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178 慈悲深い妃《アイザック》
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「おいおい、お前どうかしてるぞ」
深々と頭を下げて微動だにしないアイザックを呆れた顔で眺めながら、サディアスは溜息混じりにそう言った。
突然、『教皇達を公開処刑にしないで欲しい』などと頼まれれば、誰だってそんな反応になるだろう。
「奴等は傀儡の王を作る為に、私の娘を害そうとした大罪人だぞ。
公開処刑以外、有り得ないだろう」
サディアスの隣に寄り添う様に座っている王太子妃マーガレットは、口元に微かな笑みを浮かべたままだが、その感情は全く読み取れない。
近年、『公開処刑は野蛮である』と、その是非を問う声が上がっている国もあると聞く。
しかし残念ながら、まだこの国では、『公開処刑は必要である』との考えを持つ者が大多数を占めていた。
特に、王家に仇を成した者には分かり易く重い罰を与えねばならない。所謂、見せしめである。
それと同時に、普段王侯貴族への不満を募らせている貧しい者達に、元権力者の凋落した姿を見せる事によって、少なからず溜飲を下げさせる効果が期待出来るのだ。
アイザックとて、公開処刑の利点は良く理解している。
勿論、オフィーリアだって、それが分からない筈はない。
だからこそ、彼女は自分がうっかり零してしまった言葉を『忘れて』と言ったのだ。
あの時のオフィーリアは、明らかに様子がおかしかった。
顔色は青く、微かに震えていた。手を握ると、生きているのが不思議なくらい冷たかった。
『火刑は、嫌』
消え入りそうな声でそう言われた瞬間、息を呑んだ。
思わずジョエルへ視線を向けると、彼は苦い物でも飲み込んだかの様に顔を歪ませていた。
もしかしたらアイザック自身も、同じ様な表情をしていたのかもしれない。
頭に浮かんだのは、オフィーリアから予知夢の事を告白されたあの日に、ジョエルに聞かされた話であった。
『嫌』『どうして』『熱い』『苦しい』『助けて』
ジョエルが聞いたという、悪夢に魘されている時のオフィーリアの寝言である。
その内容と、普段の彼女の様子から、ジョエルはオフィーリアが生きながら炎に焼かれる夢を繰り返し見ているのではないかと推察していた。
そして、それが予知夢である可能性にも言及していたのだ。
アイザックもその推察は正しいと思っていた。
事故か事件かは分からないが、オフィーリアが火災に巻き込まれるかもしれないのだと思い、二人は常に警戒していた。
しかし、オフィーリアの呟きを聞いて、アイザックとジョエルは、別の可能性に気付いたのである。
夢の中で、オフィーリアが火刑に処された可能性に───。
だとしても、オフィーリアが罪を犯したなんて到底思えない。
アイザックとジョエルは、オフィーリアを無条件に信じているのである。
ならば、残る答えは一つである。
『冤罪による火刑』
そう考えると、避けるべきなのは火刑だけではない。
きっと、罪人の処刑に喜び、声を上げ、石を投げつける民衆の姿を想像する事さえも、オフィーリアの恐怖心を煽るのだ。
彼女の心を守るには、公開処刑自体を避けなければならない。
「サディアス殿下には貸しが沢山ある筈です。
この機会に返して頂きたい」
「確かにお前には色々と借りがあるし、感謝もしているが、それを全て使ったとしてもなぁ……。
そもそも、何故急にそんな事を言い出したんだ?」
「それは言えません」
「何も言わずに要求を通そうなんて、虫が良すぎやしないか?
大体、お前だってあの者達には憤っていたはずだろう。
それなのに、処罰を軽減するなんて……」
確かに、アイザックも奴等には恨みがある。
幼い姫を狙った教皇の卑劣さには虫唾が走るし、奴が変な欲を出したせいでプリシラが増長し、オフィーリアを煩わせたのだと思うと本当に忌々しい。
しかも、予知夢の中でオフィーリアを嵌めた人物がいるのだとしたら、それは教皇である可能性が高い。
ヴィクター・リンメルについては言わずもがなである。あの男がオフィーリアを人質にしたせいで、彼女の心に傷が残ったのだから。
「処罰を軽減するつもりなど有りません」
アイザックがキッパリと言い切ると、マーガレット妃の笑みが深まった。
「良いのではないかしら?」
「メグ、何を……っ!?」
驚いて妻の名を呼んだサディアス。
膝の上で握り締められたその手に、マーガレットは自分の手を重ねた。
「丁度私の懐妊を発表した所なのだから、恩赦を与えましょう。
『残酷な刑は胎教に良くない』とでも言っておけば良いのよ」
この国には、結婚や出産など、王族の慶事がある時には、罪人の処罰を軽くしたり、受刑者の刑期を早めて釈放したりする制度がある。
その制度を使えば、公開処刑を避ける事も不可能ではない。
しかし、当然ながらサディアスは不服そうな顔をしている。
「それはそうだが……」
「ねぇ、アイザック。
貴方、王家の秘宝を使おうとしているんじゃない?」
夫の言葉を遮って、マーガレットはアイザックに問い掛けた。
「妃殿下には敵いませんね」
苦笑いで答えたアイザックに、マーガレットは満足そうに頷いた。
王家の秘宝である魔道具の存在は、ごく一部の人間にしか知られていない。
主に、なんらかの理由で公に出来ない重犯罪者などを処罰する際に使用されている。
「そうねぇ……、表向きは、『鞭打ち百回の上毒杯を授ける』とでも発表しましょうか。
私もね、ずっと思っていたのよ。
私達の可愛い可愛い娘を害そうとした者が、たかが一回死んだくらいで罪を償った事になるなんて、絶対に許せないって」
ウフフと上品に微笑むマーガレットの瞳の奥には、冷たい憎悪の炎が揺らめいていた。
「仕方ない。
私の妃は慈悲深いからなぁ……」
軽く溜息をついたサディアスは、マーガレットを抱き寄せ、そっと彼女の髪を撫でた。
仲睦まじい王太子夫妻の姿を眺めるアイザック。
(慈悲ってどんな意味だっけ?)
そんな疑問が脳裏を掠めたが、決して口には出さなかった。
深々と頭を下げて微動だにしないアイザックを呆れた顔で眺めながら、サディアスは溜息混じりにそう言った。
突然、『教皇達を公開処刑にしないで欲しい』などと頼まれれば、誰だってそんな反応になるだろう。
「奴等は傀儡の王を作る為に、私の娘を害そうとした大罪人だぞ。
公開処刑以外、有り得ないだろう」
サディアスの隣に寄り添う様に座っている王太子妃マーガレットは、口元に微かな笑みを浮かべたままだが、その感情は全く読み取れない。
近年、『公開処刑は野蛮である』と、その是非を問う声が上がっている国もあると聞く。
しかし残念ながら、まだこの国では、『公開処刑は必要である』との考えを持つ者が大多数を占めていた。
特に、王家に仇を成した者には分かり易く重い罰を与えねばならない。所謂、見せしめである。
それと同時に、普段王侯貴族への不満を募らせている貧しい者達に、元権力者の凋落した姿を見せる事によって、少なからず溜飲を下げさせる効果が期待出来るのだ。
アイザックとて、公開処刑の利点は良く理解している。
勿論、オフィーリアだって、それが分からない筈はない。
だからこそ、彼女は自分がうっかり零してしまった言葉を『忘れて』と言ったのだ。
あの時のオフィーリアは、明らかに様子がおかしかった。
顔色は青く、微かに震えていた。手を握ると、生きているのが不思議なくらい冷たかった。
『火刑は、嫌』
消え入りそうな声でそう言われた瞬間、息を呑んだ。
思わずジョエルへ視線を向けると、彼は苦い物でも飲み込んだかの様に顔を歪ませていた。
もしかしたらアイザック自身も、同じ様な表情をしていたのかもしれない。
頭に浮かんだのは、オフィーリアから予知夢の事を告白されたあの日に、ジョエルに聞かされた話であった。
『嫌』『どうして』『熱い』『苦しい』『助けて』
ジョエルが聞いたという、悪夢に魘されている時のオフィーリアの寝言である。
その内容と、普段の彼女の様子から、ジョエルはオフィーリアが生きながら炎に焼かれる夢を繰り返し見ているのではないかと推察していた。
そして、それが予知夢である可能性にも言及していたのだ。
アイザックもその推察は正しいと思っていた。
事故か事件かは分からないが、オフィーリアが火災に巻き込まれるかもしれないのだと思い、二人は常に警戒していた。
しかし、オフィーリアの呟きを聞いて、アイザックとジョエルは、別の可能性に気付いたのである。
夢の中で、オフィーリアが火刑に処された可能性に───。
だとしても、オフィーリアが罪を犯したなんて到底思えない。
アイザックとジョエルは、オフィーリアを無条件に信じているのである。
ならば、残る答えは一つである。
『冤罪による火刑』
そう考えると、避けるべきなのは火刑だけではない。
きっと、罪人の処刑に喜び、声を上げ、石を投げつける民衆の姿を想像する事さえも、オフィーリアの恐怖心を煽るのだ。
彼女の心を守るには、公開処刑自体を避けなければならない。
「サディアス殿下には貸しが沢山ある筈です。
この機会に返して頂きたい」
「確かにお前には色々と借りがあるし、感謝もしているが、それを全て使ったとしてもなぁ……。
そもそも、何故急にそんな事を言い出したんだ?」
「それは言えません」
「何も言わずに要求を通そうなんて、虫が良すぎやしないか?
大体、お前だってあの者達には憤っていたはずだろう。
それなのに、処罰を軽減するなんて……」
確かに、アイザックも奴等には恨みがある。
幼い姫を狙った教皇の卑劣さには虫唾が走るし、奴が変な欲を出したせいでプリシラが増長し、オフィーリアを煩わせたのだと思うと本当に忌々しい。
しかも、予知夢の中でオフィーリアを嵌めた人物がいるのだとしたら、それは教皇である可能性が高い。
ヴィクター・リンメルについては言わずもがなである。あの男がオフィーリアを人質にしたせいで、彼女の心に傷が残ったのだから。
「処罰を軽減するつもりなど有りません」
アイザックがキッパリと言い切ると、マーガレット妃の笑みが深まった。
「良いのではないかしら?」
「メグ、何を……っ!?」
驚いて妻の名を呼んだサディアス。
膝の上で握り締められたその手に、マーガレットは自分の手を重ねた。
「丁度私の懐妊を発表した所なのだから、恩赦を与えましょう。
『残酷な刑は胎教に良くない』とでも言っておけば良いのよ」
この国には、結婚や出産など、王族の慶事がある時には、罪人の処罰を軽くしたり、受刑者の刑期を早めて釈放したりする制度がある。
その制度を使えば、公開処刑を避ける事も不可能ではない。
しかし、当然ながらサディアスは不服そうな顔をしている。
「それはそうだが……」
「ねぇ、アイザック。
貴方、王家の秘宝を使おうとしているんじゃない?」
夫の言葉を遮って、マーガレットはアイザックに問い掛けた。
「妃殿下には敵いませんね」
苦笑いで答えたアイザックに、マーガレットは満足そうに頷いた。
王家の秘宝である魔道具の存在は、ごく一部の人間にしか知られていない。
主に、なんらかの理由で公に出来ない重犯罪者などを処罰する際に使用されている。
「そうねぇ……、表向きは、『鞭打ち百回の上毒杯を授ける』とでも発表しましょうか。
私もね、ずっと思っていたのよ。
私達の可愛い可愛い娘を害そうとした者が、たかが一回死んだくらいで罪を償った事になるなんて、絶対に許せないって」
ウフフと上品に微笑むマーガレットの瞳の奥には、冷たい憎悪の炎が揺らめいていた。
「仕方ない。
私の妃は慈悲深いからなぁ……」
軽く溜息をついたサディアスは、マーガレットを抱き寄せ、そっと彼女の髪を撫でた。
仲睦まじい王太子夫妻の姿を眺めるアイザック。
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