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本編
魔物たちの夜③
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「ワイバーン……」
村人たちの間にざわめきが広がる。トロールが押し寄せてきた元凶であるワイバーンがここまでやって来てしまった。トロール一体だけでも闘う術を持たない人間からしたら恐怖の対象でしかないのに、そのトロールの大群が先程は押し寄せて来て……村もあちこち破壊されて壊滅状態だ。
その上、今……頭上にはドラゴンに似た身体を持つ黄金色のワイバーンがグルグルと村の上を旋回している。前足部分がコウモリの様に翼を兼ねており、長い尾は毒を持つと言われている。
「……厄介な事になったな」
「ロブ殿下……」
いつの間にかロブ殿下がわたしの横に立ち、同じ様に空を見上げていた。トロールの討伐は無事に済んだ様だ。
「殿下、どうしますか」
ブラッドがロブ殿下の傍へ駆け寄り、指示を仰ぐ。ロブ殿下は眉間にシワを寄せて、空を飛行する魔物の姿を目で追う。
「アレはサンダーワイバーンだな。下手に逃げると上から攻撃されかねない……」
この世界のワイバーンは炎、氷、雷の三種類が存在しており、口からそれぞれの属性攻撃を仕掛けてくる。その一攻撃で村の一つや二つなど、一瞬で消し飛ばしてしまう程の威力だと聞く。
「とにかく、村を守護障壁で囲むぞ。そしてワイバーンを巣へ返す」
守護障壁は一時的なバリアーみたいなもので、外からの物理・魔法攻撃を一定の衝撃まで防いでくれる。聖女の使う結界とはまた別のもので結界ほどの威力はないが、冒険者の中では使える者も珍しくはない。ただ、術者の魔力量と敵の攻撃力によってどれほど効果が現れるかは変わってくる。
ロブ殿下たちと三人で向かい合って守護障壁の呪文を唱える。正直、魔法はロブ殿下たちと違って得意じゃない。冒険者でなく、料理の仕事をしようと思ったくらいだ。守護障壁だって授業で一度やった事がある程度で……こうして呪文を覚えていた事に安堵する。
「……うっ」
足元がふらつきかける。体力的にも、魔力量的にも限界が近い気がする。けど、もう少し! 今倒れる訳にはいかない。ぐっ、と足に力を込めながら両手を空にかざして魔力を注ぎ込む。地面から空へと向かって徐々に透明な膜の様なものが広がっていく。
「もう……すこ、し……」
あと少しで村全体に障壁がかかりそうになった時突然空に閃光が走り、目の前が真っ白に光った。耐えきれないほどの眩しさに思わず目を瞑る。
――ドンッ!
激しい音と同時に地面が揺れた。
「…………っ!?」
それは一瞬の出来事だった。暫く意識を失っていたのかもしれない。気が付くと、わたしの身体は地面へと投げ出されていた。力の入らない足を支えながらなんとか立ち上がり、目の前の光景を見て絶句する。至る所に村人たちが倒れており、誰一人立っている者は居なかった。
「ろ、ロブ殿下は!?」
慌ててロブ殿下の姿を探すと、少し離れた所に倒れている姿が見えた。その横には同じ様に倒れたままのブラッドの姿もある。
「殿下っ! ブラッドさん!」
駆け寄って声を掛けるものの、二人とも微動だにしない。手を取って脈を探すと、ゆっくりではあるが脈打ってはいる。周りの村人の様子も見に行き、皆同じ様に息はしているが意識がない様だ。とにかく、皆……生きてはいる。
「そうだ、障壁!」
慌てて空を確認すると、先ほど作り上げていた守護障壁がほんの小さな穴を開けたまま中途半端な状態で残っていた。
「……ぐぅっ」
クラクラする頭を誤魔化しながら、障壁の穴を埋めていく。こんなに魔力を使ったのは初めてかもしれない。なんとか無事に穴を塞ぎ守護障壁を完成させると、わたしは脱力してその場で仰向けに倒れた。奇声をあげながら何回も村の上を飛び回り、そして諦めたのか大きく一声叫んだ後森の奥へと飛んで行くワイバーンの姿を寝転んだまま見送る。
「はぁっ……はあっ…………」
肩で息をしながら暫くそのまま呼吸を整える。
「……っ」
苦痛に顔を歪めながらロブ殿下の元へと這う様にして進む。わたしの指先が、ロブ殿下の指先へと触れようとした瞬間――――何処からか声がした。
『そなたの魔力量は、人を一人治癒する分だけしか残っておらぬ。さぁ、そなたは誰に使う?』
「……え」
直接頭の中に語りかける様にして聞こえて来たその声に、わたしはその場で動きを止めた。助けられるのは誰か一人だけ……?
