上 下
10 / 162

10 公爵夫人の部屋

しおりを挟む
 関係を断つという当初の計画通りには行かなかったアイザックとのお茶会の直後、今度は何故か公爵夫人の私室に呼ばれた。

「いきなり母上と二人にされては、オフィーリア嬢も緊張するでしょうから、僕も同席させて下さい」

「あら嫌だ。女同士の話に割り込もうなんて、無粋な子ねぇ」

 アイザックの有り難い申し出は、公爵夫人にあっさり却下されてしまった。
 彼は心配そうに何度も私を振り返りながら、すごすごと去って行く。
 幼いながらもしっかりしているアイザックだが、まだまだ母親の方が何枚も上手らしい。

 本音を言えば、もう少し粘って欲しかった。
 公爵夫人と二人きりだなんて、何を話せば良いのか皆目見当がつかない。



 部屋に私と二人だけになると、公爵夫人は上品な仕草で一口お茶を飲みながら、チラリと私の額に視線を向けて、痛ましそうに眉を寄せた。
 その顔が先程のお茶会序盤のアイザックと重なって、思わず苦笑が漏れそうになる。

「娘の我儘を止めなかったせいで貴女を酷い目に遭わせてしまって、本当にごめんなさい」

 深々と頭を下げる夫人を慌てて止めた。

「もう何度も謝罪の言葉を頂きましたし、公爵様に充分な賠償もお約束頂きましたので、そんなにお気になさらないで下さいませ」

「本当ならば、フレデリカにも同席させて謝らせようと思ったのだけど……。
 あれ以来、部屋に引き篭もってしまっていて、もう、どうすれば良いのか……」

 夫人は眉根を寄せて溜息を零す。
 少し疲れが見えるその表情は、子育てへの苦悩のせいなのかもしれない。

「フレデリカ様も現場に居たのですから、怖い思いをしたのでしょう。
 きっとまだ、動揺なさっているのではないでしょうか」

「ありがとう。
 オフィーリア嬢の方がよっぽど怖かったでしょうに、貴女は優しいのね」

 純粋な優しさから出た言葉ではない。怒るのにもエネルギーが要るのだよ。

「……まだ傷は痛むの?」

「いいえ。お陰様で、もうすっかり」

 私の答えを聞いて、夫人は漸く安心した様に小さく息を吐いた。

「そう、良かった……いえ、良くは無いわよね。
 大変なのは、これからだもの。今後も出来る限りの事はさせてもらうつもりよ」

「ありがとうございます。
 ご紹介頂いたお医者様にも良くして頂いておりますし、逆に申し訳ないくらいですわ」

「貴女へのお詫びには全然足りないわ。
 それで、アイザックとのお茶会はどうだったかしら?」

 どう答えるのが正解なのか、慎重に言葉を選びながら、私は口を開いた。

「ご本人には既にお伝えしたのですが、やはり私ではアイザック様の婚約者になるには、残念ながら力不足だと思います。
 ご厚意は本当に嬉しかったのですが……」

 言葉尻を濁せば、公爵夫人は僅かに眉を下げた。

「あら、そうなの?
 残念だけど仕方が無いわね。これは謝罪の一環なのだから、オフィーリア嬢が望まないのならば意味がないもの。
 それにしても、貴女は随分しっかりした考えをお持ちなのね」

「勿体無いお言葉ですわ」

 褒められたと言う事は、おそらく公爵夫人にとってもこの答えで正解だったのだろう。
 ……と、安堵したのも束の間。

「だけど、さっきの様子だとアイザックは随分貴女に執心してしまったみたいだったわ」

 アイザックが私を心配して同席しようとしていた事を言っているのだろう。

「その事なのですが……、恐れ多くもアイザック様は私に『友人になって欲しい』と仰ってくださっているのです」

 私はここで一旦言葉を止めて、チラリと公爵夫人の顔色を窺った。
 公爵夫人が本音では婚約をさせたくなかったのだとしたら、友人になるのも歓迎されないかもしれないと考えたからだ。

 彼女の顔に不快感は浮かんでいない様に見えるが、その笑みの奥にある感情までは窺い知れない。
 公爵夫人の表情を読もうだなんて、無謀だった。

 私はそのまま話を続けた。

「……ですが、名ばかりの伯爵家の令嬢である私が友人になったとて、アイザック様が得る物は何も無いと思うのです。
 寧ろ、婚約を決める年頃の異性同士が友情を深めては余計な憶測を呼びますし、互いにとって喜ばしく無い結果を齎すのではないかと懸念しております」

「そうかしら?
 貴女と交流を深めればアイザックにとって、色々と良い影響がありそうだと私は思うのだけど」

「そんな……。買い被り過ぎですわ」

「ウフフ。息子が我儘を言って、ごめんなさいね。
 でも、アイザックは言い出したら聞かない子だから、オフィーリア嬢が嫌じゃなかったら、仲良くしてあげてくれないかしら?」

