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プロローグ
しおりを挟む吐いた息が白く染まる中、明仁は美しい日本庭園へと目を向けた。白い衣を羽織り大輪の花弁を開かせる牡丹の華。そんな牡丹の花が咲き乱れる中庭に一人の少女が鞠をついていた。
あぁ、彼女が・・。
まだ幼さが残る顔立ちではあったが、遠目にもその顔が整っているのが伺えた。鞠をつく度に腰まで切り揃えられた艶やかな黒髪は儚げに揺れ、真紅の振袖からは白い腕を覗かせていた。
鞠を受けては突き返す。そんな少女を見つめていると、ふと少女の手が止まった。
「あっ・・・」
少女の手で受け止められなかった鞠が、明仁の足元へと転がって行く。
明仁は自分の足にコツンとあたった鞠に手を伸ばす。金や銀、華やかな刺繍糸がその鞠がいかに高価なものかを物語っていた。
少女へと視線を向ける。少女も明仁に気付いたのだろう。
切れ長の目に、鮮やかな赤い唇。子どもには似つかわしくない意志の強そうな瞳が真っ直ぐ明仁を見つめていた。
まるで作り物の日本人形のようだと明仁は思った。
明仁はあまり物事に関心を持つ性格ではなかったが、目の前にいる少女はそれほどまでに美しかった。
「・・・・・・返して」
鈴のようなか細い声と共に差し出された手は青白く小刻みに震えている。
無理もない。雪解けにはまだ遠く、今もしんしんと音もなく白い衣が降り続いている中、上着も羽織らず鞠をついていたのだ。身体はきっと冷え切っているだろう。
「・・・中に、屋敷に入らないのか。
そっと手を差し伸べれば少女はその手を一瞥し背を向けた。
「・・・戻りたいなら、お一人でお戻りになればよろし。」
少女の口から出た言葉は明仁に対する拒絶の言葉だった。
この少女は自分が思っているよりも聡いのかもしれない。
そう明仁は思わずにはいられなかった。
この屋敷に年頃の娘は一人しかいないと聞いている。ならば彼女が・・・・・・。
「・・・君が嫌がろうと何も変わらない。」
そんな明仁の言葉に少女は一瞬目を見開く。
だが、すぐにその表情は消え、切れ長の目がこれでもかと言うほど吊り上る。
「たかが軍人風情が何を偉そうに!」
まるで今にも噛み付かんと言うばかりに怒りをぶつけてくる少女に明仁は小さく笑みを零す。
あぁ、やはり彼女が・・・・・・。
「何が可笑しい!」
彼女は分かっているのだろうか。何故それほどまでに腹を立てているのかを。自分自身が気付かないうちに認めてしまっている事を。どれだけ強気な態度をとろと、悟ってしまった明仁の前では無意味だ。
「これからは軍人の時代だ。君の父さんは良い買い物をした」
「なっ、」
「自分が売られたのを認めたくないか。だが、君は売られた。」
少女の顔にありありとした激怒の表情が浮かぶ。
「っつ・・言われなくとも分かっている!!」
少女はそう叫ぶと踵を返し屋敷の方へと駆けていく。
その小さな背中を明仁は黙って見送る。
目の前に広がるのはここ数日ですっかり見慣れてしまった美しい日本庭園だ。
あぁ、牡丹が揺れている。
明治十九年、金融恐慌と軍靴の音が鳴り響く中、明仁は十六の年を迎えた。
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