179 / 200
179 暗雲
しおりを挟む
卒業が近付くと、最終学年の生徒の登校日はグッと少なくなる。
公爵家の家政の勉強は、ちょっとの間お休み中だ。
『卒業すれば直ぐに嫁いで来るのだから、今は実家で過ごす時間を大事にして欲しい』という、公爵夫人の配慮である。
その気遣いに甘えて、私は今日も自邸の談話室でジョエルの勉強に付き合っていた。
とはいえ、優秀なジョエルが私に教えを乞う事は少ない。
真剣な顔で問題集に取り組むジョエルを見守るのみである。
読んでいた新聞を畳んで脇に置き、代わりにティーカップを手に取った。
リーザが淹れてくれたオリジナルブレンドのハーブティーは、ハイビスカスがベースになっていて、深い紅色が美しい。
香りを楽しみながら喉を潤し、フゥと小さく息を吐く。
今日の新聞のトップニュースは、教皇達の刑の確定についてだった。
王太子妃殿下の懐妊により恩赦が与えられ、彼等は毒杯を賜る事になったらしい。
まあ、命が奪われる事に変わりはないし、教皇についてはその悪質性を鑑みて鞭打ちも追加されたけれど、それでも公開処刑に比べれば遥かに軽い刑である。
正直、私にとっては、ありがたい事この上ない。
もしも公開処刑が決定したら、決行日まで毎日悪夢を見そうだし、当日は窓を閉め切って部屋に引き篭もり、頭から毛布を被って震えていただろう。
しかし、私の為にアイザックが無茶をしたのかもしれないと思うと、なんだか落ち着かない。
「どんな手を使ったのかしら?」
思わず零した小さな呟きに、ジョエルが顔を上げた。
「あ、ごめん。お勉強の邪魔しちゃった?」
「いえ、今日の分が丁度終わった所です。
恩赦の件だったら、姉上は気にしなくて良いと思いますよ。
きっと、たまたまでしょう」
「……そう、かな?」
まあ、妃殿下のおめでたが発表されたばかりだし、タイミング的にはおかしくないけど……。
───コンコンコン。
談話室の扉がノックされた。
アイザックから荷物が届いたらしく、ユーニスが知らせに来たのだ。
「わざわざ呼びに来たって事は、大きな荷物なの?」
「大小幾つか届いています。
一番大きいのは、多分ドレスですね」
「この時期に届いたんですから、卒業パーティーの衣装と装飾品では?」
「あ……、そうね」
ジョエルに言われて初めて、卒業パーティーの存在を思い出した。
今年度に入ってから、色々事件が起こったり、それが落ち着いたら卒業試験があったりで、バタバタしていたとはいえ……。
断罪の可能性がなくなって、すっかり気が抜けていたのだろうか?
私室に運び入れられた大きな箱を開けると、中身はやっぱりドレスだった。
リーザとユーニスが協力して、トルソーに着せる。
プリンセスラインのドレスは、淡い光沢を放つシルクで出来ていた。
上半身の明るい水色からスカートの裾に向かって紫色になるグラデーションが美しい。
金糸で華やかな刺繍が施され、所々に花を模したアメジストのビーズが縫い付けられていた。
「綺麗……」
思わず感嘆の溜息が出る。
「悔しいけど、姉上に似合いそうですね」
ジョエルが複雑な表情でそう言った。
小さな箱にはゴールドのベースに大粒のパールがあしらわれた、上品なネックレスとイヤリングのセットが収められていた。
「このイヤリングでしたら、髪はアップにした方が良さそうですね」
リーザはもう当日の髪型を考え始めている。
「気が早くない?」
「お嬢様がのんびりし過ぎなんですよ」
その言葉に、ジョエルも深く頷いていたが、ふと何かに気付いて窓から外を覗き込む。
「さっきまで晴れてたのに、雨が降り出しましたね」
言われてみれば、ポツポツと雨粒が窓を叩く音が小さく聞こえる。
空には黒い雲が立ち込めていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~
所変わって、王宮のほど近くにある小さな食堂。
カウンターに座った常連の女性客が二人、もう何度目か分からない乾杯をしながら、若い女性店員も交えて会話を楽しんでいた。
「琥珀色の瞳ってだけで、毎回王宮に入るのに髪をチェックされるのよ?
もう、嫌になっちゃう!!」
そう嘆いている方の女性は、今巷で話題になっている『レイラ』と同じ琥珀色の瞳を持っていたが、髪色は淡い金髪である。
彼女は王宮に勤めるメイド。連れの女性は学生時代の友人らしい。
明日は二人とも仕事が休みで家でのんびり過ごす予定らしく、羽目を外して飲んでいた。
既にかなり酔っていて、前後不覚と言っても過言ではない。
「分かります。
私もこの店の面接の時、店長に髪を引っ張られましたもん」
そう言って笑った女性店員も、琥珀色の瞳だ。
髪は、金髪……なのだろうか? かなり傷んでいるけれど。
「お互い苦労するわね。
早く捕まれば良いのに」
「ええ、本当に。
あ、お二人とも、ドリンクお代わり如何ですか?」
「じゃあ、もう一杯!」
「かしこまりました」
笑顔で頷いた女性店員は、ビールを注いだジョッキの片方に、コッソリと透明な液体を垂らしてから提供した。
「マリー、これ三番テーブルね」
「はぁい」
厨房の奥から声を掛けられた女性店員は、カウンターで乾杯する二人を横目で見ながら、料理の皿を手に取った。
公爵家の家政の勉強は、ちょっとの間お休み中だ。
『卒業すれば直ぐに嫁いで来るのだから、今は実家で過ごす時間を大事にして欲しい』という、公爵夫人の配慮である。
その気遣いに甘えて、私は今日も自邸の談話室でジョエルの勉強に付き合っていた。
とはいえ、優秀なジョエルが私に教えを乞う事は少ない。
真剣な顔で問題集に取り組むジョエルを見守るのみである。
読んでいた新聞を畳んで脇に置き、代わりにティーカップを手に取った。
リーザが淹れてくれたオリジナルブレンドのハーブティーは、ハイビスカスがベースになっていて、深い紅色が美しい。
香りを楽しみながら喉を潤し、フゥと小さく息を吐く。
今日の新聞のトップニュースは、教皇達の刑の確定についてだった。
王太子妃殿下の懐妊により恩赦が与えられ、彼等は毒杯を賜る事になったらしい。
まあ、命が奪われる事に変わりはないし、教皇についてはその悪質性を鑑みて鞭打ちも追加されたけれど、それでも公開処刑に比べれば遥かに軽い刑である。
正直、私にとっては、ありがたい事この上ない。
もしも公開処刑が決定したら、決行日まで毎日悪夢を見そうだし、当日は窓を閉め切って部屋に引き篭もり、頭から毛布を被って震えていただろう。
しかし、私の為にアイザックが無茶をしたのかもしれないと思うと、なんだか落ち着かない。
「どんな手を使ったのかしら?」
思わず零した小さな呟きに、ジョエルが顔を上げた。
「あ、ごめん。お勉強の邪魔しちゃった?」
「いえ、今日の分が丁度終わった所です。
恩赦の件だったら、姉上は気にしなくて良いと思いますよ。
きっと、たまたまでしょう」
「……そう、かな?」
まあ、妃殿下のおめでたが発表されたばかりだし、タイミング的にはおかしくないけど……。
───コンコンコン。
談話室の扉がノックされた。
アイザックから荷物が届いたらしく、ユーニスが知らせに来たのだ。
「わざわざ呼びに来たって事は、大きな荷物なの?」
「大小幾つか届いています。
一番大きいのは、多分ドレスですね」
「この時期に届いたんですから、卒業パーティーの衣装と装飾品では?」
「あ……、そうね」
ジョエルに言われて初めて、卒業パーティーの存在を思い出した。
今年度に入ってから、色々事件が起こったり、それが落ち着いたら卒業試験があったりで、バタバタしていたとはいえ……。
断罪の可能性がなくなって、すっかり気が抜けていたのだろうか?
私室に運び入れられた大きな箱を開けると、中身はやっぱりドレスだった。
リーザとユーニスが協力して、トルソーに着せる。
プリンセスラインのドレスは、淡い光沢を放つシルクで出来ていた。
上半身の明るい水色からスカートの裾に向かって紫色になるグラデーションが美しい。
金糸で華やかな刺繍が施され、所々に花を模したアメジストのビーズが縫い付けられていた。
「綺麗……」
思わず感嘆の溜息が出る。
「悔しいけど、姉上に似合いそうですね」
ジョエルが複雑な表情でそう言った。
小さな箱にはゴールドのベースに大粒のパールがあしらわれた、上品なネックレスとイヤリングのセットが収められていた。
「このイヤリングでしたら、髪はアップにした方が良さそうですね」
リーザはもう当日の髪型を考え始めている。
「気が早くない?」
「お嬢様がのんびりし過ぎなんですよ」
その言葉に、ジョエルも深く頷いていたが、ふと何かに気付いて窓から外を覗き込む。
「さっきまで晴れてたのに、雨が降り出しましたね」
言われてみれば、ポツポツと雨粒が窓を叩く音が小さく聞こえる。
空には黒い雲が立ち込めていた。
~~~~~~~~~~~~~~~~
所変わって、王宮のほど近くにある小さな食堂。
カウンターに座った常連の女性客が二人、もう何度目か分からない乾杯をしながら、若い女性店員も交えて会話を楽しんでいた。
「琥珀色の瞳ってだけで、毎回王宮に入るのに髪をチェックされるのよ?
もう、嫌になっちゃう!!」
そう嘆いている方の女性は、今巷で話題になっている『レイラ』と同じ琥珀色の瞳を持っていたが、髪色は淡い金髪である。
彼女は王宮に勤めるメイド。連れの女性は学生時代の友人らしい。
明日は二人とも仕事が休みで家でのんびり過ごす予定らしく、羽目を外して飲んでいた。
既にかなり酔っていて、前後不覚と言っても過言ではない。
「分かります。
私もこの店の面接の時、店長に髪を引っ張られましたもん」
そう言って笑った女性店員も、琥珀色の瞳だ。
髪は、金髪……なのだろうか? かなり傷んでいるけれど。
「お互い苦労するわね。
早く捕まれば良いのに」
「ええ、本当に。
あ、お二人とも、ドリンクお代わり如何ですか?」
「じゃあ、もう一杯!」
「かしこまりました」
笑顔で頷いた女性店員は、ビールを注いだジョッキの片方に、コッソリと透明な液体を垂らしてから提供した。
「マリー、これ三番テーブルね」
「はぁい」
厨房の奥から声を掛けられた女性店員は、カウンターで乾杯する二人を横目で見ながら、料理の皿を手に取った。
1,401
お気に入りに追加
6,320
あなたにおすすめの小説
【完結】恋は、終わったのです
楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。
今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。
『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』
身長を追い越してしまった時からだろうか。
それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。
あるいは――あの子に出会った時からだろうか。
――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?
つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。
彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。
次の婚約者は恋人であるアリス。
アリスはキャサリンの義妹。
愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。
同じ高位貴族。
少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。
八番目の教育係も辞めていく。
王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。
だが、エドワードは知らなかった事がある。
彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。
他サイトにも公開中。

ある王国の王室の物語
朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。
顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。
それから
「承知しました」とだけ言った。
ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。
それからバウンドケーキに手を伸ばした。
カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

私は側妃なんかにはなりません!どうか王女様とお幸せに
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のキャリーヌは、婚約者で王太子のジェイデンから、婚約を解消して欲しいと告げられた。聞けば視察で来ていたディステル王国の王女、ラミアを好きになり、彼女と結婚したいとの事。
ラミアは非常に美しく、お色気むんむんの女性。ジェイデンが彼女の美しさの虜になっている事を薄々気が付いていたキャリーヌは、素直に婚約解消に応じた。
しかし、ジェイデンの要求はそれだけでは終わらなかったのだ。なんとキャリーヌに、自分の側妃になれと言い出したのだ。そもそも側妃は非常に問題のある制度だったことから、随分昔に廃止されていた。
もちろん、キャリーヌは側妃を拒否したのだが…
そんなキャリーヌをジェイデンは権力を使い、地下牢に閉じ込めてしまう。薄暗い地下牢で、食べ物すら与えられないキャリーヌ。
“側妃になるくらいなら、この場で息絶えた方がマシだ”
死を覚悟したキャリーヌだったが、なぜか地下牢から出され、そのまま家族が見守る中馬車に乗せられた。
向かった先は、実の姉の嫁ぎ先、大国カリアン王国だった。
深い傷を負ったキャリーヌを、カリアン王国で待っていたのは…
※恋愛要素よりも、友情要素が強く出てしまった作品です。
他サイトでも同時投稿しています。
どうぞよろしくお願いしますm(__)m

初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―
望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」
【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。
そして、それに返したオリービアの一言は、
「あらあら、まぁ」
の六文字だった。
屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。
ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて……
※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。


【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい
宇水涼麻
恋愛
ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。
「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」
呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。
王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。
その意味することとは?
慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?
なぜこのような状況になったのだろうか?
ご指摘いただき一部変更いたしました。
みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。
今後ともよろしくお願いします。
たくさんのお気に入り嬉しいです!
大変励みになります。
ありがとうございます。
おかげさまで160万pt達成!
↓これよりネタバレあらすじ
第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。
親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。
ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。

奪われたものは、もう返さなくていいです
gacchi
恋愛
幼い頃、母親が公爵の後妻となったことで公爵令嬢となったクラリス。正式な養女とはいえ、先妻の娘である義姉のジュディットとは立場が違うことは理解していた。そのため、言われるがままにジュディットのわがままを叶えていたが、学園に入学するようになって本当にこれが正しいのか悩み始めていた。そして、その頃、双子である第一王子アレクシスと第二王子ラファエルの妃選びが始まる。どちらが王太子になるかは、その妃次第と言われていたが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる