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140 感染症の正体は
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全身から血の気が引いて、脚に力が入らない。
崩れ落ちそうになる私の体を、アイザックが支えてくれた。
「大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないです。ねぇ、どうしたら良いですか?
アイザック、私が…間違えたのかも……。
私の……、私の、せいで……」
震える唇から、勝手に言葉が零れ始める。
後から思えば、自分が預言者であると認める様な発言だったが、この時の私にそんな事を考える余裕など無かったのだ。
サディアス殿下はその発言を聞いても、微かに片眉を上げただけだった。
「エヴァレット嬢を客室に案内して、落ち着くまで休ませなさい。
アイザックも彼女に着いていろ」
殿下の指示に従って、無口な侍女さんが私達を近くの客室に連れて行ってくれた。
ソファーに座ったアイザックの膝の上に抱き上げられる。
冷え切った体を強く抱き締められ、背中を撫でられている内に、少しずつ体温が戻って来た。
どれくらいの間、そうしていただろうか?
「少しは落ち着いたかな?」
体の震えが治まった頃、アイザックは私の顔を覗き込んで、安心させる様に微笑んだ。
「済みません、取り乱してしまって。
……王太子殿下は、私が預言者だって確信してしまったでしょうね」
「それについては、心配しなくて良い。
あの人もオフィーリアを利用しようなんて思わないだろうし、僕もそれを許さない。
いざとなったら、身分を捨てて一緒に逃亡するか?
それともいっそのこと簒奪を考えようか?」
「ふふっ。そうですね」
誰かに聞かれたら即捕縛されそうな会話だが、部屋の隅に控えているユーニスは温かな眼差しを向けるだけ。
玉座なんて面倒な物を、本気で私達が望むはずはないと分かっているからだろう。
まあ、他に方法がなければアイザックならやり兼ねないが、そうなる前にきっと何とかしてくれる。
「感染症については、今サディアス殿下が詳しい情報を集めている。
今回の件は夢とは関係ない可能性もあるんだから、あまり自分を責めないで」
「……はい」
自分のせいで多くの人命が失われるのかと思うと怖くなって、パニックになってしまった。
だが、冷静になって考えてみれば、やっぱりゲームのイベントとは違うのではないかと思い始めた。
例のリルハン王国から流入した病は、潜伏期間が短いと聞いている。
だとすれば、港から遠い東側の地域でのみ感染が拡大するなんて、ちょっと不自然だ。
───コンコンコン。
小さなノックの音が響く。
ユーニスが扉を開けて、訪問者であるサディアス殿下を迎え入れた。
「一応心配したのだが、なんか大丈夫そうだな」
殿下は私達の姿を視界に映すと、フッと笑った。
慌ててアイザックの膝の上から降りようとしたが、逆に私を抱き締める腕の力が強まってしまい、身動きが取れない。
「そのままで構わないよ」
「ほら、殿下も良いって言ってるから」
「私が良くないんですよ。
恥ずかしいから、下ろしてください」
涙目で睨み付けると、アイザックは渋々私の腰に回した腕を緩めた。
私はサッと立ち上がり、アイザックの隣に座り直す。
サディアス殿下は私達の向かいの席に腰を下ろすと、急に真面目な表情になった。
「さて、フォーガス伯爵領の感染症についての話をしようか。
エヴァレット嬢にも聞いて欲しい」
「分かりました」
「先ず、これはエヴァレット嬢の間違いのせいで起こった事ではないから、その点については安心して欲しい。
フォーガス伯爵領で広がっている病は、リルハン王国からの物ではなく、死斑病だった」
死斑病とは、前世で言うところのインフルエンザに似た病気である。
大陸全土で毎年の様に流行する、ごく一般的な伝染病だ。
酷い風邪みたいな症状に加え、体に赤い斑点が現れるのが特徴で、高熱により命を落とす者が多発した事で死を齎す斑点と恐れられ、物騒な名で呼ばれる様になった。
