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復讐の黒き花嫁

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「リーフ、突然の事で驚くだろうが……僕は君との婚約を破棄する事にした」
「……え?」

 愛する人からの突然の婚約破棄の申し出。それは私——リーフ・プルームから考える力をごっそりと奪っていった。

 私は目の前の愛する人である、クリス・メレディス様と式場をどこに決めるかの相談をしに、メレディス家のお屋敷にある彼の部屋にやって来たはずだ。

 なのに……どうして私は婚約破棄を言い渡されているのだろうか?

「どうして? 今までそんな素振りは一度も見せて来なかったあなたが……優しいあなたがどうしてそんな酷い事を言うのですか?」
「……君がそう思っていただけだ。僕は優しい人間じゃない」

 冷たく突き放すような言葉を言う彼の目は、私の知っている目じゃなかった。今までの暖かくて、見ていて安心するような目はどこにもなく、とても冷たい目だった。

「じゃ、じゃあ質問を変えます。どうして婚約破棄をするのですか? 私に何か不満があるなら仰ってください。私はあなたを愛している……あなたのためなら、私……なんでもするわ」
「他に好きな人が出来た。君の腰まで伸びる、絹のように美しい金の髪、青空のように澄んだ瞳、芸術品のような鼻、小ぶりで可愛らしい唇……そしてそれらなど些細な事にしてしまうくらい、美しい心! そう、全てが美しくて愛らしい君よりも、素晴らしい女性が現れてしまった……!」

 ——信じられない。自分で言うのもあれだけど、クリス様は私の事をずっと愛してくださっていた。

 クリス様と出会ったのは、今から三年前の十五歳の時だ。彼の生まれたメレディス家が主催のパーティーに出席した私は、家が貧乏な子爵家という事もあって、隅っこで細々と過ごしていた。そんなところに、クリス様が話しかけてくださった。

 出会った時からとても紳士的で、笑顔が素敵で、出会ったばかりの私に優しくしてくれて――とても魅力的な殿方だと思ったのは、いまだに鮮明に覚えている。

 その後も一緒にダンスを踊ったのだけれど、へたっぴな私に合わせてくれて……初めてダンスが楽しいものだと思えたわ。

 こんな幸せな時間……ずっと続いてほしいと思った。でも、別れの時はすぐにやってきた。しょせん私は子爵の娘で、クリス様は侯爵のご令息様。同じ貴族とはいえ、あまりにも身分が違いすぎる……きっともうこんなに親しく話せないだろうと思っていたわ。

 でも、帰る間際にクリス様がまた話しかけてくださって、今度はプライベートで二人でお茶をしようと誘ってくださった。

 もうその時は嬉しくて嬉しくて……今なら空を飛べるのではないかと思ってしまったくらい嬉しかったわ。

 それから数日後、メレディス家に再度訪れた私は、約束通りクリス様とお茶をした。その時もクリス様は凄く優しくて……私のような貧乏な子爵令嬢に優しくしてくれるのかと聞いたら、私を一切馬鹿にせずに、君は君だ、優しくするのに家は関係ないと仰ってくれた。

 私には、それは衝撃だった。他の貴族は我が家の爵位が子爵だと知ると、こぞって馬鹿にしたような態度を取ってきた。でも、クリス様は違った。それがとても嬉しかった。

 そんなクリス様は、一度に留まらず、二度三度と私を屋敷に招いてくれた。それ以外にも、一緒に外出してショッピングをしたり食事をしたり……何度も会っているうちに、私は彼に人生で初めての恋をした。

 私の気持ちを察したのかは定かではないが……出会ってから一年程経った頃、クリス様は私に愛の告白をしてくれた。それと一緒に、十八歳……つまり私が成人したら結婚しようとも言ってくれた。

 こうしてクリス様と結婚の約束をした私は、両家の了承も得て、無事に十八歳も迎えて、さあいよいよ結婚と思っていた……その矢先にこれだ。こんな事になったら、信じられないって思うのも普通だろう。

「お願いします、ちゃんと訳があるなら話してください! 私……あなたを心の底から愛しています! 別れたくありません!」
「近寄るな!!」
「きゃあ!」

 クリス様の手を取ろうと思ったのに、気付いたら私はクリス様に突き飛ばされて尻餅をついてしまった。それほど力が入っていた訳ではなかったから、怪我はしてないけど……ショックで涙が出そうだ。

「っ……とにかくこの婚約破棄は互いのためだ。僕はもう君の事も、君との思い出も忘れる。だから君もそうしろ」
「クリス、さま……」
「もう二度と会う事はないだろう。さあ、さっさと帰るんだ……す――い」
「…………」

 もう本当にそれ以上言う事はないのだろう。クリス様は私を言葉で突き放すと、背中を向けてこちらを向く事はなかった。

 どうしようもない。私達はこれで終わり――それが悲しくて、悲しくて。最後に小声で何を言っていたのかを聞く余裕もなかった私は、家に帰って涙が枯れるまで泣いた。


 ****


 翌日、全く悲しみが癒える気配のない状態でベッドから起き上がった。外はどんよりと雲が広がっていて、今にも雨が降りそうだ。

「……空も私と同じでなにか悲しい事があったのかしら」

 我ながらなんとも変な事を言っているなと思いつつ、ベッドから出る。昨日から泣きっぱなしで一睡もしていないからか、身体が鉛のように重く感じる……でも起きないと……。

「お嬢様! 大変にございます!!」
「きゃあ!? び、びっくりしたぁ……」

 プルーム家で働くメイドの一人が、ドアを蹴破る勢いで入ってきたせいで、私は思わずその場で飛び跳ねて驚いてしまった。

 あービックリした……胸がバクバクいっているけど、おかげで少し眠気が吹っ飛んでいった気がするわ。

「ど、どうかしたの?」
「クリス様が……クリス様が……」

 クリス様? 彼がどうしたというのかしら……もしかして婚約破棄を撤回してくれるとか!? もしそうなら小躍りしてもいいくらい嬉しい事だわ!

「……お亡くなりになったそうです……」
「……は?」

 亡くなった……? え、どういう事? 全く言っている事が理解できない。

「その……自室で、自らナイフで首を……メレディス家の使いの方が教えてくださいました……」
「……自害……? え、なんで……どうして……」

 意味がわからなかった。昨日クリス様に婚約破棄をされたと思ったら、今度は自殺? あのクリス様が? どうして? 意味がわからない。

 わからない。わからない。わからない。

 ——わからない?

