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16 別荘への道すがら
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16 別荘への道すがら
昼食を摂ってレインを工房に送り届けた後、俺はスレシンジャー公爵の滞在する別荘へと向かっていた。
オルテガも同行したがったが、どうしてもシガウスと二人で話す必要があったのでレインの警護をお願いして置いてきた。最後までごねられ、別れ際に物凄く不服そうな顔をされたので後が怖いが……。
別荘へ向かう馬車に揺られながら小さく溜息を零す。こればかりは我慢してもらうしかない。オルテガもまた盤上に在る駒の一つではあるが、そもそも彼の存在は計画には入っていなかったのだから。
亡き父の遺志を継ぎ、少しずつ固めてきた証拠が実を結ぼうとした矢先の断罪劇。それはセイアッドにとって予想外の出来事だった。
政務に追われ、嫌がらせに責められながら少しずつ同志を得て集めた物証はもう少しで残された膿を斬り捨てるのに十分な数が集まる所だったというのに。
予想外の横槍は歯牙にも掛けていない相手からだった。勝ち誇ったような王太子やステラの笑みを思い出して、さして長くもない爪を噛む。
突き付けられた証拠は拙く、追及すればすぐにボロが出るようなものだっただろう。恐らく言いくるめられた王太子達を使って国王の誕生祭という席でセイアッドを貶めてその名に傷をつける事と一時的にでも政治の場から追い出す事が目的だ。
セイアッドがいないうちに有る事無い事事実を創り上げて更に罪を問うのだ。奸臣寄りの連中やセイアッドが不利と見た日和見の連中は奴らに追従し、同じように責め立てただろう。そうなれば、セイアッドはもう立つ瀬がなくなる。
どうせ愚かな王太子達は傀儡でしかない。背後には黒幕がいる。そして、奴らはセイアッドを失脚させて王都から追い出し、あわよくば不敬罪や反逆罪を言い渡して処刑するつもりだったのだろう。
実際、あの断罪の場でゲームでのシナリオ通りにステラに襲い掛かったとすれば、王族である王太子に危害を加えようとしたと事実を改竄されてこの首が飛ばされていたかもしれない。良くてゲームのシナリオ通りの蟄居だ。もしかすると、ゲーム内の自死もそう見せ掛けた暗殺だったのかもしれない。
だが、「俺」の介入によって状況は狂った。うちの領を出入りする商人に紛れ込んで、手の者が持ち込む情報の限りでは王都にいる者達が随分頑張ってくれているようだ。遠く領地にいるしか出来ない自分に焦れるが、致し方ない。俺にはまだここでやる事がある。
窓の外へと視線をやれば初夏の陽射しが眩しく、木や草花の新緑が瑞々しく広がっている。小麦畑は金色になり、間も無く刈り入れとなるだろう。
近付く収穫に領民達が心を踊らせ、こんなに天気が良くて穏やかなのに、気分は晴れない。自分を取り巻く状況もだが、あと半年もすれば災厄が襲い来るから。
ローライツ王国を五年の周期で襲い来る伝染病はいつも国の北部から始まる。冬深くなり、寒さが厳しくなる頃に発生するその病は「黒斑病」と呼ばれて恐れられていた。
最初はただの風邪のような症状から始まるが、高熱が続いて徐々に起き上がるのも困難になり最終的には体中に黒い痣が浮かんで死に至る。致死率は高く、感染したら神頼みしか道は残されない。
これまで感染が拡がらなかったのは発生するのが寒い北方だったからだ。冬場は他の季節に比べて周囲の人との関わりが減る。雪の降る場所なら尚の事。農地が広がり、家同士の距離が離れているから隔離も容易だ。
感染者が発生した家は周囲から隔離され、家の者は外に出る事は出来なくなる。一人が罹れば一家全滅なんて事も良くある事だ。
それが徐々に感染の範囲を拡げている。同じように活発になっている魔物の事も、疫病のあと必ず発生する魔物の大量発生も気掛かりだった。備えなければならない事は山程あるのだ。半年なんてあっという間に経ってしまう。
