上 下
92 / 115

第九十二話 母の願い

しおりを挟む
 夜空に浮かぶ月が、ほんの少しずつ傾き始めた頃、私は約束通り、お母さんの隣で横になっていた。

 確かにベッドはボロボロで小さいかもしれないけど、小さいってことは、お母さんにたくさんくっつけるってことでしょ? 逆にラッキーかもしれない。

「お母さん、寒くない?」
「ええ、大丈夫よ。エリンは? 寒いとかせまいとか」
「全然大丈夫! あ、やっぱりダメかも! だから、その……お母さんにくっついていい?」
「エリン、そんな回りくどい言い方をしなくてもいいのよ?」
「だって、なんかちょっと恥ずかしくて……」

 お母さんと一緒に寝られるのは、嬉しいんだよ? お母さんに甘えてみたいって、ずっと思ってたから。

 でも、なんだか気恥ずかしさもあるっていうか……なんて言えばいいか……自分でもよくわからない恥ずかしさがあるんだ。

「ねえエリン。お母さんを少し動かしてもらえないかしら?」
「えーっと、こんな感じ?」
「ええ、大丈夫。ありがとう」

 寝たままのお母さんを少しだけ動かした結果、私はお母さんの胸に顔をうずめるような形になった。私の背中には、お母さん手があって、優しく撫でてくれている。

 つまり、お母さんが私を優しく抱きしめてくれている形ってことね。

 これがお母さんの温もりなのね……ただ二人で布団に入っているだけなのに、こんなに心も体も暖かくなるなんて。

「そうだ、昔みたいに子守唄を歌ってあげましょうか?」
「もう、私はもう子供じゃないのよ?」
「私からしたら、あなたはずっと私の子供よ?」
「それはそうだけど……」
「ほら、そんなにむくれた顔をしないの。可愛い顔が台無しよ」

 子ども扱いされて、嬉しいような悲しいような……なんとも複雑な気分だわ。

 私はもう十九歳なんだから、子供じゃないのだけど、お母さんの中では、私が幼い頃のままで止まっているのかも?

「お母さん、元気になったら何かしたいことはある?」
「したいこと?」
「うんっ! せっかく病気が治ったんだから、したいことをたくさんしようよ!」
「それは、とても楽しそうね。そうねぇ……」

 お母さんは少しだけ何かを考えてから、フッと笑ってみせた。

 その表情は、確かに笑っているのだけど……どこか悲しそうに見えたのは、私の気のせいだろうか……?

「エリンとこうしておしゃべりすることかしら」
「そんなことでいいの?」
「お母さんにとっては、そんなことがとても楽しくて嬉しいことなのよ?」
「……そうだね。私もお母さんと同じ気持ちだよ。それじゃあ、今日は夜更かしして、たくさんお喋りしようよ」

 私はお母さんに、少し強めにギュッと抱きつくと、お母さんも少しだけ背中を撫でる手に力を入れてくれた。

「ええ、そうね。それじゃあ、最近の話を詳しく聞かせてもらえる? この前聞いたけど、もっと色々聞きたいわ。例えば、どうして薬屋さんの名前が、お母さんの名前なのかとかね」
「もちろん!」

 お母さんがそう望むなら、いくらでも話そう。話したいことは、この長い時間で積み上げられていて、いくら時間が合っても足りないもの。

「とはいっても、名前を決める時に、咄嗟に浮かんできた名前が、アトレだったんだ」
「そうだったの?」
「うん。私ね、連れていかれる時は幼かったから、故郷のことも、お母さんのこともほとんど覚えてなくて……だから、アトレって名前が出た時も、何なのかわからなかったんだ。きっと、お母さんとの繋がりを証明したくて、心の奥底に刻まれた名前が出てきたんだと思うんだ」

