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閑話 モーリス・シュー・ヴォルクンの娼嫉
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閑話 モーリス・シュー・ヴォルクンの娼嫉
モーリス・シュー・ヴォルクン。
彼はオルテガやセイアッドと同い年であり、家柄も同じ侯爵家に生まれた。彼等と違ってヴォルクン家の領地が王都に近い事もあり、モーリスは産まれた時から殆どの時間を王都で過ごして来た。
彼の知る世界は王都の平和で煌びやかな世界だ。家柄も容姿も良く、頭も悪くなかったから幼少期には母親に連れられたお茶会では必ず賞賛されたものだ。
他の家の茶会に参加すれば、誰もがモーリスを誉め、取り巻きも直ぐに出来た。そんな環境にいたから、幼いながらにモーリスは自分は特別なのだと思っていた。
絢爛な王都で、王族には劣るものの自分は特別な存在なのだ、と。
しかし、そんな幻想はとある年に簡単に打ち砕かれた。
その日もいつものように王城で開かれた夜会でモーリスは取り巻きの者達からの賛辞に溺れていた。それは彼にとって不変の日常である筈だった。
不意に会場が微かな騒めきの後、沈黙に呑み込まれる。自分を称賛していた筈の者達が一人、二人と黙り込み、陶然とした視線で何かを見つめていた。
自然とそちらへと目をやってモーリスは驚愕した。
それはまるで生ける月の化身だ。艶やかな黒い髪に月光色の瞳をした絶佳が、人々の視線を受けながらゆっくりと歩いている。その傍らをそっくりな顔立ちをした幼い子がおずおずといった様子で手を引かれていた。
会場にいた人々の視線は全て彼等に注がれている。その事実が、モーリスには許せなかった。
彼等は自然と割れた人々の間を当然のように優雅に歩き、国王やその他の重臣達に挨拶をしている。
「セオドア様だ」
「領地からお戻りになったのか」
「相変わらずお美しい」
「あれが御子息ね」
「今から将来が楽しみだな」
優美な人とその息子の姿にさわさわと人々が囁き合う様子を見て、モーリスの小さな陽炎のような世界は崩壊した。全てだと思って見ていた世界はモーリスにとって都合の良い匣庭でしかなかった事も同時に思い知る。
「……レヴォネめ」
不意に降ってきたいつも穏やかな父の憎しみに満ちた小さな囁きに、モーリスの手を握るいつも優しい母の力の強さに、モーリスは彼等が自分達ヴォルクン家にとって敵なのだと認識した。
途端に胸に満ちるのは絶望感ではなく、鮮やかな憎悪だ。モーリスが一番になる為にはあの少年を蹴落とさなければならない。
幼いながらにそう理解すると、その夜からセイアッドはモーリスにとって斃すべき敵となった。
しかし、そんなモーリスの思いとは裏腹に、現実は非情だった。
父親であるセオドアにそっくりな美貌を受け継いだセイアッドは直ぐに美童として高名となり、またセオドアとの繋がりを持とうとレヴォネ家の者が参加すると、誰もモーリスにもヴォルクン家にも見向きもしなくなる。
あれ程自分を讃えていた筈の取り巻き達ですらレヴォネに侍ろうといつの間にかモーリスの元を離れていき、モーリスは一人きりになる事が多かった。モーリスにとって社交とは賛辞を受ける場所であったし、向こうから近寄ってくるものだったから今更周りの人々にどう接すれば良いのかわからなかった。
そうしているうちにますますセイアッドに対する憎悪は募るばかりで、姿を見かける度に怒りが燃え上がった。モーリスが自身に対して抱いた上手く人と接せられない葛藤や上手く出来ない苛立ちすらもいつしかセイアッドのせいにして。
そんな境遇もあり、モーリスは幼い頃より両親からも常にセイアッドと比べ続けられていた。両親にも同じ侯爵家でありながら繁栄するレヴォネ家に対するライバル意識が大いにあったのだろう。