 違う。クリス様が何を思って婚約破棄をして、何を思って自殺をしたのかは、確かに私にはわからない。でも……もう……クリス様の笑顔は見られない。声も聞けない。温もりも感じられない。それだけはわかる。

 私はその場で膝から崩れ落ちて、声にならない声で泣いた。


 ****


 私が現実を受け入れられなくても、世界は非情にも回り続ける。その証拠に、私が気づいた時には、クリス様の葬儀が大きな教会で行われていて、私はそれに出席していた。

 突然のクリス様の訃報に、訪れた人達もいまだに信じられないのだろう。何かの間違いだとか、あのクリス様が自害なんて信じられないとか口にしていた。

 中には、結婚間近だったのに自殺をするなんて、そんなの婚約者が酷い事をしたに違いないなんていう、酷い言葉も聞こえてきた。

 最後の言葉には、声を大にして否定をしたいが……それ以外に関しては、私も同感だ。クリス様はとても前向きで、正義感が人一倍強くて、優しい方だ。そんな人が、何も告げずに突然自害をするなんて考えられない。

「もう……わけがわからないわ……」

 突然の婚約破棄、優しいクリス様の暴力。そして自害。それらの事件は私から生きる希望を奪うのには十分だった。

 そんな私の事などお構いなしに、葬儀は粛々と進んでいく。今は順番にクリス様の亡骸にお別れの挨拶をしていて、丁度私の番が回ってきたところだった。

「クリス様……」

 棺桶に収められているクリス様は、昨日の事が嘘だったかのように、安らかに眠っている。身体はクリス様がお好きだった白い花に埋め尽くされ、傷跡が見えないようにしているのか、首元が見えない服を着ている。

 あまりにも綺麗すぎて、ヒョイっと起き上がって、お茶でもしようかって言ってくれるんじゃないかと錯覚してしまいそうだ。でも……もういくら望んでも、そんなキラキラした日々は戻ってこないのね。

「どうして……」

 どうして私に何も相談をしてくれなかったんですか? お優しいあなたの事ですから、私に心配をかけたくなかったんですか? なんでそんな事を気にしたんですか? こんな事になるくらいなら……どんな悩みでも、一緒に悩みたかったです……一緒に死にたかったです……!

「あ……あぁ……」

 涙はいつかは枯れると思っていた。でも、私の涙は昨日から一切枯れる事は無く……クリス様の遺体の前で泣き崩れた。

 ずっとここにいたら葬儀が進まない……早く退かないといけない……そんなのはわかっている。わかっているけど……身体がクリス様から離れる事を拒んでいた。

 お願いします。もう一度笑ってください。私を抱きしめてください。名前を呼んでください。お願いします。一度だけ……たった一度だけでいいですから……あんなお別れの仕方なんてあんまりです……!

「リーフ様、次の方もお待ちですので……」
「いや……いやぁ……」

 困ったように声をかけてきた神父様に、まるで幼子のように首を横に振って拒絶をしたが、そんな事をしても無駄だった。私はプルーム家の使用人にやや強引に棺桶から引き離され、そのまま控室に連れて来られた。

「これ以上の参加はおつらいでしょう。ここでおやすみになっていてください」
「ぐすっ……ひっぐ……くり、す……さま……」

 控室に連れて来てくれた使用人が何か言っていた気がするけど、私の耳には届かない。

 泣いても泣いても悲しみは癒えないどころか、一層悲しみは増えるばかり。涙も枯れない。生きる希望も湧いてこない。私……どうすればいいの……クリス様……教えてください……。

「リーフ、入るぞ」
「お父様……お母様……」

 控室に連れて来られてからどれだけの時間が経ったのだろうか。ようやくほんの少しだけ涙が収まってきた頃、部屋にお父様とお母様が入ってきた。

「リーフ、調子はどう? 大丈夫?」
「お母様……あまり大丈夫ではないです……」
「しっかりしろ。お前には名家の家に嫁いでもらって、プルーム家の名を上げる義務がある。全く、せっかくの上玉をみすみす逃がしおって」
「そうよ。早く元気になって、次の良いお相手を探しなさい」
「…………はい」

 私の心配などそっちのけで、次の相手を探せという両親に、私は目を伏せたまま頷く事しか出来なかった。

 両親は昔から、家の事しか頭にない。どうやって爵位を上げるかを常に考えている。だから、私の事も家のための道具としか思っていない。

 今回の婚約は、子爵家でも侯爵家の男に嫁げた、凄い娘を育てた家なんだぞとアピールをしようとしてたみたいだけど、婚約破棄のせいで、出来なくなってしまった。

 だからこうしてすぐ釘を刺しに来ているのだろうけど……今の私にはそんな前向きに考える事は出来そうもない。

「すみません、今は気分が優れないのでその話はまた後日に。元気になったら前向きに検討しますから」
「後日とはいつだ。明日か?」
「わかりません。いつかというお約束は出来かねます」
「なら少しでも早くに元気になって頂戴ね。家のためになる事は、あなたのためにもなるのよ」

 嘘だ。私がいくら頑張って家の名前がよくなっても、特に恩恵を感じない。

 前はクリス様の隣を歩く淑女として頑張らなきゃって思って、社交界でのマナーやダンス、勉強をより一層頑張ってたんだけど……クリス様という希望を失ってしまった事で、もう私には何か行動をするという気持ちが消えてしまっていた。

「申し訳ありません、少し一人にしてください」
「わかった。早く前向きになる事だ」

 そう言うと、お父様とお母様は部屋を静かに出ていった。結局二人は私を励ましに来たんじゃなくて、さっさと次を見つけろって釘を刺しに来ただけ……私の味方なんていないのね。

「すまない、失礼するよ」

 一人で落ち込んでいると、とても澄んだ声と共に、一人の男性が部屋に入ってきた。その方は、クリス様によく似た男性だった。クリスと違うのなんて、髪色くらいだ。クリス様は金髪だったけど、この方は銀髪だ。

