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閑話 シガウス・サーレ・スレシンジャーの暗躍
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シガウス・サーレ・スレシンジャーの暗躍
久々に戻った王都は大混乱の真っ只中だった。
登城して政務に使われている階層をざっと見て回っただけでも役人達は皆疲弊しているようで、冴えない顔色をして書類を抱えては右往左往している。今日は貴族議会に顔を出すつもりで登城していたが、面白い事になりそうだとシガウスは内心でほくそ笑んだ。
昨夜、息子であり、宰相の補佐官を勤めているルファスと話したが、どうやらそろそろ政務に限界が来ているらしい。それに伴って先日王太子がレヴォネ領に手紙を送ったという話も聞いたが、その内容がまた抱腹ものだった。遠く北方にいる青年が手紙を受け取ってその美しい顔を顰める様がありありと思い浮かんだものだ。
短い間ではあったが、レヴォネ領での滞在はなかなか楽しかった。最愛の娘とのんびり過ごせたことはもちろん、温泉も心地良かったし、食事も良かった。何より揶揄い甲斐のある面白い男がいる。それも、二面性を秘めた麗しき毒華が。
実直過ぎるが故に奸臣共に追いやられたが、強かさを覚えたあの毒華ならば更に楽しませてくれそうだ。シガウスはそれに少しばかり手を貸してやるつもりでいる。
最初は娘を傷付けた愚かな王太子共に制裁をくれてやるのに都合の良い駒だと思っていたが、今はそれも逆転していた。高位貴族の中でも最高位にいるシガウスが誰かのために動くなど随分と久しい事だ。記憶の彼方にあるあの月に良く似た面影を見た所為かもしれない。
いずれにせよ、大手を振って国を引っ掻き回すなどそう出来る事ではない。
気を抜けば鼻歌でも零れ落ちてしまいそうな上機嫌さで無駄に長い廊下を歩いていれば、正面から男が一人歩いて来る。その男はシガウスの姿を見るなり、突然駆け寄ってきた。
「スレシンジャー様! どうかご助力を!!」
縋るように服を掴まれて不快に思いながらもシガウスは相手が誰かを確認すると僅かに眉を顰めるだけにとどめた。
この男もまた彼にとって駒となりうるだろうから。
「どうなさったんだ、ドルリーク卿。突然押し掛けてくるなど穏やかではないな」
暗に無礼だと含めてやれば、直様ドルリーク男爵はシガウスの服から手を離して姿勢を正して深々と頭を下げる。
ふむ、無礼ではあるが頭の悪い男ではないようだ、とシガウスは思い直す。ただの無礼者ならば駒にはせず切り捨てるつもりだった。
「大変御無礼を致しました。どうしてもスレシンジャー様のご協力を仰ぎたい事がございまして……」
髪の薄くなった額の汗を拭いつつも何度も必死に頭を下げて訴える男の様子に昨晩の息子の話を思い出す。新たな婚約者候補であるステラが引き起こした騒動が既に波及しているのだろう。
良くもまあ少しばかり離れているだけで次々に面白い事を引き起こすものだ。領地にいるセイアッドが聞けばさぞかし良い反応をするだろうに、見られないのが残念だった。
「聞こう。話すといい」
「ありがとうございます!」
ドルリーク男爵は勢い良く頭を下げると、シガウスを庭へと誘った。王城の庭にはいくつかの東屋があり、希望者はそれを使用する事が出来る。普通の茶会から貴族同士の密談にも使用されるそこへと案内されたという事はそれなりに重要な話にするつもりなのだろう。
快諾して共に歩き出せば、ドルリーク男爵はホッとしたように息を吐き出した。どうやら思ったより話は深刻らしい。
暫し歩いて辿り着いたのはいくつかある東屋の中でも一際奥まった所にあるものだ。周りに人の気配もないが、シガウスはついていた護衛に視線で周囲の人払いを命じる。
「それで話とは?」
設られた椅子に座るとシガウスはわざとゆっくり話を切り出す。真っ直ぐに見つめれば、ドルリーク男爵は漸く身分の差を思い出したらしい。
近くに控える護衛の姿もあって恐縮していたようだが、彼は腹を決めたのか小さく深呼吸をして口火を切る。
