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第五十四話 失われた記憶

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「き、記憶……!?」
「過去のことを色々と覚えていられると、国としては都合が悪い。自分達の非人道的な行いの漏洩はもちろん、国を恨んで反乱でも起こされたら、対処が面倒になる。だから、そうならないように、都合の悪い記憶を消したんだ。全てを消したら不自然に思われるから、邪魔になりそうな記憶だけだがな」

 だから、私がいくら思い出そうと思っても、思い出せなかったのですね……完全に消されているなら、思い出しようがありませんもの……。

 私の大切な家族、故郷、愛する人……忘れたいようなつらい記憶もありますが、幼い頃のかけがえのない記憶は、やはり失いたくありませんでした……。

「だから、あんたが過去を思い出せないのも仕方がないんだ。思い出したくても、既に頭の中から消されてしまっているのだからな。だから……思い出せないからといって、自分を責める必要は無いよ」
「聖女様……」

 確かに仕方がないことなのかもしれない。でも……お母様のことや故郷のこと、そしてレナード様との幼い頃の大切な思い出を思い出せないのは悲しいですし、皆様に申し訳なく思ってしまいます。

「私の記憶を消すくらいですから、レナード様の故郷での爆発の後、レナード様を執拗に追いかけていたのは、自分達の非人道的な研究の漏洩を防ぐためということですか?」
「ご名答。レナードはクラージュ家に引き取られた後、家長のジェラールが国に交渉を持ち掛けた。レナードには絶対に今回の件は話させないし、国のやり方に口を出さないから、レナードには手を出すなとね。その条件は飲まれたから、彼は今も生活できているんだ」
「そんな交渉が、通るのでしょうか……?」
「普通なら突っぱねられるかもしれないが、断ったらジェラールになにをされるかわからない。なにせ彼は……あのアレクシアの弟子だからね」

 ……ジェラール様なら、レナード様を守るためなら、国と戦うことくらい、ためらいなくやりそうです。私がわかるのですから、国がそんな危険を冒すなんてことはしないでしょう。

「まあ、元々クラージュ家と国は仲が悪いが、お互いに力があるのも知っているからな」

 それがわかってたら、喧嘩なんてしたくないですよね。私でも絶対に回避すると思います。

「まーた話が逸れちまった。どこまで話したっけ……そうそう、記憶の事な。奴らはサーシャの記憶を消そうとしたが、随分と難航したようだ。君の母に対する想いや、聖女に対する想い、そしてレナードへの想いが強くて、中々消せなかった。そこで上層部が考えた結果、聖女への想いは利用できると考えた。どれだけ酷使しても、聖女としての想いがあれば逃げたりしないだろうとね。代わりに、母や故郷、そしてレナードといった記憶を消すことに全力を注いだんだ」

 彼女は淡々と説明をしながら、私に新しいコーヒーを用意してくれました。それを口にすると、すっきりとした苦みが私を優しく癒してくれました。

 その消された記憶の中には、おそらく私の誕生日のことも含まれていたのでしょう。だから、レナード様の誕生日と同じということも、思い出せなかったのですね。

「部分的な消去だというのに、時間は相当かかった。それどころか、サーシャがレナードと交わした誓いは、部分的にしか消去できなかったがな」

 それって、聖女として立派になり、一人でも多くの人を助けるというものと、レナード様と再会して結婚するって誓いのことですわね。確かに後々のことを考えると、後者の誓いを消しておいた方が、面倒事は少なさそうですわ。

 ……私からしたら、たまった話ではありませんけど。

「とりあえず問題無しと判断され、サーシャはメルヴェイ家へと向かった。教会に残ったルナも成長し、同じ様に記憶の消去を行おうとしたが……一つ問題が起きた。ルナの記憶の消去が何度やってもうまくいかなかったんだ」
「どうしてですか?」
「ルナの境遇も酷いものでね。ルナの両親は元々、国の実験に協力する一族だったんだが、ルナが生まれて間もなく、実験の失敗の責任を取らされて、その座と財産を奪われた。両親は堕落し、酒とギャンブルに溺れ、幼いルナを虐待したんだ。散々虐待され、挙句の果てに借金の肩代わりとして、ルナを実験体として売ったんだ」

 ……ルナのことは好きではありませんでしたが、それは少々気の毒といいますか、可哀想ですわね……そんな悲しい過去が無ければ、私達はもっと仲のいい義姉妹になれたかもしれないのに。

「そんな環境でまともに育つはずもなく……ルナの心は歪み、他人を憎み、自分が幸せになれればいいという、どす黒い感情に支配された。その強すぎる感情が、ルナから記憶を奪うことを不可能にしたんだ」

 それほど、ルナの感情は強すぎたということですね……いったいどれだけつらい思いをしたのでしょうか……?