「クリス様……?」
「申し訳ない。私は兄上……クリスではない。私はリチャード・メレディス。クリスの双子の弟だ」

 申し訳なさそうな表情を浮かべながら、リチャードと名乗った男性は、深々と頭を下げた。

 クリス様の弟……? いるというのはクリス様から聞いてはいたけど、実際にお会いするのは初めてだ。

 クリス様の弟様という事もあって、凄く雰囲気が似ている。微笑んだ顔とかそっくりだ。どうしよう……思い出したらまた涙が出てきたわ。

「大丈夫かい? これを使って」
「は、はい……ありがとうございます」

 涙で顔がぐちゃぐちゃになっている私に、リチャード様は真っ白なハンカチで優しく拭いてくれた。こういう優しいところもクリス様に似ていらっしゃるのね。

「その、なんて言葉をかければいいのか……今回は本当に残念だった。兄は僕にとってあこがれの存在でね……優しくて聡明で、素晴らしい兄だった……今はつらいだろう。すぐに立ち直れなんて言わない。でも……いつかは前向きになってほしい。そうじゃないと、いつまでも兄上は安心して眠れないと思うんだ」
「……そうですね」

 いつかはクリス様の死を乗り越えられるのだろうか。それはいつ? 明日? 一ヶ月後? 一年後? それよりももっともっと長い年月?

「それで、リチャード様は私を慰めに来てくださったのですか?」
「それもある。でも……今日は大事な話をしに来たんだ」
「大事な?」
「今すぐにという話ではないんだが……兄の代わりに、僕と婚約をしないか?」

 私の前で膝をつきながら、リチャード様は私の手の甲にそっと口づけをしながら言う。一方の私は、想像もしていなかった申し出に、口をポカンと開ける事しか出来なかった。

「メレディス家とプルーム家は、爵位の違いを乗り越えて、婚約を結んだ。それほど良好な関係を、兄の死で亀裂が入るのは勿体ない。それに、あなたのご両親は、あなたがメレディス家に嫁ぐことを望んでいるのでしょう?」
「ど、どうしてそれを?」
「申し訳ない、先程の会話が聞こえていまして」

 そうだったのね。なんだか身内の恥を晒したみたいで凄く恥ずかしいわ。これでは私がクリス様の家が凄いから結婚したように思われてもおかしくない。

「僕は以前から、兄上からあなたはとても素晴らしい女性だと伺っています。そんなあなたが兄の死で悲しんでいるのを見てると、心が痛くなる。だから僕があなたを癒し、支えたいと思いまして」
「リチャード様……」
「もちろんすぐに答えを出せとは言いません。あなたには傷を癒す時間と考える時間が必要でしょう。それに、もし他に素晴らしい殿方が現れたら、婚約は破棄していただいて構いません。いかがでしょうか?」

 クリス様と同じような優しい笑み……凄く安心する。本当なら、リチャード様の優しさに報いたい所だけど、流石にすぐには答えは返せない。

 それに……私の心の中では、クリス様以外の男に嫁ぐ事に抵抗感がある。こんな状態で他の殿方と婚約を結ぶだなんて、失礼にも程があるわ。

「お気持ちは嬉しいですが、すぐには答えは出せそうもありません」
「そうだろう。大丈夫、僕も今日答えが返ってくるとは思っておりません。ゆっくり考えていただいて結構です。それじゃ、今日は失礼する」

 リチャード様は微笑みを残してから、私の前から去っていった。

 双子という事もあって、クリス様によく似ていた。顔や背丈といった見た目もだけど、あのゆったりとした優しい喋り方や、笑顔とかそっくりだ。もし髪色が銀じゃなくて金だったら、本人と言われても疑わなかったかもしれない。

「あっ……いつまでに返事を返すって話をするのを忘れてしまったわ。今追いかければ間に合うかしら」

 せっかく気にかけてくださったのに、このままというのはあまりにも失礼だ。そう思った私は、急いで廊下に出てリチャード様を探すと、廊下を曲がったところに後ろ姿が見えた。

「あっ……いた。おーー……」
「くっくっくっ……あんなに簡単に乗るとは、あの女も馬鹿なものだ。まあ馬鹿で愚かな兄上の選んだ女なのだから、同じ馬鹿でもしょうがないか」
「……え?」

 声をかけようとした瞬間、自分の耳を疑うような言葉が聞こえてきた。

 え、今のって……リチャード様の言葉よね。聞き間違いなわけがない……でも今の言葉……馬鹿な兄上? 馬鹿な女? 先程の紳士的な雰囲気な方の口から出た言葉とは信じられない。

「しかし……馬鹿だが、見た目は本当に良い女だ。顔も整っているし、身体もいい感じの肉付きで俺様好み……性格も控えめで完璧じゃないか。兄上を脅して婚約破棄をさせて正解だった」

 脅し、た……? 婚約破棄をさせた……?

「くくっ……兄上め、俺様よりも何でもかんでも上に行って、妬ましい事このうえなかったが……まさか婚約破棄のショックで自害してしまうとは! 今回ほど兄上の責任感の強さと馬鹿さを嬉しく思った事はない! あーはっはっはっはっ!!」

 まるで物語に出てくる悪役のような高笑いを響かせながら、リチャード様は何処かへと去っていった。その後ろ姿を、私は歯ぎしりをしながら見送る事しか出来なかった……。

「リチャード様が、クリス様の自害の……婚約破棄の元凶……? という事は……クリス様は私の事が嫌いになった訳でも、他に好きな女性が出来たわけでもなかった……?」

 あの感じ……もしかしたら、私に何かをするって脅されて、それで仕方なく婚約破棄をしたのだとしたら……。

「許せない……許せない許せない許せない! 絶対に復讐をしてやる……殺してやる!!」

 身体中が怒りで熱くなる。今にも燃えてしまいそうだ。この沸き起こる怒りを、あの男にぶつけないと、今にもおかしくなりそうだ。

 でも……待って、落ち着いて私。まずは深呼吸よ。

「すー……はー……」

 ふぅ。少しだけ落ち着いたわ。よく考えて私。仮に殺せてたとしても、痛みは一瞬だ。そんなんじゃ、クリス様の無念を、私の恨みを晴らすには不十分だ。

 なら、どうすればあの男に最高の復讐が出来るのだろう。考えようにも、いかんせん私はあの男に関して、あまりにも無知だ。

 攻勢に出るには、まず敵を知る事から――なら私が今するべき事は、あの男に近づいて、クリス様を脅したという証拠を掴む事と、復讐をするための手札を手に入れる。そして、最高の復讐の方法を考えなければ。

