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第二章 寸胴一つあれば大抵どうにかなります

商人、そして救援

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 オークとの戦闘に片が付いたのも束の間、ボールスやランス達騎士団の面々の救援に向かわねばならない。土と樹木の溶けた湿気は僅かな服の隙間から入り込み、否応なく気を重くさせる。晴れかけた気分は、再び茶と緑の雲に覆われた。胸元に張り付くシャツの鬱陶しさに、今暫く耐えることになりそうだ。

 「レックスだったか? そいつの怪我が問題無いようであれば、お前達には、ここで馬車の護衛を続けてもらいたいのだが」

 手を引かれ立ち上がる気恥ずかしさを大真面目な台詞で粉飾し、冒険者パーティー❝レックスと愉快な仲間達(仮称)❞に馬車の面倒を頼む。親指を立てる男というのは、例え溶鉱炉に沈んだとしても戻って来るのだ。恐らく彼も大丈夫だろう。

 「は、はい! 助けていただき有難うございました。馬車は我々にお任せください」

 状況が終了し地面に腰を下ろした一団の中で、弓使いの女が立ち上がった。こういった場面の対応役なのだろう、誰に押し付けられることも無く、上手く切り替えて応答した。彼女を囲う残りの面子も、疲労の色を浮かべつつも満更でない顔をしている。

 よく通る彼女の声は、蜘蛛の巣状に罅が走る馬車のガラスに浮かぶ人影を揺らした。勢いよく乗降の戸が開くと、腹回りの立派な中背の男が他に競う者もいないだろうにまろび出た。

 樽のようなその男は、涙か鼻水か判然としない跡を下膨れの赤ら顔に張り付けたまま、謝意を述べる。

「マック・キュイジーヌ様。この度は助けていただき誠に有難うございました。私奴わたくしめは、世に名高い壮麗なる大都市カンパーニュの片隅にて細々と商いを許していただいております――」

 カンパーニュの壮麗さなんぞより、よほど大仰な自己紹介である。騎士団への救援が目下の急務である今、この手の輩に裂く時間的猶予はオークの毛先程も無い。呑気に長々しく賑々しい口上を垂れる商人の男に、ハティも「マック、この人長い?」と足下の小石を蹴り、不満を露わにしている。馬鹿なのか利口なのか分からないが、少なくとも利己的であることは疑いようがない。 

「すまないが、今こうしてお前の対応に要している一分一秒寸暇が惜しいのだ。我が家の騎士達が生死を分ける分水嶺でな」

 突き放すような断りに、「これは大変申し訳ございません。弁えず差し出がましい真似を」と男は鉢額を下げ、身を引いた。暖簾に腕押しすれば女将が戸が開き、糠に釘打てば容器の底まで貫通したような、そんな呆気なさで。機を見るに敏なる商人という種の生物は、この辺りの分別がつくのであろう。商談の粘り腰だけでなく引き際の身軽さも重要な技能ということか。図らずも彼の能書きを並べる自分に驚き、兎にも角にも掴み所のない男だと彼の印象を纏めた。


 気を取り直し、この場を❝レックス(以下略)❞に任せ、「行こう」と、どちらともなく俺達は駆け出した。騎士団の面々が散った方向は概ね把握している。一仕事終え乳酸の溜まった下半身を叱咤激励し、無理矢理に回すと、昼にも関わらず薄暗い陰森に分け入った。

 聞き覚えのある声が木立に反響し、登山道のピンクテープを辿るが如く道なき道に一筋二筋の道標を示す。堰き止めんとばかりに視界を遮る邪魔な枝葉を打ち払い進む。どうかこの声が不幸な形で途絶えないことを祈り、こうして荒く拡幅した獣道が、帰りの賑わいに滞ることを願って。

 
 
 命の響きが大きくなる方向をひたすらに目指す。行き先はこの広大な森林の奥の奥であるはずが、代わり映えのしない迷宮のような景色に深度の感覚を麻痺させられる。悉く左右の二択を外しているような気がするのだ。ハティの背のみを頼りに追い、地面から張り出た嫌らしい根を超えた先で苔むした枯木を踏み砕いた。生乾きの破裂音は焦りに飛び火し、周囲の湿度がいくらか上昇する。

