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10 公爵夫人の部屋
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関係を断つという当初の計画通りには行かなかったアイザックとのお茶会の直後、今度は何故か公爵夫人の私室に呼ばれた。
「いきなり母上と二人にされては、オフィーリア嬢も緊張するでしょうから、僕も同席させて下さい」
「あら嫌だ。女同士の話に割り込もうなんて、無粋な子ねぇ」
アイザックの有り難い申し出は、公爵夫人にあっさり却下されてしまった。
彼は心配そうに何度も私を振り返りながら、すごすごと去って行く。
幼いながらもしっかりしているアイザックだが、まだまだ母親の方が何枚も上手らしい。
本音を言えば、もう少し粘って欲しかった。
公爵夫人と二人きりだなんて、何を話せば良いのか皆目見当がつかない。
部屋に私と二人だけになると、公爵夫人は上品な仕草で一口お茶を飲みながら、チラリと私の額に視線を向けて、痛ましそうに眉を寄せた。
その顔が先程のお茶会序盤のアイザックと重なって、思わず苦笑が漏れそうになる。
「娘の我儘を止めなかったせいで貴女を酷い目に遭わせてしまって、本当にごめんなさい」
深々と頭を下げる夫人を慌てて止めた。
「もう何度も謝罪の言葉を頂きましたし、公爵様に充分な賠償もお約束頂きましたので、そんなにお気になさらないで下さいませ」
「本当ならば、フレデリカにも同席させて謝らせようと思ったのだけど……。
あれ以来、部屋に引き篭もってしまっていて、もう、どうすれば良いのか……」
夫人は眉根を寄せて溜息を零す。
少し疲れが見えるその表情は、子育てへの苦悩のせいなのかもしれない。
「フレデリカ様も現場に居たのですから、怖い思いをしたのでしょう。
きっとまだ、動揺なさっているのではないでしょうか」
「ありがとう。
オフィーリア嬢の方がよっぽど怖かったでしょうに、貴女は優しいのね」
純粋な優しさから出た言葉ではない。怒るのにもエネルギーが要るのだよ。
「……まだ傷は痛むの?」
「いいえ。お陰様で、もうすっかり」
私の答えを聞いて、夫人は漸く安心した様に小さく息を吐いた。
「そう、良かった……いえ、良くは無いわよね。
大変なのは、これからだもの。今後も出来る限りの事はさせてもらうつもりよ」
「ありがとうございます。
ご紹介頂いたお医者様にも良くして頂いておりますし、逆に申し訳ないくらいですわ」
「貴女へのお詫びには全然足りないわ。
それで、アイザックとのお茶会はどうだったかしら?」
どう答えるのが正解なのか、慎重に言葉を選びながら、私は口を開いた。
「ご本人には既にお伝えしたのですが、やはり私ではアイザック様の婚約者になるには、残念ながら力不足だと思います。
ご厚意は本当に嬉しかったのですが……」
言葉尻を濁せば、公爵夫人は僅かに眉を下げた。
「あら、そうなの?
残念だけど仕方が無いわね。これは謝罪の一環なのだから、オフィーリア嬢が望まないのならば意味がないもの。
それにしても、貴女は随分しっかりした考えをお持ちなのね」
「勿体無いお言葉ですわ」
褒められたと言う事は、おそらく公爵夫人にとってもこの答えで正解だったのだろう。
……と、安堵したのも束の間。
「だけど、さっきの様子だとアイザックは随分貴女に執心してしまったみたいだったわ」
アイザックが私を心配して同席しようとしていた事を言っているのだろう。
「その事なのですが……、恐れ多くもアイザック様は私に『友人になって欲しい』と仰ってくださっているのです」
私はここで一旦言葉を止めて、チラリと公爵夫人の顔色を窺った。
公爵夫人が本音では婚約をさせたくなかったのだとしたら、友人になるのも歓迎されないかもしれないと考えたからだ。
彼女の顔に不快感は浮かんでいない様に見えるが、その笑みの奥にある感情までは窺い知れない。
公爵夫人の表情を読もうだなんて、無謀だった。
私はそのまま話を続けた。
「……ですが、名ばかりの伯爵家の令嬢である私が友人になったとて、アイザック様が得る物は何も無いと思うのです。
寧ろ、婚約を決める年頃の異性同士が友情を深めては余計な憶測を呼びますし、互いにとって喜ばしく無い結果を齎すのではないかと懸念しております」
「そうかしら?
貴女と交流を深めればアイザックにとって、色々と良い影響がありそうだと私は思うのだけど」
「そんな……。買い被り過ぎですわ」
「ウフフ。息子が我儘を言って、ごめんなさいね。
でも、アイザックは言い出したら聞かない子だから、オフィーリア嬢が嫌じゃなかったら、仲良くしてあげてくれないかしら?」
そんな言われ方したら、頷く以外の選択肢は残されていない。
「……わかりました」
嬉しさと不安が入り混じった複雑な気持ちを抱えたまま、了承した。
「もしもあの子が貴女に何かを強要したり、あの子と一緒にいるせいで周囲から攻撃される様な事があれば、いつでも相談しなさいな。
私が何とかするから」
そう言った公爵夫人の悪戯っぽい微笑みは、やっぱりアイザックとそっくりだ。
きっとこれが公爵夫人の素に近い表情なのだろう。
私に素の顔を見せてくれるという事は、それだけ私を評価し、信頼してくれているという証だと思う。
普通ならば、社交界でも絶大な権力を持つ公爵夫人に気に入って貰えたのは、喜ばしい事なのだけど───。
少々厄介な親子に捕まってしまった気がするのは、私の考え過ぎだろうか?
