神魔伝承01 総龍生誕編

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第一話 遺児

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神魔伝承(Copyright2023天﨑工房)

<焔の遺児>
 これは、古い神代の話。
 時の天帝治める天界は、宿敵たる悪鬼たちの侵攻を常々受けていた。
 天帝に使える天部の武神たちが、これを幾度も退けるも、悪鬼たちの数が減ることはなく、常に天帝の頭を悩ませていた。
 そして、この天部の武神のうち、「焔(えん)」と呼ばれる部族がいた。
 彼らは男女を問わず抜きん出た戦闘能力を持ち、少数であるにも関わらず、果敢に悪鬼たちを打ち払っていた。
 それ故、かの部族は他の武神たちにも一目置かれ、それでいて自らの力を誇示するようなことはなく、民草からの信頼も厚かった。
 天帝は、この状況を楽しまなかった。
 禅譲によって天帝の地位にある身としては、焔の部族の力と求心力は心地の良いものではなかったのである。
 天帝は、悪鬼の侵攻の激しい地域に焔の部族を移封した。
 表向きは焔の部族の力を信頼してのことであったが、その裏には焔の部族の勢力を削ぎたいという思惑があった。
 焔の部族は不満を口にすることもなく、慣れぬ土地でも果敢に戦い、犠牲を出しながらも悪鬼たちを駆逐し続けた。
 他の天部たちはますます彼らの武勇と威徳を褒め称え、その武名は天界に響いた。
 面白くないのは天帝である。
 神といえど、人のごとく六欲を持つ彼らのこと、嫉妬や疑心も芽生える。
 このままではいずれ、己の座を脅かすのではないかと危惧した天帝は、思案の末、焔の部族が天帝に謀反を起こす兆しありとして、天部諸将を招集した十万の軍勢でもって焔の部族を攻めた。
 予期せぬ襲撃に焔の部族は狼狽えたものの、それでも彼らは果敢に抵抗した。
 老若男女全てが武器を取り、天軍と戦ったのである。
 しかし、衆寡敵せず。
いかに一騎当千の強者揃いの焔の部族と言えど、千程度の数では十万の軍には叶わず、一人、また一人倒れていった。
 子をかばい戦う母、生き残り戦う子、老齢なれど満身創痍になりながら武を示す者、全てが地に伏してゆく。
 天界の1日をかけた凄惨な戦いは、焔の部族が全て斃されるという結末によって終わった。
 だが、天軍の将兵たちもその心は晴れない。
 (彼らは本当に謀反を企んだのだろうか?)
 迷うこと無く戦う焔の部族の者たちの姿、そして畏敬に値するその武、そして寡兵でありながら天軍に大出血を強いた戦いの意義、それら全てが彼らの心に迷いを呼んだ。
 十万と号した軍団も、激戦の結果、およそ半数程度が残っているに過ぎない。
 戦場となった焔の部族の集落から少し離れたところに貼られた幔幕の中で、疲弊した将兵たちは自らの戦いの意義に迷いながら眠りについた。
 この後に何が起きるか、この時の彼らに知る由はなかった。


 深夜、夥しい流血の跡が残る焔の部族の集落。
 折り重なる遺体、血でぬかるむ大地、立ったまま全身に数十の鉾を受け絶命した焔の長。
 ごぼり。
 血の池が泡を吹いた。
 ごぼり、ごぼり。
 泡の数が増える。
 血が動き始めた。
 一所(ひとところ)に向かって。
 ごぼごぼと音を立てる場所を中心に、焔の者たちから流れ出た血が集まる。
 やがて、集まった血は盛り上がり、人の姿を取った。
 暗闇の中で、血の塊から生まれたその人影が、その形を明確にしてゆく。
 その姿は少年のようであった。
 燃えるような赤髪、上半身は片肌を脱ぎ、下半身には鎧直垂を纏い、手には長剣を携えている。
 あどけなさと美麗さを備えた顔貌が顕になり、その目が静かに開く。
 血涙を流すその双眸は、真紅に燃えていた。
 少年は、ゆらり、と歩み始めた。
 天軍の将兵が休む幔幕に向かって。


