【完結】死を回避したい悪役令嬢は、ヒロインを破滅へと導く

miniko

文字の大きさ
上 下
62 / 200

62 見捨てられた女《アイザック》

しおりを挟む
 ギィィィと鈍い音を響かせながら鋼鉄製の分厚い扉が開かれる。
 扉の中は薄暗く冷たい牢獄。
 小さなベッドの上で膝を抱えて蹲っていた一人の女が、緩慢な動作で顔を上げた。

 貴族牢とは名ばかりのその場所は、剥き出しの石壁と鉄格子に囲まれた小さな空間で、シミだらけのシーツに覆われた簡素なベッドと、座り心地の悪そうな木製の椅子だけがポツンと置かれている。
 一応、トイレと風呂のスペースだけは衝立で囲まれているので、一般牢に比べれば幾分マシなのかもしれない。

 こちらを向いた彼女はアイザックを視界に映すと、怯えたように小刻みに震える。

「……ごめんなさい。申し訳ありません。
……もう……、許して………」

 蚊の鳴くような声でブツブツと謝罪の言葉を繰り返す彼女の瞳は、光を宿していない。

 彼女をここへ収監しろと、サディアスに進言したのはアイザックだ。

 貴族の中でも犯行内容が悪質だった者や、反省の色が無い者などを収監する為の部屋なのだが、両親である伯爵夫妻に見捨てられた彼女には、寧ろ贅沢過ぎる待遇であると言えるだろう。

「嫌だなぁ、人聞きの悪い。
 僕はまだ何もしていないじゃないか」

 そう。まだ何もしていない。
 彼女に罪を償わせるのは、これからなのだ。

 まあ、この部屋は黴臭くて窓ひとつ無いし、虫や鼠も出没する。
 夜中に目が覚めたら大きなムカデが添い寝してた、なんて事も割と頻繁にあるらしい。
 そんな所に閉じ込められるなんて、元貴族令嬢にはきっと耐え難い仕打ちなのだろう。

 この女の処遇については、比較的早い段階で、サディアスからアイザックへ一任された。
 この女は憎いが、あまりに重すぎる罰を科してしまうと、もしもオフィーリアにバレた時に怯えられるのではと怖くもあり、アイザックは随分と頭を悩ませた。

「今日僕がここに来たのは、他でもない。
 君の刑が決まったから、それを伝える為に態々足を運んであげたんだよ。
 君には強制労働施設へ行ってもらう事になった」

 微笑みながら優しく説明するアイザックだが、その目は全く笑っていない。

「えっ? 刑……? 労働……?
 …………はっ、話が違いますっっ!!
 罰金を支払えば、釈放してくれるんじゃなかったんですかっ!?」

 立ち上がった彼女は、フラフラとアイザックに近寄り、面会人と罪人を隔てる鉄格子を掴んで揺さ振りながら甲高い声で訴えた。
 アイザックは微かに眉根を寄せる。

「煩いなぁ。こんな近くにいるのだから、叫ばなくても聞こえるよ。
 前に説明した事に間違いはない。罰金を払えば釈放されるよ? 払えばね」

「お……、お父様が…、支払ってくださったのでは……?」

 何か嫌な予感がしたのだろうか?
 女の声は細く震えている。

「いやいや、普通に考えて払う訳ないよね?
 自分のした事、ちゃんと理解してる?
 君は侯爵令嬢を殴ろうとして、それを庇った伯爵令嬢に怪我をさせたんだよ?
 そんな爆弾娘をいつまでも抱えてたら、あっという間に没落しちゃうじゃないか」

「で、でも……、お父様は私を愛してくれていて……」

「信じるのは勝手だけど、現実は変わらない」

「……」

 信じていた家族に見捨てられ、大きな瞳に絶望を浮かべながら床に崩れ落ちる彼女の姿は、何も知らない者が見たなら庇護欲をそそられるのかもしれない。

 だが、この女が暴走した結果、アイザックの大切なオフィーリアが怪我をしたのだから、そう簡単に許せるはずもない。
 しかも、フレデリカの時とは違って、今回の件は事故で済まされる出来事ではない。
 この女は自らの意思で、ベアトリスに暴力を振るおうとしたのだから。


