【完結】死を回避したい悪役令嬢は、ヒロインを破滅へと導く

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135 二つ目の分岐点《ヴィクター》

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 ヴィクターの返事を聞いた教皇は、満足そうに口角を上げた。

「言ったろう。話は契約を交わした後だ」

 教皇が背後に控えていた神官に向けてヒラリと手を振ると、神官は抱えていた鞄から書類を取り出した。

 契約の内容が先程の話と相違無い事を確認して、ペンを手に取る。
 サインをする手は少しだけ震えていた。
 ヴィクターに続き、神官と義父も証人として記名する。因みに教皇のサインは予め記入済みであった。
 暫しの間、静まり返った応接室に、ペンを走らせるサラサラという音だけが響く。

「これで契約は成立した。
 世話になったな伯爵。もう席を外して構わない」

 沈黙を破った教皇は、用済みとばかりに義父を追い出そうとする。

「……は?」

「何だ?」

 不満そうに声を上げようとした義父だが、有無を言わせぬ笑みを向けられ、続く言葉を飲み込んで頭を下げた。

「………………いえ、何も。失礼致します」

 義父の背中を見送り、扉が閉まると『フォンッ』と小さな音がした。
 ほんの一瞬空気が揺らめいたのを感じ、ヴィクターはキョロキョロと周囲を見回す。

「防音魔法を展開しました」

 ヴィクターの疑問に答えたのは神官だった。
 どうやら彼は魔力持ちらしい。
 攻撃魔法などに長けた者は、高額な報酬と引き換えに王家に囲われて管理されるが、危険性が少ない者は普通に生きる事を許されている。
 教会に所属する者も多いと聞いた事があった。

 態々防音魔法を使える神官を連れて来たって事は、これから聞く話はそれだけヤバい内容なのだろうと容易に想像出来た。

(契約したのは失敗だったかもしれないな)

 ヴィクターはコクリと喉を鳴らす。


「さて、邪魔者がいなくなった所で、本題に入ろうか」

 ジャケットの内ポケットから取り出した小瓶を、教皇はヴィクターに手渡した。

「これを改良して欲しい」

 瓶の蓋を開けて、スンと匂いを嗅いだヴィクターは微かに顔を顰めた。

「これは……、麻酔薬?」

 強い痛みを伴う治療の前に患者に投与する事で、深い睡眠状態へと誘う薬だ。
 一定時間が経てば自然に目覚めるし、中和剤の注射で強制的に目覚めさせる事も可能である。

「匂いを嗅いだだけで分かるとは、評判通りだな」

「お褒めに預かり光栄です。
 で、どの様に改良すれば?」

「無味無臭にして、時間が経過しても絶対に目覚めない様にして欲しい。
 それから、既存の中和剤では中和出来ない様に」

「……そうなると、もう別の薬では?」

 それに『改良』ではなく『改悪』ではないか。
 そう思ったヴィクターだが、それを口に出すのは我慢した。

「この薬をベースにしても良いし、一から作ってくれても良い。
 私の希望通りの効果があれば、どちらでも構わない。
 必要な設備や材料は何でも提供しよう」

「そんな薬、何に使うのですか?」

「世の中には、知らない方が良い事もある」

「………………分かりました」

 教皇が求めている薬は、幾らでも悪用する事が可能な代物である。
 いや、寧ろ悪用する以外の使い道が思いつかない。
 しかし、ここまで話を聞いておいて、今更『契約を破棄したい』だなんて言ったら、何をされるか分からない。
 この時点で契約した事を完全に後悔していたが、既に後戻り出来ない状況に追い込まれているヴィクターには、頷く以外の選択肢は無かった。


 話を終えて応接室を出る際、教皇は一瞬立ち止まると、ヴィクターの左手に再び視線を向けた。

「その痣……、手袋でもして常に隠しておきなさい」

 ヴィクターの左手には、生まれつき珍しい星形の痣があった。
 調薬の際は白手袋を、正装の時には皮の手袋を着用しているし、手首に近い部分なので上着の袖で見えない事も多く、その痣の存在に気付く者は少ないが。