この世界における医学の基準では何が感染源なのか、どうして感染るのか分からないだろう。専門とは言わないが、現代日本においてウイルスや細菌の存在や感染予防対策は一般常識の範疇だ。この知識が少しでも役に立つならば、存分に振るうつもりでいる。とはいえ、俺もまだ黒斑病がどういったものなのか、知識が足りない。
「私」の父もまた黒斑病で死んだ。領地の視察をしている時に運悪く罹ってしまい、志し半ばだというのに呆気なく逝ってしまった。元々病弱だった母はその後を追うようにして儚くなり、そうしてセイアッドは独り遺されたのだ。
領主と宰相という肩書きはまだ若いセイアッドには重かった。しかし、父から託されたものを手放す訳にはいかなかった。それが国の為ならば尚の事。
これまで歩んだ事を思い返して再び深い溜息を零す。ありとあらゆるプレッシャーに嫌がらせの数々を「私」の記憶から想起して溜息を零す。こんな状況じゃ追い詰められたって仕方ない。
馬車の外からは子供達がはしゃいであげる高い声がする。今日もレヴォネ領は美しく平和だった。
その光景を見つめながら俺は決意を固める。もう十分に休んだ。欺くのも十分だろう。これからは密やかに動き出さなければ。
冬に迫る災厄に備える為にも、相手方に悟られる隙与えない為にもこれからは早急に事を運ばなければならない。
その為にはどうしてもシガウスが必要だった。筆頭公爵家という力は勿論の事、狡猾で各方面に顔が広く、目的の為なら手段を選ばない残忍さも持ち得る。そして、何より大きいのは彼が民を思いやれる人物だという事だ。万が一、俺が失敗して今度こそ本当に失脚してもシガウスが居れば少なくとも民の生活は守れるだろう。
それに、彼の息子は宰相補佐官の一人として働いてくれていた。現状がどうなっているか分からないが、上手く取り込めれば中枢の情報を得られるだろう。中央との繋ぎも欲しい。
噂話というものは風のように広がる。されど、玉石混淆の話をいちいち間に受けて裏取りしていては時間が掛かり過ぎる。情報戦は鮮度が命。中枢に関わる情報はより鮮度が高く確実な方が良い。
俺が欲しかったのはこの繋がりだ。レヴォネ周囲の領地や俺の権力目当てで擦り寄ってくる日和見野郎の雑魚ではない、中枢に食い込んだ権力者。
それには、攻略対象者の婚約者とその家族が一番都合が良かった。不誠実な婚約破棄は王家に対する不信に繋がり、次に王座を継ぐ者の愚行を目の当たりにすれば忠誠心も離れる。
中には諫める者もいただろう。だが、彼等は見てしまった。他でもない王太子が国王の誕生祝いの宴という他国の目もある席で、宰相を断罪する姿を……。
悪徳を裁くにしても段階や手順というものがある。それらをすっ飛ばした一方的な断罪劇は人々の目にどう映っただろう。
セイアッドは宰相という地位もあったが、国にとって重要な街道が通る領地を保有する侯爵家の当主でもある。外交の窓口にもなるその領主を、裁判にかける事もなく一方的に断罪して追放する様子を見て彼等は、更には招待されていた諸外国の者達はどう思う。
多くの者は我が身可愛さに口を噤むだろう。あるいは愚か者だと嘲り侮るだろう。抱えていた忠節を失くした者もいるかもしれない。現状を嘆き国の為に変革を求める者もいる。
今の王家は見てくれは良いかもしれないが、見えないその足元は乱雑に積み上げた積み木のようになっている。辛うじて立っている王威は僅かな衝撃で脆くも崩れ去るだろう。
元々、現国王は凡庸な男であった。ただ、長男として誰よりも早く王家に生まれ、父王が流行病で早く崩御し、他の後継ぎがまだ幼かったから跡を継いだに過ぎない。それが、彼にとっては不幸だった。
馬車が緩やかな上り坂へと差し掛かった。スレシンジャー公爵に貸している別荘は蒼凛湖を見下ろせるように少し高台にある。
