じゃじゃ馬令嬢とむっつり軍人の攻防明治記~お前の言いなりに誰がなるものか!!~

江村 歩々里

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花園1

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敏正が部屋を出てからしばらく放心していた桜子だったが気を取り直し、間を置かずに女学校へと出向いた。屋敷にいるより少しは気が紛れるだろうと思ったからだったのだが、女学校でも桜子は苦難することとなる。



――――――


「桜子さん、ご機嫌よう。みな、桜子さんが来るのを心待ちにしていましたのよ。この女学校でも噂のまとの桜子さんに許婚がいらしたなんて、私、本当に驚いてらっしゃるのよ。そんな大事な話を親友の私にも秘密にしていたなんて、酷いじゃありませんか。今日は私、そのお話をきちんと聞くまで帰れませんわ。」


 女学校の席に着くや否や真っ先に声をかけてきたのは、桜子の親友を名乗る萩間美代子はぎまみよこだ。海老茶色の袴に、茶色革靴を履き、庇髪には大きな山吹色のリボンという、いかにも女学生らしい姿の美代子は、伏し目がちにどこか悲しげな雰囲気を漂わせている。

彼女はこの女学校の中でも一目置かれる公家の出自であった。爵位は公爵だ。

深窓令嬢と噂されている美代子だが、桜子から言わせればそんな噂とは程遠い人物である。

先先日も桜子は美代子と銀座へ繰り出す約束をしていたのだが、許嫁の訪問でそれが叶わなくなってしまったのだ。美代子と銀座に繰り出すのはその日が初めてではなかった。本来ならば、公家の令嬢ともあろうものが、家人や女中が伴なっていても銀座に出向くなどありえないのである。本当に美代子が噂通りの令嬢だったなら、桜子の友にはなれていなかっただろう。

桜子もまた、女学校で注文を集める生徒の一人である。桜子の容姿は他の令嬢に比べ飛び抜けて美しく、侯爵という爵位がさらに拍車をかけた。

だが、気を抜けば直ぐに口に出る男言葉は箱入り娘の令嬢達を遠ざけるのには充分だった。

そんな桜子に躊躇なく親友宣言をしてくるあたり、美代子は相当なくせ者である。

猫かぶりとも言えるな。と心の中で思いながら美代子へと視線を向ける。

どうにも彼女は約束を反故されたことよりも許嫁の存在を黙っていたことに憤りを感じているらしい。

確かに約束を反故するさいに、文で許婚の存在を明かすまでそのような話をしたことは一度も無かったが、秘密にしていたつもりはない。


「別に秘密にしていたわけじゃない。私自身、許婚の存在など忘れていたんだ。」



そう、単純に忘れていたのだ。

むしろ、許嫁がいて頭が追いついていなのは桜子の方である。


「まあ、いけませんは桜子様。私達にとって一番大切なことじゃありませんか。殿方がどのような方だったのか、美代子に一番に教えて下さいね。きっとよ。だって私達は親友なんですもの。一番じゃなきゃ嫌よ。」



 女学校に通う学生の間では姉妹の契りと言われるもが流行っており、互いに好いた相手同士で親友になるのだそうだ。それは同学年に限らず、上級生から下級生に声をかけることもあれば、下級生から上級生に声をかけることも珍しくない。そんな美代子の姉妹の契りの相手として、一方的に親友宣言されたのは何時の事だっただろうか。色気沙汰だけではなく女学生の流行にも疎かった桜子は、耳にタコが出来るかと思うほど、美代子に事細かに説明されたものだ。姉妹の契りを結んだものは互いが唯一無二の存在になり、隠し事などもっての外なのである。

 ちなみに、親友がいる女学生に朝一番に挨拶をするのは姉妹相手と決まっており、先に話しかける場合には相手の許可をとるのがマナーらしい。姉妹同士で話しているときは、二人の世界に入るような無粋な真似をしないのがマナーなのだそうだ。さほどその手の物に興味がない桜子にしてみれば、なんとも珍妙な話である。が、普段は世間と関わりを持つことを良しとされない箱入りの令嬢たちにとって、それは束の間の自由と細やかな抵抗の証なのだろう。