 自然の織りなす隘路はどこか神秘的なようで、しかし唯一確かなことはその神はろくでもない存在であることだけだ。浪漫の伴わない神秘には、大体の場合は代替として不安が伴うのである。迷いなく勇往邁進、不撓不屈の志で先を往く灰白の髪を追い、こうして叙景を綴ることのみが、我が身の寄る辺として許されていた。

 花粉か毒の影響かは分からないが、この森か将又はたまた世界のどこかを脳味噌が揺蕩うこと数分。浮かされた思考はハティの声に引き戻された。

「ランスが見えたよ」

 彼女の指す先では、ランス及び他三名が木々を隔ててオークと対峙している。状況が動く。熱り立ったオークが怒声を上げ手近な一人に殴りかかるが、騎士は落ち着きを崩さず木の背に隠れた。身の毛もよだつような炸裂音を立てて木が幹の中程から倒れると、その隙を逃さず一人の騎士がオークの脹脛ふくらはぎを背後から切りつけた。不意の痛みに怒りを濃くしたオークが振り向きざま長大な腕を振るうと、下手な裏拳のような一撃はまたもや木に受け止められ、騎士に達しない。

 「よし! このまま消耗させるぞ!」

 森という自然の隘路に誘導されたオークは、その恵まれた巨躯を思うように活かせず、たかる銀の羽虫に体を削がれてゆく。綺麗好きな猪にはさぞ苦痛であろう。一撃で雌雄を決する劇的な勝利に拘泥せず、攪乱し、弱らせる。現実的な策だ。現実と同様に残酷な策だ。

 「ランス、加勢に来たぞ。――とは言っても、流石に上手くやっているな。手が必要なければ次に行くが」

 背後からの呼びかけに肩を跳ね上げ、しかし振り返らず、優男は緊張の只中で安堵の息を吐いた。

 「マック様、ご無事で何よりです。ご助力有難うございます、御言葉に甘えさせていただいても宜しいでしょうか」

 「らくしょーだったよ、ランス」

 「ハティも元気そうでなによりだ」

 ハティが胸を張るが、残念ながら彼は敵から目を逸らさない。背中に目が付いている、と一流の武人を称賛する台詞があるが、残念ながら鎧越しでは役に立たないだろう。

 「どこが楽勝だ。何度か死にかけたではないか。……とにかく、お前達は攪乱に専念してくれ。俺とハティで決める」

 「……了解しました。おい! マック様とハティが一撃決める隙を作るぞ!」

 ランスの声に呼応し、各員が立ち回りを変える。付かず離れずの位置に立ち獲物の気を削ぐ者。到底致命傷となり得ない傷を散発的に付け続ける者。挑発的に盾を打ち鳴らす者。ランスは雄叫びと共に芝居がかった大振りで直剣を振り上げ跳躍した。

 オークに残された選択肢は防ぐか躱すかの二つに一つ。択を押し付けることは対人ゲームの基礎基本であり、現実でも戦闘の有利不利を生む一因であることは確かだ。
 
 ランスの雄叫びに釣られたオークは、散々にかき乱されたなけなしの集中力を振り絞り、柱のように太い腕を頭上で交差させた。交差させてしまった。視界を自ら遮るその隙を俺達は見逃さない。

 「はぁっ!」

 勢いを乗せて振り下ろされたランスの一撃は肉の半ばまで食い込み、オークの両腕を空中に縫い付けた。刃の脇から滲むように赤血が広がる。人間では大柄なランスの身長も、オークのそれに比すれば大したことは無い。しかし、直剣の剣先がその人獣の差を埋め、オークに視線と意識を高所へ向けることを強いた。

 受け止められ、されど怯まず押し潰さんと力を籠める。気迫に鎧が震える。必死の距離で睨み合う一人と一匹。――その脇を駆ける一人と一匹。「今度はハティが決めるからね!」「はいはい、分かったよ」と、修羅場にはいささか場違いな若い声が流れる。今回の俺の役目は、ハティが華麗な見せ場を作るためのお膳立てをすることに決定した。

 そうと決まれば後は単純である。【着火】により殺傷力を大きく増したナイフの一撃で、オークの膝裏から太腿までを幾度も焼き裂いた。オークの筋肉がどのように配置されているのか、俺とハティは献身的な被検体の全面的な協力のお陰で少々理解している。なお、当該研究に倫理的配慮は一切存在しなかったとのこと。どうか広く大衆の利益とならんことを。南無南無。

 オークは醜い咆哮を上げ、膝から崩れ落ちた。共通の言語を持たない人とオークであるが、悲鳴を上げたのだと確信した。

 「――――⁉」

 ひざまずくという行為は、多くは神前で捧げられるものであるが、これがこと対人場面となると話は異なる。勝者か強者か知れないが、頭上で己を見下ろす者に対する屈服の意思表示と成り果てるのだ。

 オークは変わらず両腕を剣に捧げ命を長らえているが、その懸命な顔に一つの影が落ちた。

 「どうしよっかな~。う~ん」

 ハティが丸い下顎にガントレットの太い指を当てる。他者の生殺与奪の権を握ることは、この上なく甘美な感覚である。幼さという要素では覆いきれない、魔物に対する無情酷薄さが白日の下に曝された。心を切り刻む愉悦で頬を朱に染め、火花が散りそうなほど明るい笑顔で獲物の死に際を差配する彼女は、やはり冷たく美しい。

 顎をリズミカルに叩きつつ、可憐な死神は踊るように獲物の周囲を歩き回る。連れまわす影もオークの悲哀に満ちた獣面を撫でるように動き、強い臭気の汗雫を弄ぶ。

 「ハティ、お楽しみの所悪いんだけど、そろそろ限界なんだ。止めを刺す栄誉は君に上げるから、早めにお願いするよ」

 ランスの若い肉体も流石に限界を迎えつつあるようだ。押さえつけるようになった剣が僅かに揺れ、腕の限界を訴えている。

 「まだ他にも加勢に向かわなければならないんだ。さっさとしろ、ハティ。今急いで片付ければ、最後の一体で遊ぶ時間が長く取れるぞ」

 「そうか、そうだね」

 ハティは親に諭された子供のように、てきぱきとガントレットを振り下ろした。ランスの直剣を上から殴りつける粗野な一打は、横木のような両腕の橈骨尺骨及び筋肉群を命脈ごと容易く断ち切り、オークの下顎骨の正中から頭部を割り開いた。

 熟れた柘榴ざくろのように瑞々しい内部が外気に晒され、湯気が立ちそうだ。圧迫された拳大の眼球が眼孔から押し出され、神経の束を頼りに力無く風に揺れる。

 「次行こ!」

 派手に舞った血飛沫をものともせず、彼女はファイティングポーズをとる。遊園地のアトラクションを制覇せんとする子供の意気込みだ。森を抜けてから先、血生臭い行楽地に俺達は迷い込んでいたのかもしれない。

 「うえっ。ちょっと、ハティ。やる前に一言くれてもいいだろう? 目に血が入ったじゃないか」

 ランスが鮮血を被った顔を顰め、目の辺りを擦る。近年は水飛沫を楽しむアトラクションも増えた。特等席に居た彼は、盛大に飛沫を浴びてしまったようだ。

 「ほら、水だ」と、【流水】を空中に浮遊させる。持ち主とお揃いで血塗れの直剣を地面に突き立て、ランスは桶から両手で水を掬うようにして顔を洗った。二度、三度と。




 ふと思い返せば、俺が未だ僕だった時代に楽しい行楽の記憶など一片たりとも存在していない。くだらない田舎の原風景を今も刻銘に想起可能な理由は何か。戦場で幼少期を過ごしただとか、壮絶な家庭環境に産み落とされたとか、そのような特異性の無い世間一般の人間が昔の記憶を忘れていくのは、きっと恐らく多分、思い出とか言う幸せな記憶の山に埋もれてしまうためだ。掘り起こすことが難しい程に、彼等彼女等は充実した生を送っているのだ。

