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第二章 寸胴一つあれば大抵どうにかなります

アウトドア、そしてポトフと騎士

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 男達の騒がしい声が辺りに満ちている。それは戦勝の喜びや高揚の色だけではなく、むしろ薄気味悪いものを見たような、そんな困惑と不安の色が濃く感じられる。大方、俺の戦いに面食らったのだろう。

 俺はそんな周囲からの視線を感じつつも、知らぬ存ぜぬという体で寸胴を運び、石で焚火を囲った即席の竈に乗せた。キノッピオ・マッシュを片付けたことで漸く調理に取り掛かることが出来て、俺の心は高鳴っていた。ガタつきを確認すると、調理開始だ。

「カロリーヌ、干し肉はあとどれくらい残っている?」

 相方は勿論、弟子のカロリーヌだ。彼女は日持ちを重視して積んできた根菜類を一口大に切り揃える手を止めて、食料を収めた木箱を覗き込んだ。残量が芳しくないことが一目で分かる表情を俺に返す。

「三十人だと、あと一食か……切り詰めれば二食いけるかもしれません。それくらいです」

 野営や航海のような、食料の補充に難渋する事態に活躍するのが、保存食である。干し肉はその代表と言ってもよいだろう。カロリーヌの報告が聞こえたのだろう、俺が【料理】スキルで出した清潔な水で、野菜を洗う手伝いをしているハティが眉を下げた。

「干し肉、無くなるの?」

「お前がお菓子感覚でパクパク食べてたのも一因だろうが。まぁ、ここまで予想外にスムーズに進めているからな。明日の昼頃には領都カンパーニュに到着する予定だ。勿体ぶらずに今夜の食事で使い切っても構わんだろう。騎士達あいつらにも褒美が必要だろうからな」

「ご褒美……干し肉食べ放題!?」

 少女漫画よろしく瞳に星が散ったかと錯覚せんばかりにハティが目を輝かせる。俺は「そんなわけあるか」と遠慮なく直言すると、ジュージューと熱い音を立てる鍋に目を遣った。

 寸胴の底にはオリーブ油が敷かれ、薄く黄緑がかって照っている。先程入れたニンニクが食欲を誘う香りを放ち始めたのを見計らい、一口大に切ったキノッピオ・マッシュを入れた。一瞬で油を持っていかれたことにぎょっとして、少しだけ足した。

「師匠、今夜はスープですか?」

「あぁ。とくに目新しい料理ではないが、今夜はとっておきの食材があるからな。干し肉のイノシン酸にキノッピオ・マッシュや根菜類から出るグアニル酸とグルタミン酸。この三種類の旨味成分が相乗効果を生み、事前にスープストックを取らずとも十分に美味しいスープになる……はずだ」

 この化物キノコがグアニル酸が多いタイプなのかグルタミン酸が多いタイプなのか分からないが、カロリーヌ曰く平民の間では広く食されているそうだから、少なくとも食用可だろう。アウトドア料理なら、毒さえ無ければ気にしない、それくらいの意識の低さも良いスパイスになる(個人差があります)。

 ある程度炒まったところで、根菜を入れて焼き目を付ける。

「師匠、けっこうしっかり焼けてますけど、大丈夫ですか?」

 我が弟子ながら、良い点に気が付く。料理を専門的に学ぶ前は、焼き色と焦げの境界が分からず不安に思うのは、あるあるだろう。懐かしい気持ちを思い出して、胸が温かくなった。

「スープの色が濃くなってしまうことがあるから、貴族に出す見栄え重視の皿としては向かないかもしれん。ただ、この焼き目はメイラード反応といって、料理に良い香味を付加してくれる。この褐色を忘れるな。これ以上になれば焦げだ」

「なるほど……」

 カロリーヌは真剣そのものの顔で芋や玉ねぎの焼き色を観察している。弟子の積極的な姿勢に気を良くして、もう一人の手伝いにも目を向けると、野菜を洗い終えたハティがもう一つの鍋をかき混ぜていた。が、口の端から垂れる涎が混入しないか気が気でない。

「ハティ、どんな感じだ?」

「おいしそう! ――じゅるり」

 それじゃ何も分からないのだが……と思うものの、焦げていなければ問題無いかと首を振った。

「干し肉を入れて少し炒め、水を入れて煮込む。ハーブや塩で味を調えたら”ポトフ”の完成だ」

 アウトドアと言えばカレーかポトフだと相場が決まっている。この世界でカレーを作ろうと思うと目玉が飛び出るほどの金がかかるから、夢のまた夢だ。庶民の味方は、この世界では王侯貴族の料理に変貌してしまった。

 ――思い出したら食いたくなってきた。こんな時に前世との違いを感じるなぁ。

 唾液がじゅわりと口に広がる。俺は前世への未練を断ち切るようにそれを飲み込んだ。喉が思いがけず大きく鳴った。






 煮込んでいると、あっと言う間に辺りは薄闇に包まれた。夕日が森に半ば隠れ、焚火の光を頼りに思い始めた頃、広場には腹を直接殴りつけるような良い香りが立ち込めた。周囲の木々からは、鳥や小動物までが香りに沸くように、騒がしい気配を見せている。