「……はい」

 意味が分からない要求だったが、『この男には逆らわない方が良い』と本能的に感じたヴィクターは、素直に頷いた。




 最新の器具も希少な原料も使い放題で研究を進めたのが良かったのか、教皇が求めていた薬は思った以上に早期に完成した。

 目の前で試験管を軽く振ると、チャポンと中の液体が揺れる。

「さて、理論上はこれで良いはずだが……。
 誰かに試してみない事には、効果が確認出来ないな」

 そう呟いたヴィクターの脳裏に、ある恐ろしい考えが閃いた。

(義父に、飲ませてみるか……)

 最近の義父は常に苛立っており、義母に暴力を振るう事もしばしばあった。
 おそらく、なかなか愛人達が孕らないのが不機嫌の原因だろう。

 幸いと言うか何と言うか、ヴィクターには力では敵わないと分かっているらしく、手を出してこなかったが、それでも煩わしい存在である事には変わりない。

 愛人が子を産んでいない今、義父が倒れたら当然伯爵家を継ぐのはヴィクターだ。
 義父は療養と称して領地に連れて行き、専用の使用人に面倒を見させれば良い。

(大丈夫。眠り続けるだけで、殺すわけじゃないんだから……)

 そう自分に言い聞かせながら、義父が晩酌に使うブランデーグラスの内側に、薬を塗った。


 翌朝、義父が普通に起きて来た事には驚かされた。
 効かなかったのかと焦ったが、昼過ぎ、執務机に突っ伏したまま眠り続ける義父が発見される。
 体を揺さぶろうが、頬を叩こうが、何をやっても目を覚さない。
 しかし、呼吸も脈拍も正常である。

(やった、成功だ)

 歓喜の声を上げたい気持ちを抑えて、悲痛な表情を作り、使用人達に今後の方針を伝える。
 予定通りに義父は領地に送り、ヴィクターは無事に爵位を継承した。



 完成した薬は教皇に提出した。
 効果が発揮されるまで、半日程度掛かってしまうと説明すると、教皇は『逆に好都合だ』とニヤリと笑った。
 その反応に、やはり悪用するつもりなのだという思いは更に強まったが、既に薬を使って義父を排除したヴィクターだって同じ穴の狢である。



 教皇に会った帰り、ヴィクターは王都の片隅にある小さな公園のベンチに座ってボンヤリと噴水を眺めていた。
 中央公園と違って利用者の少ないこの公園は、考え事をする時にいつも訪れるお気に入りの場所である。

(本当に、これで良かったのだろうか?)

 考えたって今更どうなる物でも無いが、つい考えてしまう。
 そんな時、目の前にヒラリとレースのハンカチが舞い落ちた。
 反射的にそれを拾うと、持ち主らしき女性が駆け寄って来る。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」


 この出会いが、二つ目の運命の分かれ道だ。


 それから何度か同じ公園で顔を合わせる内に、二人は少しずつ会話を交わす様になった。

 聞けば、彼女も養女で、義家族からはあまり良い待遇を受けていないらしい。
 彼女はとても聞き上手で、しかもまるで心を読んでいるかの如く、ヴィクターが欲しい言葉ばかりをくれる。
 そんな彼女に心を開くのに時間は掛からなかった。

 普通ならば絶対に口外しない義母の心の病についても、何故かうっかり相談してしまった。
 眉を顰められるかと一瞬後悔したが、彼女の反応は予想と全く違っていた。

「私の友人がね、国外から取り寄せているお香を使っているんですって。
 なんでも、自己肯定感を高めて、心を落ち着かせる効果があるらしいの。
 今度会う時に少し貰って来てあげるから、お母様にも試してみたらどうかしら?」


 後日、彼女から二回分のお香を受け取った。

 一度使ってみた所、思った以上に効果がありそうだったので、残りを成分分析して、自分で調合する事にした。
 お香のお陰で、義母の精神状態は以前よりも安定している。

「彼女には、本当に世話になってばかりだな」

 乳鉢で香木を擦り潰しながら、ヴィクターは口元に笑みを浮かべた。

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