『そこに居る、そなたの愛する男。そしてこの国の次期国王を助けるか』
『母親思いの心優しい幼い少女に将来を与えてやるか』
『それとも愛する男の護衛騎士、或いは他の村人の誰かでも構わぬし』
『……そなた自身を助けても構わぬぞ』
提示された選択は究極のものだった。誰かの命を選べば、他の命は捨てる事になる……そして、その誰を選んだとしてもきっと、選ばれた者とわたし自身は一生降ろす事の出来ない後悔の念を背負う。こんな状況を作り上げて選択をさせるだなんて、酷い試練だ。
「そう……こんな悲しい試練をロブ殿下はあの時、受けておられたのね」
クリス殿下が自分にはとても耐えられない試練だと話していた。それを十歳という年齢で受けたロブ殿下。こんな試練を乗り越えられたのなら、急に大人びた様に見えたのも頷ける。
『さぁ、アリエッタよ。そなたの答えを聞かせるのだ』
「……わたしが……選ぶのは、これよ」
身体中の魔力を絞り集め、村全体を覆うように治癒魔法を降り注ぐ。ロブ殿下たちも、村人たちにも、そしてトロールたちへも……淡い光がその身体を包む。それを視界の端で捉えながら、わたしは意識を手放した。
◆◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◆
気が付くとわたしの身体は横たわったまま、ただフワフワと何も無い真っ白な空間を漂っていた。無重力空間なのか、まさに宙に浮いている。
あぁ、魔力を使い切ってしまったみたい。身体がとても重くて指ひとつ動かせない。うっすらと瞼を開ける事くらいしか出来ずに、ただただ浮いている。
『試練は終了した』
「……良かった。もう何も力残ってないわ」
気だるくて唇すら動かせないけれど、頭の中で考えるだけで会話が出来ている様だ。
『何故あの選択をした』
「誰の犠牲も出したくなかったからよ」
『ほう……この先そなたは王妃となるのだろう。何を置いても時期国王を助けるべきだとは思わなかったのか。あの男を愛しているのだろう』
「ええ、だからこそよ。あの方は、自分だけが助かる事を望みはしない」
それをしたなら、きっとロブ殿下はお心を痛めてしまうだろう。王族は国の頂点に立ってはいるが、神ではない。何が何でも優先される存在ではない。
『では、幼き少女に未来をとの選択は何故しない』
「それこそ、あの子を追い詰めてしまうわ」
『だから全てを助けようとしたと。……偽善だな』
「そうでしょうね。でも、この空間でだけなら、それも許されるのではなくて?」
そう。王太子妃の試練の為の仮想空間。現実ではない世界でなら、自分の思う通りの選択くらいしても良いとわたしは思う。
『何故、別の空間だと思った?』
「だって、殿下があんなタイミングで、騎士も引き連れずに来る筈がないもの」
何処からトロールの大群に襲われているだなんて情報を得たのか、例え試練の手伝いをしに来たと言われてもそれこそおかしい。誰も試練の手伝いなんて出来ないし、してはいけない事だ。
「でも、それでも殿下が倒れてる姿を見るのは苦しかった。村の皆が傷付くのも現実と同じくらい辛かったわ」
『……そうか』
あの村で起こった出来事は現実と同じ様に感じたし、魔物に感じた恐怖心も本物だった。辛くて、悲しくて、苦しかった。
『試練の結果は目覚めてから聞くと良い』
「分かったわ」
『……最後に、何故トロールまで治療をした?』
「村を襲ったのはトロールの本当の意思じゃないと思ったから。正気を失っていたみたいだしね」
『なるほど……そなたは実に面白いな』
「……あなたは、悪趣味ね」
『ふっ、はははははは。そうだな、仕事とはいえ私もそう思うよ』
楽しそうに笑う声を聞きながら、わたしの意識は再びゆっくりと落ちていった。
村人たちの間にざわめきが広がる。トロールが押し寄せてきた元凶であるワイバーンがここまでやって来てしまった。トロール一体だけでも闘う術を持たない人間からしたら恐怖の対象でしかないのに、そのトロールの大群が先程は押し寄せて来て……村もあちこち破壊されて壊滅状態だ。