「憎い……でも、今はぐっと堪えて、あの男の前では笑顔でいるのよ」

 恨み言は一人の時に発散すればいい。あの男の前では良い女を……求婚されたリーフ・プルームを演じるの。


 ****


 あれから一ヶ月が経った。両親にリチャードに求婚された事を両親に報告し、ぜひそのまま婚約までこぎつけろと釘を刺された私は、出会ってから数日後にリチャードと再度顔を合わせ、ぜひ婚約の話を前向きに受けさせて欲しいと申し出た。

 ただ、私達は知らない事が多いから、まずはメレディス家に住まわせてもらい、そこで一緒に生活をして互いを知ってから結婚したいと申し出ると、リチャードはあの紳士的な態度で、快く了承した。

 こうして無事に潜り込んだのは良かったが。そこは私の想像を遥かに超えた日常が繰り広げられていた。

 リチャードは外ではとても紳士的で素晴らしい人間だったが、家の中ではとんでもない暴君だ。なにか少しでも気に入らない事があると癇癪《かんしゃく》を起こし、使用人達に暴力をふるう。物を投げるのもためらわず行う。

 それどころか、夜になるとメイドを部屋に呼び出し……色々と楽しんでいるようだ。私の使わせてもらっている部屋は、リチャードの隣だから、その声が聞こえてくるから知っている。

 さらにリチャードは無類のギャンブル好きで、違法カジノによく行っているようだ。私も一度だけ無理やり連れていかれたんだけど、そこでは莫大なお金でギャンブルが行われていて、中には人間をおもちゃのように使った賭け事も行われていた。今思い出しても吐き気がする。

 これ以外にも、リチャードの酷い行いは多すぎて、挙げればきりがない。もしかしてクリス様もこうだったのかと心配になり、私の身の周りの事をしてくれるメイドに聞いたところ、あれはリチャードだけで、クリス様は私の思っていた通りの素晴らしい人だったそうだ。

 その話を聞いた時、クリス様が素晴らしい人で安心したと同時に、リチャードのようなクズ人間に、私達の幸せや、クリス様の未来を奪われたと思うと、怒りが沸々と沸き起こる。

「……はぁ」

 リチャードの酷さを改めて振り返り、その酷さに溜息を吐きながら、大広間で食事をしていると、突然リチャードが立ち上がり、近くに立っていた女性のコックを睨みつけた。

「貴様! 俺様は食べ応えのある肉が食いたかったのに、どうして魚料理を出した!」
「え……その、今朝メニューを伺った際に、リチャード様が魚をご希望されたので……」
「黙れ! それは朝の気分だ! 今は肉の気分なんだよ馬鹿が!!」

 あまりにも理不尽な理由で激昂したリチャード様は、コックに向かって手を上げ……バチン! という音と共に、コックは尻餅をついた。

 相変わらず酷すぎるわ。あのコックがあまりにも不憫すぎる。

「本当ね! これだからダメなのよ!」

 私はリチャードに便乗するように、慣れない罵倒をコックにぶつける。

 ——実は私は、リチャードと一緒に住むようになってから、悪役を演じている。具体的に言うと、完全な悪のリチャードに同調する事で、リチャードの信頼を勝ち取る狙いだ。

 とは言っても、本当に酷い事をする訳ではない。だって使用人達には何も罪はない。だから私は、空になった皿をコックに向けて――ではなく、リチャードの足に向けて投げた。

「お、おいリーフ! 俺様の足にぶつかったらどうしてくれる!」
「ご、ごめんなさい! あなたのためにそのコックに皿を投げつけようとしたら、手が滑って……」
「……ふん、まあここに来てから、常に偉大な俺様の味方をしようとするその心意気に免じて許してやろう。もう飯はいらん! 俺様は部屋に戻る! ククッ……今日はどの女を抱くか……」

 リチャードは満足そうに鼻で笑いながら、大広間を後にした。それを見送った私は、すぐにコックの元へと駆け寄った。

「大丈夫? 怪我はない?」
「は、はい……リーフ様のおかげで叱られる時間が減りました。本当にありがとうございます」
「すぐに助けてあげられなくてごめんなさい。それに酷い事も言ってしまって……」
「いえ、お気になさらず。私は大丈夫ですから」

 コックの健気な態度もあってか、さらにリチャードへの怒りは増すばかりだわ。はやくリチャードに復讐をして離れたいわ。そうじゃないと……いつか怒りに身を任せて取り返しのつかない事をしてしまいそう。

「あなたが無理に悪役を演じているのは、使用人達はわかっていますから。何か目的があるのでしょう? そうじゃなければ、あんな人と普通は一緒になんかなりませんわ」
「ええ、まあ……」

 悪役を演じつつ、酷い事をされている使用人を助けているせいか、私が何か目的があるのはみんなわかっているみたいだ。わかっていないのは、リチャードくらいなものだ。本当に馬鹿な男だわ。

 ……本当は夜に部屋に連れ込まれる女性も助けたいんだけど、邪魔をされないように部屋に鍵をかけられてしまうから、こればかりはどうしようもできない。自分の力のなさが恨めしい。

「さあ、お料理が冷めてしまいます」
「ええ、そうね。今日もとても美味しいお料理をありがとう」
「大変光栄でございます」

 コックにお礼を言ってから、私は残っていた料理を全て美味しくいただいてから部屋に戻ると、一人のメイドが小さな箱を持って立っていた。

「リーフ様、おかえりなさいませ」
「ただいま。その箱はどうしたの?」
「実はクリス様の遺品の整理をしておりまして……この小箱が出てきました。ですが、鍵が開けられないんです」

 小箱をよく見ると、四桁のダイヤル式の小さなカギがかけられていて、箱の表面には流れ星のイラストが描かれている。とても綺麗な小箱だ。

「中身を確認して整理したいのですが、番号に心当たりが無くて。壊して開けようにも、もし中のものを傷つけてしまったらと思うと……もしかしたら、お付き合いされていたリーフ様ならお分かりかと思いまして」
「なるほど……見てもいいかしら?」

 もちろんと言ってから、メイドは小箱を手渡すと、仕事があるからと言って部屋を後にした。

 中は随分と軽そうだから、何か入ってたとしても物騒なものではなさそうだ。試しにダイヤルを回してみましょう。そうねぇ……私の誕生日とか!

