盤上に咲くイオス

菫城 珪

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50 レインと香水

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50  レインと香水
 
 オルテガが発ってから三日が経った。
 たったの三日だ。それなのに、ふとした瞬間にあの熱を思い出してどうしようもなく寂しくなるし、声が聞きたくて堪らなくなる。
 元々、大人になってからは宰相と騎士という立場上そんなにいつも一緒にいた訳ではなかったから、自分がこんな風になるとは思いもしなかった。ここ最近は日中こそ離れて過ごしていても夜は必ず一緒だったからかもしれない。
「リアお兄様?」
 レインに声を掛けられてハッと我に帰る。いかんいかん、今日はレインの相手をしているんだった。ぼんやりしていた思考を引き戻し、テーブルの上に列んだ物を見る。
「これが作っていた香水か?」
「はい! 自信作ですわ」
 テーブルの上には瓶が四本。それぞれ薄紫の瓶に赤みがかった黄色のリボン、空色の瓶に鮮やかな黄色のリボン、深い藍色の瓶にオレンジのリボン、黒い瓶に銀色のリボンという組み合わせだ。
 それぞれ試香させてもらったが、薄紫は情熱的なオリエンタルスパイシー、空色は爽やかで甘いマリン系、藍色がセクシーなムスク、黒が落ち着いた柑橘ベースといった感じだった。語彙力があればもっと適切な表現が出来るんだろうが、俺にはこれが限界だ。
 ちなみに藍色の瓶のは嗅ぎ慣れた匂いに近い香りがした。オルテガがつけていたアレだ。ただ、材料や配合が違うのかオルテガがつけていた時のようなそわそわする感じはない。
 それぞれ個性があって好みに合わせてつけられるのは良いと思う。先んじて聞いていた小売価格も貴族相手なら合格ラインだ。なんなら、金のある平民なら十分に手が届く。
 デザイン良し、価格良し、品質良し、香り良し。
 文句の付けようがないんだが、カラーリングになんだか既視感を感じるんだよなぁ……!
「それぞれ『黎明』、『蒼天』、『黄昏』、『月映』という名前です。香水に合わせてお化粧品もそれぞれのイメージでご用意しようと思ってますの」
「……」
 名前にも既視感があるんだが。これはもう偶然じゃないな。
「……レイン、一つ言いたいんだが」
「なんでしょうか」
「私や友人を商品のモデルにするのはやめなさい」
 俺の言葉に、レインは何故バレた!? みたいな顔をしているが、逆になんでバレないと思ったんだ。ネーミングもカラーリングもイメージもドストレートが過ぎる!
「何故バレたのですか」
「これで気が付くなという方が無理だろう」
 せめて、名前か瓶の色味を変えるくらいしてくれ。こんなのセイアッド達の事を知っている人間なら一発で分かるだろう。
 ついでに言えば、学生時代にひっそり囁かれていた小っ恥ずかしいあだ名がまんまそれなんだよ。胸の奥から羞恥心が湧き上がってくるので「私」にとってあんまり良い記憶じゃないようだ。
「せめて、名前か瓶のデザインを変えてくれ」
「何故ですか、貴族子女の間で飛ぶように売れる事間違い無しですのに……!」
「なんでそんなに自信満々なんだ」
「いやですわ、お兄様。ご自分やご学友の人気をご存知ないなんて」
「不本意ながら学生時代にはそれなり有名だったが、君達とは年代が違うだろう」
 問い掛けに対してレインがにこりと微笑む。こらこら、笑って誤魔化すつもりか。
 そこでふと思い出すのは学生時代に流行っていたものだ。
 自作小説を書いて読み合うというのが一部の生徒の間で流行っていて、実在の人をモデルにしたとかしないとかでちらほら問題になっていたような気がする。凝ったものだと金に物を言わせて製本したりしていたとか……。
 当時はやんちゃ盛り絶頂のリンゼヒースとそれに便乗するオルテガに振り回されていてあんまり気にする余裕もなかったが、思えばその頃くらいから小っ恥ずかしいあだ名がつけられた気がする。
 まさかと思うが、学生時代のセイアッド達がモデルになった本が今まで読み継がれているとか? そんなまさかな……。
「ヒューゴ様からも太鼓判を頂いておりますのに。絶対に売れるって」
「アイツは後でしばく。とにかく、このままでは許可は出せないぞ」