「閣下はラソワとの絹取引の件をご存知でしょうか?」
「ああ、概要しか知らないが。それがどうかしたのか?」
予想通り絹の話をし始めたドルリーク男爵に笑みを浮かべる。
愚かな事だ。利用されるとも知らずに。内心でそう侮蔑しながらもシガウスは穏やかな笑みで話の続きを促した。
「我が家は縫製業で財を成した一族です。恐れ多い事に嫩葉の会に向けて様々な貴族の方からもご依頼を頂いております。されど、先日の一件からラソワとの取引が止まり、絹が手に入らない状況が続いているのです」
遠回しのやり取りにシガウスは長い足を組み、東屋に備え付けてあったテーブルに肘をつき、顎を乗せる。同時にうんざりしたように深い溜息をついて見せれば、相手の肩がびくりと揺れた。
「それで? 卿は私にどうして欲しいと言うのだ」
単刀直入に訊ねれば、ドルリーク男爵は一瞬戸惑い言い淀むが、直ぐに口を開いた。なかなか度胸があるようだ。
「スレシンジャー様は先日までレヴォネ領にいらっしゃったとお聞き致しました。そこで、領主であるレヴォネ様にお取り継ぎをお願いしたいのです」
敵対派閥にいた筈だが、これ程あっさりレヴォネの名前を出すと言う事は相当焦っているらしい。内心でほくそ笑みながらシガウスは話に耳を傾ける。
「レヴォネ様は現状国内で唯一ラソワと絹の取引が行える商会をお持ちです。なんとかして絹を卸して頂けるよう交渉をしたいのですが、私どもにはレヴォネ様との接点が無く……」
額に浮かぶ汗をハンカチで拭いながら話す様子を見ながらシガウスは笑みを浮かべる。少しばかり橋渡しをしてやれば、幾度か話をした銀髪赤眼の胡散臭いあの男が上手く転がすだろう。
ドルリーク家だけではなく、デビュタントを控える子女を抱えた多くの家に恩を売る事が出来るこの状況はセイアッドにとって追い風になる。もしかすると、ラソワ側もそういった思惑があるのかもしれない。近くやってくるであろうラソワの嵐に訊ねるのが楽しみだとシガウスは思う。
「……事情は分かった。私からレヴォネ卿に手紙を送ろう」
「ありがとうございます!!」
喜色を滲ませ、立ち上がって勢い良く頭を下げるドルリーク男爵を見ながらシガウスは嗤う。こうしてそれとは知らずに盤面にある駒が踊らされるのは見ていて楽しいものだ。
「私が紹介した所で彼が取り引きに応じるかどうかは別だぞ」
「承知しております。レヴォネ様にしてみれば私は恩知らずの蛇蝎のようなものでしょう」
一応釘を刺しておこうと告げれば、ドルリーク男爵は苦笑する。
縫製業はラソワの絹があってこそ更に発展した。交易量の拡充はセイアッドの行動があってこそ叶ったものであり、それだけでもドルリーク家にはあまりある恩恵がある。されど、ドルリーク男爵家はセイアッドにとって政敵に当たる家に追従してきた。
自分の立場に対して正確に理解しているのは好感が持てた。利益だけの愚か者ならば自らを下げるような事は言わないだろう。
「分かっているならいい」
まあ、アレもお人好しだからすぐに動いてやるだろうが。そう思いつつも言葉にはしない。恩はセイアッドが自ら売ってやった方が効果が大きいだろう。
「直ぐに書くから今お渡ししよう。早い方が良いだろうからな」
手を挙げて護衛に手紙の支度をさせる。印璽はないが、シガウスの直筆のサインを封筒の部分に書き加える事でセイアッドも察するだろう。
その場でさらさらと手紙を書き始めるシガウスにドルリーク男爵は困惑しつつも安堵の息を零す。
予想外の出来事とはいえ、絹が手に入らない事はドルリーク家にとって死活問題だった。今後の交渉次第ではあるが、取っ掛かりが出来た事は大きい。同時にこれからの付き合いを見直す事にもなる。
セイアッドはまだ若く、信用するには足りなかった。
だが、蓋を開けてみれば今回の断罪騒動で露見したのは若年層と諸外国からのセイアッドの評価の高さだ。特に、ドルリーク家の命運を握ると言っても過言ではないラソワとの関係が、この国の中で誰よりも深い。