 天帝の命に従い焔の部族を最後の一人まで確認し、討ち果たした天軍の将兵たちは、歩哨を立てていなかった。
 故に、暗闇の中から歩み寄る少年に気付くものはいない。
 夥しい数の幔幕を前に、少年が長剣を振り上げる。
 剣は炎を帯び、長剣よりもはるかに長く伸びた。
 その剣を振り下ろす。
 斬。
 数十の幔幕が一瞬にして斬砕され、炎に包まれた。
 やがて、異変に気付いた者たちが、それぞれの幔幕から出てきた。
 少年は何の表情も見せぬまま、手近な幔幕、手近な者を切り裂いた。
 一撃で数十人が切り払われる。
 やがて将兵たちのほぼ全てが異変に気づき、武装を終えた者が少年を囲む。
 それらを易々と切り捨て、少年はまるで障害が無いかのように悠々と陣内を歩き、十丈はあろうかという炎の剣を振るい続けた。
 猛将ぞろいの天軍が、この少年の前ではまるで刃が立たない。
 剣を振るうたびに爆炎が吹き荒れ、数多の将兵が消し炭となっていく。
 我こそと挑む武神も居こそすれ、ものの数合で打ち倒される。
 囲んで弓矢で射ても、その身に届く前に燃え尽きる。
 業火が陣全体を包み、一方的な戦いが続いた。
 そして夜が明けた頃、天軍の残兵約五万騎はことごとく討ち果たされていた。


 三日後、神都にて。
 天帝は、かろうじて逃げおおせてきた将兵からの報告を受けた。
 焔の部族を殲滅したこと、派遣した十万の軍団が壊滅したこと、炎を使う超絶な力を持つ少年のことを。
 傍に控えていた物見師(千里眼や魔術・法術で物事の真贋を見定める職)の老人が口を開く。
「それは焔の部族の遺児に相違ありますまい。
それも怨念無念より生まれた鬼神の類です」
 天帝の顔色(がんしょく)が無くなった。
 もしそれが本当ならば、必ず天帝を狙って神都に登ってくるであろう。
 「成琉(せいりゅう)を呼べ、そして四方の軍より十万ずつの軍を集めよ。
 逆賊、焔の遺児を葬るのだ。」
 なかば震えつつ、天帝は常軌を逸した命を下した。
 宮中はにわかに慌ただしくなり、伝令は四方へと走る。
 約一日で禁軍十万将兵と、四方の軍からそれぞれ十万の軍勢を合わせた合計五十万もの軍勢が集まってきた。
 城内に将兵が集まってきたころ、白銀と金の象嵌で彩られた鎧に、二振りの長剣を佩き、兜を手に携えた一人の武神が謁見の間に向かって歩いていた。
 禁軍総帥、成琉である。
 彼は、天帝に拝謁した。
 「全軍を束ね、焔の遺児を討ち果たせ。彼奴は悪鬼の類に成り果てた天界の敵である。」
 厳かに命じる天帝の顔には精気が欠けていた。
 成琉は「御意」とのみ答え、恭しく一礼すると謁見の間を後にした。
 果たしてあれは、自分が忠誠を誓った天帝であろうか、と思うほどに変容を遂げていた。
 先代天帝より禅譲を受けた今の天帝は、治世の当初、明らかに公平にして賢人であった。
 だが、今の天帝は、己の保身のみに汲々とする小人物に見えるのだ。
 それに、焔の部族の結末について同情を覚えない訳でもない。
 天帝の座は世襲ではない。
 よって不安定である。
 四方の諸侯は、次代の天帝を狙ってもおかしくないのだ。
 今回の件で抜群の武勇を上げれば、名声につながると考える者もいるだろう。
 そういった五十万の軍を束ね、指揮しなければならない。
 だが、禁軍総帥の立場は成琉にそれ以上の思考の猶予を与えなかった。
 考えつつ廊下を歩く成琉に、斥候からの情報がもたらされた。
 少年は、神都より徒歩ならば約二日程度のところにおり、単騎でこちらに向かっているという。
 少年の歩みはさほど早くない。
 全軍が陣容を整えるだけの時間は十分にあるだろう。
 成琉が閲兵場につく頃には、既に大軍が集結していた。
 数々の旌旗をたなびかせ、諸侯の軍が整列している。
 成琉は、眼下の将兵を見回し、言葉を紡いだ。
 「天帝の勅命である。謀反を抱いた焔の遺児が神都に向かって攻め上ってくる。
  我らはそれを迎え撃つ。
  万余の軍を薙ぎ払った超常の者故、ゆめゆめ侮るなかれ。」
 成琉の武名は、焔の部族と比しても遜色ないほどに高く、その高潔な人柄はやはり人望を集めていた。
 だからこそ、派閥を作らず、敵を作らず、天帝に無私の忠誠を誓っていた。
 それでも政争と全く無縁ではいられなかった。
 天帝は私を試しているかもしれない。
 そんな思いがよぎるが、すぐに頭から振り払う。
 それでも我が忠誠は揺るぎない、と。
 「出陣!」
 成琉の一声。
 全軍がどよめき、一斉に鬨(とき)の声を挙げた。
 「出立!」
 先陣を受け持つ東方軍が城門をくぐり、野外に出始める。
 成琉は段下に下り、自らの率いる禁軍に合流した。
 五十万の軍団は、足取りを見事に合わせ、整然と進軍し始めた。