「分かった。昼休みの時間にでもきちんと話す。それでいいだろう」


洗いざらい全て話すから今は引けと言わんばかりに桜子は話を切り上げる。

と言っても、桜子が許婚の存在を告げたのは美代子だけなのだが、その後ろには桜子と比較的仲の良い他の令嬢達もが傍耳を立てていた。

家中の者に聞いたのか、はたまた美代子が口を滑らせたのか知る由もないが、桜子に許嫁がいる事は瞬く間に他の令嬢達の知ることとなったようである。

クラスの令嬢から向けられる視線がどこか落ち着きなく、みなひそひそと桜子に目配せしながら話しあっている。

大方、桜子の見合い相手の家柄が気になるのであろう。彼女たちにとって、他の令嬢の見合い相手を知ることは時に授業を受けるより大切な事なのである。

授業が始まり、喋り声こそ止んだものの空気は相変わらずザワついていた。

何とも居心地の悪い中で桜子は午前中の授業を終えた。





――――――





昼休みになり桜子は早々に美代子に手を引かれ中庭へと連れていかれた。

中庭と言っても桜子の屋敷のような立派な日本庭園などではなく、じゃりが敷き詰められた地面に欧米のベンチと呼ばれるものが二、三個置いてある簡素な所である。

ベンチの近くにはそれは見事な松の木が植えられているのだが、松を眺める風流を持ち合わせていない令嬢達からはあまり好評とはいえない。

これが桜や梅だったらまた違ったのかもしれないが、時代を先駆ける乙女たちにとっては如何せん華やかさに欠けるのもあまり好まれない理由の一つかもしれない。

 そんな松の木がシンボルのベンチに向かっているときにそれは起こった。


「もう我慢なんね!!なして江戸のもんにオラさのお国の言葉を馬鹿にされななんねぇんだ!!」


上級階級の華族令嬢が通う女学校にあまり似つかわしくない薩摩弁が響き渡る。

何事かと顔を見合わせた美代子と桜子は声の主へと視線を送る。

そこには散切り頭に袴をはいた、いかにも先の時代を主張する少女がそこにいた。

少女は自分を囲むように円を描いている数人の令嬢たちに向かって、怒鳴っているようだった。


「まぁ、何だか面白いことをしているわ。ねぇ、桜子さんちょっと行ってみましょうよ。」


まるで新しいおもちゃを見つけたかのように嬉しそうに微笑む美代子にまたか、と心の中で悪態をつく。

この女学校にいる令嬢の半数は目新しいものや、欧米の文化を積極的に取り入れようと向上心が強い者が多い。特に美代子はそう言ったものに目がなかった。

興味を持ったことに関してはとことん貪欲になる性格なのだ。公家という立場から欲しいものを苦労なく手にしてきた彼女の性分なのだろう。今はあの少女に興を惹かれたにに違いない。


「あまり気はのらん。見るからに薩摩の者じゃないか。薩摩なら成り上がりだろ。旧華族の私達が下手に関わりを持つべきではないと思うがな。特にお前は公家の出だろう。旧華族の中でも身分の高いお前が、成り上がりをかばったと広まれば面倒ごとになるかも知れんぞ。」


「あら、私の心配をなさってくれてるの。嬉しいわ。だけどね、桜子さん。今どき旧華族だの新華族だの馬鹿らしいと思わない?今じゃ黒船どころかたくさんの異人が日本に訪れて文明開化に力を入れているのに、同じ日ノ本の下で腹の探り合いなど何の意味があるのかしらねぇ。そんなんだから日本は後れを取るんだわ。ともかく私はあの子とお話してみたいの。勿論、私の一番は桜子さんよ。焼きもちやいちゃやあよ。」


(誰が焼きもちなどやくものか!!私を面倒ごとに巻き込むなと言っているんだ!!)


桜子も敏正と同じく成り上がりだの成金だのと気にする性分ではないのだが、この女学校の中では話が別だ。

貴族の令嬢とは自分の家の地位に誇りを持っているのは勿論のこと、序列に対しとても厳しいのである。

まだまだ、旧華族と新華族の溝は深くそれは令嬢達の間にもいえることだ。そんな中で、旧華族の令嬢が新華族の令嬢に関わったとなればいい顔をされなことぐらい容易に想像がつきそうなものだ。

だが、美代子はそんな事を気にとめる様子もなく、歩みを進める。

何を言っても無駄だと悟った桜子も黙って後に続いた。


「声を上げて怒鳴るだなんて、者はやっぱり野蛮ですわ。お育ちがよろしくないのね。」


「何も東京なんかに出てこないで、山にでもこもってお芋でも掘ってればいいじゃないの。」


「やだわ、それじゃ芋違いじゃぁないの。」



可愛らしい声でクスクスと笑いながら散切り頭の少女を攻撃している令嬢達はまだ桜子たちの存在に気づく気配はない。


(みかけない顔だな。下級生か?)


女学校に通っている令嬢は学年ごとに異なるが、概ね六十人から~八十人程度である。

成績ごとにクラスは分かれているが、野外授業で顔を合わせることも多い。同学年ならば一度ぐらいは顔を見合わせたことがあるだろう。


「可愛い小鳥たちが囀るには少し野蛮ではなくて?ねぇ、桜子さんもそう思うでしょ。」


今にも泣きだしそうな散切り頭の少女を見兼ね、美代子が令嬢たちに声をかける。

かけられた声に驚いた令嬢たちは桜子たちの方に振り向き、その顔を更に驚愕させる。


「萩間様!?それに花籠様!?・・・・・・あ、ご機嫌よう、お姉さま方。」


袴の裾を持ち淑女らしく挨拶をする令嬢たちに先ほどまでの毒気はない。


「あら、私のことをご存知なのかしら?嬉しいわ。」


「もちろんですわ!お二方はお姉様方の中でもお美しく、勉学にも秀でてらしゃいますもの!私たち、旧華族の誇りですわ。ああ、そんなお姉さまにお声をかけてもらえるなんて!!」


少し興奮気味捲し立てる令嬢は、憧れの存在である美代子と口を聞けたのが嬉しかったのか夢心地と言わんばかりに惚々としている。他の令嬢達も同様である。

散切り頭の少女はというと、何が起こったか分からない困惑顔である。


「ふふ、嬉しいわ。ねぇ、その子私に下さらない?」


そう言うや否や美代子は令嬢たちの返事も聞かずに、散切り頭の少女の手を掴むと、もう片方の空いている手で桜子の手を引き颯爽と駆けていく。

先ほどの令嬢たちの姿が見えなくなるころ、美代子は立ちどまり桜子達の手を放す。

三人ともに息を切らせ呼吸が整うまでの間、しばらく口を開く者はいなかった。


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