16 / 28
第二章 寸胴一つあれば大抵どうにかなります
作戦、そして次の料理
しおりを挟む
窓を開けると雨晴らしの湿気た空気が執務室に立ち込め、夏季まで遠いというのにシャツが煩わしい。ハティは帰りがけに買ったオークの塩焼きを頬張って喜色満面だ。
冒険者ギルドから領主邸に戻った俺は、ボールスを執務室に呼び出すことにした。そこらの使用人に頼むよりもよっぽど速いだろうと思い、食べ終えたハティを二階の窓から解き放つと、五分と言わず、ドアのノックが響いた。入室を許可すると、巌のような男が体を滑り込ませた。今日は大男に縁のある日らしい。
「ライゼ村のことは?」
「ある程度はトーマスさんから聞いております。かの村がオーク共に襲撃され、今も尚占拠されているとか」
書き物机の前に屹立するボールスは、その茶けた顔を顰めている。
「悪い知らせを一つ付け足してやろう。オーク達はライゼ村を要塞化――と言うと流石に過言かもしれないが、外壁で囲んでいるらしい。なにやら……不穏だとは思わないか?」
「知性ある個体が生まれた、ということですね」
ボールスの瞳が驚愕に見開かれ、次いで厳しく吊り上がった。
「こうなった以上、大勢で押しかけて真正面から潰す、なんて手は打てない。作戦を練らないとな。というわけで、あれは準備できたか?」
巻かれたガサついた紙が差し出され、閉じ紐を解き広げると、それは地図だった。端がざんばら髪のように擦り減り、いくつか折り目のある、年季の入った地図だった。線や記号が細かく描かれたそれは、太陽の光が差し込む中、その細部までを明らかにしていた。
「これは……よくできているな」
「はい、マック様から頂いたライゼ村近辺の地図に、地形の高低や植生等を書き足したものです」
地図の中央には、この世界の文字でライゼ村と書かれた楕円が置かれている。それを貫通するようにミミズか蛇かという線が引かれている。
「森の中の平地に、生活用水を確保するための川を囲むようにして出来た村、か」
「人にとって住みよい環境は、オーク共にとっても魅力的だったのでしょう……」
「皮肉なものだな……」
「えぇ、本当に」
ふと地図の端に視線を移すと、赤いバツ印がちらほら見える。オークの巣穴だ。いや、正確には巣穴だった場所だ。山の斜面に沿うようにして幾つか見えるそれは、洞窟を利用していたらしい。
「ライゼ村の現状が定かでない以上は、近づいて状況を逐次確認しながら作戦を立てるのが好ましいと思うが、どうだ」
「理想を言えば、事前に情報収集をして綿密に作戦立案を済ませておくべきなのでしょうが、この場合は仕方ないでしょう」
次善の策という奴だ。対象に気取られないよう慎重を期して臨めば、机上で妄想と仮定を練り続ける現実味の無い作業を重ねるよりも、よっぽど現実に即したものになるはずだ。
「先程、冒険者ギルドから帰ってきた所でな。ヘンリー支部長と生存者から話を聞き、冒険者を幾らか出してくれると確約を得た。お前達騎士団は俺の直轄部隊として動いてもらう。冒険者達にはこちらで作戦を提案し、了承すれば協力してくれるそうだ」
演技のように肩を竦めてみた。命あっての物種。命がけの仕事をしている風来坊の彼等は、領主の権威というものに縛られない。
実際、冒険者は貴族の民を守るという義務を疑似的に肩代わりしているという側面があるのだから、上手く付き合えなければ自分の負担として帰ってくるというのが現実だ。金と名誉のために戦う冒険者と、立場と名声のために戦う貴族。似たようなものだ。
「我々騎士だけでは心もとなく思っておりました故、助かります。では、あとは装備や食料品を整えて出発ですか」
「あぁ、装備品はお前達に任せる。俺は食料の準備に入るから、何かあれば報告をするように」
「かしこまりました」
ボールスは右腕を胸に添え、部屋を後にした。
執務室の上等な椅子の座り心地を名残惜しく思いながら、掛けていた外套に袖を通す。
「外行くの?」
「あぁ、ライゼ村の近辺で作戦を立てるなら、派手な煮炊きは勘付かれる恐れがある。監視の騎士が殺されたということは、向こうも偵察を出していることだからな」
つまるところ、今回の作戦に持っていくのは調理に時間のかからない物。そして保存食ということになる。
俺と同じ結論に至ったのか、ハティが口を尖らせた。手のかかる料理の美味しさに味を占めた彼女には、手抜きに感じたのかもしれない。
手間のかからない料理というのは決して手抜きではないのだが……。食べる側は、得てしてそのことを知らないのだ。食べるのに手間のかからない料理を作るのに手間がかかる、というジレンマを知らないのだ。ポテトサラダは無から生み出されるのではない。全国の男性諸君は覚えておこう。
「買い物と調理を手伝わないなら味見もさせんぞ」
「干し肉の味見なんていらないし」
「干し肉も勿論持っていくが、そんな前時代的なもので俺が満足するわけが無いだろう」