 今思うと、お母さんの名前を薬屋の名前にしてよかったなって思える。だって、オーウェン様とココちゃんだけじゃなくて、お母さんとも一緒に薬屋を営めたって思えるからね。


 ****


■オーウェン視点■

 エリンがアトレ殿を助けた日の深夜。モルガン殿の家に泊めてもらっていた俺は、エリンとアトレ殿の様子を見に、アトレ殿の家にやってきた。

 もう時間も遅いだろうから、チラッとだけ様子を見て帰ろうと考えていると、家の中から何か声が聞こえてきた。

「これは……歌か?」

 音を立てないようにして、家の中の様子を伺うと、ぼんやりと点いたランプの明かりの向こうで、エリンがアトレ殿に添い寝をしてもらいながら、子守唄を歌ってもらっていた。

 その光景と歌声は、どんな秀逸な物語や絵画でも表現しきれないほど美しい。俺のような部外者には、絶対に立ち入ることは出来ない、親子だけの空間だった。

「よかったな、エリン……」
「あら……?」
「あっ……」

 静かにその場を去ろうと思っていたのに、アトレ殿とバッチリと目が合ってしまった。

 俺としたことが、気づかれてしまうとはな……このまま帰るのはさすがに気が引ける。手短に謝罪をしてから帰るとしよう。

「オーウェンさん、こんばんは」
「こんばんは。アトレ殿、調子はいかがですか?」
「おかげさまで、だいぶ良くなりましたよ」
「それはなによりです。せっかくの親子水入らずのところを邪魔してしまい、申し訳ない」
「ふふっ、いいのよ。だって親子だというなら、あなただってそうでしょう?」

 いたずらっぽく笑うアトレ殿の言葉の意図をすぐに理解した俺は、照れ隠しで笑みを返すことしか出来なかった。

 俺には当然、彼女との血の繋がりは無い。なのに親子だというのなら……それは、エリンと結婚して、アトレ殿と義理の親子になるということなのだから。

「それに丁度良かったわ。あなたとゆっくり話をしたかったんです」
「そうでしたか。では、少しだけおじゃましてもよろしいですか?」
「ええ、よろこんで」

 近くにあったボロボロの椅子をベッドの近くに持っていくと、静かにその椅子に腰を降ろした。

 改めてエリンを見ると、今まで見たことがないくらい、穏やかで幸せそうな寝顔だった。ずっと故郷に帰り、母に会いたいと願い、その母を助けなくちゃいけないという重圧から解放されて、安心したのだろうな。

「エリン、よく眠ってますね」
「ええ。さっきまでとても楽しそうに話してたんですけど、疲れて眠っちゃいまして。この寝顔は昔から全然変わってないんですよ。本当に可愛くて……」
「とても愛らしい寝顔ですよね。普段も愛らしいですが、寝顔は特に愛らしい」
「あら、もうそこまでのご関係に?」
「そ、そういうわけでは……俺の妹を含めた三人で、同じ部屋で寝ているから知っているんです」
「うふふ、そんなに慌てなくても、冗談ですから」

 じょ、冗談だったのか……危うく変な誤解をされてしまうところだった。こんなことでエリンは嫁にあげないなんて言われたら、笑い話にもならない。

「それにしても……せっかくエリンが彼氏を連れてきたのに、何もおもてなしができなくて申し訳ないわ」
「こちらこそ、手土産の一つも持ってこなくて申し訳ない」
「手土産なら、持ってきてくれたじゃありませんか。最愛の娘との再会と、未来の息子との出会いという、最高の手土産を」
「なるほど。でしたら俺も、最愛の人の母上との出会いという、最高のおもてなしを受けました」
「では、互いに何の問題もありませんね。ふふっ」

 先程の笑顔を見た時も思ったが、エリンの母ということもあって、エリンの笑顔とよく似た、とても美しい笑みだ。

「オーウェンさん。遅くなりましたが、エリンをずっと支えてくださって、本当にありがとうございます」
「とんでもない。俺の方こそ、エリンには色々と支えてもらってますから」
「まあ、そうなんですか? 色々とエリンから話を聞いたんですが、本当にとてもよくしてもらったと伺ったものでして」

 ……エリンは一体、俺のことをどういうふうに話したんだ? 聞いてみたいような、聞きたくないような……。

「俺のしていることなんて、たかが知れてますよ。一緒に薬屋を開いてから得た成果は、全てエリンが頑張り続けたから得られたものです。今回も、エリンが諦めずに頑張ったからですしね」
「エリンの言った通り、謙虚な方なんですね」
「いえいえ。ちなみにですが……エリンはなんと?」
「そうですね……色々と話してくれましたけど……要点だけお伝えすると、強くてカッコいい貴族様で、優しくて、誠実で、家族想いで、それから――」
「も、もう結構です。あと、元貴族です」

 本当にエリンはどんな話をしたんだ!? さすがに色々と盛られすぎなような気がしてならないんだが!?

「世界で一番愛している人だと言ってました」
「…………」

 ……エリン、最後の最後で絶大な破壊力のある言葉を残したな。嬉しすぎて、顔がにやけるのを抑えられないんだが……こんな顔をアトレ殿に見られたら、少々恥ずかしい。

「ちょっとだけ嫉妬しちゃって、お母さんよりも? って聞いたら、お母さんも同じくらい愛してるって言ってて……我が子ながら、本当に可愛くて可愛くて。あの子が楽しそうに話しているのを見てると、本当に幸せなんです。親バカですよね」
「良いじゃありませんか。それほどエリンのことを愛しているということですから」

 こんなに愛してもらえる母に再会できたことを嬉しく思う反面、少々羨ましいな。俺も、もっと父上と母上に甘えておくべきだったかもしれない。

 ……なんてな。そんなことをしたら、騎士としてそんな甘えるなと叱られそうだ。

「ええ、世界で一番愛しています。この子を産んで……本当に良かった……ごほっ」
「大丈夫ですか? まだ病み上がりなのですから、あまりご無理はされない方がよろしいかと」
「そうですね。そろそろ休もうと思います。その前に……お願いがあるんです」
「なんでしょうか?」
「エリンのこと、これからも末永くよろしくお願いします。私の分まで、たくさん愛してください。私の分まで……一緒に幸せになってください」
「……はい。この剣とあなたに、エリンを愛し、幸せになると誓いましょう。では、また明日」
「おやすみなさい」

 俺は短く返事とお辞儀をしてから、エリンを起こさないように静かに家を後にした。

 短いお願いではあったが、そこにはアトレ殿のエリンに対する想いの全てが詰まっていた。純粋な母親としての愛情が、とても俺には眩しく見えた。

 だが、それと同時に……胸の奥に、言いようのない不安が渦巻いていた。

 どうしてアトレ殿は、あんな言い方をしたんだ? まるで……もう自分が俺やエリンと、二度と会えないような言い方を……。

 



「エリン……」
「すー……すー……」
「お母さんね、あなたが生まれてから、とっても幸せだった。あなたは、お母さんの宝物なの。だからね……」
「んぅ……?」
「お母さんの分まで、たくさんたくさん……幸せに、生きてね……愛しているわ、エリン」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。

友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」 貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。 「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」 耳を疑いそう聞き返すも、 「君も、その方が良いのだろう?」 苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。 全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。 絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。 だったのですが。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

【完結】薔薇の花をあなたに贈ります

彩華(あやはな)
恋愛
レティシアは階段から落ちた。 目を覚ますと、何かがおかしかった。それは婚約者である殿下を覚えていなかったのだ。 ロベルトは、レティシアとの婚約解消になり、聖女ミランダとの婚約することになる。 たが、それに違和感を抱くようになる。 ロベルト殿下視点がおもになります。 前作を多少引きずってはいますが、今回は暗くはないです!! 11話完結です。

王命を忘れた恋

須木 水夏
恋愛
『君はあの子よりも強いから』  そう言って貴方は私を見ることなく、この関係性を終わらせた。  強くいなければ、貴方のそばにいれなかったのに?貴方のそばにいる為に強くいたのに?  そんな痛む心を隠し。ユリアーナはただ静かに微笑むと、承知を告げた。

義妹ばかりを溺愛して何もかも奪ったので縁を切らせていただきます。今さら寄生なんて許しません!

