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第一章 脆く崩れるものです
転生したらスチル一枚の脇役でした
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ゲームとはステーキである。公式設定資料集であれば、なおさらステーキである。それなりの金銭を対価に、分厚いそれを味わうと、値段相応の厚みに期待される滋養を体に取り込むことが出来る。好きなゲームと資料集がセットで目の前に並べられれば、それはファミリーレストランの”欲張りセット(仮称)”のような物だ。
「オーク肉ってどんな味がするんだろうなぁ。やっぱ、猪肉に近いのか?」
硬いベッドの上で、俺は長年の疑問を口に出した。言葉を続ける者は他に無く、最近の独り言は狭い十畳のワンルームにすら響かないほど弱々しい。きっとロフトで天井が高いからに違いない。
大いに空いたマットレスの残りに恋人など寝かせていれば、少しは浮ついた調子に色付くのだろう。しかし、遺憾ほとほと遣る方無く、空いたスペースには空虚が横たわるのみ。最近はどうにかこの心のデッドスペースを埋めねばと焦心し、ゲームの資料集を雑多に広げ、傷心の自分を慰めることに腐心する毎日である。
ゴミ出しの戸を油断なく素早く閉め、その内側を見せることは決して無い。自分以外のゴミは溜めぬと誓った部屋で、二十代前半男性が陥りがちな典型的堕落にもがく俺は料理人の卵であり、近年はファンタジー作品の食材に興味深々だ。特に、最近ハマっている“つる×まほ”の料理イラストはまるで実写のようなクオリティで、いたく食欲を誘う。現実の救いを空想虚構に求める。これも又、典型的な逃避の形態である。
恋愛×バトルという王道テーマの超人気RPG“剣と魔法の勇者譚”。通称“つる×まほ”。ナーロッパ風の世界を舞台にした、いわゆる剣と魔法のRPG。
魔物とそれらを率いる魔王という存在に脅かされたファン王国に、主人公である勇者が生まれ、魔王討伐を目指す。という何番煎じかわからないほど擦り倒された、THE・王道のストーリーだ。
戦闘や恋愛まわりのシステムは総じて評価が高く、リアルタイムで進行する自由度の高い戦闘や複雑なルート分岐など、ツボを押さえた作りがこのゲームが大流行を果たした理由である。
こら、そこ。典型的で模範的な人間は余暇の楽しみまで王道を往くか、と笑うこと勿れ。
ところで、ゲーマー界隈には不憫キャラ好きという層が一定数存在する。かく言う俺も例に漏れずその一人。
そんなニッチな界隈が沸き立つイベントが、この“つる×まほ”のストーリー序盤に用意されている。
“公爵家の秘伝料理、オーク肉の塩焼き事件”である。
勇者に一晩の宿を乞われたとある貴族家が、偶然に裏帳簿の存在を知られる。そうして口封じを図り、逆に一家皆殺しにされるというイベントだ。しかも、この時に供された料理が何の変哲もないオーク肉の塩焼きで、これをさも秘伝の料理のように声高に自慢し、あげくスチル(ゲームの一枚絵のこと)一枚で滅ぼされるというのがポイントが高い。
界隈の人間は愉悦を禁じ得ないイベントなのだが、このスチルには顔のパーツすら描かれないキャラクターが出てくる。公式設定資料集でのみ語られるそのキャラクターの名は、“マック・キュイジーヌ”。
キュイジーヌ家の三男坊で、主人公が通うことになる“国立聖剣学園”のクラスメイトだ。家柄を笠に着て主人公に度々絡むものの、新システムのチュートリアル戦闘で毎度ボコボコにされる、いわゆる咬ませ犬キャラである。
