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29 嫌じゃないけど、善処して
しおりを挟む「ああ、夢のようにお美しい!」
夜会のための支度を終えたメイド達が、頬を紅潮させてうっとりとした顔で声を上げる。
誰がどう見ても絶賛という様子で盛り上がっているメイド達は楽しそうだが、その対象が自分なので同調しづらい。
「ああ、はい……綺麗なドレスですよね」
シェリィは自身の装いに目を向けると、素直な感想をこぼす。
夜空のような美しい紺色に金糸の刺繍が施されたドレスは、上品でありながらも華やか。
ところどころに使われた白いレースは紺色の生地を背景にして、繊細な模様で目を楽しませる。
金糸の輝きに紛れて見落としそうになるが、レースの幾何学模様の合間にはごく小さなビーズが編み込まれていて、それが光を反射してきらめいていた。
大きく開いた胸元は金糸と銀糸のレースが彩り、まるで金と銀の蝶が舞い降りたよう。
髪には鈴蘭を模した宝石がいくつも散りばめられ、薔薇色の髪に星が零れ落ちたかの如き輝きは夢のように綺麗だった。
誰が見ても美しいとしか言えない素晴らしいドレスである。
「それはもちろん、若様がシェリィ様のためにと苦心して注文したドレスですから。ですが、それだけではありません。シェリィ様がお召しになったからこそ、このドレスがより美しく見えるのです」
「ドレスは綺麗ですし、ありがたいのですが……いっそオリヴァー様が着た方が映えると思うのですよね……」
今までろくに着飾ってこなかったシェリィにとって、このドレスは異次元の物体。
美しいし素敵だと思うけれど、それと自分が着たいかどうかはまた別の問題なのだ。
簡単に言うと、完全に気後れしている。
うっかりレースを破こうものなら賠償金がかさむのではと思うと、動きもぎこちなくなるというものだ。
「若様が、このドレスを……それはお似合いでしょうね」
一瞬メイド達に動揺が広がるが、バーサが手を叩いたことですぐに皆の意識を現実に引き戻した。
「確かに長年の恋が叶って浮かれている今の若様なら、ドレスを着てくださる可能性もありますが……」
「長年の恋?」
今のオリヴァーが浮かれているというのは媚薬のせいだろうが、それでも長年の恋という表現はおかしい。
媚薬の効果は内服していない人間にまで届くはずもないので、バーサが言っているのはシェリィのことではない。
ただの勘違いか、バーサがロマンチストなだけか。
あるいは……オリヴァーにはもともと好きな人がいる、とか?
その可能性を思いついた瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。
「シェリィ、なんて綺麗なんだ!」
扉が開いたと思うと、間髪入れずにオリヴァーの声が室内に響く。
バーサを残してメイド達は礼をしながらあっという間に下がっていき、その素早さに感心していると目の前にオリヴァーが立っていた。
「うん、俺のシェリィは世界一可愛い。そのドレスもとても似合っているよ。こんなに可愛い姿を他の男に見せるのは嫌だな。夜会に行くのはやめて二人で過ごそうか?」
「それは駄目でしょう」
「うん。だから俺の髪の色のドレスにしたよ。気付いていた?」
「……それは、さすがに」
ワンポイントのアクセサリーとかなら偶然の可能性もあるが、これだけ全力で紺色だと勘違いのしようもない。
「本当は瞳の色が定番だけど、俺の瞳の色はちょっと暗いし。いや、シェリィは黒も似合うけど」
そう言うオリヴァーの装いは紺と白を基調にした上着に、金糸が映える大人っぽいデザインだ。
エポレットや飾り緒を彩る宝石は紫水晶、そして胸元の鈴蘭を模した飾りには小さな紅玉があしらわれている。
これがシェリィの紫の瞳と薔薇色の髪からきているのは明白で、誰がどう見てもお揃いの装いに先ほどからドキドキして落ち着かない。
すると、にこにこと微笑むオリヴァーに、バーサが何やら小箱を差し出した。
中に入っていたのは、大粒の紫水晶がいくつも連なるチョーカーだ。
オリヴァーはそれを手に取るとシェリィの背後に回り、首に着ける。
ひやりとした金属の感触とずしりと重みを感じる大きな宝石に、色々な意味で小さく震えた。
「冷たかった? まって、温めてあげる」
どういうことかと訊ねる前に、シェリィのうなじに温かいものが触れる。
吐息がくすぐったくて思わず首をすくめると、オリヴァーの楽しそうな笑い声が聞こえた。
「駄目だよ、動いちゃ」
「でも、くすぐったいです。何をしているのですか?」
バーサがそっとこちらに手鏡を向けたので何だろうと見てみれば、そこにはシェリィのうなじに口づけるオリヴァーという衝撃の光景が映っていた。
「きゃあああ!?」
慌てて飛びのいてすぐさま首を押さえながら、オリヴァーを正面に警戒態勢に入る。
首にキスされていたのも驚きだが、それに気付かない自分にもびっくりだ。
「どうした?」
「どうしたもこうしたも! バーサもいるのに、何をするのですか!」