何故セイアッドのように出来ないのか。セイアッドは出来るのに。
セイアッドの名はまるで呪いのようにモーリスの心を責め苛んできた。しかし、レヴォネ侯爵家が国において重要かつ広大な領地を治め、代々宰相を務めるのに対してヴォルクン侯爵家は数代前の当主が作った浪費による借金によって領地は減らされ、斜陽の日々を送っている。
セイアッドが日の当たる栄華の道を歩むなら、モーリスは日陰者だ。その事がまたモーリスには許し難かった。
学園に入学してからは更に地獄だった。
どんなに勉強を頑張ってもセイアッドは軽々と上を行く。教師達の覚えも良く、王弟であるリンゼヒースに学友の一人として選ばれた。幼い頃のモーリスは今とは大違いで可愛らしい容姿で有名であり、セイアッドとは双肩を並べる程美しいと名高かったというのに、容姿すらもとうとうセイアッドには勝てなかった。
成長するにつれ、より瑞々しく華開いたセイアッドの美貌は羨望の的となり、誰もが口々に噂をしていた。
そんな日々の中でモーリスが最も許し難い事はオルテガの存在だった。
セイアッドに対する憎悪に突き動かされる日々の中、出逢った最愛の人。
幼い頃、ガーランド家のタウンハウスで開かれた夜会で手洗いに行った後、迷って戻れなくなっていたモーリスにオルテガが声を掛けてきてくれたのが出逢いだった。宵闇のような青みがかった黒い髪に、夕焼けのような鮮やかな瞳。不安になっていた自分に優しく「大丈夫ですか」と声を掛けてくれた少年。
オルテガは動揺しているモーリスの手を取ると紳士的にエスコートして会場までつれていってくれたのだ。その僅かな時間はモーリスにとって宝物となっている。
その夜以来、オルテガの姿を垣間見るだけで胸が高鳴り、声を聞くだけで夢見心地になる。父母に頼んで婚約の話を打診してもらったり、茶会や夜会で会った時には積極的に話しかけた。
いずれ自分がオルテガの一番となるのだとより一層の研鑽を積んで学園生活を楽しみにしていたというのに。
学園で再会した時には彼の傍らにはセイアッドがいた。
自分がオルテガを恋い慕うからこそ、その夕焼け色の瞳がセイアッドだけを追っている事に気が付いてしまう。それが余計にモーリスの嫉みの焔を激しくさせた。
例え彼自身が望んだ事ではないにしても、当たり前のようにオルテガを傍らに侍らせるセイアッドが憎くて憎くて仕方がない。そして、そんなセイアッドを愛おしげに見つめる夕焼け色の瞳にも愛憎が湧き上がる。
それでも、モーリスはオルテガを諦め切れなかった。恨み、憎みながらも夕焼け色の瞳を自分に向けて欲しいと必死で彼に近付いた。
しかし、返されるのはいつも言葉は優しいものの、絶対的な拒否だ。
ある時、たまらずに尋ねた事がある。
『結ばれる事も出来ないのに、何故彼奴にこだわるのか』と。
忌々しい事にセイアッドはやがてセオドアの跡を継いでこの国の宰相となる。そうなれば、代々騎士団長をつとめるガーランド家との婚姻は難しいだろう。
モーリスの問いに、オルテガは寂しげに笑って言った。
『例え結ばれなくとも……それでも、彼に俺の剣と人生を捧げたい』
その言葉はモーリスを深い絶望に突き落とした。オルテガが誰とも番うつもりはなく、セイアッドにその誇りと命を捧げるつもりなのだと痛い程に思い知らされたからだ。
同時に、これ程まで想ってくれる人がいる事が羨ましかった。
そして、そんな風に思い知らされてなおオルテガを諦められない自分がいる事に驚いた。
自分がどんなに足掻いても決して得られないものを持っているセイアッドに憎悪しながらも、時は過ぎる。