しかし、人類にとって死斑病が大きな脅威だったのは、何百年も前の話である。
現在は良く効く薬やワクチンが開発された事により、重症化するケースは少なくなっている。
比較的、対処し易い伝染病であると言えるのだが───。
「この季節に死斑病が流行するなんて……」
私は思わず呟いた。
死斑病は流行する時期もインフルエンザと似ており、気温が低く乾燥した季節が一番多い。
勿論、絶対に夏場には罹らないとまでは言い切れないのだけれど。
「そうだな。だから、私はこの流行が人為的に引き起こされたのではないかと疑っている。
宰相の領地の隣で発生している事にも、作為的な物を感じるしね」
「誰かが、ウイルスをばら撒いたと?」
アイザックが問うと、サディアス殿下は神妙な顔で頷いた。
対処し易いとは言っても、感染すれば高熱が出るのだから、子供やお年寄りなどの体力がない者は命を落とす事だってある。
そんなウイルスを意図的にばら撒いたとしたら、本当に許せない行為だ。
「私はそう考えている。勿論、証拠はこれから探さねばならないが。
感染拡大のペースも不自然だ。昨日一人目の感染者が確認されて、今日はもう五十人を超えたらしい」
「確かにそれはおかしいですね。
それに、その状況だと、薬が不足する可能性も考えなければいけません」
アイザックは眉間に皺を寄せて考え込む。
目視出来る特徴が現れる事から、死斑病の感染者は外出を控える傾向にあり、必然的に家庭内感染が主流となる。
症状が弱い者や治りかけの者が外出する事によって外にも広がるが、そのスピードは比較的緩やかなので、普通ならば問題なく対応出来るのだが。
「季節的にも感染が拡大する時期ではないから、薬の在庫が少ない。
そこで、エヴァレット嬢にお願いがあるのだが……」
暴言を吐いた弱味があるせいか、サディアス殿下は遠慮がちに口を開いた。
「その……、君の伯母は隣国に嫁いでいるよね。確か、薬の販売で有名な……」
「ああ、カヴァナー家なら在庫があるかもしれませんね。確認してみます」
殿下の望みを予想して了承すると、彼は安堵の息を吐いた。
従兄のマーク兄様の家は、化粧品だけじゃなく薬も製造販売している。
ミラリア王国は昨年の死斑病の発生件数が少なかったはずだから、在庫が余っている可能性が高い。
それに、フォーガス伯爵領ならば、この国の王都から薬を届けるよりも、東の隣国であるミラリアのカヴァナー子爵領からの方が距離が近いのだ。
「ミラリアの王家には、こちらから連絡しておくから、よろしく頼む」
「かしこまりました」
「感謝する」
それから二日後、教皇が『フォーガス伯爵領に光の乙女を派遣する』と大々的に発表した。
崩れ落ちそうになる私の体を、アイザックが支えてくれた。
「大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないです。ねぇ、どうしたら良いですか?
アイザック、私が…間違えたのかも……。
私の……、私の、せいで……」
震える唇から、勝手に言葉が零れ始める。
後から思えば、自分が預言者であると認める様な発言だったが、この時の私にそんな事を考える余裕など無かったのだ。
サディアス殿下はその発言を聞いても、微かに片眉を上げただけだった。
「エヴァレット嬢を客室に案内して、落ち着くまで休ませなさい。
アイザックも彼女に着いていろ」
殿下の指示に従って、無口な侍女さんが私達を近くの客室に連れて行ってくれた。
ソファーに座ったアイザックの膝の上に抱き上げられる。
冷え切った体を強く抱き締められ、背中を撫でられている内に、少しずつ体温が戻って来た。
どれくらいの間、そうしていただろうか?
「少しは落ち着いたかな?」
体の震えが治まった頃、アイザックは私の顔を覗き込んで、安心させる様に微笑んだ。
「済みません、取り乱してしまって。
……王太子殿下は、私が預言者だって確信してしまったでしょうね」
「それについては、心配しなくて良い。
あの人もオフィーリアを利用しようなんて思わないだろうし、僕もそれを許さない。
いざとなったら、身分を捨てて一緒に逃亡するか?