 そんな言われ方したら、頷く以外の選択肢は残されていない。

「……わかりました」

 嬉しさと不安が入り混じった複雑な気持ちを抱えたまま、了承した。

「もしもあの子が貴女に何かを強要したり、あの子と一緒にいるせいで周囲から攻撃される様な事があれば、いつでも相談しなさいな。
 私が何とかするから」

 そう言った公爵夫人の悪戯っぽい微笑みは、やっぱりアイザックとそっくりだ。
 きっとこれが公爵夫人の素に近い表情なのだろう。
 私に素の顔を見せてくれるという事は、それだけ私を評価し、信頼してくれているという証だと思う。

 普通ならば、社交界でも絶大な権力を持つ公爵夫人に気に入って貰えたのは、喜ばしい事なのだけど───。

 少々厄介な親子に捕まってしまった気がするのは、私の考え過ぎだろうか?

しおりを挟む
感想 772

あなたにおすすめの小説

ある公爵の後悔

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
王女に嵌められて冤罪をかけられた婚約者に会うため、公爵令息のチェーザレは北の修道院に向かう。 そこで知った真実とは・・・ 主人公はクズです。

王妃さまは断罪劇に異議を唱える

土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。 そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。 彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。 王族の結婚とは。 王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。 王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。 ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。

お認めください、あなたは彼に選ばれなかったのです

めぐめぐ
恋愛
騎士である夫アルバートは、幼馴染みであり上官であるレナータにいつも呼び出され、妻であるナディアはあまり夫婦の時間がとれていなかった。 さらにレナータは、王命で結婚したナディアとアルバートを可哀想だと言い、自分と夫がどれだけ一緒にいたか、ナディアの知らない小さい頃の彼を知っているかなどを自慢げに話してくる。 しかしナディアは全く気にしていなかった。 何故なら、どれだけアルバートがレナータに呼び出されても、必ず彼はナディアの元に戻ってくるのだから―― 偽物サバサバ女が、ちょっと天然な本物のサバサバ女にやられる話。 ※頭からっぽで ※思いつきで書き始めたので、つたない設定等はご容赦ください。 ※夫婦仲は良いです ※私がイメージするサバ女子です(笑)

婚約破棄すると言われたので、これ幸いとダッシュで逃げました。殿下、すみませんが追いかけてこないでください。

桜乃
恋愛
ハイネシック王国王太子、セルビオ・エドイン・ハイネシックが舞踏会で高らかに言い放つ。 「ミュリア・メリッジ、お前とは婚約を破棄する!」 「はい、喜んで!」  ……えっ? 喜んじゃうの? ※約8000文字程度の短編です。6/17に完結いたします。 ※1ページの文字数は少な目です。 ☆番外編「出会って10秒でひっぱたかれた王太子のお話」  セルビオとミュリアの出会いの物語。 ※10/1から連載し、10/7に完結します。 ※1日おきの更新です。 ※1ページの文字数は少な目です。 ❇❇❇❇❇❇❇❇❇ 2024年12月追記 お読みいただき、ありがとうございます。 こちらの作品は完結しておりますが、番外編を追加投稿する際に、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。 ※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。

【完結】幼い頃から婚約を誓っていた伯爵に婚約破棄されましたが、数年後に驚くべき事実が発覚したので会いに行こうと思います

菊池 快晴
恋愛
令嬢メアリーは、幼い頃から将来を誓い合ったゼイン伯爵に婚約破棄される。 その隣には見知らぬ女性が立っていた。 二人は傍から見ても仲睦まじいカップルだった。 両家の挨拶を終えて、幸せな結婚前パーティで、その出来事は起こった。 メアリーは彼との出会いを思い返しながら打ちひしがれる。 数年後、心の傷がようやく癒えた頃、メアリーの前に、謎の女性が現れる。 彼女の口から発せられた言葉は、ゼインのとんでもない事実だった――。 ※ハッピーエンド&純愛 他サイトでも掲載しております。

石女を理由に離縁されましたが、実家に出戻って幸せになりました

お好み焼き
恋愛
ゼネラル侯爵家に嫁いで三年、私は子が出来ないことを理由に冷遇されていて、とうとう離縁されてしまいました。なのにその後、ゼネラル家に嫁として戻って来いと手紙と書類が届きました。息子は種無しだったと、だから石女として私に叩き付けた離縁状は無効だと。 その他にも色々ありましたが、今となっては心は落ち着いています。私には優しい弟がいて、頼れるお祖父様がいて、可愛い妹もいるのですから。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

訳ありヒロインは、前世が悪役令嬢だった。王妃教育を終了していた私は皆に認められる存在に。でも復讐はするわよ?

naturalsoft
恋愛
私の前世は公爵令嬢であり、王太子殿下の婚約者だった。しかし、光魔法の使える男爵令嬢に汚名を着せられて、婚約破棄された挙げ句、処刑された。 私は最後の瞬間に一族の秘術を使い過去に戻る事に成功した。 しかし、イレギュラーが起きた。 何故か宿敵である男爵令嬢として過去に戻ってしまっていたのだ。

処理中です...