 アイザックは女の処遇を決める際の参考にしようと、その生い立ちや為人についても調査をさせていた。

 彼女が両親に溺愛されていたのは事実だった。
 それが正しい愛情のかけ方だったのかどうかは、甚だ疑問ではあるが。

 幼い頃から蝶よ花よと甘やかされ、家族の中では常にお姫様の様な扱いを受けていた彼女は、元々はかなり傲慢な性格だったらしい。

 だが、ある程度成長し、自邸の外の世界を知った彼女はカルチャーショックを受ける。
 世の中には、自分よりも高貴な身分で、自分よりも素晴らしい才能を持ち、自分よりも美しい令嬢が、山程存在するのだと知ってしまったから。
 身の程を知った彼女は、急激に大人しく目立たない令嬢になった。

 ───表向きは。

 鬱屈した思いを密かに抱えたまま成長した彼女が学園に入学すると、同じクラスに彼女の劣等感を大いに刺激する存在がいた。
 プリシラ・ウェブスターである。

 最初の頃は、そんなプリシラに嫌味を言ったり、陰口を言ったりして鬱憤を晴らしていた彼女。
 しかし、プリシラが王子のお気に入りになった事で、敵対するよりもおもねる方が利があるかもしれないと計算したのだろう。
 彼女は突然、プリシラにこれまでの非礼を謝罪した。
 人の悪意を感知出来ないプリシラは、口先だけの薄っぺらい謝罪をあっさりと受け入れたらしい。
 プリシラの性格を考えると、『嫌な事をされても謝ってくれたら許しちゃう、心優しい自分』に酔っている部分もあったのだろう。

 こうして彼女は、プリシラの取り巻きの一人になったのだ。
 勿論、本気でプリシラに心酔していた訳ではない。
 その証拠に、取り巻きになった後も、裏では散々プリシラの愚痴を言っていたらしいから。

 そして、ベアトリスの悪い噂が流れ始めると、今度はそれに飛び付いた。
『人の不幸は蜜の味』なんて良く聞くけど、きっと彼女は根っから人の悪口を言うのが好きで、それによってストレスを発散しているタイプなのだろう。

(うん。やっぱり同情の余地は無いな)


 この後彼女には、終わりの見えない強制労働の日々が待っている。
 罰金と同じだけの金額を国に納入し終えるまで、無償で働く事になるのだ。
 幸い彼女は刺繍の腕だけはプロ級らしく、娼館に売る事態は避けられた。
 刺繍による収入で罰金を払い終えるには何十年も……いや、もしかしたら一生かかるかもしれないから、どちらがマシかは分からないが、アイザック的にはこれで良かったと思っている。
 娼婦に堕としたとしても、身請けをされれば短期間で市井に放たれる場合があるからだ。
 そうなれば、逆恨みによってオフィーリアに害を成さないとも限らない。


「でも、まあ、良かったんじゃないか?
 労役を終えれば、市井で暮らせるんだ。
 君は少々貴族令嬢としての素養に欠けるみたいだから、もしかしたら自由に伸び伸びと生きられる市井の方が合っているかもしれないよ?」

 生きている内に市井に出られるかどうかは、また別の話だけど。
 と、アイザックは心の中で付け足す。


(まあ、刺繍以外は何も出来ない元令嬢だ。
 釈放されて自由を得てからの方が苦労するのは目に見えているから、最低限の衣食住だけは保証されている労働施設にいる方が寧ろ幸せかもしれないな。
 気が狂いそうなほどに、毎日同じ仕事を寝る間も惜しんで繰り返す事にはなるけどね)

 そんな事を考えながら、目の前で泣き叫ぶ女を冷めた目で見詰めた。



 そうそう。
 彼女をこんな風に育てておいて、いざ問題を起こしたらアッサリと捨てた伯爵夫妻にも、当然責任を取らせねばならないだろう。
 しかし、親はクソだが、何故か彼女の兄は比較的まともな人間だと聞くから、兄にまでは累が及ばない様にしたい。
 兄の方は妹と違い、親に溺愛されていなかったのが、逆に幸いしたのかもしれないな。

(伯爵夫妻には速やかに後継者へ席を譲る様にと命じて、田舎で慎ましく暮らしてもらうか……)