一方、これまで従って来た貴族達はパッとした話を聞かない。元は平民であり男爵でしかないドルリーク家は見下されているので全ての話は入ってこないが、それでも当初の予想より旗色が良くない事は何となくわかった。
完膚なきまでセイアッドを追いやるつもりが、その目論見は失敗し、更には新たな王太子の婚約者候補の女は贅沢三昧で国庫を浪費し、失言を繰り返す。
初めのうちは悪徳宰相断罪と王太子達の真実の愛を讃えた劇や小説が流行っていたが、市井にも微かに流れ始めた婚約者の振る舞いに人々の感情も反転しつつある。
公共事業が止まり、それを目当てに王都へときていた労働者が職にあぶれる。そんな彼等が路上に勝手に棲み家を作り、治安は悪くなる。徐々に値上がりする食料品に、ラソワとのいざこざの噂。
セイアッドがいた頃は安定していた筈の生活が、少しずつ乱れ始めたのだ。
民だって愚かではない。自分達の生活を誰が守っていたのか少しずつ理解し始めている。
そんな状況ならば、セイアッドにつく方がいいに決まっている。これを機に恭順を示したいが、受け入れて貰えるだろうか。そう思った時だ。
「レヴォネ卿に取り入りたいならば手土産の一つでも持っていく事だな。そうだな、星の事でも報せてやるといい。耳聡い貴殿なら何か面白い話を知っているだろう」
シガウスの声にそちらに顔を向ければ、彼は壮麗な相貌に笑みを浮かべていた。同時に差し出される手紙に、体が震えた。
星と聞いて思い浮かぶものはただ一つだ。しがない男爵家にとって政変など遠い話だとどこか軽く考えていたドルリーク男爵だが、シガウスの言葉に考えを正す。
セイアッドに恭順を示すならば、相手方を完全に裏切れという事だ。どっち付かずの日和見は許さないというシガウスの態度に僅かに怖気が湧いてくる。
セイアッドについて本当に良いのか。今後の家の事を考えて、この手を取るべきか悩む。
だが、その苦衷も一瞬だった。
ドルリーク男爵は意を決してシガウスの手紙を受け取る。
いずれにせよ、ラソワの絹がない事にはドルリーク家はお終いだ。やるならば徹底的にセイアッドに味方して必ず勝って貰わなければ。
ドルリーク男爵の決意したような眼と行動に、シガウスは満足そうに笑みを浮かべる。
また一つ、盤上の駒が動いた。
久々に戻った王都は大混乱の真っ只中だった。
登城して政務に使われている階層をざっと見て回っただけでも役人達は皆疲弊しているようで、冴えない顔色をして書類を抱えては右往左往している。今日は貴族議会に顔を出すつもりで登城していたが、面白い事になりそうだとシガウスは内心でほくそ笑んだ。
昨夜、息子であり、宰相の補佐官を勤めているルファスと話したが、どうやらそろそろ政務に限界が来ているらしい。それに伴って先日王太子がレヴォネ領に手紙を送ったという話も聞いたが、その内容がまた抱腹ものだった。遠く北方にいる青年が手紙を受け取ってその美しい顔を顰める様がありありと思い浮かんだものだ。
短い間ではあったが、レヴォネ領での滞在はなかなか楽しかった。最愛の娘とのんびり過ごせたことはもちろん、温泉も心地良かったし、食事も良かった。何より揶揄い甲斐のある面白い男がいる。それも、二面性を秘めた麗しき毒華が。
実直過ぎるが故に奸臣共に追いやられたが、強かさを覚えたあの毒華ならば更に楽しませてくれそうだ。シガウスはそれに少しばかり手を貸してやるつもりでいる。
最初は娘を傷付けた愚かな王太子共に制裁をくれてやるのに都合の良い駒だと思っていたが、今はそれも逆転していた。高位貴族の中でも最高位にいるシガウスが誰かのために動くなど随分と久しい事だ。記憶の彼方にあるあの月に良く似た面影を見た所為かもしれない。
いずれにせよ、大手を振って国を引っ掻き回すなどそう出来る事ではない。
気を抜けば鼻歌でも零れ落ちてしまいそうな上機嫌さで無駄に長い廊下を歩いていれば、正面から男が一人歩いて来る。その男はシガウスの姿を見るなり、突然駆け寄ってきた。
「スレシンジャー様! どうかご助力を!!」
縋るように服を掴まれて不快に思いながらもシガウスは相手が誰かを確認すると僅かに眉を顰めるだけにとどめた。
この男もまた彼にとって駒となりうるだろうから。
