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8.繰り返すんでしょ?結局は
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「嫌なことや悲しいことの後には、嬉しいことや楽しいことがあるんだよ?」
そう優しく話し聞かせ、転んだ幼い私の傷の手当てをしてくれたのは誰だっけ。曖昧な記憶。
「ねえ。それじゃあ。嬉しいことや楽しいことの後には何があるの?」
幼い声を覆い隠すように傷はガーゼで包まれた。
「繰り返すんでしょ?嫌なことや悲しいことを、結局は」
過去の記憶に存在するはずのない制服姿の私が立ち尽くし、代わりに問い詰めようとしている。手当てをしてくれた大人は、幼い私から制服の私に目を向ける。
「自分で見てみるといい。現実を」
突然口を塞ふさがれたかのように、何も言うことができなかった。
嘘のような晴れ間。まだ濡れたままのアスファルトを駆ける足音。水滴が揺れ落ちるたたまれた傘。私服で通る正門。
この日の出来事は、すべてが偶然だった。
友達と学校の近くで待ち合わせしていた私は、約束時間前に教室に忘れ物を取りに行こうとしていた。
何も知らなかった。
何も。
部活動に勤いそしむ生徒が変わらぬ土曜日を過ごす体育館を横目に通り過ぎる。空気に馴染み響くのは、摩擦を起こすシューズや跳ねるボール、聞き取れない掛け声の嵐。
その空気に馴染まない声が、心を通して私の足を止めた。
女の人の声が透也先輩を呼んでいる気がしたの。
相手に気づかれないように、混濁した意識の中、近づく。
「まだみんな、来てないんだね」
日当たりが良い、クリーム色をした体育館の壁際に人の姿が二つ。
「ああ」
それは紛れもない透也先輩と、すれ違う度に感情のない視線を私に向ける女の人だった。彼女は、透也先輩がいつも一緒にいる五人組の中の一人。私はきっとこの人に良く思われていない。
「透也さあ……、この前のお祭り、彼女と行ったって言ってたでしょ?」
「ああ、うん。悠子ゆうこもみんなと行ったんだろ?」
実際に透也先輩がこの女の人と話すのを目にするのは初めてだ。私への話し方より、少しぶっきらぼうで肩の荷が下りているように感じた。
「うん。行ったよ、みんなと。……透也はもう、やっぱりそういうのには全部彼女と行くの?」
「そういうの?」
「だから、お祭りとか、花火とか」
「一緒だろ、お祭りも花火も」
透也先輩が少し笑って、私は少し胸が苦しくなった。
「うーん、だから!まぁ、私はさ、これからも透也と遊ぶ機会が減り続けるのかなーとふと思っただけ」
「別にちょっと減ったぐらいだろ。何?寂しいの?」
冗談っぽく笑う姿とは対照的に、その質問の返答に緊張が走り自分の心臓が一度大きく鳴るのを感じた。
「あ……あーあ、寂しいなー寂しいなー」
「嘘つけよなー」
「あーあー、寂しい寂しい。はぁ……どうしよう……」
女の人の声のトーンが落ちる。
「ほんとに寂しいや……」
それは嘘のような晴れ間に起こった一つの偶然。
「なぐさめてよ……。あきらめるから」
それは「好き」という言葉の存在しない告白。
瞳に宿る、秘めていた想い。
「寂しい」という気持ちを冗談でも口にしてしまったことによって生じた発露。
予想と違った成り行きに透也先輩は術がなく、目の前にいる彼女から発せられる感情を全て受け止めるしかないかのようだった。
透也先輩が自分を想ってくれる人に優しいのを、私は知っている。
まるで過去の自分を見ているようだった。中学校の卒業式の日、私に向けられた少し寂しそうな思いやりの込められた頬笑み。
彼は今その時と同じ表情で目の前にいる彼女の頭を、なでた。
優しさとは。思いやりとは。
嬉しいこと、楽しいこと。嫌なこと、悲しいこと。
繰り返すんでしょ?結局は。
私の瞳に映る二人の姿がすべての答えのような気がした。
もしかしたら、この二人には今までのようにこれからも何もないかもしれない。ただ、今日ここで少しでも心が通い合ってしまったという事実。それは私は知らないことになっているし、彼が私に伝えることはおそらくない。その事実を共有しながら、二人は何でもなかったかのように他の人々と共に時間を過ごす。二人は仲の良いグループの中の二人なんだから。
でも私は見てしまったの。
見なくてもいいものを、見てしまったの。
事実を受け止めて、希望を閉ざし、そこに自分を溶け込ませるの。
403号室のお姉さんのように。