この不遇なキャラを愛してやまないのは、まさに奇特な人間であると言えるだろう。何を隠そう俺である。勇者の功績を彩るための、ただの一イベント一キャラに固執している変人である。こうして明日の体力を前借りしてまでゲームをしているのだから。
「ふぁ~あ。そろそろ寝るか」
ふと時計を見ると、もう深夜二時を回っていた。電源を入れた頃には窓ガラスの向こうから聞こえていた町の喧騒も今は無く、底抜けの闇が沈黙を纏っている。なんだか急に心細くなり、見るからに締まっている鍵をガチャガチャと鳴らし、気に入りの青いカーテンで部屋と外を遮った。
スプリングの死んだベッドにうつ伏せに転がると、キュイジーヌ家皆殺しイベントを見届けた満足感が身を包む。重ねて言うが、感想を共有する意中の相手などいない。そんなことが出来ればそうしているし、そんなことにチャレンジした結果こうして腐っているのだ。
腐り落ちた心を埋めるために、空想で心の贅肉を纏うのである。必要としない人間から見れば、言わば人生のエンプティ・カロリーであるゲームや本という物は、なかなかどうして俺のような人間には効能がある。
読者諸賢は薄らと気付いているかもしれないが、俺はある事情により自分が社会不適合者であることを自覚している。痛々しいほどに。前半は鮮やかで、後半は途端に色あせる記憶と共に。
長いこと考え抜いて生き抜いて行き着いた結論は、社会に自分が不適合なのではなく、社会が自分に不適格なのだ、ということ。国や時代、人種や肌瞳髪の色が異なれば、きっとこうして寝台のゆとりに懊悩を濃縮することもなかったはずだ。そうに違いない。そうであってほしいなぁ……。
……マットレスの大部分を埋める携帯ゲーム機と資料集が邪魔で寝れやしない。それなりの金銭を無駄にする覚悟で寝返りをうつ決断を下すことは出来ず、サイドテーブルの上に何度繰ったか分からない資料集や携帯ゲーム機を退かした俺は、明日の寝不足を覚悟しつつも、こうして漸く眠りについた。
「ふぁ~あ。よく寝たなぁ」
今朝の我が城は、やけに背伸びをして着飾っている。ワンルームに響く冷蔵庫の重低音もしなけれしば、隣家の忙しい生活音も聞こえない。ベッドにはお伽噺よろしく天蓋が垂れ、寝間着も心なしか上等な所作で肌を撫でてくるから擽ったい。天井にまで絵柄が入ってらぁ。天井の染みを数えるのも、これなら苦でないかもしれん。
前世の安アパートとは似ても似つかない豪華な部屋で目覚めた俺は、カーテンを開けて朝日に目を細めつつ、良くも悪くも衝撃的な目覚めの日を思い出す。気位と扱いが乖離しているキャラクターに転生してしまった、わずか数日前のことを――。
十五歳を迎えた貴族家の公子公女が王城に集められ、女神からスキルを賜る“授与の儀”にて、俺は【料理】という戦闘に何ら役に立たないスキルを得てしまった。疾うの昔に色の抜けた髪と髭を長く蓄える神官長の法衣に情けなく縋るが、結果は変わらなかった。目前の老男が向ける哀れみの視線が、どうしようもなく俺を惨めな気持ちにさせた。ホールの煌びやかな装飾や公子公女のドレスやアクセサリーの輝きが、俺を責めるようにギラつく。
――終わった……。何もかも……。
目の前が真っ暗になり、足が震えた。呼吸を忘れたように肺からはコヒュー、コヒューと情けない音がする。踏みしめることに疑問を抱くことなど無かった地面が、ガラガラと容易く脆く崩れ去るような。そんな不安感に苛まれた。じっとりとしつつも変に冷たい汗が額と背を伝い、心が冷えきる中で心臓だけが不謹慎に騒いでいた。