 では自分はどうかと問えば、正反対だ、と答える他に無い。考えてみれば当然の事実に帰結するのであるが。獣虫限定とはいえ嗜虐趣味の童子を育てる親の心持ちとはどのようなものだろうか。難しい、その一言だろう。

 道徳という不確かな一般理念を丹念に押し付けることを教育と称するのなら、両親は教育熱心だった。幼い頃から、獲物を誇る飼い猫のように成果を報告する息子を、どうにか普通に出来ないかと、矯正出来ないかと、懸命に切々と口を酸っぱくして教え諭し続けた。そして、決まって僕は言った。「誰にも迷惑かけてないじゃないか」と。他人様を割り開いて中身を観察してはいけないことを理解していた。しかし、動物は違うだろうと。虫は違うだろうと。「虫や鳥も痛みを感じるの」と両親は繰り返すが、誰がどう研究したのか知らない付け焼刃の知識に屈するほど、僕は軟弱ではなかった。

 両親は呆れ果て、姉は恐れ距離を取り、そうして僕の思い出は風景と嗜虐に占められた。料理の道に進み、上手く嗜癖を昇華できるようになった頃には、もう全てが遅かった。後悔先に立たずと言うが、後悔は無かった。ただ、もっと上手くやれたのではないかと、そう思ったのだ。


 
 「有難うございます。さっぱりしました。この後はボールス副団長の加勢に向かわれますか」

 懐かしい記憶の淵を漂っていた意識が、ランスの声を伝い現実に帰ってきた。気が付けば、額に幾らか前髪を貼り付けたまま、ランスが俺の顔を覗きこんでいた。

 「っ、ああ。そうするつもりだが」

 後悔は反省を深める以上の機能を持たない。理屈として理解していても、素直に動揺するのが人間という生き物だ。思いの外、未練や心残りといったものを前世から引き摺って来ていたらしい。

 「私も――」とランスが供に名乗り出るより早く、俺達のすぐ傍で草木の折れる軽い音がした。電流が奔るように警戒心を全身に行き渡らせ、不穏に揺れる藪を鋭く睨む。気付けばそこかしこの戦闘音は収まり、森は平然たる態度を取り戻していた。

 下生えを踏みしめる湿った音が近付くに連れ、朧気な影がその輪郭を次第に膨らませてゆく。どうやら二足歩行のようだが、如何せん問題はその数だ。多い。多過ぎる。オークの増援だろうか。であるならば、退却の指示を出さねばならない。焦り加速する思考があれこれとネガティブな想像をさせる。

「総員、構え。逃げるにも接近を許し過ぎた。一当たりした後、頭数に応じて対応を検討する」

「「「「はっ」」」」「りょーかい」

 会敵まで数秒という頃、ランスが先陣を切った。一際太い木の幹に隠れた彼は、足音の主に向け、出合い頭に直剣を振るう。不意打ちを卑怯な真似だと謗る者はいない。一切の躊躇がない袈裟切りは木暗がりに弧光を引いたが、しかしその軌跡は討伐の栄誉に浴することなく、むしろ金属の擦れる不快な音を立てて受け止められた。「ぉぐっ……」詰まった声を上げ、姿勢を崩したランスの体がくの字に曲がり、弾かれるようにその背が俺に迫る。

 砲弾と化した彼を間一髪で躱した俺は、漸く姿を現した敵を見るや否や、全身の強張りが雲散霧消した。ジェットコースターや株式市場のような緊張と緩和の乱高下に、意図的に目を背けていた疲労が蓋を持ち上げ溢れ出る。安心したのだ。

 「これはこれは、マック様。彼奴らを片づけるのに少々手間取ってしまいまして、キュイジーヌ家副騎士団長として面目次第もございません」

 緊張感の無い台詞と共に現れたのは、ボールスと残りの騎士団員達であった。この森においては、二足歩行の大柄と言えば騎士かオークなのだと、今更ながら希望的観測を怠っていたことに気付く。呆れるでなく軽蔑でもない、何とも盛大な肩透かしにあった気分で、俺達は放置した炭酸飲料のように気の抜けた顔になる他無かった。

 

 
 
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