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43 傲慢な妖精
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───全く集中出来ないわ。
ボックス席は十人は座れる位に広々としているにも関わらず、何故か私は真ん中のソファーでウィルにピッタリと肩を抱かれて座っている。
緊張で速まる鼓動が彼に伝わってしまいそうで、どうにも落ち着かない。
しかも、隣から常に熱視線を感じる気がするのだ。
場面転換の隙にふと隣を見上げれば、やはりこちらに向けられた青の瞳と目が合った。
「ちゃんと舞台を見たらどう?」
「見てるよ。内容が理解できる程度には。
だが、舞台よりも最近表情豊かになった愛する妻の顔を見ている方が楽しいんだよ」
『愛する妻』などと呼ばれて、甘い眼差しで見詰められる事にまだ慣れない私は、照れを隠す様に彼を軽く睨んだ。
「分かった。君のお勧めの作家の舞台を真面目に見るとしよう」
ウィルは『降参』と言う様に両手を上げて悪戯っぽくフッと笑った。
彼は私が表情豊かになったと言うが、私に言わせれば、彼の方がよっぽどコロコロと表情が変化する様になったと思う。
初対面の時の仏頂面が嘘の様だ。
お互いの心の距離がグッと近付いたみたいで嬉しい。
舞台上に役者達が全員並んで、客席に深々と頭を下げた。
ゆっくりと緞帳が下された劇場内に、拍手と騒めきが広がる。
私はホッと息を吐くと、クライマックスの緊張に握り締めていた両手を緩めて、ソファーに深く体を預けた。
「素晴らしかったわ」
「ああ、最後までハラハラした」
簡単に言えば、『派閥争いを収める為に王命が下され、其々の派閥のトップの家の子息と令嬢が婚姻を結ぶ』と言う話だった。
反目し合う二人の心が少しづつ近付いて行くのだが、長年の対立関係もあって誤解が生じてしまい、なかなか想いが届かない。
そして、恋愛要素だけでなく、政治的な問題や陰謀などについても細かく描かれていて、男性が見ても見応えのある内容だっただろうと思う。
役者達の演技も素晴らしく、最初は隣のウィルが気になっていたものの、いつの間にか物語の世界に没入してしまった。
ウィルも後半は引き込まれた様で、意外にも真剣に舞台に見入っていた。
「あら?ウィルじゃない?」
今の公演の感想を語り合いながら、腕を組んで劇場を出た時、背後から鈴を転がすような愛らしい声が私の夫の名を呼んだ。
振り返ると、嫋やかで美しい女性が彼に微笑みを向けている。
侍女や護衛を仰々しく従えている様から、おそらく高位貴族なのだろう。
随分と若く見えるが、その装いから既婚者である事が窺える。
(高位貴族のご夫人が、他人の夫を愛称で呼ぶなんて……)
あまり気分の良い物では無いが、親戚などの可能性もあるので、大人しく成り行きを見守った。
「久し振りだな、ハミルトン伯爵夫人。
息災か?」
ウィルは先程まで私に向けていた微笑みを一瞬で消して、冷たい表情で短く挨拶をした。
ハミルトン伯爵夫人とは、確か、以前茶会で会った失礼なご令嬢が言っていた、ウィルの元婚約だ。
その時のご令嬢とは似ても似つかぬ儚げな美人である。妖精の様だと言われているのも納得だ。
「嫌だわ、他人行儀ね。
それで?そちらのご令嬢はどなたかしら?」
彼女は私をまるで値踏みでもするみたいにジットリと眺めた。
その微笑みに嘲笑が含まれている様に感じてしまうのは、私の方が彼女の事をあまり快く思っていないせいなのだろうか?
「他人行儀というか、事実、貴女とは他人でしか無いだろう。
彼女は俺の最愛の妻、フェリシアだ」
私に視線を移した途端に柔らかい表情になったウィルを見て、ハミルトン夫人は僅かに頬を引き攣らせた。
「貴方、随分と女性の趣味が変わったのね」
ウィルの眉がピクリと跳ね上がる。
「どう言う意味だ?」
再び剣呑な視線を向けるウィルだが、ハミルトン夫人は全く気にも留めない様子で距離を詰めると、彼の頬の傷に手を伸ばそうとした。
それを見た途端、私の胸に強い苛立ちが込み上げ、自然と眉根が寄った。
「随分傷が薄くなったのね」
「触るな」
バシッと音が鳴るほどに強くハミルトン夫人の手を振り払ったウィルを見て、彼女の護衛が剣に手を掛けた。
ウィルは鋭く護衛の騎士を睨み付け、私達の背後に侍女として控えていたミアも、懐に忍ばせている暗器へと手を伸ばす。
緊迫した空気が漂う中で、ハミルトン夫人だけがコロコロと無邪気に笑った。
「ふふっ。ウィルは相変わらずね。
貴方も新国王陛下の即位の夜会には出席するのでしょう?