この国の貴族家は戦闘力が最も重要視される。というのも、ファン王国の貴族家は魔物の脅威から領地の民を、ひいては人類の生存圏を守ることを義務付けられているためだ。財力・権力・社会的地位には責任が伴う、ノブレス・オブリージュというやつである。
そして、キュイジーヌ家はファン王国の貴族家の中でも武闘派として知られており、当然、俺も戦闘に役立つスキルを期待されていた。しかし、俺に与えられたのは【料理】。糞の役にも立たない【料理】だった。
王城の騎士に肩を貸してもらい、控室で待つ両親のもとへ向かった。騎士が扉を開ける直前、「待ってくれ、少しだけ――」そう言って数秒立ち止まるつもりが、いつまでたっても決心が出来ない。出来る訳が無いことを俺は分かっていた。しかし、立ち止まらずにいられなかった。
部屋の外で足音が途絶えれば確認するのが当然だ。キュイジーヌ家の当主とその夫人、つまりは俺の両親が控える一室の扉が、重い音を立てて内側から開いた。「如何なさいましたか」顔を覗かせた護衛騎士の問いが、この時の俺にはあまりにも残酷なものに感じられた。
両親からの反応は、真逆だった。
父は俺のスキルを聞くと肩を落とし、「お前は我が家の恥だ。キュイジーヌ家の男が、【料理】……だと?」と怒りを滲ませた声で呟いた。一方、母は何も言わずに僕を抱き寄せ、そして微笑み、耳元でこう囁いた。
「王都邸に戻って、マックちゃんの好きなオーク肉の塩焼きを食べましょう」
その瞬間に俺は前世の記憶を取り戻した。自分がマック・キュイジーヌであること。前世で何周もした“つる×まほ”に登場するキャラクターであることを思い出したのだ。
そうして、今、王都邸の自室で朝日を浴びて黄昏る少年が一人。ガラスに映る容姿は、幼さと男らしさの境界で神秘的な魅力を放つ。朝日を浴びて輝く長めの銀髪は、緩やかな波を描いている。惹きこまれるような紫紺の瞳は知的な印象を見る者に与える。
――マックって、こんなに顔整ってたのか。メインキャラなら人気が出ただろうに。不憫極まりないな。我ながら。
転生と言うより、憑依に近いかもしれない。マック・キュイジーヌの記憶と“俺”の記憶が同時に存在しているのだ。マックでは知り得ない情報も、設定資料を読み込んだ俺なら分かる。
憑依を生まれ変わり、つまり再誕だとすれば、生死の双方でオークの塩焼きがキーワードだなんて、なんとも情けないお貴族様だ。
記憶を思い出す前はスキルそのものに絶望していたが、今はそんなことは大した問題ではない。俺の目下の悩みは、いつか来るキュイジーヌ家皆殺しイベントをどう回避するのか、ただ一つだ。せっかく夢のファンタジー食材を食べられるのだから、早々に人生を終えるわけにはいかない。
――“つる×まほ”なら、【料理】でも戦える。ゲームのマックにはそんな発想が無かったから荒れてしまったんだろうな。それに、主人公にはあの設定がある。
そう、このゲームの売りである自由度の高い戦闘というのは、【薬師】や【料理】といったあまり戦闘向きでないスキルでも、戦えるようになっているということだ。
そして、公式設定資料集には、“主人公はたいそうなグルメらしい”という記述があった。
勇者こと主人公とマックが出会うのは、聖剣学園の入学式だったはずだ。つまり、残り一年ある。この一年で父から認められ、尚且つ主人公が満足するような料理を用意し懐柔しなければならない。
「ただなぁ……親父は気位が高い上に実力至上主義だし、兄貴達は底意地が最悪だ。裏帳簿も兄貴達のだしな」
父親は家門に泥を塗らないために、兄貴達は悪行を隠すために、そして俺は屋敷に居合わせたというだけで巻き込まれて死ぬことになる。そんな死に方は御免だ。
幸い、原作の知識は豊富にあるのだ。悲観する暇があれば動くべし。