 翌日朝、斥候の情報がもたらされた。
 少年は相変わらず悠々と歩いているらしく、軍と会敵するのは早ければ今晩、遅ければ明日になるであろう、というものだった。
 成琉は、軍の進行を止めると、正面方向に重装備の歩兵を置き、その両脇に重装騎兵を、さらに両翼端には大型の弩弓を配備した。
 普通の矢では、届く前に燃え尽きると報告を受けていたため、この弩弓に用いられるのは城攻め用の巨大なものだ。
 一度設置すれば方向転換は容易ではない。
 故に、戦場は左右両翼を緩やかな丘陵に囲まれ、中央に街道を擁するこの平地を選んだ。
 相手は一騎だが、万の軍勢に匹敵すると見ての布陣である。
 今のところ、諸侯は成琉の指揮どおりに動いている。
 戦術は至って簡潔、弩弓の一斉射を浴びせた後、重装騎兵と重装歩兵で押し潰す。
 後は、少年の出方と能力次第である。
 武勇に秀でた者たちには可能な限り一騎打ちを控え、多対一で戦うように厳命している。
 無論、己の武を頼む者たちとしては受け入れがたい話であり、抵抗は受けたが、先の戦いの轍を踏む訳にはいかない。
 沽券に関わるなどと言っている余地のある相手ではないと、成琉は分析していた。
 そして陣営が完成し、夜の帳が下りてきた。
 異変は、実はすぐそこまで迫っていた。