 夫妻がそれを素直に受け入れるかは分からないが、問題は無い。
 いくらでも従わせる手段はあるのだから。

しおりを挟む
感想 1,005

あなたにおすすめの小説

[完結]本当にバカね

シマ
恋愛
私には幼い頃から婚約者がいる。 この国の子供は貴族、平民問わず試験に合格すれば通えるサラタル学園がある。 貴族は落ちたら恥とまで言われる学園で出会った平民と恋に落ちた婚約者。 入婿の貴方が私を見下すとは良い度胸ね。 私を敵に回したら、どうなるか分からせてあげる。

【完結】恋は、終わったのです

楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。 今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。 『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』 身長を追い越してしまった時からだろうか。  それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。 あるいは――あの子に出会った時からだろうか。 ――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

私は側妃なんかにはなりません!どうか王女様とお幸せに

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のキャリーヌは、婚約者で王太子のジェイデンから、婚約を解消して欲しいと告げられた。聞けば視察で来ていたディステル王国の王女、ラミアを好きになり、彼女と結婚したいとの事。 ラミアは非常に美しく、お色気むんむんの女性。ジェイデンが彼女の美しさの虜になっている事を薄々気が付いていたキャリーヌは、素直に婚約解消に応じた。 しかし、ジェイデンの要求はそれだけでは終わらなかったのだ。なんとキャリーヌに、自分の側妃になれと言い出したのだ。そもそも側妃は非常に問題のある制度だったことから、随分昔に廃止されていた。 もちろん、キャリーヌは側妃を拒否したのだが… そんなキャリーヌをジェイデンは権力を使い、地下牢に閉じ込めてしまう。薄暗い地下牢で、食べ物すら与えられないキャリーヌ。 “側妃になるくらいなら、この場で息絶えた方がマシだ” 死を覚悟したキャリーヌだったが、なぜか地下牢から出され、そのまま家族が見守る中馬車に乗せられた。 向かった先は、実の姉の嫁ぎ先、大国カリアン王国だった。 深い傷を負ったキャリーヌを、カリアン王国で待っていたのは… ※恋愛要素よりも、友情要素が強く出てしまった作品です。 他サイトでも同時投稿しています。 どうぞよろしくお願いしますm(__)m

お二人共、どうぞお幸せに……もう二度と勘違いはしませんから

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【もう私は必要ありませんよね?】 私には2人の幼なじみがいる。一人は美しくて親切な伯爵令嬢。もう一人は笑顔が素敵で穏やかな伯爵令息。 その一方、私は貴族とは名ばかりのしがない男爵家出身だった。けれど2人は身分差に関係なく私に優しく接してくれるとても大切な存在であり、私は密かに彼に恋していた。 ある日のこと。病弱だった父が亡くなり、家を手放さなければならない 自体に陥る。幼い弟は父の知り合いに引き取られることになったが、私は住む場所を失ってしまう。 そんな矢先、幼なじみの彼に「一生、面倒をみてあげるから家においで」と声をかけられた。まるで夢のような誘いに、私は喜んで彼の元へ身を寄せることになったのだが―― ※ 他サイトでも投稿中   途中まで鬱展開続きます(注意)

初夜に大暴言を吐かれた伯爵夫人は、微笑みと共に我が道を行く ―旦那様、今更擦り寄られても困ります―

望月 或
恋愛
「お前の噂を聞いたぞ。毎夜町に出て男を求め、毎回違う男と朝までふしだらな行為に明け暮れているそうだな? その上糸目を付けず服や装飾品を買い漁り、多大な借金を背負っているとか……。そんな醜悪な女が俺の妻だとは非常に不愉快極まりない! 今後俺に話し掛けるな! 俺に一切関与するな! 同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快だ……!!」 【王命】で決められた婚姻をし、ハイド・ランジニカ伯爵とオリービア・フレイグラント子爵令嬢の初夜は、彼のその暴言で始まった。 そして、それに返したオリービアの一言は、 「あらあら、まぁ」 の六文字だった。  屋敷に住まわせている、ハイドの愛人と噂されるユーカリや、その取巻きの使用人達の嫌がらせも何のその、オリービアは微笑みを絶やさず自分の道を突き進んでいく。 ユーカリだけを信じ心酔していたハイドだったが、オリービアが屋敷に来てから徐々に変化が表れ始めて…… ※作者独自の世界観満載です。違和感を感じたら、「あぁ、こういう世界なんだな」と思って頂けたら有難いです……。

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

処理中です...