その上、今……頭上にはドラゴンに似た身体を持つ黄金色のワイバーンがグルグルと村の上を旋回している。前足部分がコウモリの様に翼を兼ねており、長い尾は毒を持つと言われている。
「……厄介な事になったな」
「ロブ殿下……」
いつの間にかロブ殿下がわたしの横に立ち、同じ様に空を見上げていた。トロールの討伐は無事に済んだ様だ。
「殿下、どうしますか」
ブラッドがロブ殿下の傍へ駆け寄り、指示を仰ぐ。ロブ殿下は眉間にシワを寄せて、空を飛行する魔物の姿を目で追う。
「アレはサンダーワイバーンだな。下手に逃げると上から攻撃されかねない……」
この世界のワイバーンは炎、氷、雷の三種類が存在しており、口からそれぞれの属性攻撃を仕掛けてくる。その一攻撃で村の一つや二つなど、一瞬で消し飛ばしてしまう程の威力だと聞く。
「とにかく、村を守護障壁で囲むぞ。そしてワイバーンを巣へ返す」
守護障壁は一時的なバリアーみたいなもので、外からの物理・魔法攻撃を一定の衝撃まで防いでくれる。聖女の使う結界とはまた別のもので結界ほどの威力はないが、冒険者の中では使える者も珍しくはない。ただ、術者の魔力量と敵の攻撃力によってどれほど効果が現れるかは変わってくる。
ロブ殿下たちと三人で向かい合って守護障壁の呪文を唱える。正直、魔法はロブ殿下たちと違って得意じゃない。冒険者でなく、料理の仕事をしようと思ったくらいだ。守護障壁だって授業で一度やった事がある程度で……こうして呪文を覚えていた事に安堵する。
「……うっ」
足元がふらつきかける。体力的にも、魔力量的にも限界が近い気がする。けど、もう少し! 今倒れる訳にはいかない。ぐっ、と足に力を込めながら両手を空にかざして魔力を注ぎ込む。地面から空へと向かって徐々に透明な膜の様なものが広がっていく。
「もう……すこ、し……」
あと少しで村全体に障壁がかかりそうになった時突然空に閃光が走り、目の前が真っ白に光った。耐えきれないほどの眩しさに思わず目を瞑る。
――ドンッ!
激しい音と同時に地面が揺れた。
「…………っ!?」
それは一瞬の出来事だった。暫く意識を失っていたのかもしれない。気が付くと、わたしの身体は地面へと投げ出されていた。力の入らない足を支えながらなんとか立ち上がり、目の前の光景を見て絶句する。至る所に村人たちが倒れており、誰一人立っている者は居なかった。
「ろ、ロブ殿下は!?」
慌ててロブ殿下の姿を探すと、少し離れた所に倒れている姿が見えた。その横には同じ様に倒れたままのブラッドの姿もある。
「殿下っ! ブラッドさん!」
駆け寄って声を掛けるものの、二人とも微動だにしない。手を取って脈を探すと、ゆっくりではあるが脈打ってはいる。周りの村人の様子も見に行き、皆同じ様に息はしているが意識がない様だ。とにかく、皆……生きてはいる。
「そうだ、障壁!」
慌てて空を確認すると、先ほど作り上げていた守護障壁がほんの小さな穴を開けたまま中途半端な状態で残っていた。
「……ぐぅっ」
クラクラする頭を誤魔化しながら、障壁の穴を埋めていく。こんなに魔力を使ったのは初めてかもしれない。なんとか無事に穴を塞ぎ守護障壁を完成させると、わたしは脱力してその場で仰向けに倒れた。奇声をあげながら何回も村の上を飛び回り、そして諦めたのか大きく一声叫んだ後森の奥へと飛んで行くワイバーンの姿を寝転んだまま見送る。
「はぁっ……はあっ…………」
肩で息をしながら暫くそのまま呼吸を整える。
「……っ」
苦痛に顔を歪めながらロブ殿下の元へと這う様にして進む。わたしの指先が、ロブ殿下の指先へと触れようとした瞬間――――何処からか声がした。
『そなたの魔力量は、人を一人治癒する分だけしか残っておらぬ。さぁ、そなたは誰に使う?』
「……え」
直接頭の中に語りかける様にして聞こえて来たその声に、わたしはその場で動きを止めた。助けられるのは誰か一人だけ……?