「どうなさったんだ、ドルリーク卿。突然押し掛けてくるなど穏やかではないな」
暗に無礼だと含めてやれば、直様ドルリーク男爵はシガウスの服から手を離して姿勢を正して深々と頭を下げる。
ふむ、無礼ではあるが頭の悪い男ではないようだ、とシガウスは思い直す。ただの無礼者ならば駒にはせず切り捨てるつもりだった。
「大変御無礼を致しました。どうしてもスレシンジャー様のご協力を仰ぎたい事がございまして……」
髪の薄くなった額の汗を拭いつつも何度も必死に頭を下げて訴える男の様子に昨晩の息子の話を思い出す。新たな婚約者候補であるステラが引き起こした騒動が既に波及しているのだろう。
良くもまあ少しばかり離れているだけで次々に面白い事を引き起こすものだ。領地にいるセイアッドが聞けばさぞかし良い反応をするだろうに、見られないのが残念だった。
「聞こう。話すといい」
「ありがとうございます!」
ドルリーク男爵は勢い良く頭を下げると、シガウスを庭へと誘った。王城の庭にはいくつかの東屋があり、希望者はそれを使用する事が出来る。普通の茶会から貴族同士の密談にも使用されるそこへと案内されたという事はそれなりに重要な話にするつもりなのだろう。
快諾して共に歩き出せば、ドルリーク男爵はホッとしたように息を吐き出した。どうやら思ったより話は深刻らしい。
暫し歩いて辿り着いたのはいくつかある東屋の中でも一際奥まった所にあるものだ。周りに人の気配もないが、シガウスはついていた護衛に視線で周囲の人払いを命じる。
「それで話とは?」
設られた椅子に座るとシガウスはわざとゆっくり話を切り出す。真っ直ぐに見つめれば、ドルリーク男爵は漸く身分の差を思い出したらしい。
近くに控える護衛の姿もあって恐縮していたようだが、彼は腹を決めたのか小さく深呼吸をして口火を切る。
「閣下はラソワとの絹取引の件をご存知でしょうか?」
「ああ、概要しか知らないが。それがどうかしたのか?」
予想通り絹の話をし始めたドルリーク男爵に笑みを浮かべる。
愚かな事だ。利用されるとも知らずに。内心でそう侮蔑しながらもシガウスは穏やかな笑みで話の続きを促した。
「我が家は縫製業で財を成した一族です。恐れ多い事に嫩葉の会に向けて様々な貴族の方からもご依頼を頂いております。されど、先日の一件からラソワとの取引が止まり、絹が手に入らない状況が続いているのです」
遠回しのやり取りにシガウスは長い足を組み、東屋に備え付けてあったテーブルに肘をつき、顎を乗せる。同時にうんざりしたように深い溜息をついて見せれば、相手の肩がびくりと揺れた。
「それで? 卿は私にどうして欲しいと言うのだ」
単刀直入に訊ねれば、ドルリーク男爵は一瞬戸惑い言い淀むが、直ぐに口を開いた。なかなか度胸があるようだ。
「スレシンジャー様は先日までレヴォネ領にいらっしゃったとお聞き致しました。そこで、領主であるレヴォネ様にお取り継ぎをお願いしたいのです」
敵対派閥にいた筈だが、これ程あっさりレヴォネの名前を出すと言う事は相当焦っているらしい。内心でほくそ笑みながらシガウスは話に耳を傾ける。
「レヴォネ様は現状国内で唯一ラソワと絹の取引が行える商会をお持ちです。なんとかして絹を卸して頂けるよう交渉をしたいのですが、私どもにはレヴォネ様との接点が無く……」
額に浮かぶ汗をハンカチで拭いながら話す様子を見ながらシガウスは笑みを浮かべる。少しばかり橋渡しをしてやれば、幾度か話をした銀髪赤眼の胡散臭いあの男が上手く転がすだろう。
ドルリーク家だけではなく、デビュタントを控える子女を抱えた多くの家に恩を売る事が出来るこの状況はセイアッドにとって追い風になる。もしかすると、ラソワ側もそういった思惑があるのかもしれない。近くやってくるであろうラソワの嵐に訊ねるのが楽しみだとシガウスは思う。
「……事情は分かった。私からレヴォネ卿に手紙を送ろう」
「ありがとうございます!!」
喜色を滲ませ、立ち上がって勢い良く頭を下げるドルリーク男爵を見ながらシガウスは嗤う。こうしてそれとは知らずに盤面にある駒が踊らされるのは見ていて楽しいものだ。