間も無く到着するであろう事を感じて俺は座席に背を預けて目を閉じた。ガタゴトと揺れる馬車は刻一刻と俺を運命の分かれ道へと運んで行くのだ。
昼食を摂ってレインを工房に送り届けた後、俺はスレシンジャー公爵の滞在する別荘へと向かっていた。
オルテガも同行したがったが、どうしてもシガウスと二人で話す必要があったのでレインの警護をお願いして置いてきた。最後までごねられ、別れ際に物凄く不服そうな顔をされたので後が怖いが……。
別荘へ向かう馬車に揺られながら小さく溜息を零す。こればかりは我慢してもらうしかない。オルテガもまた盤上に在る駒の一つではあるが、そもそも彼の存在は計画には入っていなかったのだから。
亡き父の遺志を継ぎ、少しずつ固めてきた証拠が実を結ぼうとした矢先の断罪劇。それはセイアッドにとって予想外の出来事だった。
政務に追われ、嫌がらせに責められながら少しずつ同志を得て集めた物証はもう少しで残された膿を斬り捨てるのに十分な数が集まる所だったというのに。
予想外の横槍は歯牙にも掛けていない相手からだった。勝ち誇ったような王太子やステラの笑みを思い出して、さして長くもない爪を噛む。
突き付けられた証拠は拙く、追及すればすぐにボロが出るようなものだっただろう。恐らく言いくるめられた王太子達を使って国王の誕生祭という席でセイアッドを貶めてその名に傷をつける事と一時的にでも政治の場から追い出す事が目的だ。
セイアッドがいないうちに有る事無い事事実を創り上げて更に罪を問うのだ。奸臣寄りの連中やセイアッドが不利と見た日和見の連中は奴らに追従し、同じように責め立てただろう。そうなれば、セイアッドはもう立つ瀬がなくなる。
どうせ愚かな王太子達は傀儡でしかない。背後には黒幕がいる。そして、奴らはセイアッドを失脚させて王都から追い出し、あわよくば不敬罪や反逆罪を言い渡して処刑するつもりだったのだろう。
実際、あの断罪の場でゲームでのシナリオ通りにステラに襲い掛かったとすれば、王族である王太子に危害を加えようとしたと事実を改竄されてこの首が飛ばされていたかもしれない。良くてゲームのシナリオ通りの蟄居だ。もしかすると、ゲーム内の自死もそう見せ掛けた暗殺だったのかもしれない。
だが、「俺」の介入によって状況は狂った。うちの領を出入りする商人に紛れ込んで、手の者が持ち込む情報の限りでは王都にいる者達が随分頑張ってくれているようだ。遠く領地にいるしか出来ない自分に焦れるが、致し方ない。俺にはまだここでやる事がある。
窓の外へと視線をやれば初夏の陽射しが眩しく、木や草花の新緑が瑞々しく広がっている。小麦畑は金色になり、間も無く刈り入れとなるだろう。
近付く収穫に領民達が心を踊らせ、こんなに天気が良くて穏やかなのに、気分は晴れない。自分を取り巻く状況もだが、あと半年もすれば災厄が襲い来るから。
ローライツ王国を五年の周期で襲い来る伝染病はいつも国の北部から始まる。冬深くなり、寒さが厳しくなる頃に発生するその病は「黒斑病」と呼ばれて恐れられていた。
最初はただの風邪のような症状から始まるが、高熱が続いて徐々に起き上がるのも困難になり最終的には体中に黒い痣が浮かんで死に至る。致死率は高く、感染したら神頼みしか道は残されない。
これまで感染が拡がらなかったのは発生するのが寒い北方だったからだ。冬場は他の季節に比べて周囲の人との関わりが減る。雪の降る場所なら尚の事。農地が広がり、家同士の距離が離れているから隔離も容易だ。
感染者が発生した家は周囲から隔離され、家の者は外に出る事は出来なくなる。一人が罹れば一家全滅なんて事も良くある事だ。
それが徐々に感染の範囲を拡げている。同じように活発になっている魔物の事も、疫病のあと必ず発生する魔物の大量発生も気掛かりだった。備えなければならない事は山程あるのだ。半年なんてあっという間に経ってしまう。