何もかも上手くいかない事に、オルテガに対する叶わない恋慕に心労が祟り、過食する事で卒業する頃にはモーリスの体型は崩れ始めていた。セオドアが急逝し、セイアッドが宰相となり功績を挙げる度に更に過食は進み、いつしかモーリスは幼き日の面影が失せる程に肥え太っている。
そんな鬱屈とした日々を過ごしてきたモーリスにとって今回の断罪劇はセイアッドを蹴り落とす絶好のチャンスであり、溜飲を下げる事ができる滅多にない機会だった。下手をすれば反逆罪にもなり得るであろうが、話を持ってきた相手は絶対的な自信があると言っていた。
昔のモーリスならばそんな話には決して手を出さなかっただろう。だが、凡ゆる妄執に取り憑かれたモーリスはその話に飛び付いてしまった。
セイアッドが追い詰められる水面下でモーリスは自らの足場を固めていき、その日を静かに待った。
そして、運命の日がやってくる。
国王の生誕祭。毎年盛大に開かれるこの宴には国内外から多くの貴族や有力者が集まる。そんな宴の席でセイアッドを追い落とす。彼にとってはこれ以上ない屈辱だろう。
セイアッドに成り代わる為、政治を、外交の為に諸外国の事を学んだ。あとはセイアッドが自滅するのを待つ、それだけだった。
精神的にも肉体的にも追い詰められていたセイアッドはかつての美貌は見る影もなくまるで幽鬼のようになってまで宰相として働いていた。そんな状況で、諸外国の者もいる中で断罪され槍玉に挙げられれば、必ず狂乱する。
モーリスもモーリスに話を持ってきた者もそう思っていた。
しかし、断罪を受けたセイアッドはまるで人が変わったように高い哄笑を残し、夜会のホールを去ってしまったのだ。絶望した惨めな姿を嘲笑ってやろうと思っていたモーリスは呆然とその背を見送るしか出来なかった。
何が起きているのか分からなかったが、今はそれよりもセイアッドを追いやったことで自分が宰相の座に座れる事の方が重要である。
宰相としてセイアッド以上の手腕があると解れば、オルテガだって自分を見てくれるかもしれない。
遥か南方へ遠征に出ている想い人の面影だけを思い浮かべながら、モーリスは荊の路を歩き出した。
モーリス・シュー・ヴォルクン。
彼はオルテガやセイアッドと同い年であり、家柄も同じ侯爵家に生まれた。彼等と違ってヴォルクン家の領地が王都に近い事もあり、モーリスは産まれた時から殆どの時間を王都で過ごして来た。
彼の知る世界は王都の平和で煌びやかな世界だ。家柄も容姿も良く、頭も悪くなかったから幼少期には母親に連れられたお茶会では必ず賞賛されたものだ。
他の家の茶会に参加すれば、誰もがモーリスを誉め、取り巻きも直ぐに出来た。そんな環境にいたから、幼いながらにモーリスは自分は特別なのだと思っていた。
絢爛な王都で、王族には劣るものの自分は特別な存在なのだ、と。
しかし、そんな幻想はとある年に簡単に打ち砕かれた。
その日もいつものように王城で開かれた夜会でモーリスは取り巻きの者達からの賛辞に溺れていた。それは彼にとって不変の日常である筈だった。
不意に会場が微かな騒めきの後、沈黙に呑み込まれる。自分を称賛していた筈の者達が一人、二人と黙り込み、陶然とした視線で何かを見つめていた。
自然とそちらへと目をやってモーリスは驚愕した。
それはまるで生ける月の化身だ。艶やかな黒い髪に月光色の瞳をした絶佳が、人々の視線を受けながらゆっくりと歩いている。その傍らをそっくりな顔立ちをした幼い子がおずおずといった様子で手を引かれていた。
会場にいた人々の視線は全て彼等に注がれている。その事実が、モーリスには許せなかった。
彼等は自然と割れた人々の間を当然のように優雅に歩き、国王やその他の重臣達に挨拶をしている。
「セオドア様だ」
「領地からお戻りになったのか」
「相変わらずお美しい」
「あれが御子息ね」
「今から将来が楽しみだな」
優美な人とその息子の姿にさわさわと人々が囁き合う様子を見て、モーリスの小さな陽炎のような世界は崩壊した。全てだと思って見ていた世界はモーリスにとって都合の良い匣庭でしかなかった事も同時に思い知る。
「……レヴォネめ」
不意に降ってきたいつも穏やかな父の憎しみに満ちた小さな囁きに、モーリスの手を握るいつも優しい母の力の強さに、モーリスは彼等が自分達ヴォルクン家にとって敵なのだと認識した。
途端に胸に満ちるのは絶望感ではなく、鮮やかな憎悪だ。モーリスが一番になる為にはあの少年を蹴落とさなければならない。
幼いながらにそう理解すると、その夜からセイアッドはモーリスにとって斃すべき敵となった。
しかし、そんなモーリスの思いとは裏腹に、現実は非情だった。
父親であるセオドアにそっくりな美貌を受け継いだセイアッドは直ぐに美童として高名となり、またセオドアとの繋がりを持とうとレヴォネ家の者が参加すると、誰もモーリスにもヴォルクン家にも見向きもしなくなる。
あれ程自分を讃えていた筈の取り巻き達ですらレヴォネに侍ろうといつの間にかモーリスの元を離れていき、モーリスは一人きりになる事が多かった。モーリスにとって社交とは賛辞を受ける場所であったし、向こうから近寄ってくるものだったから今更周りの人々にどう接すれば良いのかわからなかった。
そうしているうちにますますセイアッドに対する憎悪は募るばかりで、姿を見かける度に怒りが燃え上がった。モーリスが自身に対して抱いた上手く人と接せられない葛藤や上手く出来ない苛立ちすらもいつしかセイアッドのせいにして。
そんな境遇もあり、モーリスは幼い頃より両親からも常にセイアッドと比べ続けられていた。両親にも同じ侯爵家でありながら繁栄するレヴォネ家に対するライバル意識が大いにあったのだろう。
何故セイアッドのように出来ないのか。セイアッドは出来るのに。
セイアッドの名はまるで呪いのようにモーリスの心を責め苛んできた。しかし、レヴォネ侯爵家が国において重要かつ広大な領地を治め、代々宰相を務めるのに対してヴォルクン侯爵家は数代前の当主が作った浪費による借金によって領地は減らされ、斜陽の日々を送っている。
セイアッドが日の当たる栄華の道を歩むなら、モーリスは日陰者だ。その事がまたモーリスには許し難かった。
学園に入学してからは更に地獄だった。
どんなに勉強を頑張ってもセイアッドは軽々と上を行く。教師達の覚えも良く、王弟であるリンゼヒースに学友の一人として選ばれた。幼い頃のモーリスは今とは大違いで可愛らしい容姿で有名であり、セイアッドとは双肩を並べる程美しいと名高かったというのに、容姿すらもとうとうセイアッドには勝てなかった。
成長するにつれ、より瑞々しく華開いたセイアッドの美貌は羨望の的となり、誰もが口々に噂をしていた。
そんな日々の中でモーリスが最も許し難い事はオルテガの存在だった。
セイアッドに対する憎悪に突き動かされる日々の中、出逢った最愛の人。
幼い頃、ガーランド家のタウンハウスで開かれた夜会で手洗いに行った後、迷って戻れなくなっていたモーリスにオルテガが声を掛けてきてくれたのが出逢いだった。宵闇のような青みがかった黒い髪に、夕焼けのような鮮やかな瞳。不安になっていた自分に優しく「大丈夫ですか」と声を掛けてくれた少年。
オルテガは動揺しているモーリスの手を取ると紳士的にエスコートして会場までつれていってくれたのだ。その僅かな時間はモーリスにとって宝物となっている。
その夜以来、オルテガの姿を垣間見るだけで胸が高鳴り、声を聞くだけで夢見心地になる。父母に頼んで婚約の話を打診してもらったり、茶会や夜会で会った時には積極的に話しかけた。
いずれ自分がオルテガの一番となるのだとより一層の研鑽を積んで学園生活を楽しみにしていたというのに。
学園で再会した時には彼の傍らにはセイアッドがいた。
自分がオルテガを恋い慕うからこそ、その夕焼け色の瞳がセイアッドだけを追っている事に気が付いてしまう。それが余計にモーリスの嫉みの焔を激しくさせた。
例え彼自身が望んだ事ではないにしても、当たり前のようにオルテガを傍らに侍らせるセイアッドが憎くて憎くて仕方がない。そして、そんなセイアッドを愛おしげに見つめる夕焼け色の瞳にも愛憎が湧き上がる。
それでも、モーリスはオルテガを諦め切れなかった。恨み、憎みながらも夕焼け色の瞳を自分に向けて欲しいと必死で彼に近付いた。
しかし、返されるのはいつも言葉は優しいものの、絶対的な拒否だ。
ある時、たまらずに尋ねた事がある。
『結ばれる事も出来ないのに、何故彼奴にこだわるのか』と。
忌々しい事にセイアッドはやがてセオドアの跡を継いでこの国の宰相となる。そうなれば、代々騎士団長をつとめるガーランド家との婚姻は難しいだろう。
モーリスの問いに、オルテガは寂しげに笑って言った。
『例え結ばれなくとも……それでも、彼に俺の剣と人生を捧げたい』
その言葉はモーリスを深い絶望に突き落とした。オルテガが誰とも番うつもりはなく、セイアッドにその誇りと命を捧げるつもりなのだと痛い程に思い知らされたからだ。
同時に、これ程まで想ってくれる人がいる事が羨ましかった。
そして、そんな風に思い知らされてなおオルテガを諦められない自分がいる事に驚いた。
自分がどんなに足掻いても決して得られないものを持っているセイアッドに憎悪しながらも、時は過ぎる。
何もかも上手くいかない事に、オルテガに対する叶わない恋慕に心労が祟り、過食する事で卒業する頃にはモーリスの体型は崩れ始めていた。セオドアが急逝し、セイアッドが宰相となり功績を挙げる度に更に過食は進み、いつしかモーリスは幼き日の面影が失せる程に肥え太っている。
そんな鬱屈とした日々を過ごしてきたモーリスにとって今回の断罪劇はセイアッドを蹴り落とす絶好のチャンスであり、溜飲を下げる事ができる滅多にない機会だった。下手をすれば反逆罪にもなり得るであろうが、話を持ってきた相手は絶対的な自信があると言っていた。
昔のモーリスならばそんな話には決して手を出さなかっただろう。だが、凡ゆる妄執に取り憑かれたモーリスはその話に飛び付いてしまった。
セイアッドが追い詰められる水面下でモーリスは自らの足場を固めていき、その日を静かに待った。
そして、運命の日がやってくる。
国王の生誕祭。毎年盛大に開かれるこの宴には国内外から多くの貴族や有力者が集まる。そんな宴の席でセイアッドを追い落とす。彼にとってはこれ以上ない屈辱だろう。
セイアッドに成り代わる為、政治を、外交の為に諸外国の事を学んだ。あとはセイアッドが自滅するのを待つ、それだけだった。
精神的にも肉体的にも追い詰められていたセイアッドはかつての美貌は見る影もなくまるで幽鬼のようになってまで宰相として働いていた。そんな状況で、諸外国の者もいる中で断罪され槍玉に挙げられれば、必ず狂乱する。
モーリスもモーリスに話を持ってきた者もそう思っていた。
しかし、断罪を受けたセイアッドはまるで人が変わったように高い哄笑を残し、夜会のホールを去ってしまったのだ。絶望した惨めな姿を嘲笑ってやろうと思っていたモーリスは呆然とその背を見送るしか出来なかった。
何が起きているのか分からなかったが、今はそれよりもセイアッドを追いやったことで自分が宰相の座に座れる事の方が重要である。
宰相としてセイアッド以上の手腕があると解れば、オルテガだって自分を見てくれるかもしれない。
遥か南方へ遠征に出ている想い人の面影だけを思い浮かべながら、モーリスは荊の路を歩き出した。
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