そういうやり方で大人になったの。
今じゃもう昔の男の話を冗談に変えて、アルコールの混じったため息がつけるぐらいに。
そう優しく話し聞かせ、転んだ幼い私の傷の手当てをしてくれたのは誰だっけ。曖昧な記憶。
「ねえ。それじゃあ。嬉しいことや楽しいことの後には何があるの?」
幼い声を覆い隠すように傷はガーゼで包まれた。
「繰り返すんでしょ?嫌なことや悲しいことを、結局は」
過去の記憶に存在するはずのない制服姿の私が立ち尽くし、代わりに問い詰めようとしている。手当てをしてくれた大人は、幼い私から制服の私に目を向ける。
「自分で見てみるといい。現実を」
突然口を塞ふさがれたかのように、何も言うことができなかった。
嘘のような晴れ間。まだ濡れたままのアスファルトを駆ける足音。水滴が揺れ落ちるたたまれた傘。私服で通る正門。
この日の出来事は、すべてが偶然だった。
友達と学校の近くで待ち合わせしていた私は、約束時間前に教室に忘れ物を取りに行こうとしていた。
何も知らなかった。
何も。
部活動に勤いそしむ生徒が変わらぬ土曜日を過ごす体育館を横目に通り過ぎる。空気に馴染み響くのは、摩擦を起こすシューズや跳ねるボール、聞き取れない掛け声の嵐。
その空気に馴染まない声が、心を通して私の足を止めた。
女の人の声が透也先輩を呼んでいる気がしたの。
相手に気づかれないように、混濁した意識の中、近づく。
「まだみんな、来てないんだね」
日当たりが良い、クリーム色をした体育館の壁際に人の姿が二つ。
「ああ」
それは紛れもない透也先輩と、すれ違う度に感情のない視線を私に向ける女の人だった。彼女は、透也先輩がいつも一緒にいる五人組の中の一人。私はきっとこの人に良く思われていない。
「透也さあ……、この前のお祭り、彼女と行ったって言ってたでしょ?」
「ああ、うん。悠子ゆうこもみんなと行ったんだろ?」
実際に透也先輩がこの女の人と話すのを目にするのは初めてだ。私への話し方より、少しぶっきらぼうで肩の荷が下りているように感じた。
「うん。行ったよ、みんなと。……透也はもう、やっぱりそういうのには全部彼女と行くの?」
「そういうの?」
「だから、お祭りとか、花火とか」
「一緒だろ、お祭りも花火も」
透也先輩が少し笑って、私は少し胸が苦しくなった。
「うーん、だから!まぁ、私はさ、これからも透也と遊ぶ機会が減り続けるのかなーとふと思っただけ」
「別にちょっと減ったぐらいだろ。何?寂しいの?」
冗談っぽく笑う姿とは対照的に、その質問の返答に緊張が走り自分の心臓が一度大きく鳴るのを感じた。
「あ……あーあ、寂しいなー寂しいなー」
「嘘つけよなー」
「あーあー、寂しい寂しい。はぁ……どうしよう……」
女の人の声のトーンが落ちる。
「ほんとに寂しいや……」
それは嘘のような晴れ間に起こった一つの偶然。
「なぐさめてよ……。あきらめるから」
それは「好き」という言葉の存在しない告白。
瞳に宿る、秘めていた想い。
「寂しい」という気持ちを冗談でも口にしてしまったことによって生じた発露。
予想と違った成り行きに透也先輩は術がなく、目の前にいる彼女から発せられる感情を全て受け止めるしかないかのようだった。
透也先輩が自分を想ってくれる人に優しいのを、私は知っている。
まるで過去の自分を見ているようだった。中学校の卒業式の日、私に向けられた少し寂しそうな思いやりの込められた頬笑み。
彼は今その時と同じ表情で目の前にいる彼女の頭を、なでた。
優しさとは。思いやりとは。
嬉しいこと、楽しいこと。嫌なこと、悲しいこと。
繰り返すんでしょ?結局は。
私の瞳に映る二人の姿がすべての答えのような気がした。
もしかしたら、この二人には今までのようにこれからも何もないかもしれない。ただ、今日ここで少しでも心が通い合ってしまったという事実。それは私は知らないことになっているし、彼が私に伝えることはおそらくない。その事実を共有しながら、二人は何でもなかったかのように他の人々と共に時間を過ごす。二人は仲の良いグループの中の二人なんだから。
でも私は見てしまったの。
見なくてもいいものを、見てしまったの。
事実を受け止めて、希望を閉ざし、そこに自分を溶け込ませるの。
403号室のお姉さんのように。
そういうやり方で大人になったの。
今じゃもう昔の男の話を冗談に変えて、アルコールの混じったため息がつけるぐらいに。
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