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第二章 寸胴一つあれば大抵どうにかなります

冒険者ギルド、そして異常

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 トーマスの報告から一夜が明けた。気を削がれた俺は、寝付くまで胸の底で沸き立つ不快な感情を宥めるのに必死だった。浅い眠りから目を覚ますと、部屋の中に常夜灯の燭台が不快な香りを撒いている。

「換えてもらえばよかったか……クソっ」

 私室の外に立つ不寝番に聞こえないよう、小さく吐き捨てるように呟いた。

 到底二度寝に耽る気分にもなれず、数日ぶりのまともな寝具から離れ難いと体が訴えているはずなのに、嫌に軽々と上体を起こすことが出来た。

 天蓋に覆われていた視界が開け、見るまでもなく分かる部屋の景色が広がる。

 視界の端に蝋燭ではない光が見えた。人の気も知らずにカーテンの合わせ目から差し込む朝日の眩しさに眉根を寄せる。光線にキラキラと輝く埃に心を動かされる自分も嫌で、閉じたカーテンを左右に引き裂くようにして開けた。歪んだガラスの嵌め込まれた窓を開くと、蝋燭の嫌らしい明かりと香りが部屋から逃げた。

 ベランダに出ると、無遠慮に陽光が体を包んだ。朝日は浴びた方が良いのだと自分に言い聞かせると、段々と胸の熱が目立たなくなったように感じた。

 部屋に戻ると、書き物机の上の報告書が風に揺れているのが目に入った。長閑な開拓村には、簡素な柵と見張り台しか防衛設備が無かったという。僅かな兵士を置いていたそうだが、間もなく全滅。被害者は推定で200名前後。生存者は三々五々逃げ出したので、正確な人数は不明、とのことだ。

 ”つる×まほ”でもこの手のイベントや報告シーンは数多く有った。数字の増減でしかなかったそれは、画面の向こうの俺に何の感慨も齎さなかった。いや、一周目は眉を顰めたかもしれないが、少なくとも直近の数周はそうだった。またこいつらは死んだのかと、嗤ってすらいた。

 そんな自分が、今や数字の桁を右から恐る恐るなぞっている。以前の自分を責める気にはならないが、呑気さに自嘲してしまう。苦界に身を沈めるというのは、異世界転生のことだったのかもしれない。地獄には道連れが必要だろうと、机の上の呼び鈴を鳴らした。






 通りには朝早くから声が溢れていた。人足を求める寄せ場の男が、太い胴を折り曲げて俺に頭を下げた。野菜を売りに来た老婆が、孫と思しき幼女の頭を掴むようにして自分の真似をするように言った。この一人一人に命があるのだと思うと、昨日よりも街行く人の輪郭が明瞭になったような気がした。

「今日は何する? ライゼ村、行く?」

「流石に準備不足だろう。まずは情報収集からだ」

 俺は謎の焼き魚を頬張るハティを連れて、大通りを歩いている。石畳には露天がひしめき合い、朝日を浴びて色めいている。ハティは喧騒に煽られたのか、鼻を膨らませて、今にもライゼ村に乗り込む気のように見える。

「生存者に話を聞こう。それが終われば食料や医薬品を揃えて、ボールス達騎士と共に出発だ

「大丈夫?

「被害は心配だが、逸ったところで、こちらの被害が広がるだけだからな。急ぎはするが焦りは禁物だ」

 ハティは案じるような表情で俺の顔を見ると、「そうじゃないよ」と呟いた。

 分かっていた。ただ、それに答えると弱音を吐いてしまいそうで。

 俺は生存者の待つ冒険者ギルドに歩みを速めた。






 広場の一角、カンパーニュで商売をするなら一等地であろう区域にその建物は建っていた。大きな扉の上には古びた看板が掲げられ、”冒険者ギルド カンパーニュ支部”との文字が躍っていた。

 スイングドアを開けると、活気が炸裂した。冒険者達の声だ。カンパーニュ領は、魔物の蔓延る領域と人類の支配域の境界である。つまりは魔物との遭遇が必然的に多い地域であり、魔物を狩り希少な素材を持ち帰ることで日々の糧を得る冒険者達の仕事が絶えないということだ。

 壁際の板に張り出された様々な依頼を眺める集団を横目に、カウンターに座る受付嬢に声をかけた。

 「支部長に会いたいのだが」

 受付嬢は一瞬目を見開くと、すぐに平静を取り戻し、喧騒に紛れるように小声で対応した。

 「マック・キュイジーヌ様ですね。御足労いただき申し訳ございません。内容が内容ですので、二階の応接室にご案内いたします」

 受付嬢はカウンターの裏、バックヤードとも呼ぶべき場所へ振り返り、手空きの職員を呼びつけると耳打ちした。

 なんの特徴もない麦粒のようなそばかすの受付嬢が、「どうぞ、こちらです」と階段を手で示した。



 応接室と書かれたプレートが付いた扉が開くと、二脚のソファと、それに挟まれるようにして長机が置いてあるだけの小ざっぱりした空間が広がっていた。受付嬢が鎧戸と雨戸を開けると、いつの間にか空には棚雲がかかっていた。

「おかけになってお待ちください。支部長を呼んでまいります」

 そう言って足早に職員が出ていくと、ハティが俺の対面のソファに陣取った。魚を食べ終え、口寂しそうに焼き串を噛んでいる。その顔は、どこか悔し気に歯噛みするようにも見えた。


 コンコン


 木を叩く軽い音が響くと、筋骨隆々の大男が体を折りたたむようにして扉を潜った。

「お待たせして申し訳ございません。冒険者ギルド カンパーニュ支部長のヘンリーと申します。以後お見知りおきを」

「マック・キュイジーヌだ。よろしく頼む」

 俺が右手を差し出すと、ヘンリーは瞠目した後に急いでシャツで右手を拭い、握り返した。ゴツゴツと固い感触の皮膚に、彼が冒険者からの叩き上げで今のポストを得たであろうことが分かった。

「立ち話もなんだ、好きな方に座るといい」

 字面だけは親切な俺の勧めに、彼は口角をヒクつかせ、「いえ、鍛えておりますので」と苦しい断り文句で辞退した。気まずく思ったハティが退くのではないかという期待は、もう湧きもしなかった。

 ヘンリーは、こほんと咳を一つすると、姿勢を正して本題に入った。

 「詳細はトーマスさんからお聞きになったかと思います。冒険者に斥候を頼んだところ、ライゼ村は現在もオークの群れに占拠されており、中に生存者は期待できないのではないか、とのことです」

 ――うん? なんか今変な言い方しなかったか?

 発言に違和感を覚えた俺は、彼の日に焼けて白目が茶色くなった双眸を見た。

「”期待出来ない”ではなく、”出来ないのではないか”というのはどういうことだ?」

「……見えないのです」

「どういうことだ? 安全を期して夜中に探りでもしたのか?」

「見えないのですよ。」 

 苛立たし気なその声色に、俺はこの案件が一筋縄ではいかないことを悟った。

 こめかみをタールのような雫が勿体ぶるように、やけにゆっくりと伝い落ちた。幾らか弱まった通りの喧騒を風が運び込むと、不快な脂汗は全身に広がった。

 俺の顔の強張りを見たのだろう。「……生存者を連れてきます」と、彼は踵を返して出ていった。逃げるようなその後ろ姿は、数分前に出会った時よりしぼんで見えた。
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