「……開かないか」

 なら私達が出会った日——駄目。クリス様の誕生日——駄目。うーん、誕生日みたいな単純なものじゃないみたい……。

「もう、クリス様ってば何を残したんですか……こんなおしゃれな小箱……おしゃれ……?」

 この小箱には、流れ星が描かれているのは、先程確認した。どうして流れ星なんだろう……そう思った時、私の中にある出来事が思い浮かんだ。

 私はクリス様とお付き合いをしている時に、二人で流れ星がたくさん見る事が出来る、流星の丘という場所に行った事がある。そこで、流れ星に私達がずっと一緒にいられるようにってお願いをした。

「もしかしたら……この番号かしら……」

 私はクリス様と流星の丘に行った日付をダイヤルに入力すると、カチンっと音をたてて鍵が開いた。

「やった、開いたわ!」

 推理が無事に当たった喜びで、思わず大きな声を上げてしまったわ。周りに人がいなくてよかった。

 さて中身はっと……手紙? えっと、これだけ?

「なになに……リーフへって……え、私宛の手紙?」

 想定外のものが入っていて困惑してしまったが、よく考えたら私宛の何かが入っていてもおかしくはない。だって、鍵の番号が私達のデートの日だもの。これがわかるのなんて、私くらいなものだわ。

「クリス様からの最後の手紙……」

 恐る恐る手紙を広げると、そこにはこう書かれていた。

『リーフへ。これを読んでいるという事は、僕はもう君の傍にいないだろう。まず、いきなり婚約破棄をして、本当に申し訳ない。弟のリチャードに、婚約破棄をして自分にリーフを渡さないと、リーフの命はないと脅されたんだ』

 やっぱりリチャードが言っていた事は本当だったんだ……それに、私の予想は当たっていた。クリス様は、私を守るために……自ら悪役を演じたんだ……。

『君の幸せは僕の幸せだ。これから君の人生は長い。その人生に一瞬の不幸を与えてしまうのは心苦しいが、一瞬の幸せのために、長い人生を奪いたくなかった。だが、僕は君に不幸を与えてしまった罪人だ。僕は自分が許せなかった。そして、君ともう会えないと思ったら、生きる希望を失ってしまった』
「クリス様……」
『勝手な事をする僕を許してくれとは言わない。その代わり……君は一日でも早く僕の事を忘れてくれ。そして、君の幸せを掴み取ってくれ。最後になるが……僕は君が大嫌いだ。愛してなんかいない』

 そこで手紙は終わっていた。最後の言葉のところは字が乱れているし、紙が濡れたような跡も残っている。

 ……最後の言葉で私の事なんて嫌っているなんて言っているけど、私にはそれが、私の幸せを願っているからこそ、私がクリス様を嫌い、そして忘れるように仕向けた言葉だと感じられた。

「こんなの……逆効果ですよ……馬鹿っ……」

 大嫌いと愛してないという言葉は、私にとってクリス様からの最後の愛の言葉。それは嬉しくて……それ以上に心が痛んだ。

「うっ……うわぁぁぁぁぁん!!」

 私は手紙を胸に抱いて、子供の様に泣いた。もう感情はぐちゃぐちゃで……自分で涙を止めることが出来なかった。

「うっ……うぅ……クリス様……」

 あれからどれだけ泣いただろうか。いつの間にか私の涙は一時的に乾ききっていた。それでもこの胸からクリス様への愛情は消える気配がない。そして……リチャードへの復讐心も。

 この手紙はクリス様から私への愛の手紙であり、遺書であり……リチャードから脅されてた事の証拠にもなる。これはリチャードを追い詰める切り札だ。

「ありがとうございます、クリス様。あなたの想いに反する事なのは重々承知ですが……私はあなたを忘れられません。そして……リチャードに復讐をします。だから、こんな愚かな私の事なんか忘れて……安らかに眠ってください」

 決めた。リチャードに復讐をする場は、結婚パーティーにしよう。

 結婚パーティーというのは、貴族が結婚をする際に沢山のゲストを招いて行われる、非常に規模の大きいパーティーの事だ。

 そこで大勢のゲストの前で罪を告白して、外面の良いリチャードの化けの皮をはがし、絶望に叩き落としてやる。そのために、もう少し追い詰める手札を揃えよう――


 ****


「これは……何と言う事だ……」

 翌日の夜。私はクリス様の手紙を持って、とある方とお話をしていた。その方とは、メレディス家の当主様……つまり、クリス様とリチャードのお父様だ。彼にクリス様の手紙を見せてから、今まであった事を告白したの。

「この字は確かにクリスのもの……あの馬鹿息子どもめ、私の知らない所でこんな事を……いや、二人がこうなってしまったのは、親の私の責任だな。申し訳ない、リーフ。私達家族が君に多大な迷惑をかけてしまった」
「い、いえ。そんな……」

 私は謝罪が欲しかったわけではない。だからそんなに申し訳なさそうに頭を下げられたら困ってしまう。

「しかしリチャードめ……元から素行の悪いのが目についていたが、ここまで落ちていたとは……これ以上放っておけんな」
「でしたら、私のお願いを聞いてはもらえないでしょうか?」
「お願い?」
「はい。私はこの後、リチャード様にお酌をする約束があります。そこで、今回の件が本当か伺おうと思いますので、それを聞いていてもらいたいんです。出来れば数人の使用人と一緒に」
「私と使用人に、証人になってほしいという事か」
「はい」

 この一ヶ月で知った事だが、リチャードは酒に弱い。それに加えて、気分が良くなると、とても饒舌になる節がある。それを利用して、クリス様の件が本当にリチャードが行った事かの証言をさせようという作戦だ。

「それと、この事はしばらく黙っていていほしいんです。細かくお伝えすると、私とリチャード様の結婚パーティーまで」
「それはどうしてかね?」
「……それは……」

 流石にリチャードの実の父親に、息子に復讐をするためだとは言えない。だって息子なんだから、大事に決まってるじゃない。それに……私のやろうとしている事は、メレディス家の評判を著しく落とす行為だ。