俺の挑戦的な声色に気付いたのだろう、ハティがソファから身を乗り出した。
「なに!? なに作るの!?」
俺と年齢は変わらない彼女のいとけない仕草に、思わず緩む口元を隠すようにしてドアに手をかけた。
「”ギモーブ”と”シリアルバー”、それと”オークのコンフィ”」
ある種呪文のような俺の呟きに、食欲の権化が呼び出されたらしい。籠を抱えたハティが音もなく俺の後ろに立っていた。
遠くの練兵場から、甲高い音と揃った野太い声が聞こえる。空はすっかりと雲を晴らし、二つの軽い足音が廊下に響いた。
冒険者ギルドから領主邸に戻った俺は、ボールスを執務室に呼び出すことにした。そこらの使用人に頼むよりもよっぽど速いだろうと思い、食べ終えたハティを二階の窓から解き放つと、五分と言わず、ドアのノックが響いた。入室を許可すると、巌のような男が体を滑り込ませた。今日は大男に縁のある日らしい。
「ライゼ村のことは?」
「ある程度はトーマスさんから聞いております。かの村がオーク共に襲撃され、今も尚占拠されているとか」
書き物机の前に屹立するボールスは、その茶けた顔を顰めている。
「悪い知らせを一つ付け足してやろう。オーク達はライゼ村を要塞化――と言うと流石に過言かもしれないが、外壁で囲んでいるらしい。なにやら……不穏だとは思わないか?」
「知性ある個体が生まれた、ということですね」
ボールスの瞳が驚愕に見開かれ、次いで厳しく吊り上がった。
「こうなった以上、大勢で押しかけて真正面から潰す、なんて手は打てない。作戦を練らないとな。というわけで、あれは準備できたか?」
巻かれたガサついた紙が差し出され、閉じ紐を解き広げると、それは地図だった。端がざんばら髪のように擦り減り、いくつか折り目のある、年季の入った地図だった。線や記号が細かく描かれたそれは、太陽の光が差し込む中、その細部までを明らかにしていた。
「これは……よくできているな」
「はい、マック様から頂いたライゼ村近辺の地図に、地形の高低や植生等を書き足したものです」
地図の中央には、この世界の文字でライゼ村と書かれた楕円が置かれている。それを貫通するようにミミズか蛇かという線が引かれている。
「森の中の平地に、生活用水を確保するための川を囲むようにして出来た村、か」
「人にとって住みよい環境は、オーク共にとっても魅力的だったのでしょう……」
「皮肉なものだな……」
「えぇ、本当に」
ふと地図の端に視線を移すと、赤いバツ印がちらほら見える。オークの巣穴だ。いや、正確には巣穴だった場所だ。山の斜面に沿うようにして幾つか見えるそれは、洞窟を利用していたらしい。
「ライゼ村の現状が定かでない以上は、近づいて状況を逐次確認しながら作戦を立てるのが好ましいと思うが、どうだ」
「理想を言えば、事前に情報収集をして綿密に作戦立案を済ませておくべきなのでしょうが、この場合は仕方ないでしょう」
次善の策という奴だ。対象に気取られないよう慎重を期して臨めば、机上で妄想と仮定を練り続ける現実味の無い作業を重ねるよりも、よっぽど現実に即したものになるはずだ。
「先程、冒険者ギルドから帰ってきた所でな。ヘンリー支部長と生存者から話を聞き、冒険者を幾らか出してくれると確約を得た。お前達騎士団は俺の直轄部隊として動いてもらう。冒険者達にはこちらで作戦を提案し、了承すれば協力してくれるそうだ」
演技のように肩を竦めてみた。命あっての物種。命がけの仕事をしている風来坊の彼等は、領主の権威というものに縛られない。
実際、冒険者は貴族の民を守るという義務を疑似的に肩代わりしているという側面があるのだから、上手く付き合えなければ自分の負担として帰ってくるというのが現実だ。金と名誉のために戦う冒険者と、立場と名声のために戦う貴族。似たようなものだ。
「我々騎士だけでは心もとなく思っておりました故、助かります。では、あとは装備や食料品を整えて出発ですか」
「あぁ、装備品はお前達に任せる。俺は食料の準備に入るから、何かあれば報告をするように」
「かしこまりました」
ボールスは右腕を胸に添え、部屋を後にした。
執務室の上等な椅子の座り心地を名残惜しく思いながら、掛けていた外套に袖を通す。
「外行くの?」
「あぁ、ライゼ村の近辺で作戦を立てるなら、派手な煮炊きは勘付かれる恐れがある。監視の騎士が殺されたということは、向こうも偵察を出していることだからな」
つまるところ、今回の作戦に持っていくのは調理に時間のかからない物。そして保存食ということになる。
俺と同じ結論に至ったのか、ハティが口を尖らせた。手のかかる料理の美味しさに味を占めた彼女には、手抜きに感じたのかもしれない。
手間のかからない料理というのは決して手抜きではないのだが……。食べる側は、得てしてそのことを知らないのだ。食べるのに手間のかからない料理を作るのに手間がかかる、というジレンマを知らないのだ。ポテトサラダは無から生み出されるのではない。全国の男性諸君は覚えておこう。