 深夜。
 轟、と炎が奔った。
 鶴翼の陣の中央、雑草の生える原野が突如として火に包まれた。
 歩哨がそれに気づき、激しく銅鑼を鳴らす。
 原野の中央に人影があった。
 上半身は片肌脱ぎ、下半身には鎧直垂、長剣を握る「青年」の姿がそこにはあった。
 急報を伝えるものはいなかった。
 斥候はおそらく討たれたのであろう。
 急な襲撃であったにも関わらず、十分な警戒をしていた陣形両翼端の弩弓隊は即座に反応した。
 巨大な矢をつがえ、青年に向かって射つ。
 一丈もの長さの矢が、幾百も青年に向かう。
 だが、どれも青年には到達しなかった。
 青年の放つ炎が二日前とは比べ物にならないほど強いのだ。
 弩弓が放ち終えるのを見て、重装騎兵が青年に向かって突撃を開始する。
 猛烈な炎に阻まれつつも、何割かは青年に近づいていく。
 それを容赦なく、青年の炎の剣が薙ぎ払う。
 重厚な鎧ごと騎馬武者が斬砕される。
 それでも、騎兵たちは果敢に次から次へと青年に向かっていった。
 さらに後続の重装歩兵が押し出してきた。
 身の丈程もある大盾を構え、炎を防ぎながらじりじりと前に出る。
 騎馬武者が数騎、青年と剣戟を交える。
 勇猛で鳴らした天部の武神たちである。
 それも複数で青年にかかっていく。
 数合、撃ち合う。
 青年は長剣をぐるりと振り回すと、全員の武器を弾き返し、帰す刀で全員を斬り払った。
 武神たちが弱いのではない。
 青年の技量と膂力、そして炎の力が桁違いなのだ。
 間断なく続く剣撃の音、悲鳴、ばちばちと燃える音。
 五十万対一の戦場は、まさに地獄の様相を呈していた。
 「東方軍、将討ち死に!」
 「西方軍、騎馬隊壊滅!」
 成琉の本陣に悲報が駆け巡った。
 戦が始まって約二刻(約4時間)が経過したころ、信じ難いことに、天軍五十万のうちおよそ半数近くが倒されていた。
 青年の覇気は留まるところを知らず、それどころか時間を経るにつれますます盛んになるようだった。
 炎の剣は十丈(約18m)を超える刃となり、薙ぎ払うだけで数十騎が蒸発していた。
 成琉は乱戦の中にあって動揺する全軍の把握に傾注し、士気の低下をかろうじて防いでいた。
 (これほどの鬼神が生まれるのか)
 もはや疑問の余地など無い。
 これは明らかに焔の部族の怨嗟から生まれた鬼神だ。
 それも外敵たる悪鬼たちの比ではないものだ。
 天帝の思惑がいかなところにあったとしても、もはや放置しておける存在ではなかった。
 南軍と北軍の武将を呼び寄せ、成琉自身の近衛隊と合わせ、戦闘集団を作る。
 一般兵で相手にならないのは明らかだ。
 ならば。
 単独武力に秀でる武将たちを集め、集中して討ち果たすしか無い。
 成琉が馬腹を蹴り、陣の前に出た。
 青年が成琉の視界に入る。
 青年は次の相手を待つかのように、悠然と立っている。
 「我は禁軍総帥成琉なり。貴殿の名を聞こう。」
 久しく忘れていた、武人としての高ぶりが、名乗りという形で吹き出た。
 青年は少し首を傾げた。
 ややあって。
 「総ての焔の復讐者。好きに呼べ。」
 その放つ熱気とは裏腹に冷たい声であった。
 成琉は答える。
 「ならば、貴殿を『総焔真君』と呼ぼう。」
 すらり、と成琉が長剣を抜いた。
 成琉に続く武神たちも各々の武器を構える。
 「いざ、汝を討ち果たさん!」
 そして激戦が幕を開けた。
 

 十二騎の猛将を相手にした青年。
 爆炎と斬撃を怒涛のごとく繰り出すが、そこは十二騎も只者ではない。
 青年の体に幾つも浅い傷が付く。
 だが、その傷口からは炎が吹き出し、すぐに塞がる。
 ぎぃん、ぎぃん、と剣戟を撃ち交わす音がいつまでも続く。
 だが、永劫に続くかと思われた戦いにも変化は訪れる。
 一騎、また一騎。
 青年・・・総焔真君の剣の前に斃れていく。
 一方で総焔真君の傷も浅くはなくなってきていた。
 それでも傷口から炎を吹き出しながら戦い続ける。
 そして、成琉と総焔真君だけが残った。
 激しく撃ち合う二人。
 まるでこれからが本番とでも言わんばかりの、鬼気迫る戦い。
 天軍最強とまで言われる成琉は、他の十一騎を失ってなお、総焔真君相手に互角かそれ以上に戦っている。
 無論、成琉とて無傷で済んでいる訳では無い。両者ともまさしく満身創痍であった。
 両者の伯仲する戦いは、唐突に終わりを告げた。
 ただ一撃、成琉の剣が総焔真君の剣をかいくぐり、その胸板を貫いたのだ。
 間髪入れず、もう一振りの剣を抜くやいなや、その頸を刎ねた。
 総焔真君の首が地に落ちるまでの一瞬。
 その体が動いた。
 総焔真君の剣が今度は成琉の胸板を貫く。
 地に落ちた総焔真君の目が成琉を見ていた。
 その目から、ふっと光が消える。
 総焔真君の体がくずおれた。
 成琉は顔色も変えずに、刺さった剣を抜く。
 その傷から爆炎が吹き出した。
 一瞬にして炎が成琉を包む。
 「ふふふ、ふははははは!」
 成琉は嬉しそうだった。
 「よもや、最後の相手がこれほどの好敵手とは!さらばだ、皆の者!」
 成琉は倒れることはしなかった。
 ただ燃え続け、そして炭となって崩れて消えた。
 総焔真君は討たれ、成琉もその生涯を終えた。
 報に接した天帝は今度こそ安堵した。
 その後に迎える結末を知らずに。
 そう、このとき、誰もこの後に訪れる「災厄」は見通せなかったのである。

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