 でも、メレディス卿に話しておかないと、結婚パーティーの当日に邪魔をされてしまう可能性がある。だから今のうちに、話さないといけないのに……中々切り出せない。

 そんな中、メレディス卿は私の気持ちを察したのか、少し困ったように笑った。

「結婚パーティー……証人……なるほど、そう言う事か。クリスの死後、すぐにリチャードの求婚を前向きに受けたのに疑問を感じていたが……それが君の目的か」
「…………」
「私に黙っていればいいものを、君も大概お人好しだな。わかった。私や家の事は気にするな。父として、リチャードには罰を与えねばならんからな」
「ありがとうございます。そして……申し訳ございません」
「なに、こちらこそ君に重荷を背負わせてしまってすまない。さて、そうと決まれば結婚の準備を迅速に進めておかなければな」

 こうしてメレディス卿に無事に話を通せた私は、約束通りリチャードの部屋に行き、お酌を行う。それどころか、つまみの料理を食べさせてあげたりもした。

「あ~……未来の妻に注がせた酒は美味い! おい、早く新しい酒とつまみを持ってこいグズ!」
「かしこまりました」

 相変わらず横暴な態度を取るリチャードは、王様みたいにふんぞり返って座っている。今にもその頬を思いっきりビンタしてやりたいけど、今はぐっと我慢よ。

「ふふっ、リチャード様。グラスが空になってますよ」
「おっと……ふん、リーフは気が利いているな。それに普段から俺様をたてる事も忘れない……それでこそ俺様の妻に相応しい女だ」
「ありがとうございます。光栄ですわ」

 ……心底気持ちが悪いわ。こんな男に妻だなんて言われたくない。私を妻と呼んでいい人は、クリス様だけなのに。

「それに引き換え、この家の使用人は使えない奴ばかりだ。容姿が良くなければ即座に解雇しているところだ」
「そうですわね」
「ごくっ……ごくっ……ふー……俺様の味方はリーフと酒だけだ」

 それはどうかしら。私は骨の髄までリチャードの敵だし、そのお酒も真実を口にさせる都合の良い液体……つまり、リチャードの敵だと思うわ。

「さあさあ、今日は飲みましょう。いくらでもお付き合いしますから」
「ああ」

 私に優しくされて気分が良くなったのか、リチャードはいつもよりもハイペースにお酒を飲み進めていく。すると、段々と顔が赤くなり、呂律が回らなくなってきた。

「リーフ~……いちゅになったら俺様のものになるんだよぉ~……」
「私は常にリチャード様のものですわ」
「ならさっさと抱かせろよ~お前に求婚したのだって、その身体目的なんだからよぉ~……」
「…………」

 何を言われても全てを肯定する女を演じないといけないのに、中々の告白をされてしまい、言葉を詰まらせてしまった。

 てっきり私はクリス様から私を奪って愉悦に浸りたいのかと思っていた。多分それ自体は間違ってないだろう。でも……それ以外に、私の身体が目的だったなんて。

 本当に、とことん最低な男だ。これで本当にクリス様と同じ血が流れているのか、甚だ疑問ではある。

「リーフ~今から抱かせろよ~……」
「それは結婚まで楽しみに取っておいてください」
「なんでだよぉ~」
「それよりも。リチャード様にお伺いしたい事があるんですが」
「お~なんだ~? 俺様は懐が広いからな~……ひっく。何でも答えてやるぞ~!」

 完全に泥酔してるし、機嫌も良さそうだ。これなら今聞いても問題なさそうね。

「リチャード様が、クリス様を脅して婚約破棄をさせたのは本当なんですか?」
「……なんでそんなことを聞くんだぁ……?」
「私、本当はクリス様が嫌いだったんです。だから婚約破棄をされて嬉しくて。そんな中、リチャード様がクリス様を脅して婚約破棄をさせたという噂を小耳にはさんだんです。だから、もし本当ならお礼が言いたかったんです」
「なるほどなぁ~……リーフの言う通り、俺様があの馬鹿兄上を脅したじぇ~! リーフの命がどうなってもいいのかって言ったら、簡単に信じてよぉ~! 本当馬鹿な男だぜあいつはよぉ~!」

 まるで反省の色がないどころか、自分のやった事を誇りに思っているように高笑いをするリチャードは、グラスに残っていた酒を飲みほした。

 ……やっぱりクリス様の手紙に書かれていた事は本当だったのね。こんな……こんなクズ男のせいで、クリス様は……!!

 許せない。許せない許せない許せない!

 胸の奥から湧きあがる怒りに耐えきれなくなり、思わず手を上げそうになった私を救うように、証人として部屋の外で話を聞いていたメイドが部屋に入ってくると、静かにリチャードに声をかけた。

「失礼します。リチャード様、だいぶお飲みになられてますので、今日はそろそろおやすみになった方が良いかと」
「あ~? んだお前、俺様に指図をするのか~?」
「リーフ様の前で粗相をして嫌われたくないでしょう? それに、せっかくの色男が台無しになってしまいます」
「……それもそうだな。リーフ、もう部屋に戻っていいぞ~俺様は寝るっ!」
「はい……おやすみなさいませ」
「リーフ様、どうぞこちらへ」

 メイドに連れられて部屋の外に出た私は、外にいたメレディス卿とメイド数人と共に、私の部屋へと移動した。

 彼女のおかげで助かった……完全に怒りに身を任せちゃってたし……あのままだったらビンタして全てが台無しになるところだった。

「助けてくれてありがとう」
「いえ。日頃リーフ様に助けていただいているお礼ですわ」
「ありがとう。それで……皆さん聞いてもらえましたか?」

 メレディス卿とメイド達を順番に見ながら聞くと、全員が険しい表情で頷いた。

「これは決定的だな……擁護のしようがない。これも私の責任だな。リーフ、私の方でリチャードの毒牙にかかってしまった人間を探しておく。彼らには結婚パーティーの日に、リチャードの罪を告白させようと思うが、いいだろうか?」
「いいんですか?」
「うむ。あの馬鹿息子にはそれくらいの罰を与えんとならん」

 メレディス卿が味方に付いてくれるのはとてもありがたいわ。これですべての準備は整った……あとは結婚パーティーの日に、リチャードの罪を大衆の前で告白して、あの男を地獄に叩き落としてやる。