深呼吸して伸びを一つ。
――死にたくねぇなら、マック・キュイジーヌの人生を変えるしかない、か。
己が新たな人生を全うするために。
そして、前世日本の家族から見放された、この度し難い嗜癖を満たすために。
この日、美食貴族マック・キュイジーヌの歴史は暗い笑みと共に動き出した。
「オーク肉ってどんな味がするんだろうなぁ。やっぱ、猪肉に近いのか?」
硬いベッドの上で、俺は長年の疑問を口に出した。言葉を続ける者は他に無く、最近の独り言は狭い十畳のワンルームにすら響かないほど弱々しい。きっとロフトで天井が高いからに違いない。
大いに空いたマットレスの残りに恋人など寝かせていれば、少しは浮ついた調子に色付くのだろう。しかし、遺憾ほとほと遣る方無く、空いたスペースには空虚が横たわるのみ。最近はどうにかこの心のデッドスペースを埋めねばと焦心し、ゲームの資料集を雑多に広げ、傷心の自分を慰めることに腐心する毎日である。
ゴミ出しの戸を油断なく素早く閉め、その内側を見せることは決して無い。自分以外のゴミは溜めぬと誓った部屋で、二十代前半男性が陥りがちな典型的堕落にもがく俺は料理人の卵であり、近年はファンタジー作品の食材に興味深々だ。特に、最近ハマっている“つる×まほ”の料理イラストはまるで実写のようなクオリティで、いたく食欲を誘う。現実の救いを空想虚構に求める。これも又、典型的な逃避の形態である。
恋愛×バトルという王道テーマの超人気RPG“剣と魔法の勇者譚”。通称“つる×まほ”。ナーロッパ風の世界を舞台にした、いわゆる剣と魔法のRPG。
魔物とそれらを率いる魔王という存在に脅かされたファン王国に、主人公である勇者が生まれ、魔王討伐を目指す。という何番煎じかわからないほど擦り倒された、THE・王道のストーリーだ。
戦闘や恋愛まわりのシステムは総じて評価が高く、リアルタイムで進行する自由度の高い戦闘や複雑なルート分岐など、ツボを押さえた作りがこのゲームが大流行を果たした理由である。
こら、そこ。典型的で模範的な人間は余暇の楽しみまで王道を往くか、と笑うこと勿れ。
ところで、ゲーマー界隈には不憫キャラ好きという層が一定数存在する。かく言う俺も例に漏れずその一人。
そんなニッチな界隈が沸き立つイベントが、この“つる×まほ”のストーリー序盤に用意されている。
“公爵家の秘伝料理、オーク肉の塩焼き事件”である。
勇者に一晩の宿を乞われたとある貴族家が、偶然に裏帳簿の存在を知られる。そうして口封じを図り、逆に一家皆殺しにされるというイベントだ。しかも、この時に供された料理が何の変哲もないオーク肉の塩焼きで、これをさも秘伝の料理のように声高に自慢し、あげくスチル(ゲームの一枚絵のこと)一枚で滅ぼされるというのがポイントが高い。
界隈の人間は愉悦を禁じ得ないイベントなのだが、このスチルには顔のパーツすら描かれないキャラクターが出てくる。公式設定資料集でのみ語られるそのキャラクターの名は、“マック・キュイジーヌ”。
キュイジーヌ家の三男坊で、主人公が通うことになる“国立聖剣学園”のクラスメイトだ。家柄を笠に着て主人公に度々絡むものの、新システムのチュートリアル戦闘で毎度ボコボコにされる、いわゆる咬ませ犬キャラである。
この不遇なキャラを愛してやまないのは、まさに奇特な人間であると言えるだろう。何を隠そう俺である。勇者の功績を彩るための、ただの一イベント一キャラに固執している変人である。こうして明日の体力を前借りしてまでゲームをしているのだから。
「ふぁ~あ。そろそろ寝るか」