それともいっそのこと簒奪を考えようか?」
「ふふっ。そうですね」
誰かに聞かれたら即捕縛されそうな会話だが、部屋の隅に控えているユーニスは温かな眼差しを向けるだけ。
玉座なんて面倒な物を、本気で私達が望むはずはないと分かっているからだろう。
まあ、他に方法がなければアイザックならやり兼ねないが、そうなる前にきっと何とかしてくれる。
「感染症については、今サディアス殿下が詳しい情報を集めている。
今回の件は夢とは関係ない可能性もあるんだから、あまり自分を責めないで」
「……はい」
自分のせいで多くの人命が失われるのかと思うと怖くなって、パニックになってしまった。
だが、冷静になって考えてみれば、やっぱりゲームのイベントとは違うのではないかと思い始めた。
例のリルハン王国から流入した病は、潜伏期間が短いと聞いている。
だとすれば、港から遠い東側の地域でのみ感染が拡大するなんて、ちょっと不自然だ。
───コンコンコン。
小さなノックの音が響く。
ユーニスが扉を開けて、訪問者であるサディアス殿下を迎え入れた。
「一応心配したのだが、なんか大丈夫そうだな」
殿下は私達の姿を視界に映すと、フッと笑った。
慌ててアイザックの膝の上から降りようとしたが、逆に私を抱き締める腕の力が強まってしまい、身動きが取れない。
「そのままで構わないよ」
「ほら、殿下も良いって言ってるから」
「私が良くないんですよ。
恥ずかしいから、下ろしてください」
涙目で睨み付けると、アイザックは渋々私の腰に回した腕を緩めた。
私はサッと立ち上がり、アイザックの隣に座り直す。
サディアス殿下は私達の向かいの席に腰を下ろすと、急に真面目な表情になった。
「さて、フォーガス伯爵領の感染症についての話をしようか。
エヴァレット嬢にも聞いて欲しい」
「分かりました」
「先ず、これはエヴァレット嬢の間違いのせいで起こった事ではないから、その点については安心して欲しい。
フォーガス伯爵領で広がっている病は、リルハン王国からの物ではなく、死斑病だった」
死斑病とは、前世で言うところのインフルエンザに似た病気である。
大陸全土で毎年の様に流行する、ごく一般的な伝染病だ。
酷い風邪みたいな症状に加え、体に赤い斑点が現れるのが特徴で、高熱により命を落とす者が多発した事で死を齎す斑点と恐れられ、物騒な名で呼ばれる様になった。
しかし、人類にとって死斑病が大きな脅威だったのは、何百年も前の話である。
現在は良く効く薬やワクチンが開発された事により、重症化するケースは少なくなっている。
比較的、対処し易い伝染病であると言えるのだが───。
「この季節に死斑病が流行するなんて……」
私は思わず呟いた。
死斑病は流行する時期もインフルエンザと似ており、気温が低く乾燥した季節が一番多い。
勿論、絶対に夏場には罹らないとまでは言い切れないのだけれど。
「そうだな。だから、私はこの流行が人為的に引き起こされたのではないかと疑っている。
宰相の領地の隣で発生している事にも、作為的な物を感じるしね」
「誰かが、ウイルスをばら撒いたと?」
アイザックが問うと、サディアス殿下は神妙な顔で頷いた。
対処し易いとは言っても、感染すれば高熱が出るのだから、子供やお年寄りなどの体力がない者は命を落とす事だってある。
そんなウイルスを意図的にばら撒いたとしたら、本当に許せない行為だ。
「私はそう考えている。勿論、証拠はこれから探さねばならないが。
感染拡大のペースも不自然だ。昨日一人目の感染者が確認されて、今日はもう五十人を超えたらしい」
「確かにそれはおかしいですね。
それに、その状況だと、薬が不足する可能性も考えなければいけません」
アイザックは眉間に皺を寄せて考え込む。
目視出来る特徴が現れる事から、死斑病の感染者は外出を控える傾向にあり、必然的に家庭内感染が主流となる。
症状が弱い者や治りかけの者が外出する事によって外にも広がるが、そのスピードは比較的緩やかなので、普通ならば問題なく対応出来るのだが。
「季節的にも感染が拡大する時期ではないから、薬の在庫が少ない。
そこで、エヴァレット嬢にお願いがあるのだが……」
暴言を吐いた弱味があるせいか、サディアス殿下は遠慮がちに口を開いた。
「その……、君の伯母は隣国に嫁いでいるよね。確か、薬の販売で有名な……」
「ああ、カヴァナー家なら在庫があるかもしれませんね。確認してみます」
殿下の望みを予想して了承すると、彼は安堵の息を吐いた。
従兄のマーク兄様の家は、化粧品だけじゃなく薬も製造販売している。
ミラリア王国は昨年の死斑病の発生件数が少なかったはずだから、在庫が余っている可能性が高い。
それに、フォーガス伯爵領ならば、この国の王都から薬を届けるよりも、東の隣国であるミラリアのカヴァナー子爵領からの方が距離が近いのだ。
「ミラリアの王家には、こちらから連絡しておくから、よろしく頼む」
「かしこまりました」
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