「いきなり母上と二人にされては、オフィーリア嬢も緊張するでしょうから、僕も同席させて下さい」
「あら嫌だ。女同士の話に割り込もうなんて、無粋な子ねぇ」
アイザックの有り難い申し出は、公爵夫人にあっさり却下されてしまった。
彼は心配そうに何度も私を振り返りながら、すごすごと去って行く。
幼いながらもしっかりしているアイザックだが、まだまだ母親の方が何枚も上手らしい。
本音を言えば、もう少し粘って欲しかった。
公爵夫人と二人きりだなんて、何を話せば良いのか皆目見当がつかない。
部屋に私と二人だけになると、公爵夫人は上品な仕草で一口お茶を飲みながら、チラリと私の額に視線を向けて、痛ましそうに眉を寄せた。
その顔が先程のお茶会序盤のアイザックと重なって、思わず苦笑が漏れそうになる。
「娘の我儘を止めなかったせいで貴女を酷い目に遭わせてしまって、本当にごめんなさい」
深々と頭を下げる夫人を慌てて止めた。
「もう何度も謝罪の言葉を頂きましたし、公爵様に充分な賠償もお約束頂きましたので、そんなにお気になさらないで下さいませ」
「本当ならば、フレデリカにも同席させて謝らせようと思ったのだけど……。
あれ以来、部屋に引き篭もってしまっていて、もう、どうすれば良いのか……」
夫人は眉根を寄せて溜息を零す。
少し疲れが見えるその表情は、子育てへの苦悩のせいなのかもしれない。
「フレデリカ様も現場に居たのですから、怖い思いをしたのでしょう。
きっとまだ、動揺なさっているのではないでしょうか」
「ありがとう。
オフィーリア嬢の方がよっぽど怖かったでしょうに、貴女は優しいのね」
純粋な優しさから出た言葉ではない。怒るのにもエネルギーが要るのだよ。
「……まだ傷は痛むの?」
「いいえ。お陰様で、もうすっかり」
私の答えを聞いて、夫人は漸く安心した様に小さく息を吐いた。
「そう、良かった……いえ、良くは無いわよね。
大変なのは、これからだもの。今後も出来る限りの事はさせてもらうつもりよ」
「ありがとうございます。
ご紹介頂いたお医者様にも良くして頂いておりますし、逆に申し訳ないくらいですわ」
「貴女へのお詫びには全然足りないわ。
それで、アイザックとのお茶会はどうだったかしら?」
どう答えるのが正解なのか、慎重に言葉を選びながら、私は口を開いた。
「ご本人には既にお伝えしたのですが、やはり私ではアイザック様の婚約者になるには、残念ながら力不足だと思います。
ご厚意は本当に嬉しかったのですが……」
言葉尻を濁せば、公爵夫人は僅かに眉を下げた。
「あら、そうなの?
残念だけど仕方が無いわね。これは謝罪の一環なのだから、オフィーリア嬢が望まないのならば意味がないもの。
それにしても、貴女は随分しっかりした考えをお持ちなのね」
「勿体無いお言葉ですわ」
褒められたと言う事は、おそらく公爵夫人にとってもこの答えで正解だったのだろう。
……と、安堵したのも束の間。
「だけど、さっきの様子だとアイザックは随分貴女に執心してしまったみたいだったわ」
アイザックが私を心配して同席しようとしていた事を言っているのだろう。
「その事なのですが……、恐れ多くもアイザック様は私に『友人になって欲しい』と仰ってくださっているのです」
私はここで一旦言葉を止めて、チラリと公爵夫人の顔色を窺った。
公爵夫人が本音では婚約をさせたくなかったのだとしたら、友人になるのも歓迎されないかもしれないと考えたからだ。
彼女の顔に不快感は浮かんでいない様に見えるが、その笑みの奥にある感情までは窺い知れない。
公爵夫人の表情を読もうだなんて、無謀だった。
私はそのまま話を続けた。
「……ですが、名ばかりの伯爵家の令嬢である私が友人になったとて、アイザック様が得る物は何も無いと思うのです。
寧ろ、婚約を決める年頃の異性同士が友情を深めては余計な憶測を呼びますし、互いにとって喜ばしく無い結果を齎すのではないかと懸念しております」
「そうかしら?
貴女と交流を深めればアイザックにとって、色々と良い影響がありそうだと私は思うのだけど」
「そんな……。買い被り過ぎですわ」
「ウフフ。息子が我儘を言って、ごめんなさいね。
でも、アイザックは言い出したら聞かない子だから、オフィーリア嬢が嫌じゃなかったら、仲良くしてあげてくれないかしら?」
そんな言われ方したら、頷く以外の選択肢は残されていない。
「……わかりました」
嬉しさと不安が入り混じった複雑な気持ちを抱えたまま、了承した。
「もしもあの子が貴女に何かを強要したり、あの子と一緒にいるせいで周囲から攻撃される様な事があれば、いつでも相談しなさいな。
私が何とかするから」
そう言った公爵夫人の悪戯っぽい微笑みは、やっぱりアイザックとそっくりだ。
きっとこれが公爵夫人の素に近い表情なのだろう。
私に素の顔を見せてくれるという事は、それだけ私を評価し、信頼してくれているという証だと思う。
普通ならば、社交界でも絶大な権力を持つ公爵夫人に気に入って貰えたのは、喜ばしい事なのだけど───。
少々厄介な親子に捕まってしまった気がするのは、私の考え過ぎだろうか?
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