「私が紹介した所で彼が取り引きに応じるかどうかは別だぞ」
「承知しております。レヴォネ様にしてみれば私は恩知らずの蛇蝎のようなものでしょう」
一応釘を刺しておこうと告げれば、ドルリーク男爵は苦笑する。
縫製業はラソワの絹があってこそ更に発展した。交易量の拡充はセイアッドの行動があってこそ叶ったものであり、それだけでもドルリーク家にはあまりある恩恵がある。されど、ドルリーク男爵家はセイアッドにとって政敵に当たる家に追従してきた。
自分の立場に対して正確に理解しているのは好感が持てた。利益だけの愚か者ならば自らを下げるような事は言わないだろう。
「分かっているならいい」
まあ、アレもお人好しだからすぐに動いてやるだろうが。そう思いつつも言葉にはしない。恩はセイアッドが自ら売ってやった方が効果が大きいだろう。
「直ぐに書くから今お渡ししよう。早い方が良いだろうからな」
手を挙げて護衛に手紙の支度をさせる。印璽はないが、シガウスの直筆のサインを封筒の部分に書き加える事でセイアッドも察するだろう。
その場でさらさらと手紙を書き始めるシガウスにドルリーク男爵は困惑しつつも安堵の息を零す。
予想外の出来事とはいえ、絹が手に入らない事はドルリーク家にとって死活問題だった。今後の交渉次第ではあるが、取っ掛かりが出来た事は大きい。同時にこれからの付き合いを見直す事にもなる。
セイアッドはまだ若く、信用するには足りなかった。
だが、蓋を開けてみれば今回の断罪騒動で露見したのは若年層と諸外国からのセイアッドの評価の高さだ。特に、ドルリーク家の命運を握ると言っても過言ではないラソワとの関係が、この国の中で誰よりも深い。
一方、これまで従って来た貴族達はパッとした話を聞かない。元は平民であり男爵でしかないドルリーク家は見下されているので全ての話は入ってこないが、それでも当初の予想より旗色が良くない事は何となくわかった。
完膚なきまでセイアッドを追いやるつもりが、その目論見は失敗し、更には新たな王太子の婚約者候補の女は贅沢三昧で国庫を浪費し、失言を繰り返す。
初めのうちは悪徳宰相断罪と王太子達の真実の愛を讃えた劇や小説が流行っていたが、市井にも微かに流れ始めた婚約者の振る舞いに人々の感情も反転しつつある。
公共事業が止まり、それを目当てに王都へときていた労働者が職にあぶれる。そんな彼等が路上に勝手に棲み家を作り、治安は悪くなる。徐々に値上がりする食料品に、ラソワとのいざこざの噂。
セイアッドがいた頃は安定していた筈の生活が、少しずつ乱れ始めたのだ。
民だって愚かではない。自分達の生活を誰が守っていたのか少しずつ理解し始めている。
そんな状況ならば、セイアッドにつく方がいいに決まっている。これを機に恭順を示したいが、受け入れて貰えるだろうか。そう思った時だ。
「レヴォネ卿に取り入りたいならば手土産の一つでも持っていく事だな。そうだな、星の事でも報せてやるといい。耳聡い貴殿なら何か面白い話を知っているだろう」
シガウスの声にそちらに顔を向ければ、彼は壮麗な相貌に笑みを浮かべていた。同時に差し出される手紙に、体が震えた。
星と聞いて思い浮かぶものはただ一つだ。しがない男爵家にとって政変など遠い話だとどこか軽く考えていたドルリーク男爵だが、シガウスの言葉に考えを正す。
セイアッドに恭順を示すならば、相手方を完全に裏切れという事だ。どっち付かずの日和見は許さないというシガウスの態度に僅かに怖気が湧いてくる。
セイアッドについて本当に良いのか。今後の家の事を考えて、この手を取るべきか悩む。
だが、その苦衷も一瞬だった。
ドルリーク男爵は意を決してシガウスの手紙を受け取る。
いずれにせよ、ラソワの絹がない事にはドルリーク家はお終いだ。やるならば徹底的にセイアッドに味方して必ず勝って貰わなければ。
ドルリーク男爵の決意したような眼と行動に、シガウスは満足そうに笑みを浮かべる。
また一つ、盤上の駒が動いた。
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