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第三話 全力逃走

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『それでは……これにて契約を完了致します』
『ええ』

 これは何の会話でしょうか? 何か契約したみたいですが、今のだけでは、契約の内容がわかりませんわ。

『しかし、おたくの娘様をこんな安い値段で我々奴隷商人に売ってよろしいので?』
「う、売るですって……?」
『構わないわ。むしろ私には、あんな子に価値があるとは思えないくらいだわ』
『顔は大変美しいですし、小柄で貧相な体を好む人もいますからね。それで、受け渡しは?』
『実は婚約破棄と追放をさせる予定で、次の日には城を追い出す予定なの。だから、追放する日に迎えと装ってちょうだい。途中でバレると面倒だから気をつけるように』

 その言葉を最後に、蓄音石からは何も聞こえなくなった。

 ……衝撃が大きすぎて、言葉になりませんわ。確かに明日連れていかれる所については、何も聞かされておりませんでしたが、まさか奴隷商人に私を売るだなんて!

「そんなの、冗談じゃありませんわ……絶対に逃げないと!」

 しかし、逃げると言っても今行動を起こしたところで、兵士に捕まってしまうでしょう。そうなるくらいなら、明日の護送中に逃げ出すのが得策と思われるわ。

「そうと決まれば、少しでも体調が良くなるように、早めに寝ておきましょう。モコ、おいで」
「ワンッ」

 モコは器用にジャンプをすると、私のベッドの中に潜り込みました。

 ベッドが少々毛だらけになってしまうという欠点はありますが、モコと一緒に寝るとポカポカして、凄く安心しますの。私の数少ない癒しですわ。

 そう、癒し。だからいつもはすぐに眠りにつけるのですが……今日は全然眠れません。それどころか、目を閉じると悲しみと悔しさと不安が胸を支配して……結局私は殆ど寝られず、ただ小さな嗚咽を漏らす事しかできませんでしたわ。


 ****


 翌朝、私は迎えに来た馬車の荷台に入れられて、何処かへと向けて出発しました。

 窓の外が見えませんが、きっと私を奴隷商人から買った人物の所か、はたまた奴隷商人の本拠地に向かっているのでしょう……。

 どちらにしても、今が好機ですわね。私が逃げると思っていないのか、荷台には見張りはいませんし、出発してからの時間から考えて、今はグロース国の周りにある、大森林の中でしょう。森の中に紛れてしまえば、追ってから逃げ切れそうです。

 ただ一つ、懸念点がありますの。もしかしたら、既に国境を超えてしまっているかもしれません。そうなった場合、不正入国になってしまうかもしれませんが……そうでない事を祈りましょう。

「モコ、行きますわよ。ジッとしておりますのよ」
「ワフッ」

 私はモコを抱っこすると、そのまま馬車の荷台から飛び降りて走り出しました。

 降りた所は、予想通り森の中。予定通り、この森の中に入ってさえしまえば、追っ手を撒く事が出来るでしょう。

 ですが、良い事があれば悪い事もありますわ。私が逃げたのにすぐに気づいた追っ手が、私の事を追いかけてきたんですの。

 思った以上に見つかるのが早いですわ……もしかしたら、見張りはつけていなかったけど、脱走を感知する術があったのかもしれません。

 いえ、今はそんなのはどうでもいい事ですわね。早くこの場から逃げて隠れないといけない。それなのに……体が弱っている事、元々運動が得意ではない事、ドレスを着ているせいで走りにくい事……様々な要因が重なって、すぐに体力が尽きかけてしまいました。

「ぜぇ……ぜぇ……ごほっごほっ……」
「…………」
「大丈夫よ、絶対に逃げて……」

 私を心配そうに見つめるモコに気丈に振る舞ってみせますが、すぐに力尽きてしまった私は、その場に座り込んでしまいました。それどころか、強く咳をしてしまったせいで、地面を赤く染めてしまいましたわ。

「もう、足が……でもこの子だけは……モコ、私を置いて逃げなさい」
「くぅん……」
「私は……大丈夫だから。いきなりこんな森に放り出す事しか出来ない私を……許さなくていいわ。だから……早く私を忘れて、幸せに……」
「……っ!! ワンッ!!」

 物わかりが良くて賢いモコは、すぐに森の奥へと走っていきました。

 これで……あの子は大丈夫だわ。まさか奴隷商人が、この森の中に犬一匹を探しに行くほど暇ではないはず。このまま私が捕まって、それでおしまい。

 本音を言うと……悔いしか残っておりません。お義母様とコルエの良いようにされてしまいましたし、私がもっと早く思惑に気づいていれば、モコをこんな森に逃がす事にはならなかったでしょう。

「見つけたぜ! さあ、大人しく捕まってもらうぞ! お前は大切な商品だからな!」
「随分と早い到着ですこと。ですが……そんな簡単に捕まるとお思いで!?」

 私はモコが向かった方向の逆に向かって走り出すが、一分もしないうちに木の根っこに足を引っかけて、無様に転んでしまいました。

 もう体に力が入りません。完全に体力が限界を迎えてしまったようです……。

「ほらさっさと立て! グズグズするな!」
「いたっ……乱暴に引っ張らないでくださいませ!」
「一々口答えするな!」

 私の腕を引っ張りながら、もう片方の手で私に殴りかかろうとしましたが、茂みから出てきた白い毛玉のようなものが、彼の腕に噛みつきました。そのおかげで、私は彼の拘束から逃れる事ができましたわ。

「え……モコ!? どうして……早く逃げなさ……ゴホッ!」
「ガルルルル……」
「このクソ犬が! ぶっ殺してやる!」
「おやめなさい! 私は行くから……その子には手を出さないで!」
「うるせぇ! クソ生意気な飼い主とペットには、躾が必要なんだよ!」
「きゃあ!」

 私を近くの木に向かって蹴り飛ばすと、奴隷商人はモコに噛みつかれている腕を大きく振り上げました。

 このままではモコが……助けなければいけないのに、体が動かない。お願い……誰でもいいから……私の事なんてどうでもいいから……あの子を助けて……!

「なるほど、なにかと思って来てみれば……随分と物騒な事になっているようだね」
「な、誰だおま――」

 私の願いが、天に届いたのでしょうか? モコの来た方角から、一人の男性がやってくると、持っていた剣で奴隷商人をあっという間に倒してしまいましたわ。

 剣や鎧を着ているのを見るに、騎士様でしょうが……彼は何者なんでしょう? それに、どうして私を助けてくれたんですの?
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