ふと時計を見ると、もう深夜二時を回っていた。電源を入れた頃には窓ガラスの向こうから聞こえていた町の喧騒も今は無く、底抜けの闇が沈黙を纏っている。なんだか急に心細くなり、見るからに締まっている鍵をガチャガチャと鳴らし、気に入りの青いカーテンで部屋と外を遮った。
スプリングの死んだベッドにうつ伏せに転がると、キュイジーヌ家皆殺しイベントを見届けた満足感が身を包む。重ねて言うが、感想を共有する意中の相手などいない。そんなことが出来ればそうしているし、そんなことにチャレンジした結果こうして腐っているのだ。
腐り落ちた心を埋めるために、空想で心の贅肉を纏うのである。必要としない人間から見れば、言わば人生のエンプティ・カロリーであるゲームや本という物は、なかなかどうして俺のような人間には効能がある。
読者諸賢は薄らと気付いているかもしれないが、俺はある事情により自分が社会不適合者であることを自覚している。痛々しいほどに。前半は鮮やかで、後半は途端に色あせる記憶と共に。
長いこと考え抜いて生き抜いて行き着いた結論は、社会に自分が不適合なのではなく、社会が自分に不適格なのだ、ということ。国や時代、人種や肌瞳髪の色が異なれば、きっとこうして寝台のゆとりに懊悩を濃縮することもなかったはずだ。そうに違いない。そうであってほしいなぁ……。
……マットレスの大部分を埋める携帯ゲーム機と資料集が邪魔で寝れやしない。それなりの金銭を無駄にする覚悟で寝返りをうつ決断を下すことは出来ず、サイドテーブルの上に何度繰ったか分からない資料集や携帯ゲーム機を退かした俺は、明日の寝不足を覚悟しつつも、こうして漸く眠りについた。
「ふぁ~あ。よく寝たなぁ」
今朝の我が城は、やけに背伸びをして着飾っている。ワンルームに響く冷蔵庫の重低音もしなけれしば、隣家の忙しい生活音も聞こえない。ベッドにはお伽噺よろしく天蓋が垂れ、寝間着も心なしか上等な所作で肌を撫でてくるから擽ったい。天井にまで絵柄が入ってらぁ。天井の染みを数えるのも、これなら苦でないかもしれん。
前世の安アパートとは似ても似つかない豪華な部屋で目覚めた俺は、カーテンを開けて朝日に目を細めつつ、良くも悪くも衝撃的な目覚めの日を思い出す。気位と扱いが乖離しているキャラクターに転生してしまった、わずか数日前のことを――。
十五歳を迎えた貴族家の公子公女が王城に集められ、女神からスキルを賜る“授与の儀”にて、俺は【料理】という戦闘に何ら役に立たないスキルを得てしまった。疾うの昔に色の抜けた髪と髭を長く蓄える神官長の法衣に情けなく縋るが、結果は変わらなかった。目前の老男が向ける哀れみの視線が、どうしようもなく俺を惨めな気持ちにさせた。ホールの煌びやかな装飾や公子公女のドレスやアクセサリーの輝きが、俺を責めるようにギラつく。
――終わった……。何もかも……。
目の前が真っ暗になり、足が震えた。呼吸を忘れたように肺からはコヒュー、コヒューと情けない音がする。踏みしめることに疑問を抱くことなど無かった地面が、ガラガラと容易く脆く崩れ去るような。そんな不安感に苛まれた。じっとりとしつつも変に冷たい汗が額と背を伝い、心が冷えきる中で心臓だけが不謹慎に騒いでいた。
この国の貴族家は戦闘力が最も重要視される。というのも、ファン王国の貴族家は魔物の脅威から領地の民を、ひいては人類の生存圏を守ることを義務付けられているためだ。財力・権力・社会的地位には責任が伴う、ノブレス・オブリージュというやつである。
そして、キュイジーヌ家はファン王国の貴族家の中でも武闘派として知られており、当然、俺も戦闘に役立つスキルを期待されていた。しかし、俺に与えられたのは【料理】。糞の役にも立たない【料理】だった。