「……少し思ったのですが、ルナはそんな心の状態なのに、聖女になれたのですか?」
「本来なら無理なんだが、元々聖女の才能自体は高かったルナに、実験で無理やり力に目覚めさせたのが要因のようだ。あたしも正直ビックリしたぜ」

 聖女様にとっても予想外のことですのね。聖女とは、心が清らかな方じゃないとなれないのに、どうしてルナが魔法を使役できるのか、ずっと気になっておりましたの。

「記憶を消せないなら、あまりにも危険だと判断した国は、ルナを廃棄しようとしたが……その前に、ルナは交渉を持ち掛けた。自分は全面的に聖女として仕事するし、情報は一切漏らさない。代わりに自分がメルヴェイ家に行く暁には、サーシャの座を自分に渡すことと、自分のことを誰よりも溺愛することを要求した」

 溺愛……そうか、ルナはつらかった境遇のせいで、愛情に異様に飢えていたのね。だから、お義父様に愛してもらい、元婚約者のエドワード様に愛してもらうようにしていたのね。

 その純粋な気持ちが、ルナを歪な聖女として成り立たせているものなのかしら……?

「元々、サーシャはあたしの魔力の影響で赤い目をしていたこともあって、できれば長く聖女の座に居座らせたくなかったから、国とメルヴェイ家が条件を呑むのは、さほど難しいことではなかったみたいだ。サーシャは高齢の聖女の後釜としての、繋ぎになればよかったからな。まあ、結果的にそれが、今の惨劇を生む結果になるとは知らずにね」
「どういうことですか?」
「いくら聖女の力が使えるからといって、そんな心の持ち主では、聖女の力の全てを引きだせていないってことさ。それがたとえ、本人がちゃんとやっていると思っていても」

 まさか、今各地で起こっている瘴気の問題は、それが原因だということですか? 驚きではございますが……これまでの話を聞いていると、辻褄が合いますわ。

「このままルナが国の聖女として活動を続けていたら、より酷い状況になるだろうね」
「なら、なおさら私の力を強めないといけないですわね」
「……そうだな。まああれだ、後はサーシャも知っている話になるな」
「貴重なお話をしていただき、ありがとうございます」

 本当に、言葉以上に基調はお話を聞けました。おかげで、私の失われた記憶のことや、他にも知らないことを色々と知れましたわ。

「では……私はそろそろ、魔法の修行に入りたいと思います」
「ああ、その必要は無いぜ。あたしはサーシャの枷と黒の魔力を取っ払っただけで、それ以外のことはしてないからな」
「……??」
「なんだ、わからないのか? 誰もレナードと同じ病気になってねーってことだ」
「えぇ!?」

 それはおかしいです! だって、私のこの力を手に入れる代償は、事前にお話されておりましたのに!

「悪かったな。どっちを選んだとしても、聖女の出す答えとしては間違いな問いをして、サーシャの覚悟を見たかった。結果、サーシャはあたしの望む……いや、それ以上の答えを出した」
「それ以上?」
「どれだけ長い時間をかけても、誰も苦しまない方法を模索する……まさか、そこまでの答えを出すとは思ってなかったのさ。まったく、あんたは大したやつだよ」

 彼女は身を乗り出し、私の頭を乱暴に撫でました。ちょっとだけ痛かったですが、そんなことは気にならないくらい、私の頭は混乱していました。

「そもそも、あたしは民を救い、守る聖女だぜ? 自ら民を危険に晒すような真似をするわけないだろ?」
「そ、それは確かに……では、本当に皆様は無事なのですか?」
「ああ」
「っ……!!」

 もうずっとレナード様とは会えないと思っていました。いくら覚悟をしたとは言え、それはとてもつらいものでした。

 でも、今すぐにでもレナード様に会える……そう思うと、嬉しくてまたしても涙が止まらなくなってしまいました。

「ほら、涙を拭いて。こんな所にいないで、早くレナードの元に帰ってやりな」
「あっ……」

 彼女は私の涙を拭ってから、パチンっと指を鳴らす。すると、私の足元に魔法陣が現れ、淡い赤色に光り始めました。

「上まで行ける転送魔法だ。本当はクラージュ家の屋敷に送ってやりたいが、あいにくあたしの今の魔力では難しくてね」
「いえ、十分ですわ……聖女様、本当に色々とありがとうございました。落ち着いたら、また改めてお礼に伺わせてください!」
「……ああ。楽しみにしてるぜ」

 どこか寂しげな笑顔を浮かべる聖女様の姿が、段々と見えなくなっていって……そのまま私は、意識を失いました――





「また、か……それが出来れば、どれだけよかったことか。あたしの導きが無けりゃ、絶対にここにはたどり着けねえしなぁ……ふぁぁ……さすがに疲れたぜ。無理に起きちまったから、次に目を覚ませるのは何千年先か……まあいいか。可愛い子孫を見れたんだし、満足満足……頑張れよ、サーシャ。あたしはここであんたを見守ってるよ」
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