 広場の二つの鍋には騎士達が整列している。一糸乱れぬそれは今晩の食事を受け取る列なわけだが、何やら様子がおかしい。ハティとカロリーヌがポトフをよそう列には長蛇の列ができ、俺の前には厳つい巌のような大男が唯一人立っているだけだ。

「気を遣わずともいいんだぞ、ボールス。お前も男だ、どうせなら女の列に並びたいだろう」

「何を仰いますか。マック様の御手ずからよそっていただけるなど、光栄の至りでございます」

 なんとも固い奴だ。しかし、荒み始めていた俺の心は幾分か緩んだ。空いた心のスペースに余裕を詰め込むと、いつものマック・キュイジーヌに元通り。

「そうかそうか。愛い奴め。正直者にはたっぷりとよそってやろう」

 ボールスが差し出す底の深い木製の器に、なみなみとポトフをよそう。湯気と共にハーブと干し肉、茸の芳醇な香りが立ち昇り、俺とボールスは滲む唾液を飲み込んだ。

 これ以上は辛抱ならないとばかりに、ボールスは「ありがとうございます」と言い終えるや足早に離れた。

 大男がいなくなった空間には、一回り小さい若い騎士が一人立っていた。いつから後ろに並んでいたのか知らないが、こいつも変わり者だな、と呆れつつ嬉しく思いつつ皿を差し出すように言った。

「ありがとうございます!」

 どこかで聞いた声だと思い、まじまじと顔を見ると、そいつは鍋を落とした騎士だった。短い黒髪にクシャッとした笑顔が人好きのする優男だ。

「大盛り希望か? 現金な奴め」

「それもそうなんですが、一番は謝罪をさせていただきたく思いまして……」

 眉を八の字に下げる男の顔は、雨に濡れる子犬のようで情けを誘う。この顔で何人の女性を転がしてきたのだろうかと下世話な考えが脳裏を過った。

「謝罪だと? 何も心当たりが無いのだが」

「ボールス副団長から、マック様のスキルをお聞きして……。火を起こしていただき、道中の飲み水まで補給していただきましたから。あの時、気分を害してしまったのではないかと愚考いたしました」

【料理】スキルの貴族なんて前代未聞なのだ、騎士団員にも知らない者がいたのだろう。積極的に広めるようなものではない、と父上が言う光景が目に浮かぶようだ。

「残念ながら、お前如きが乱せるほど俺の心は弱くなくてな。それで、お前名は何と言う」

 そういえば、俺はこいつの名前を知らなかった。知らない奴にどう思われようが気にしないのだが、自主的に謝罪をするその殊勝な態度を突っ撥ねるのは、あまりに狭量だろう。

「ランスと申します! 得意な武器はロングソードです!」

 羞恥心を吹き飛ばすような大声でランスは自己紹介を終えた。脅かされたように森の闇から鳥が一斉に飛び立った。ギャアギャアという喧騒が過ぎると、辺りを一瞬の静寂が包んだ後、笑い声が広場を明るく照らした。

「ランス、お前またそのネタやってんのかよ」

「マック様の前でよくやるぜ」

「まったくだ!」

 同僚の雄姿に拍手と笑顔を返すのは、最大級の賛辞だろう。彼が仲間内でどのような立場なのか、わかった気がした。男共の粗野な雰囲気が、暮色蒼然たる森の暗さを吹き散らした。

「ふん。気に入った。鱈腹食うといい」

 こういう奴は嫌いじゃないし、むしろ尊敬するくらいだ。

 いっぱいになった器を揺らさぬように、ランスはもう一度大きな声で礼を言うと、ボールスの横に腰掛けた。ボールスは鷹揚な笑みを浮かべ、部下を労わるように一度肩を叩くと、共にポトフを口に運んだ。

「マック、私達も食べよ。我慢できない」

「師匠、食べましょう。皆さんが美味しそうに食べるものだから、私もお腹ペコペコです!」

 ハティとカロリーヌは二人がかりでさっさと列を片付けたようだ。それぞれ湯気の立つ器を手にしている。

「あぁ、そうだな」

 焚火を囲うように座った。器を鼻に近づけ、香りを肺に満たす。満を持して口に運ぶと、ポトフは温かみが形を成したかのような味わいだった。家庭料理の代表格のような料理だが、種々の具材がそれぞれの旨味でこの一品を飾っている。キノッピオ・マッシュを恐る恐る噛み締めると、旨味の奔流が迸り、プッツリと歯切れの良い触感が心地好かった。

 ハティとカロリーヌは満面の笑みを浮かべ、木匙を器と口に往復させている。

 それを見て少し安心した自分に驚いた。思い返せば、人様に料理を食べてもらう時は、こんな風に緊張したものだ。それに気づくと、なんだか懐かしくも悲しくもあり、誤魔化すように次の一口を運んだのだった。
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