王城の騎士に肩を貸してもらい、控室で待つ両親のもとへ向かった。騎士が扉を開ける直前、「待ってくれ、少しだけ――」そう言って数秒立ち止まるつもりが、いつまでたっても決心が出来ない。出来る訳が無いことを俺は分かっていた。しかし、立ち止まらずにいられなかった。
部屋の外で足音が途絶えれば確認するのが当然だ。キュイジーヌ家の当主とその夫人、つまりは俺の両親が控える一室の扉が、重い音を立てて内側から開いた。「如何なさいましたか」顔を覗かせた護衛騎士の問いが、この時の俺にはあまりにも残酷なものに感じられた。
両親からの反応は、真逆だった。
父は俺のスキルを聞くと肩を落とし、「お前は我が家の恥だ。キュイジーヌ家の男が、【料理】……だと?」と怒りを滲ませた声で呟いた。一方、母は何も言わずに僕を抱き寄せ、そして微笑み、耳元でこう囁いた。
「王都邸に戻って、マックちゃんの好きなオーク肉の塩焼きを食べましょう」
その瞬間に俺は前世の記憶を取り戻した。自分がマック・キュイジーヌであること。前世で何周もした“つる×まほ”に登場するキャラクターであることを思い出したのだ。
そうして、今、王都邸の自室で朝日を浴びて黄昏る少年が一人。ガラスに映る容姿は、幼さと男らしさの境界で神秘的な魅力を放つ。朝日を浴びて輝く長めの銀髪は、緩やかな波を描いている。惹きこまれるような紫紺の瞳は知的な印象を見る者に与える。
――マックって、こんなに顔整ってたのか。メインキャラなら人気が出ただろうに。不憫極まりないな。我ながら。
転生と言うより、憑依に近いかもしれない。マック・キュイジーヌの記憶と“俺”の記憶が同時に存在しているのだ。マックでは知り得ない情報も、設定資料を読み込んだ俺なら分かる。
憑依を生まれ変わり、つまり再誕だとすれば、生死の双方でオークの塩焼きがキーワードだなんて、なんとも情けないお貴族様だ。
記憶を思い出す前はスキルそのものに絶望していたが、今はそんなことは大した問題ではない。俺の目下の悩みは、いつか来るキュイジーヌ家皆殺しイベントをどう回避するのか、ただ一つだ。せっかく夢のファンタジー食材を食べられるのだから、早々に人生を終えるわけにはいかない。
――“つる×まほ”なら、【料理】でも戦える。ゲームのマックにはそんな発想が無かったから荒れてしまったんだろうな。それに、主人公にはあの設定がある。
そう、このゲームの売りである自由度の高い戦闘というのは、【薬師】や【料理】といったあまり戦闘向きでないスキルでも、戦えるようになっているということだ。
そして、公式設定資料集には、“主人公はたいそうなグルメらしい”という記述があった。
勇者こと主人公とマックが出会うのは、聖剣学園の入学式だったはずだ。つまり、残り一年ある。この一年で父から認められ、尚且つ主人公が満足するような料理を用意し懐柔しなければならない。
「ただなぁ……親父は気位が高い上に実力至上主義だし、兄貴達は底意地が最悪だ。裏帳簿も兄貴達のだしな」
父親は家門に泥を塗らないために、兄貴達は悪行を隠すために、そして俺は屋敷に居合わせたというだけで巻き込まれて死ぬことになる。そんな死に方は御免だ。
幸い、原作の知識は豊富にあるのだ。悲観する暇があれば動くべし。
深呼吸して伸びを一つ。
――死にたくねぇなら、マック・キュイジーヌの人生を変えるしかない、か。
己が新たな人生を全うするために。
そして、前世日本の家族から見放された、この度し難い嗜癖を満たすために。
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