 一応これでも王弟、魔術師団長、総騎士団長に宰相だからな?バレると色々まずいからもう少し濁して出さないと怒られるのは俺だ。いや、あの連中なら面白がる気しかしないが……!
「残念ですわ。気合いを入れて考えましたのに」
 しょんぼりと残念そうに肩を落とすレインの姿にちょっとばかり揺らぐが、ここは譲れない。確かにラベルも込みでデザインも物も悪くないんだがな……。せめてもうちょっと濁さないとあまりにもあからさま過ぎる。
「下手したら不敬罪に問われる。そうなるとシガウス殿にも累が及ぶぞ」
「……わかりました。名前か瓶を再考致します」
 心底残念そうにするんじゃない。百歩譲って商品化は許すから。
 実際、物は悪くないんだよな。ユニセックスで使えそうな物であり、そんなにきつい香りでもない。普段使いとしても悪くないだろう。
「混ぜて使う事も可能なんだろう?」
「はい。混ぜると言うよりは重ね付けする事で香りを変化させます。原料同士の相性が悪いと毒性のある物が発生してしまう場合もあるようですが、この商品は吟味に吟味を重ねて安全に配慮致しましたわ」
 安全性まで完璧か。昔の現実世界では白粉に鉛が含まれていたり、ドレスや壁紙を緑に染める物にヒ素が含まれていたりと身に付ける物に毒性のある物質が存在していたというのは「俺」の知識では知っていたが、この世界でもそういう知識はあるんだろうか。好奇心でちょっと気になる。
「ここは拘りましたの」
 なんで重ね付けに拘ったのか、ここでは聞かないでおこう。聞いたら芋蔓式にいろんなものが露見しそうだ。特に自分がモデルになってる話なんて聞きたくない。
 推しグッズも異世界の貴族の手に掛かれば国の市場を動かすレベルになるなんて凄いよな、なんて遠い目をしてみる。流石はお貴族様だ。
 シガウスには現在進行形で世話になっているし、可愛がっているレインが初めて手掛けた物だからなるべく希望に沿う形で商品化してやりたいが、実際これが売れたら俺はどういう顔をすれば良いんだ。とりあえずダーランには爆笑されそうだな。
「それから、お兄様にはこちらを差し上げようと思って」
 そう言ってレインが差し出してきたのは『月映』に似たデザインのボトルだ。リボンはなく、シンプルな黒い瓶のくびれ部分に細い銀の鎖が巻かれ、宝石が一粒下がっている。ダイヤモンドだろうか。また凝った物を……。
「ガーランド様が一番お好みになった配合の香水です」
 にこやかに言われて軽い頭痛を覚える。絶対狙っているだろう。どう反応して良いのか悩んでいる俺とは対照的に、レインはいそいそとムエットに香水を染み込ませて差し出してくる。
 受け取って嗅いでみれば、確かに『月映』に似ているが、それよりもビターで瑞々しく、より自然な香りに近い感じがした。悔しい事に好みな香りだし、これならセイアッドが付けていても違和感はないだろう。……オルテガが付けていたあの香水との相性も良さそうだ。
 折角忘れていたのにオルテガの事を思い出して思わず溜め息が零れそうになったのを慌てて呑み込む。駄目だ、このままじゃダメ人間になる。これを機に脱オルテガを目指さなくては。
 いずれそれぞれの職務に戻ったら今みたいに毎晩イチャイチャなんて出来ないんだし……!
 自分で言っててなんか悲しくなってきたな。やっぱり隠居したい。
「こちらもどうぞ」
 俺の心を読んだようにレインが差し出してくるのは『黄昏』に似たボトルだ。今渡された物と同じように細身の鎖と宝石の装飾がついているが、こちらはオレンジの宝石がついている。カボションカットのつるりとした宝石はオパールだろうか。角度が変わる度に夕焼けのようなオレンジの中で赤や緑の遊色が踊っていた。
「ガーランド様が付けていた試作品ですわ。お兄様がお気に召したようでしたからご用意させて頂きました」
 余計な事をと思わんでもないが、俺の為に作ってくれたのを無碍には出来ない。
 ありがたく受け取りつつも、レインを工房の連中と公爵家の護衛にお願いして俺は屋敷に帰る事にした。
 早ければそろそろダーランが戻る頃だから屋敷で待っていたかったからだ。
 戻ってきたら死ぬ程文句を言ってやる。人をネタにして金儲けをするんじゃない。
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