ユウ
恋愛
10歳の頃から伯爵家の嫁になるべく厳しい花嫁修業を受け。 貴族院を卒業して伯爵夫人になるべく努力をしていたアリアだったが事あるごと実娘と比べられて来た。 実の娘に勝る者はないと、嫌味を言われ。 嫁でありながら使用人のような扱いに苦しみながらも嫁として口答えをすることなく耐えて来たが限界を感じていた最中、義妹が出戻って来た。 そして告げられたのは。 「娘が帰って来るからでていってくれないかしら」 理不尽な言葉を告げられ精神的なショックを受けながらも泣く泣く家を出ることになった。 …はずだったが。 「やった!自由だ!」 夫や舅は申し訳ない顔をしていたけど、正直我儘放題の姑に我儘で自分を見下してくる義妹と縁を切りたかったので同居解消を喜んでいた。 これで解放されると心の中で両手を上げて喜んだのだが… これまで尽くして来た嫁を放り出した姑を世間は良しとせず。 生活費の負担をしていたのは息子夫婦で使用人を雇う事もできず生活が困窮するのだった。 縁を切ったはずが… 「生活費を負担してちょうだい」 「可愛い妹の為でしょ?」 手のひらを返すのだった。

【完結】聖女が性格良いと誰が決めたの?

仲村 嘉高
ファンタジー
子供の頃から、出来の良い姉と可愛い妹ばかりを優遇していた両親。 そしてそれを当たり前だと、主人公を蔑んでいた姉と妹。 「出来の悪い妹で恥ずかしい」 「姉だと知られたくないから、外では声を掛けないで」 そう言ってましたよね? ある日、聖王国に神のお告げがあった。 この世界のどこかに聖女が誕生していたと。 「うちの娘のどちらかに違いない」 喜ぶ両親と姉妹。 しかし教会へ行くと、両親や姉妹の予想と違い、聖女だと選ばれたのは「出来損ない」の次女で……。 因果応報なお話(笑) 今回は、一人称です。

旦那様、離婚しましょう ~私は冒険者になるのでご心配なくっ~

榎夜
恋愛
私と旦那様は白い結婚だ。体の関係どころか手を繋ぐ事もしたことがない。 ある日突然、旦那の子供を身籠ったという女性に離婚を要求された。 別に構いませんが......じゃあ、冒険者にでもなろうかしら? ー全50話ー

追放された聖女の悠々自適な側室ライフ

白雪の雫
ファンタジー
「聖女ともあろう者が、嫉妬に狂って我が愛しのジュリエッタを虐めるとは!貴様の所業は畜生以外の何者でもない!お前との婚約を破棄した上で国外追放とする!!」 平民でありながらゴーストやレイスだけではなくリッチを一瞬で倒したり、どんな重傷も完治してしまうマルガレーテは、幼い頃に両親と引き離され聖女として教会に引き取られていた。 そんな彼女の魔力に目を付けた女教皇と国王夫妻はマルガレーテを国に縛り付ける為、王太子であるレオナルドの婚約者に据えて、「お妃教育をこなせ」「愚民どもより我等の病を治療しろ」「瘴気を祓え」「不死王を倒せ」という風にマルガレーテをこき使っていた。 そんなある日、レオナルドは居並ぶ貴族達の前で公爵令嬢のジュリエッタ(バスト100cm以上の爆乳・KかLカップ)を妃に迎え、マルガレーテに国外追放という死刑に等しい宣言をしてしまう。 「王太子殿下の仰せに従います」 (やっと・・・アホ共から解放される。私がやっていた事が若作りのヒステリー婆・・・ではなく女教皇と何の力もない修道女共に出来る訳ないのにね~。まぁ、この国がどうなってしまっても私には関係ないからどうでもいいや) 表面は淑女の仮面を被ってレオナルドの宣言を受け入れたマルガレーテは、さっさと国を出て行く。 今までの鬱憤を晴らすかのように、着の身着のままの旅をしているマルガレーテは、故郷である幻惑の樹海へと戻っている途中で【宮女狩り】というものに遭遇してしまい、大国の後宮へと入れられてしまった。 マルガレーテが悠々自適な側室ライフを楽しんでいる頃 聖女がいなくなった王国と教会は滅亡への道を辿っていた。

処理中です...