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106 明確な悪意
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急遽呼び出されたダドリー先生が、私の足を診察してくれた。
「うん、少し捻ったみたいですね。
骨には異常が見られないので、あまり心配しなくて大丈夫ですよ」
「それなら、婚約披露パーティーは問題なさそうですね」
私がそう言うと、アイザックもホッとした様に頷いた。
実は四ヶ月後に私達の婚約披露のパーティーが予定されている。
怪我の具合によっては延期せざるを得ないかと思っていたが、大丈夫そうで良かった。
「でも念の為、半月くらいは安静にしておいた方が良いでしょう。
薬を塗って、あまり動かさない様に」
ニコニコと優しい笑みを浮かべながら患部に湿布薬の様な薬を塗り付けたガーゼを貼り、包帯を巻いてくれるダドリー先生。
「分かりました。
お忙しい中、わざわざ診て頂いて済みません」
「いえ、久し振りにオフィーリア様にお会い出来て嬉しいですよ。
私の記憶の中では小さな女の子のままだったのですが、すっかり素敵な淑女になられましたね」
「ふふっ。ありがとうございます」
診察を終えて部屋を後にするダドリー先生と入れ替わる様に、従者がアイザックを呼びに来た。
「ウチの騎士達が戻って来たらしいから、ちょっと報告を聞いて来る」
アイザックはそう言い残して部屋を出て行った。
どうやら先程のトラブルについて、公爵家の騎士が調査に乗り出してくれていたらしい。
暫くして戻って来たアイザックは、眉間に微かな皺を寄せた厳しい表情で、ベッド脇に置いた椅子に腰を下ろす。
もしかして、報告の内容はあまり良くない話だったのだろうか?
死の恐怖を感じた動揺が収まったら、段々とトムの事が心配になって来る。
「あの……、トムは、どうなるのでしょう?」
ベッドに寝かされていた私は半身を起こして、アイザックに尋ねた。
「怪我も無いし、今は大人しくしているらしい。
オフィーリアの怪我もそんなに重くないから、殺処分とかにはならない予定」
「ああ、良かったです!」
私はホッと胸を撫で下ろしたのだが……。
「……と言うか、トムは利用されたみたいなんだ。
あの事故は、仕組まれていたんだよ」
「仕組まれてた?」
アイザックの話によれば、鎮静剤を打たれて落ち着きを取り戻したトムは、取り敢えず様子を見る為に別の厩舎に隔離されたらしい。
そして念の為、元々トムが飼われていた部屋を調査した職員が、小さな包み紙の切れ端が落ちているのを発見した。
その紙からはチョコレートの匂いがしたという。
「チョコレートを食べさせられた可能性があるという事でしょうか?」
「ああ」
馬にとってチョコレートは興奮作用があるらしい。
競馬の世界では禁止薬物扱いだって、前世の頃に聞いた事がある。
だから普段は大人しいトムが落ち着かなかったり、急に暴れたりしたのだろう。
勿論、乗馬クラブの職員や会員は皆、それを知っている。
だから、悪意が無い限りは、厩舎にチョコレートを持ち込んだりはしない。
「一体誰がそんな酷い事を……」
無意識の内に毛布を握りしめていた手が、怒りに震える。
もう少しで死ぬ所だったのだ。
それが人為的に作られた状況だとしたら、許せるはずもない。
それに、私だけじゃなくアイザックだって危なかったかもしれない。
トムだって人間に大怪我をさせたり、自身の脚を負傷したりすれば、殺処分になる可能性が高かったのだ。
ちょっとした悪戯とかでは済まされない行為である。
絶対に許せない。
「ウチの調査員がクラブ職員を取り調べた結果、不審な若い女が浮かんだ」
その女は数日前に乗馬クラブの見学に訪れたらしい。
女は厩舎の若い男性職員にフレンドリーに話し掛け、作業の様子を熱心に見学したという。
最近は乗馬を始める女性が増えているが、見学希望者が興味を示すのは専ら馬場を走る馬の勇姿で、馬達の飼育環境に興味を持ってくれる人は少ない。
きっと馬が好きなのだろうと、職員は女に好感を抱いた。
女は『実はエヴァレット伯爵令嬢のファンで、一度で良いからお会いしてみたいのです』と少し照れながら語ったそうだ。
その頃にはすっかり女に対する警戒心を失くしてしまっていた職員は、『今週末にいらっしゃるご予定がありますよ』と教えてしまった。
その週末に当たる日に事件が起きたのだから、女が無関係とは考え難い。
当該の職員は、事件を知って顔面蒼白になっていたらしい。
悪気は無かったとはいえ、安易に顧客の情報を漏洩してしまった職員は迂闊だったと言わざるを得ない。
乗馬クラブの厩舎に預けられている馬は、貴族の所有する馬が多い。
セキュリティ面の甘さが露呈した今回の事件は、クラブにとっても大打撃であろう。
「取り敢えず、オフィーリアとジョエルの馬をそのままクラブに任せる訳には行かないから、ウチの厩舎で預からせてもらって良いかな?」
「良いのですか? ありがとうございます」
願ってもないアイザックの提案に、二つ返事で同意した。
公爵邸は建物も立派だが敷地も広大なので、二頭くらい馬が増えても困らないのだろう。
「乗馬クラブの方はどうする? 潰しとく?」
麗しい微笑みを浮かべながら、サラッと攻撃的な言葉を吐くアイザック。
「いえ、賠償だけして頂ければ。
ですが再発防止策をしっかり講じて下さる事が条件です」
一つの職場が潰れるだけで、路頭に迷う人が多く出る。それは私の本意ではない。
それに、折角の乗馬ブームに水を差すのは嫌だから、あまり大事にしたくはないのよね。
だが、それと同時に、他のご令嬢が私の様な被害に遭う事だけは、絶対に避けなければならない。
今回はたまたま運が良かっただけで、一歩間違えば命を落としていたのだから。
「まぁ、オフィーリアがそう言うなら良いけど……。
再発防止策が充分かどうかは、こちらでもチェックしておこう」
アイザックは少し残念そうに頷く。
その怒りは是非とも『謎の女』の方へとぶつけて頂きたい。
※実際チョコレートは馬にとって興奮作用があるらしいですが、その効果の強さは作者には分かりません。
フィクションという事でサラッと流して頂けるとありがたいです。
「うん、少し捻ったみたいですね。
骨には異常が見られないので、あまり心配しなくて大丈夫ですよ」
「それなら、婚約披露パーティーは問題なさそうですね」
私がそう言うと、アイザックもホッとした様に頷いた。
実は四ヶ月後に私達の婚約披露のパーティーが予定されている。
怪我の具合によっては延期せざるを得ないかと思っていたが、大丈夫そうで良かった。
「でも念の為、半月くらいは安静にしておいた方が良いでしょう。
薬を塗って、あまり動かさない様に」
ニコニコと優しい笑みを浮かべながら患部に湿布薬の様な薬を塗り付けたガーゼを貼り、包帯を巻いてくれるダドリー先生。
「分かりました。
お忙しい中、わざわざ診て頂いて済みません」
「いえ、久し振りにオフィーリア様にお会い出来て嬉しいですよ。
私の記憶の中では小さな女の子のままだったのですが、すっかり素敵な淑女になられましたね」
「ふふっ。ありがとうございます」
診察を終えて部屋を後にするダドリー先生と入れ替わる様に、従者がアイザックを呼びに来た。
「ウチの騎士達が戻って来たらしいから、ちょっと報告を聞いて来る」
アイザックはそう言い残して部屋を出て行った。
どうやら先程のトラブルについて、公爵家の騎士が調査に乗り出してくれていたらしい。
暫くして戻って来たアイザックは、眉間に微かな皺を寄せた厳しい表情で、ベッド脇に置いた椅子に腰を下ろす。
もしかして、報告の内容はあまり良くない話だったのだろうか?