『そこに居る、そなたの愛する男。そしてこの国の次期国王を助けるか』
『母親思いの心優しい幼い少女に将来を与えてやるか』
『それとも愛する男の護衛騎士、或いは他の村人の誰かでも構わぬし』
『……そなた自身を助けても構わぬぞ』
提示された選択は究極のものだった。誰かの命を選べば、他の命は捨てる事になる……そして、その誰を選んだとしてもきっと、選ばれた者とわたし自身は一生降ろす事の出来ない後悔の念を背負う。こんな状況を作り上げて選択をさせるだなんて、酷い試練だ。
「そう……こんな悲しい試練をロブ殿下はあの時、受けておられたのね」
クリス殿下が自分にはとても耐えられない試練だと話していた。それを十歳という年齢で受けたロブ殿下。こんな試練を乗り越えられたのなら、急に大人びた様に見えたのも頷ける。
『さぁ、アリエッタよ。そなたの答えを聞かせるのだ』
「……わたしが……選ぶのは、これよ」
身体中の魔力を絞り集め、村全体を覆うように治癒魔法を降り注ぐ。ロブ殿下たちも、村人たちにも、そしてトロールたちへも……淡い光がその身体を包む。それを視界の端で捉えながら、わたしは意識を手放した。
◆◇◇◇ ◇◇◇◇ ◇◇◇◆
気が付くとわたしの身体は横たわったまま、ただフワフワと何も無い真っ白な空間を漂っていた。無重力空間なのか、まさに宙に浮いている。
あぁ、魔力を使い切ってしまったみたい。身体がとても重くて指ひとつ動かせない。うっすらと瞼を開ける事くらいしか出来ずに、ただただ浮いている。
『試練は終了した』
「……良かった。もう何も力残ってないわ」
気だるくて唇すら動かせないけれど、頭の中で考えるだけで会話が出来ている様だ。
『何故あの選択をした』
「誰の犠牲も出したくなかったからよ」
『ほう……この先そなたは王妃となるのだろう。何を置いても時期国王を助けるべきだとは思わなかったのか。あの男を愛しているのだろう』
「ええ、だからこそよ。あの方は、自分だけが助かる事を望みはしない」
それをしたなら、きっとロブ殿下はお心を痛めてしまうだろう。王族は国の頂点に立ってはいるが、神ではない。何が何でも優先される存在ではない。
『では、幼き少女に未来をとの選択は何故しない』
「それこそ、あの子を追い詰めてしまうわ」
『だから全てを助けようとしたと。……偽善だな』
「そうでしょうね。でも、この空間でだけなら、それも許されるのではなくて?」
そう。王太子妃の試練の為の仮想空間。現実ではない世界でなら、自分の思う通りの選択くらいしても良いとわたしは思う。
『何故、別の空間だと思った?』
「だって、殿下があんなタイミングで、騎士も引き連れずに来る筈がないもの」
何処からトロールの大群に襲われているだなんて情報を得たのか、例え試練の手伝いをしに来たと言われてもそれこそおかしい。誰も試練の手伝いなんて出来ないし、してはいけない事だ。
「でも、それでも殿下が倒れてる姿を見るのは苦しかった。村の皆が傷付くのも現実と同じくらい辛かったわ」
『……そうか』
あの村で起こった出来事は現実と同じ様に感じたし、魔物に感じた恐怖心も本物だった。辛くて、悲しくて、苦しかった。
『試練の結果は目覚めてから聞くと良い』
「分かったわ」
『……最後に、何故トロールまで治療をした?』
「村を襲ったのはトロールの本当の意思じゃないと思ったから。正気を失っていたみたいだしね」
『なるほど……そなたは実に面白いな』
「……あなたは、悪趣味ね」
『ふっ、はははははは。そうだな、仕事とはいえ私もそう思うよ』
楽しそうに笑う声を聞きながら、わたしの意識は再びゆっくりと落ちていった。
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