夜会で私と一曲踊ってくれたら、今の無礼は無かった事にしてあげるわ」
居丈高にそう宣言する。
余程自分の美貌に自信があるのか、断られるなんて微塵も思っていないその態度が腹立たしい。
「さっきから無礼なのはお前の方だ。
身分を振り翳すのは趣味じゃ無いが、俺は辺境伯。お前の夫よりも爵位が上だと忘れるな。
それから、二度と俺を愛称で呼ぶな。
その呼び名を許しているのは、女性ではフェリシアだけだ。
さあ、行こうか。フェリシア」
「なっ……!」
怒りと羞恥に顔を紅潮させたハミルトン夫人を完全に無視し、ウィルは私を連れてその場を後にした。
ボックス席は十人は座れる位に広々としているにも関わらず、何故か私は真ん中のソファーでウィルにピッタリと肩を抱かれて座っている。
緊張で速まる鼓動が彼に伝わってしまいそうで、どうにも落ち着かない。
しかも、隣から常に熱視線を感じる気がするのだ。
場面転換の隙にふと隣を見上げれば、やはりこちらに向けられた青の瞳と目が合った。
「ちゃんと舞台を見たらどう?」
「見てるよ。内容が理解できる程度には。
だが、舞台よりも最近表情豊かになった愛する妻の顔を見ている方が楽しいんだよ」
『愛する妻』などと呼ばれて、甘い眼差しで見詰められる事にまだ慣れない私は、照れを隠す様に彼を軽く睨んだ。
「分かった。君のお勧めの作家の舞台を真面目に見るとしよう」
ウィルは『降参』と言う様に両手を上げて悪戯っぽくフッと笑った。
彼は私が表情豊かになったと言うが、私に言わせれば、彼の方がよっぽどコロコロと表情が変化する様になったと思う。
初対面の時の仏頂面が嘘の様だ。
お互いの心の距離がグッと近付いたみたいで嬉しい。
舞台上に役者達が全員並んで、客席に深々と頭を下げた。
ゆっくりと緞帳が下された劇場内に、拍手と騒めきが広がる。
私はホッと息を吐くと、クライマックスの緊張に握り締めていた両手を緩めて、ソファーに深く体を預けた。
「素晴らしかったわ」
「ああ、最後までハラハラした」
簡単に言えば、『派閥争いを収める為に王命が下され、其々の派閥のトップの家の子息と令嬢が婚姻を結ぶ』と言う話だった。
反目し合う二人の心が少しづつ近付いて行くのだが、長年の対立関係もあって誤解が生じてしまい、なかなか想いが届かない。
そして、恋愛要素だけでなく、政治的な問題や陰謀などについても細かく描かれていて、男性が見ても見応えのある内容だっただろうと思う。
役者達の演技も素晴らしく、最初は隣のウィルが気になっていたものの、いつの間にか物語の世界に没入してしまった。
ウィルも後半は引き込まれた様で、意外にも真剣に舞台に見入っていた。
「あら?ウィルじゃない?」
今の公演の感想を語り合いながら、腕を組んで劇場を出た時、背後から鈴を転がすような愛らしい声が私の夫の名を呼んだ。
振り返ると、嫋やかで美しい女性が彼に微笑みを向けている。
侍女や護衛を仰々しく従えている様から、おそらく高位貴族なのだろう。
随分と若く見えるが、その装いから既婚者である事が窺える。
(高位貴族のご夫人が、他人の夫を愛称で呼ぶなんて……)
あまり気分の良い物では無いが、親戚などの可能性もあるので、大人しく成り行きを見守った。
「久し振りだな、ハミルトン伯爵夫人。
息災か?」
ウィルは先程まで私に向けていた微笑みを一瞬で消して、冷たい表情で短く挨拶をした。
ハミルトン伯爵夫人とは、確か、以前茶会で会った失礼なご令嬢が言っていた、ウィルの元婚約だ。
その時のご令嬢とは似ても似つかぬ儚げな美人である。妖精の様だと言われているのも納得だ。
「嫌だわ、他人行儀ね。
それで?そちらのご令嬢はどなたかしら?」
彼女は私をまるで値踏みでもするみたいにジットリと眺めた。
その微笑みに嘲笑が含まれている様に感じてしまうのは、私の方が彼女の事をあまり快く思っていないせいなのだろうか?
「他人行儀というか、事実、貴女とは他人でしか無いだろう。
彼女は俺の最愛の妻、フェリシアだ」
私に視線を移した途端に柔らかい表情になったウィルを見て、ハミルトン夫人は僅かに頬を引き攣らせた。
「貴方、随分と女性の趣味が変わったのね」
ウィルの眉がピクリと跳ね上がる。
「どう言う意味だ?」
再び剣呑な視線を向けるウィルだが、ハミルトン夫人は全く気にも留めない様子で距離を詰めると、彼の頬の傷に手を伸ばそうとした。
それを見た途端、私の胸に強い苛立ちが込み上げ、自然と眉根が寄った。
「随分傷が薄くなったのね」
「触るな」
バシッと音が鳴るほどに強くハミルトン夫人の手を振り払ったウィルを見て、彼女の護衛が剣に手を掛けた。
ウィルは鋭く護衛の騎士を睨み付け、私達の背後に侍女として控えていたミアも、懐に忍ばせている暗器へと手を伸ばす。
緊迫した空気が漂う中で、ハミルトン夫人だけがコロコロと無邪気に笑った。
「ふふっ。ウィルは相変わらずね。
貴方も新国王陛下の即位の夜会には出席するのでしょう?
夜会で私と一曲踊ってくれたら、今の無礼は無かった事にしてあげるわ」
居丈高にそう宣言する。
余程自分の美貌に自信があるのか、断られるなんて微塵も思っていないその態度が腹立たしい。
「さっきから無礼なのはお前の方だ。
身分を振り翳すのは趣味じゃ無いが、俺は辺境伯。お前の夫よりも爵位が上だと忘れるな。
それから、二度と俺を愛称で呼ぶな。
その呼び名を許しているのは、女性ではフェリシアだけだ。
さあ、行こうか。フェリシア」
「なっ……!」
怒りと羞恥に顔を紅潮させたハミルトン夫人を完全に無視し、ウィルは私を連れてその場を後にした。
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