注ぐは、水と

小春佳代

文字の大きさ
上 下
5 / 8

しおりを挟む
ボストンバッグを手渡すたび、心が潤いを取り戻しているような心地になった。

バッグの取っ手を通して繋がる、寒さに悴かじかむお互いの手。いつしか取っ手を介さずとも繋がるようになったのは、春の陽気のせいだったかもしれない。

私は幸せだった。

4月から私たちは高校三年生なりの責務を負いながらも、二人で過ごす時間を大切に扱った。

しとしと雨が降り続いても、暑さに身が焦げそうになっても、木枯らしが吹き荒れても、手は繋がれたまま。

見上げると雪の結晶がこの地に向かって舞い落ち、責務が全うされ得る時期に差し掛かっていた。

会いたくて、会いたくて、雪解け道を走り出す。

いつもは駅で待っている身だけど、今日ばかりは私から向かって行くの。

前方から彼の姿が見えた時、私の足元に大きな水たまりが現れて、カエルのように思いっきり跳んだ。

「見て、見て」

ぴょんぴょん跳ねるような気持ちで、歩いて来る彼に白い紙をかざす。

「受かった、受かった」

待ち合わせを約束したメールの雰囲気から、すでに良い知らせだということは気づかれていただろう。それでも会って伝えたかった。

「おめでとう」

彼は微笑んだ。

もう歩みを止めて目の前にいる彼に、想いをぶつける。

「私、やっと自立できる道が見えてきた気がするのっ」

彼は石像のように微笑みを湛たたえている。

「こうなったら、幼稚園の先生に向かってまっしぐらだよっ」

考えたこともなかった。

「それにね、お父さんが、大学生になったら一人暮らししていいって」

彼が私といた理由。

「そうだ、今まで支えてくれたお返しに料理いっぱい作るね」

だって彼は。

「ずっと誰かの世話になりっぱなしだったけど」

居場所のないおたまじゃくしに慈悲深く水を注ぐ行為が好きで。

「もう、自分でどうにかできるから」

どこにでも行けるカエルには興味がないんだから。
しおりを挟む

処理中です...