 ****


 三ヶ月後。私はメレディス家の自室で、綺麗なドレスを着て、結婚パーティーの準備をしていた。

 いよいよ今日は結婚パーティー……数カ月とはいえ、随分と長かったわ……ようやく時が来た。私は麗しい純白の花嫁ではなく、復讐に燃える漆黒の花嫁だ。

「……これも持っていかないと」

 私は机の上に置かれた、小さなナイフを手に取った。このナイフは、クリス様が結婚パーティー用に用意したものだ。

 クリス様が言うには、遠い異国では、結婚パーティーに女性がナイフを懐にしまって結婚パーティーに出るらしい。それにあやかって用意したから、私に渡しておくと言っていた。

 これを使う事は無いと思うけど、万が一リチャードが襲ってきた時のためにも、忘れるわけにはいかない。

 さあ……このナイフに復讐の誓いを込めて、世界一憎い男に、最高の屈辱という名のブーケを差し上げましょう。そして、死よりもつらい地獄を味わってもらうわ。

「リーフ様、お綺麗でございます」
「ありがとう。本当はクリス様との結婚パーティーで着たかったんだけどね……って、あなたに言っても仕方ないわよね。ごめんなさい」
「リーフ様……」

 私の準備の手伝いをしてくれた、プルーム家に仕えるメイドに謝罪をしてから、私は会場の大広間へと向かうと、百人を優に超える人数の貴族達が出迎えてくれた。

 貧乏貴族とはいえ、色んなパーティーに参加自体はしている。でも、こんなにたくさんの人が参加をするパーティーは初めてだ。いかにメレディス家に力があるのかよくわかるわ。

「リーフ様、この度はご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「前の婚約者がお亡くなりになったと聞いた時はどうなるかと思いましたが、すぐに見つかってよかったですわ」
「ええ、本当にそう思いますわ」

 ゲストの貴族の方々に、次々と祝いの言葉を投げかけられる。中には嫌味じゃないのって思う言葉もあったけど、まあ社交界なんてこういう世界だから、特に何とも思わない。

「お時間となりました。これよりリチャード・メレディス様と、リーフ・プルーム様のご結婚パーティーを開催いたします。ではまずお二人のご挨拶からお願いしたします」

 大広間の中央に移動した私を合図にするように、司会進行を担当する初老の男性の声が部屋に響く。

 さあ――いよいよ復讐の時だ。

「君から挨拶をしたまえ」
「わかりました、リチャード様。みなさん、この度は私達のためにお集まりくださり、誠にありがとうございます。ご挨拶という事で、皆様にお話したい事がございます」

 大きく深呼吸をして、一区切りを入れた私は、真っ直ぐと前を見つめて告発を始める。

「私には、かつて心から愛する人がいました。その方は私の事を世界一愛してくれていました。とても聡明で、お優しく、自分の事よりも私の事を想って心を痛めてくれるような……そんな素敵な男性でした」
「……リーフ、なんの話をしているんだ?」

 出会った時のような、誠実そうな話し方と表情を浮かべるリチャードの言葉を無視して、私は更に言葉を続ける。

「でも、私はそんな素晴らしい男性と、望まぬ別れをしてしまいました。彼は……クリス・メレディスは、私と婚約破棄をしろ、断れば私の命がどうなるかと脅されていたのです。結果、彼は婚約破棄をせざるを得ない状況に追い込まれてしまいました。そして、その罪の意識に耐えきれず、彼は自害しました。その脅した相手……それは、クリス・メレディスの弟であり、人の皮を被った悪魔……リチャード・メレディスです!!」

 私は声高々に宣言をしながら、リチャードの事を指さす。すると、リチャードはとても驚いたような顔で、私を見つめてきた。当然、ゲストの方々からは、驚きの声が次々と上がってくる。

「な、何を言っているんだい? 私がそんな事をするはずがないだろう? こんなめでたい場で、物騒な事を言うものじゃないよ」
「私……リチャード様と初めて出会った日に聞いておりました。あなたが廊下で嬉しそうに笑いながら、クリス様を侮辱しているのを」
「っ……!!」
「それに、クリス様の部屋から、私への手紙が見つかっています。その手紙には、あなたに脅された事と、自殺の動機が書かれておりました。とある方に確認してもらったところ、この字はクリス様のものだというお墨付きです」

 この手紙の存在は、リチャードにとって邪魔なのだろう。手紙を見せつけると、まるで餌に飛び掛かる犬のように、手紙をひったくろうとしてきたが、私はそれをかわして懐にしまった。

 やっぱり証拠隠滅してこようとするわよね。それくらいは読めてたわ。

「ふ、ふざけるな! そんなの、兄上が私を陥れるために用意したものに違いない!」

 ……まだ認めないか。なら次の話に移行しましょう。

「彼の罪はこれだけではありません。彼は表向きはとても品行方正な好青年のように見せていますが、裏ではとんでもない暴君でして。自分の思い通りにならないと癇癪《かんしゃく》を起こし、使用人達に酷い事をしていました。暴力は日常茶飯事、夜は毎日のようにメイドを部屋に連れ込んで……」
「ち、違う! 俺様はそんな事をしていない! 全てこの馬鹿女のでたらめだ!!」

 段々と化けの皮が剥がれていくリチャード。さっきから同じような事しか言っていない感じ、随分と追い詰められているようね。

「でたらめではありません。リチャード様は毎日のように横暴な態度を取っておられました。その非道な行いに嫌気がさして辞めようとしたら、家族がどうなってもいいのかと脅された事もありました」

 更にリチャードを追い詰めるために、酷い事をされていた女性のコックが加勢してくれた。それに続き、多くの使用人も暴力を振るわれた事を告白し、無理やり連れ込まれて乱暴をされたメイド達も、同じ様に告白した。

 ……ここで加勢してくれるのは聞いていたけど、脅していたというのは知らなかったわ。これもメレディス卿が事前に調べてくれた成果なのかしら?