死の恐怖を感じた動揺が収まったら、段々とトムの事が心配になって来る。
「あの……、トムは、どうなるのでしょう?」
ベッドに寝かされていた私は半身を起こして、アイザックに尋ねた。
「怪我も無いし、今は大人しくしているらしい。
オフィーリアの怪我もそんなに重くないから、殺処分とかにはならない予定」
「ああ、良かったです!」
私はホッと胸を撫で下ろしたのだが……。
「……と言うか、トムは利用されたみたいなんだ。
あの事故は、仕組まれていたんだよ」
「仕組まれてた?」
アイザックの話によれば、鎮静剤を打たれて落ち着きを取り戻したトムは、取り敢えず様子を見る為に別の厩舎に隔離されたらしい。
そして念の為、元々トムが飼われていた部屋を調査した職員が、小さな包み紙の切れ端が落ちているのを発見した。
その紙からはチョコレートの匂いがしたという。
「チョコレートを食べさせられた可能性があるという事でしょうか?」
「ああ」
馬にとってチョコレートは興奮作用があるらしい。
競馬の世界では禁止薬物扱いだって、前世の頃に聞いた事がある。
だから普段は大人しいトムが落ち着かなかったり、急に暴れたりしたのだろう。
勿論、乗馬クラブの職員や会員は皆、それを知っている。
だから、悪意が無い限りは、厩舎にチョコレートを持ち込んだりはしない。
「一体誰がそんな酷い事を……」
無意識の内に毛布を握りしめていた手が、怒りに震える。
もう少しで死ぬ所だったのだ。
それが人為的に作られた状況だとしたら、許せるはずもない。
それに、私だけじゃなくアイザックだって危なかったかもしれない。
トムだって人間に大怪我をさせたり、自身の脚を負傷したりすれば、殺処分になる可能性が高かったのだ。
ちょっとした悪戯とかでは済まされない行為である。
絶対に許せない。
「ウチの調査員がクラブ職員を取り調べた結果、不審な若い女が浮かんだ」
その女は数日前に乗馬クラブの見学に訪れたらしい。
女は厩舎の若い男性職員にフレンドリーに話し掛け、作業の様子を熱心に見学したという。
最近は乗馬を始める女性が増えているが、見学希望者が興味を示すのは専ら馬場を走る馬の勇姿で、馬達の飼育環境に興味を持ってくれる人は少ない。
きっと馬が好きなのだろうと、職員は女に好感を抱いた。
女は『実はエヴァレット伯爵令嬢のファンで、一度で良いからお会いしてみたいのです』と少し照れながら語ったそうだ。
その頃にはすっかり女に対する警戒心を失くしてしまっていた職員は、『今週末にいらっしゃるご予定がありますよ』と教えてしまった。
その週末に当たる日に事件が起きたのだから、女が無関係とは考え難い。
当該の職員は、事件を知って顔面蒼白になっていたらしい。
悪気は無かったとはいえ、安易に顧客の情報を漏洩してしまった職員は迂闊だったと言わざるを得ない。
乗馬クラブの厩舎に預けられている馬は、貴族の所有する馬が多い。
セキュリティ面の甘さが露呈した今回の事件は、クラブにとっても大打撃であろう。
「取り敢えず、オフィーリアとジョエルの馬をそのままクラブに任せる訳には行かないから、ウチの厩舎で預からせてもらって良いかな?」
「良いのですか? ありがとうございます」
願ってもないアイザックの提案に、二つ返事で同意した。
公爵邸は建物も立派だが敷地も広大なので、二頭くらい馬が増えても困らないのだろう。
「乗馬クラブの方はどうする? 潰しとく?」
麗しい微笑みを浮かべながら、サラッと攻撃的な言葉を吐くアイザック。
「いえ、賠償だけして頂ければ。
ですが再発防止策をしっかり講じて下さる事が条件です」
一つの職場が潰れるだけで、路頭に迷う人が多く出る。それは私の本意ではない。
それに、折角の乗馬ブームに水を差すのは嫌だから、あまり大事にしたくはないのよね。
だが、それと同時に、他のご令嬢が私の様な被害に遭う事だけは、絶対に避けなければならない。
今回はたまたま運が良かっただけで、一歩間違えば命を落としていたのだから。
「まぁ、オフィーリアがそう言うなら良いけど……。
再発防止策が充分かどうかは、こちらでもチェックしておこう」
アイザックは少し残念そうに頷く。
その怒りは是非とも『謎の女』の方へとぶつけて頂きたい。
※実際チョコレートは馬にとって興奮作用があるらしいですが、その効果の強さは作者には分かりません。
フィクションという事でサラッと流して頂けるとありがたいです。
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