この世界における医学の基準では何が感染源なのか、どうして感染るのか分からないだろう。専門とは言わないが、現代日本においてウイルスや細菌の存在や感染予防対策は一般常識の範疇だ。この知識が少しでも役に立つならば、存分に振るうつもりでいる。とはいえ、俺もまだ黒斑病がどういったものなのか、知識が足りない。
「私」の父もまた黒斑病で死んだ。領地の視察をしている時に運悪く罹ってしまい、志し半ばだというのに呆気なく逝ってしまった。元々病弱だった母はその後を追うようにして儚くなり、そうしてセイアッドは独り遺されたのだ。
領主と宰相という肩書きはまだ若いセイアッドには重かった。しかし、父から託されたものを手放す訳にはいかなかった。それが国の為ならば尚の事。
これまで歩んだ事を思い返して再び深い溜息を零す。ありとあらゆるプレッシャーに嫌がらせの数々を「私」の記憶から想起して溜息を零す。こんな状況じゃ追い詰められたって仕方ない。
馬車の外からは子供達がはしゃいであげる高い声がする。今日もレヴォネ領は美しく平和だった。
その光景を見つめながら俺は決意を固める。もう十分に休んだ。欺くのも十分だろう。これからは密やかに動き出さなければ。
冬に迫る災厄に備える為にも、相手方に悟られる隙与えない為にもこれからは早急に事を運ばなければならない。
その為にはどうしてもシガウスが必要だった。筆頭公爵家という力は勿論の事、狡猾で各方面に顔が広く、目的の為なら手段を選ばない残忍さも持ち得る。そして、何より大きいのは彼が民を思いやれる人物だという事だ。万が一、俺が失敗して今度こそ本当に失脚してもシガウスが居れば少なくとも民の生活は守れるだろう。
それに、彼の息子は宰相補佐官の一人として働いてくれていた。現状がどうなっているか分からないが、上手く取り込めれば中枢の情報を得られるだろう。中央との繋ぎも欲しい。
噂話というものは風のように広がる。されど、玉石混淆の話をいちいち間に受けて裏取りしていては時間が掛かり過ぎる。情報戦は鮮度が命。中枢に関わる情報はより鮮度が高く確実な方が良い。
俺が欲しかったのはこの繋がりだ。レヴォネ周囲の領地や俺の権力目当てで擦り寄ってくる日和見野郎の雑魚ではない、中枢に食い込んだ権力者。
それには、攻略対象者の婚約者とその家族が一番都合が良かった。不誠実な婚約破棄は王家に対する不信に繋がり、次に王座を継ぐ者の愚行を目の当たりにすれば忠誠心も離れる。
中には諫める者もいただろう。だが、彼等は見てしまった。他でもない王太子が国王の誕生祝いの宴という他国の目もある席で、宰相を断罪する姿を……。
悪徳を裁くにしても段階や手順というものがある。それらをすっ飛ばした一方的な断罪劇は人々の目にどう映っただろう。
セイアッドは宰相という地位もあったが、国にとって重要な街道が通る領地を保有する侯爵家の当主でもある。外交の窓口にもなるその領主を、裁判にかける事もなく一方的に断罪して追放する様子を見て彼等は、更には招待されていた諸外国の者達はどう思う。
多くの者は我が身可愛さに口を噤むだろう。あるいは愚か者だと嘲り侮るだろう。抱えていた忠節を失くした者もいるかもしれない。現状を嘆き国の為に変革を求める者もいる。
今の王家は見てくれは良いかもしれないが、見えないその足元は乱雑に積み上げた積み木のようになっている。辛うじて立っている王威は僅かな衝撃で脆くも崩れ去るだろう。
元々、現国王は凡庸な男であった。ただ、長男として誰よりも早く王家に生まれ、父王が流行病で早く崩御し、他の後継ぎがまだ幼かったから跡を継いだに過ぎない。それが、彼にとっては不幸だった。
馬車が緩やかな上り坂へと差し掛かった。スレシンジャー公爵に貸している別荘は蒼凛湖を見下ろせるように少し高台にある。
間も無く到着するであろう事を感じて俺は座席に背を預けて目を閉じた。ガタゴトと揺れる馬車は刻一刻と俺を運命の分かれ道へと運んで行くのだ。
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