「諦めなさい。あなたの罪は白日の下に晒されたの」
「このっ……!! 貴様も俺と一緒に使用人達を貶していたではないか!」
「あれはあなたを信じ込ませるための演技です。あなたがいなくなってから、私はすぐに酷い事をしてしまった人達に誠心誠意謝ったわ」
「なっ……!? そこまでして俺様にたてついて、どうなるかわかっているのだろうな!? ええい忌々しい! こうなったら、ここにいる全員を、馬鹿な兄の元へ送ってやる! そうすれば俺様の罪を知っている者はいなくなる! まずは……お前からだぁぁぁぁ!!!!」
「っ……!!」

 怒りと焦りのあまり、おかしくなってしまったリチャードは、近くにあった椅子を手に取ると、思い切り振り上げた。それに対して、私は急いで懐にしまっておいた、あのナイフで対抗――なんて出来るはずもなく、恐怖で目を強く瞑ってしまった。

「……あれ?」

 いくら待ってもどこも痛くない。なにがあったのだろうか。恐る恐る目を開けると、そこには私を庇うように前に立ち、椅子を受け止めているメレディス卿の姿があった。

 その後ろ姿は流石親子というべきか……クリス様のものとそっくりで。私のピンチにクリス様が助けてくれたのかと錯覚してしまいそうになるくらいだった。

「この……大馬鹿者がぁ!!」
「ぶらぁっ!!?」

 メレディス卿は獣のように吠えながら、リチャードの顔に目掛けて拳を凄い勢いで振り抜いた。その衝撃で、リチャードの身体は大きく宙を舞い……そのまま壁に叩きつけられた。

 な、なんて凄い怪力……だいぶお歳を召していると思っていたんだけど、一体どこにそんな力があるのだろうか。

「ふがぁ……ちち、うえ……??」
「話は全て事前にリーフから聞いておる! 使用人達からもな! 己の愚かさと罪を認めないどころか、あろうことかリーフやゲストの方々の命まで奪おうとするとは、どこまで貴様の性根は腐りきっている! ここで謝罪すれば、ほんの少しくらいは罰を少なくしてもいいかと思っていたが、もう許さん! 全ての罪を自警団に報告し、法によって貴様を裁く!! 兵よ、リチャードを連れていけ!!」
「そ、そんな……嫌だ! 離せ! 俺様を誰だと思っている!」

 リチャードを危険視したのか、兵士達は何人も集まってリチャードを囲み、身柄を拘束した。

 いくら暴れても、これでは無駄でしょうね。そう思ってたんだけど、それでもまだリチャードは暴れていた。

「リーフ! 俺様が悪かった! 謝るから早く父上を説得してくれ!!」
「今更謝っても、もう遅いんですよ。それに、謝られたところで私の最愛の人は返ってきませんし、あなたが傷つけた人達の心の傷は消えません。だから……私はあなたを……絶対に許しませんっ!!」
「き……貴様ぁぁぁぁ!! 絶対にこの恨み忘れんからな!! 必ず貴様に復讐をしてやるからなぁぁぁぁ!!」

 謝るどころか、一切反省せずに恨み言を言いながら連れていかれるリチャードを、私は姿が見えなくなるまで睨みつけた。

 法によって裁かれる。という事は、最低でもメレディス家からは追放され、国外の僻地に連れていかれるだろう。下手したら、何十年も牢屋の中かもしれない。

 つまりそれは……リチャードは権力を完全に失い、全てを失うという事だ。あれだけ威張り散らして使用人達に酷い事をして、散々違法カジノで遊び倒し、女性に手を出し続けていたリチャードにとって、それは死ぬよりもつらい事だろう。

 数カ月……長いようで短かったけど、ようやく私は愛する人の命を奪った男に、死ぬよりもつらい復讐をする事が出来た――


 ****


 あれから一か月が経った。ようやく色々と落ち着いてきた私は、今もメレディス家にお世話になっている。

 どうしてプルーム家に帰らないのかというと、あれだけの騒ぎと二度目の婚約破棄をしてしまったせいで、両親に二度と帰ってくるなと言われてしまったからだ。そんな私を、メレディス卿が住まわせてくれているの。本人曰く、娘も欲しかったから、娘が出来て嬉しいとの事。

 そのメレディス卿だけど、この一ヶ月はとても忙しそうに動いていた。どうやらリチャードの件の後始末に追われていたそうだ。

 やっぱり迷惑をかけてしまった。そう思い、私はメレディス卿にすぐに謝罪をした。その際に、これはしっかりと息子に向き合ってこなかった、愚かな父親の息子に対する最後の仕事だから、気に病む事はないと言いながら、私の頭をわしゃわしゃと撫でた。

 両親にもそんな事をされた事がないから驚いてしまったけど、不思議な安心感を覚えたのは、どうしてなのだろう。

 それと、リチャードに関してだけど……約十年程牢屋で生活した後、国外追放が決まったみたい。それが嫌だったのか、自害を図ろうとしたけど見つかってしまい、余計なことが出来ないように監視と拘束を徹底されてるそうよ。

 本当によかったわ。自害なんてされたらリチャードにとって一番つらい罰が与えられないものね。

 ——とまあ、こんな感じで一ヶ月を過ごし、ようやく落ち着いてきた私は、クリス様のお墓参りに来ていた。

「クリス様、私……確かに復讐は出来ましたが、全然心が晴れないんです」

 復讐は果たした。あの日から数日の間は、少しは心が晴れたわ。でも……所詮そんなのは一時的なもので、私の自己満足にすぎない。リチャードにどんな罰を与えた所で、クリス様は絶対に帰ってこないのだから……。

「あなたの願いを聞き入れるために、この一カ月の間、必死に忘れようと生きてきましたけど……駄目なんです。あなたの笑顔が、温もりが、優しさが……消えてくれないんです」

 リチャードに復讐をしようとしていた時は、それに集中できていたからなんとかなった。でも……その目的も無くなってしまった今、私の中にあるのは……クリス様を失った悲しみと喪失感だけだった。

 ――クリス様のいない世界なんて、もう耐えられない。

 私は懐から、結婚パーティーに持っていったあのナイフを取り出して、首元に刃先を置いた。

 こんな愚かな事をする私の事を、クリス様はどう思うだろうか。非難するだろうか。軽蔑するだろうか。

 たとえどんな風に思われても……クリス様のお傍に行けるなら、私はそれで満足だ。

「やっぱり私……あなたがいないと駄目みたいです。生きていけないです……」

 私の瞳から、一筋の涙が流れる。今まで散々泣いてきたけど、それもこれで終わりだ。

 クリス様——今からそちらに行きます。だから……できれば怒らないで、温かく迎えてください。
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