる。この石を見る度に人々はオルテガの瞳を思い出すだろう。これ以上ない独占欲の証だ。
「相変わらず愛が重いねぇ」
 意味深ににやにやするサディアスの様子を疑問に思えば、後で石言葉を調べてごらんよと言われた。花言葉があるように石にもそれぞれが持つ意味があるのは知っていたが、ガーネットはなんだっただろうか。後で調べるとしよう。
 
 夕食を終えるとサディアスはもう少し調べ物をすると言ってランプ片手に図書館の方へと向かった。
 俺は俺で今朝の分の手紙の精査や返事を書く事にして執務室に向かう。当たり前のようについてきたオルテガは執務室のソファーで竜の卵を抱えながらまた本を読んでいた。その姿を窺いながら手紙を読んでは仕分けしていく。
 ふと子供が出来たらこんな風に過ごすんだろうかと思った。何だか少々擽ったいな。
 この世界では同性同士でも子を成す事が出来るから、同性で付き合う事も結婚する事も珍しくない。都合の良い世界だとは思うが、俺にとっては有難い限りだ。
 年頃の貴族について回るのは後継ぎ問題で、レヴォネ本家には今セイアッドだけだ。遠い血縁ならいるかもしれないが、代々少子家系のレヴォネ家では多くても子は一代に二人で、ここ数代はずっと一人しか生まれていない為に、濃い血縁はいない。
 必然的に俺が次代を作らないといけないわけだ。それもまたオルテガと一緒になる為のハードルで、オルテガが婿入りする形でないと結婚出来ない。
 王都からの手紙を読みながらぼんやりと考える。彼と一緒に暮らすようになったらどうなるのだろうか。
 今でも同じ寝室で寝起きしているから新婚生活みたいなものなんだろうが、どうにもオルテガがまだ抑えているような節がある。結婚して彼が遠慮しなくなったらどうなるのか。
 今だって彼は俺の仕事が終わるのを待っているんだが、その訳が寝る前のケアをする為である。
 オルテガと想いを重ねて直ぐに毎日の日課となったのがオルテガによる俺の手入れだ。頭のてっぺんから足のつま先まで全身くまなくオルテガに手入れされるのである。
 髪のケア、肌のケア、爪の手入れと実に甲斐甲斐しく手入れしてくるのだ、この男は。最初のうちは恥ずかしくて抵抗していたんだが、一週間もすれば俺の方が折れた。
 拒否すれば悲しそうにするし、手入れを許せばあんまり嬉しそうにするからもう好きにしてくれとなったのだ。それからこの男は飽きる事なく時間が許せば毎日俺に傅いて手入れに勤しんでいる。
 良い男を侍らせて手入れされているとまるで女王様にでもなった気分になる。そして、やっぱりゲーム本編のオルテガよりずっと甘いんだよなぁ、コイツ。
 ゲーム内のオルテガは如何にも硬派といった感じでイチャイチャシーンが見たい人からすれば物足りないルートだっただろう。この壮絶な甘やかしがオルテガの中にいる「何か」の影響なのか、元々の気質なのか悩ましい所であるんだが、それよりも大きな問題がある。
 このまま甘やかしが増せば間違いなく俺が死ぬ。ただでさえセイアッドに甘いこの男がこれ以上甘くなってみろ、間違いなくダメ人間まっしぐらだ。一緒に暮らすようになったら室内の移動が全部抱っこ、なんて事すらやらかしかねない。
 オルテガからしてみれば自分がいないとダメな状況は願ったり叶ったりなんだろうが、これ以上はマジでならん。
 それにただでさえ未だに甘やかされるのに慣れなくて手入れの時間は少々苦手なんだ。それが二十四時間になってみろ。無理だ、死ぬ。メンタルとかが色んな意味で。
「おっ、と……」
 悶々としていれば、書き掛けの便箋にインクを垂らしてしまった。あーあ、書き直しだ。幸いな事にそれほど書いてないからすぐに取り戻せるが、いちいち最初から書き直さなければならないのが面倒くさいな。最近では王都に出す指示の手紙は一々書き直すのも面倒になり、二重線を引いて訂正して出していたが、貴族相手の手紙じゃそうはいかない。
 溜め息をついて新しい便箋を手に取った時だ。不意に視界に影がさす。
「リア」
 名を呼ばれて顔を上げれば、オルテガがいつの間にかデスクの近くにいた。どうやら影はオルテガのせいらしい。
「どうした? まだ仕事は終わらないぞ」
 体を起こして椅子の背凭れにもたれながら訊ねれば、ゆっくりとこちらに手が伸ばされた。熱くて硬い掌がするりと頬を撫で、指先が耳たぶをいじり始める。揉むようにいじられて困惑しながらも最中の事を思い出して思わず背筋がゾワリとした。
「な、何……?」
 急な行動に困惑して声を掛ければ、うっとりと夕焼け色の瞳が俺を見ている。え、なんだなんだ!?
「……お前が俺の色を纏っているのが堪らないな」
 いきなり何の話だと思ったがどうやら指輪の話らしい。何でか分からないが、いきなりどうした。
「このままお前の全身を俺の色で飾り立てたい」
 前に言っていた髪だとか首だとかの事だろうか。指輪でこれだと全身コーディネートされたらどうなるんだろうか。総額も恐ろしい事になりそうなんだが!
「……あんまり無駄な散財をするなよ」
「お前を飾るのは無駄じゃないだろう?」
 釘を刺そうと思ったら真顔で言い返された。もう好きにしてくれ。そのうち飽きるだろう。
 ……なんて軽く考えた事を、翌日俺は早速後悔する羽目になるなんてこの時は夢にも思わなかったのだ。
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