使用人の前で恥ずかしいだろうと訴えるのだが、当のオリヴァーは不思議そうに首を傾げているし、バーサも表情一つ変えていない。
「これでも公爵家に長年仕える身。亡き奥様と旦那様で鍛えられておりますので、ご安心ください」
「父さん達に比べれば児戯らしいぞ。……まあ、いよいよという時には退出してもらうが」
「いよいよって何です!? 全然安心できません!」
婚約者の首にキスするのが児戯とは、一体公爵夫妻はどれだけいちゃいちゃしていたのだ。
いや、もちろん仲が良いのはいいことだし、キスくらいなら確かに使用人が目にする機会もあるとは思うが。
それにしたって、恥ずかしいのでやめていただきたい。
「ああ、恥じらうシェリィ様も可愛らしいですね。若様の執着もわかります」
「だろう? 何をしても可愛いんだから、とんでもないな」
「とんでもないのはそっちですからね⁉ おかしいですからね⁉」
はあはあと肩で息をするシェリィに対して、オリヴァーは楽しそうに微笑むばかりだ。
「体、温まった?」
「え? あ、はい。……そうではなく!」
確かに色々な意味で興奮したせいで体は熱いけれど、そもそも別に寒かったわけではない。
「温度の問題ではなくて、緊張するのです。あんまり高価なものを持たせないでください」
これから賠償金を背負って生きていく身なのだから、その額が増えそうなものとは関わりたくない。
「でもなあ。シェリィに見合う物となると、どうしても値が張るし……」
そう言いながらシェリィの前に立ったオリヴァーは、すっと手を伸ばしてチョーカーに触れ、そのまま首筋を撫で上げる。
その動きはくすぐったいと同時に他の感情も呼び起こしそうになり、シェリィはこみ上げてきたそれを悲鳴と共に飲み込む。
「一番価値があるのはシェリィ自身だから、他は気にしなくていいよ」
眩い微笑みと共に額にキスを落とされ、遅れて耳に届いたチュッというリップ音が一気に羞恥をかきたてる。
「バ、バーサがいるのですよ」
「だからこのくらいは平気だって本人も言っているだろう? それとも……」
オリヴァーの手がシェリィの顎をすくい上げたせいで、目の前に黒真珠の瞳が迫る。
優しい笑顔だ。
それなのに瞳の奥には確かに艶めいた感情が見え隠れしていて、まるで蜘蛛の糸に絡めとられたように視線を逸らせない。
「バーサがいたらできないようなこと……したい?」
口元を綻ばせながら首を傾げる様に、シェリィの心臓がどくんと跳ねる。
夜会に行くための準備をしたのだから、これは冗談だ。
わかっているのに、黒真珠の瞳がまっすぐにシェリィを射抜くから言葉に詰まる。
たった一言「うん」と言えば……いや、うなずくだけでもいい。
そうすれば、すぐにでもそれが叶うだろうとわかってしまうからこそ、絶対に受け入れてはいけない。
「や、夜会に、行かないと……」
ほんの数秒の葛藤のはずなのに、シェリィの喉はカラカラで声がかすれてしまう。
それでもどうにか理性が勝って安堵する姿を見て、オリヴァーが少し寂しそうに微笑んだ。
「そうだな。またの機会にしようか」
差し出された手を取って馬車に乗り込み、これで一安心と思ったのが間違いだった。
隣に座るのはもういい。
だがしかし、何故肩に手を回して抱き寄せられているのだ。
最初は抵抗していたが力尽きてしまい、今は肩や腕を撫でられながらオリヴァーにもたれているような状態だった。
しかも重ねられた手は次第に指を絡められ、その動きが妙に色っぽくて困る。
「あの、近くありません? そんなに触れなくてもいいと思います」
「俺が触れるのは嫌? 俺はシェリィに触れていたい」
嫌なわけがない。
ドキドキして落ち着かないけれど、好きな人のそばにいるのはそれだけで嬉しい。
それはわかる、わかるのだが。
「今まで素直になれなかったからな。これからは隠さずに気持ちを伝えると決めた。嫌なら言って、善処するから」
そう言うなり、オリヴァーの手が頬を撫で、額に唇が落ちてくる。
その一つ一つの動作には間違いなく愛情がこもっているとわかるから、きっぱりと拒絶するのが心苦しい。
そしてその愛情自体が偽物だとわかっているから、完全に受け入れることもできない。
「い、嫌ではありませんが……善処してください」
会場に到着したらしく、馬車が停まって扉が開かれる。
すると、中途半端な願いにオリヴァーが苦笑いを浮かべた。
「わかったよ。わがままな俺のお姫様」
そう言うが早いか、オリヴァーはシェリィを抱き上げるとそのまま馬車を降りる。
「きゃあ!? な、何ですか!?」
「本当はシェリィを誰にも見せたくないし二人で過ごしたいけど、善処して夜会に行こう」
曇りのない笑顔を向けられ、あまりの驚きに上手く言葉を紡げない。
シェリィの抵抗がないのをいいことに、オリヴァーはそのまま夜会の会場に入っていく。
当然、周囲の視線は釘付けだ。
何なら悲鳴も上がっている。
――どこが善処だ、どこが!
シェリィの心の絶叫だけを残して、二人の姿は会場の中に消えていった。
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