「買い物と調理を手伝わないなら味見もさせんぞ」
「干し肉の味見なんていらないし」
「干し肉も勿論持っていくが、そんな前時代的なもので俺が満足するわけが無いだろう」
俺の挑戦的な声色に気付いたのだろう、ハティがソファから身を乗り出した。
「なに!? なに作るの!?」
俺と年齢は変わらない彼女のいとけない仕草に、思わず緩む口元を隠すようにしてドアに手をかけた。
「”ギモーブ”と”シリアルバー”、それと”オークのコンフィ”」
ある種呪文のような俺の呟きに、食欲の権化が呼び出されたらしい。籠を抱えたハティが音もなく俺の後ろに立っていた。
遠くの練兵場から、甲高い音と揃った野太い声が聞こえる。空はすっかりと雲を晴らし、二つの軽い足音が廊下に響いた。
139
お気に入りに追加
359
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる
フルーツパフェ
大衆娯楽
転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。
一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。
そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!
寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。
――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです
そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。
大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。
相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。
√悪役貴族 処刑回避から始まる覇王道~悪いな勇者、この物語の主役は俺なんだ~
萩鵜アキ
ファンタジー
主人公はプロミネント・デスティニーという名作ゲームを完全攻略した途端に絶命。気がつくとゲームの中の悪役貴族エルヴィン・ファンケルベルクに転移していた。
エルヴィンは勇者を追い詰め、亡き者にしようと画策したことがバレ、処刑を命じられた。
享年16才。ゲームの中ではわりと序盤に死ぬ役割だ。
そんなエルヴィンに転生?
ふざけるな!
せっかく大好きなプロデニの世界に転移したんだから、寿命までこの世界を全力で楽しんでやる!
エルヴィンの中に転移したのは丁度初等部三年生の春のこと。今から処刑までは7年の猶予がある。
それまでに、ゲームの知識を駆使してデッドエンドを回避する!
こうして始まった処刑回避作戦であるが、エルヴィンの行動が静かな波紋となって広がっていく。
無自覚な行動により、いくつものフラグが立ったり折れたり、家臣の心を掌握したり過大な評価を受けたりしながら、ついに勇者と相まみえる。
果たしてエルヴィン・ファンケルベルクはバッドエンドを回避出来るのか……?
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話
妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』
『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』
『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』
大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。
【R18】童貞のまま転生し悪魔になったけど、エロ女騎士を救ったら筆下ろしを手伝ってくれる契約をしてくれた。
飼猫タマ
ファンタジー
訳あって、冒険者をしている没落騎士の娘、アナ·アナシア。
ダンジョン探索中、フロアーボスの付き人悪魔Bに捕まり、恥辱を受けていた。
そんな折、そのダンジョンのフロアーボスである、残虐で鬼畜だと巷で噂の悪魔Aが復活してしまい、アナ·アナシアは死を覚悟する。
しかし、その悪魔は違う意味で悪魔らしくなかった。
自分の前世は人間だったと言い張り、自分は童貞で、SEXさせてくれたらアナ·アナシアを殺さないと言う。
アナ·アナシアは殺さない為に、童貞チェリーボーイの悪魔Aの筆下ろしをする契約をしたのだった!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる