【完結】死を回避したい悪役令嬢は、ヒロインを破滅へと導く

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144 感染経路《ハロルド》

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 フォーガス伯爵領の騒動が耳に入った時、ハロルド・キッシンジャーは即座に現地へ向かう事を決めた。
 勿論、婚約者の為である。

『私は貴方が良いのです』

 そう言って彼を射抜いた力強い漆黒の瞳が、悲しみに曇るのを見たくは無かったから。


 選りすぐりの部下を引き連れ、フォーガス伯爵領に到着した彼は、挨拶もそこそこに早速捜査に加わった。


 最初にハロルド達が担当したのは、余所者の調査だった。
 林檎の生産量が多い事位しか特徴の無いこの村を、態々訪れる者は少なく、隣町まで行かなければ宿屋さえも無い。
 該当時期に村内で目撃された見慣れぬ人物は四人の男だけ。
 身元の確認も簡単だろうと思われた。

 一人はアディンセル侯爵領の住民で、この村出身の母を持ち、日帰りで祖父母の墓参りに訪れただけだった事が判明。
 村人との接触も少なく、店舗などにも立ち寄っていなかったので、早々に容疑者から除外された。

 二人目は隣町の小さな宿屋に宿泊していたケチな詐欺師だ。
 特産の林檎に大手商会が興味を持っていると偽り、高値で売れる様に話をつけてやるからと農園に仲介料を要求していた。
 胡散臭い奴ではあるが、ウイルスをばら撒く目的を持った人間が、他の罪を犯して目立つ様な真似をする筈がない。
 コイツはフォーガス伯爵領地の騎士団に引き渡した。

 三人目は詐欺師と同じ宿屋に泊まっていた。
 数日に渡り村の食堂で食事をとったり、八百屋で林檎を購入して齧っていたという情報も上がっている。

 取り調べ用のテントの中で、木の椅子に座らされた男は酷く落ち着かない様子で視線を泳がせている。
 テーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰を下ろしたハロルドは、男をジッと見詰めた。
 筋肉質で大きな体躯。服装や持ち物から、傭兵か冒険者に見えた。

「なんの目的で村へ来た?」

「だーかーらー、観光だって言ってるだ……」
 ───ドンッッ!!

 戯言を聞き終える前に、ハロルドは男と自分を隔てるテーブルに、右手の拳を振り下ろす。
 木製の分厚い天板に大きな亀裂が入り、ミシミシと音を立てながら真っ二つに割れた。

「観光ねぇ……。
 その訛りはこの国の出身じゃないよな。服装や仕草から貴族でもないと見える。
 他国から入った平民が一人くらい消えたって、何の問題にもならないんだ。
 もう一度寝言を言ったらどうなるか、良く考えてから発言しろよ?」

 もしも嘘をつけば、次にあの拳が振り下ろされる先は……。
 ハロルドの親切な忠告を正確に理解した男は、涙目になりながら勢い良く首を縦に振った。

 結論から言えば、この男は事件と関係していなかった。
 とある金持ちの夫人に依頼され、ブルーラビットの毛皮を手に入れる為、目撃情報を頼りにミラリア王国からこの村へやって来たらしい。
 ブルーラビットとは青銀色に光る美しい皮毛を持った珍しい兎。
 絶滅危惧種に指定されており、捕獲も毛皮の売買も大陸法で禁じられている。
 男はミラリア国民だったので、対応を東の辺境伯家に任せる事になり、速やかに身柄が引き渡された。


「残るは一人。コイツが本命か?」

 目撃情報によれば、第四の男は暗めのオリーブグリーンの瞳に、赤茶色の短髪だったらしい。髪や瞳は珍しくもない色合いだが、顎に目立つ黒子があると言う。
 捜査が始まった頃には、既に姿を消していた。

 王都方面から近くの町まで乗合馬車で移動し、そこから徒歩で村へ入った事は調べがついた。
 村のパン屋に立ち寄り、店主と少し話をしたらしい。

『見かけない顔だね。旅の途中かい?』

『馬車を乗り継いで隣国を目指しているのだが、恥ずかしい話、路銀が足りなくなってしまいそうでね。
 宿泊費を節約したいんだよ。
 この村は自然が豊かだと聞いたから、野営が出来そうだと思って立ち寄ったんだ』

『南東側の森なら、大型の魔獣は生息してないから安全だよ』

 来訪の理由に納得したパン屋の店主は、態々助言までしてやったと言う。
 にこやかにお礼を言った男は、パンを幾つか購入して帰った。

「何か不審な点に気付かなかっただろうか?」

「特に何もなかったと思いますけど……」

 店主は少し考え込んで、「あぁ」と小さく呟いた。

「思い出したか?」

「いや、不審というほどの事ではないんですがね、その男、ここで財布を落としたんですよ」

「財布を?」

「はい、支払いの時に手が滑ったみたいでね。
 銅貨がカウンターの裏にも転がっちまって、アワアワしていたから、俺も拾うのを手伝いました」

「……」

 その話を聞いたハロルドは、眉根を寄せて考え込んでしまった。

「いやぁ、こんな話、関係ないですよねぇ。
 余計な事を言っちまって済みません」

「そんな事はない。大変参考になった」

 店を出ても顰めっ面のままのハロルドに、部下が声をかける。

「感染源は、このパン屋かもしれないですね」

「……だろうな」

 パン屋といえば、店内の棚に剥き出しの商品が所狭しと並んでいるのが、当たり前の光景である。
 客が自分でそれを選び、トングなどを用いてトレーに乗せ、レジカウンターへ持って行くのが基本的なシステムだ。
 不特定多数の人物が購入して、口に入れる商品が無防備な状態で並んでいる。
 それを汚染させたなら、一気に感染が広がったのも頷ける。

 男は態と財布を落とし、店主の注意が逸れた隙を見て、パンを汚染させたのだ。

 患者や家族に聞き取りを行った結果、感染した者の殆どが、男が来店したのと同じ日にこの店で購入したパンを食べていた事が分かった。
 食べていない少数派は、おそらく他の者から感染ったのだろう。

 しかし、パンを食べたにも拘らず感染しなかった者もいた。
 それを理由に、捜査員の中にも『パン屋感染源説』を疑う者が出た。
『そもそも、村にパン屋は二軒しかないので、感染者の多くが利用していたとしても不思議はない』と彼等は主張した。

 だが、よくよく話を聞いてみれば、感染しなかった者達はパンを再加熱したり、購入後、半日以上経ってから食している事が分かった。
 物質の表面に付着したウイルスは、時間の経過と共にその数を減らすし、熱に弱いので再加熱すれば死滅する。

 流石にもう疑念の声を上げる者はいなかった。

 そのタイミングで、隣の村にも感染者が発見される。



「アディンセル侯爵領に近付いているな」

「だとすると、次に狙われるのは……」

 侯爵領に近い幾つかの村や町に当たりを付けて、私服の騎士達にパン屋とその周辺を見張らせた。

 ほどなくして、赤茶の短髪の男がその内の一件に姿を現す。

 男はパン屋の店主が他の客に話しかけられた隙に、ポケットからスプレー式のガラス瓶を取り出したが───。

「そこまでだ」

 地を這う様な低い声が、店内に響く。

 強い力で男の手首を掴んだのは、ハロルドだった。
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