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55 ずっと気になっていた事

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 漸く旦那様への想いを自覚した私は、同時に気付いてしまった。
 胸の奥でずっと燻っている、不安の正体に。


 旦那様の過去を知ってから、ずっと心に引っ掛かっている事がある。

(ジェレミーの本当のお母様って、どんな女性だったのだろうか?)

 その疑問は日を追うごとに、どんどん私の中で大きくなっていった。

 初めの頃は、子を成す為に関係を持った女性かも知れないと思っていた。
 だが、女性恐怖症の旦那様が後継を作る為だけに女性を抱くのは不可能だ。
 それに、何よりも、旦那様はそんな事をなさる性格では無いと、今の私は知っている。

 では何故、ジェレミーが生まれたのか?
 私の中で導き出された答えは一つ。

『彼女が、旦那様の唯一だったから』


 ───じゃあ、私は?


 私は、彼にとって、どんな存在なのだろう?


 彼は、私に告白する時に、こう言った。

『こういう気持ちを抱くのは初めて』

 それは、ジェレミーの母親に対して抱いていた気持ちと、私に対して抱いている気持ちとは、少し種類が違うと言う事では無いのか?


 ならば、果たして、そのどちらが本当の愛情なのか?

 愛情の形なんて千差万別なのだから、どちらも本物という可能性もあるかもしれないけれど───。



「どうした? 気分が悪くなって来たか?」

 突然黙り込んだ私に、旦那様は心配そうに尋ねる。

「いえ。ちょっと、考え事をしてしまって……。
 ……あの、ジェレミーの本当のお母様は、今どうなさっているのでしょうか?」

 悩んだ挙句、私は手っ取り早く旦那様に聞いてみる事にした。

 だが、彼女の話題を出した途端、旦那様は眉間に深い皺を刻む。
 急激に剣呑な空気が漂い始めた。
 そんなにも触れて欲しくない話題だったのだろうか。

「さあな」

 地を這うような低い声に、怯みそうになってしまう。

「……どんな女性、でしたか?」

「知らん。あんな女、穢らわしい」

「……」


 ───穢らわしい。

 吐き捨てる様に発された言葉に、私の心臓は凍りついたみたいに冷たくなった。
 二人にどんな問題が発生して別れたのかは知らないが、一時は愛したはずの女性ですら、こんなにも強い嫌悪の対象になってしまうのだと改めて思い知ったから。

「ミシェル?」

「…………貴方はいつか、私の事も穢らわしいと思うのでしょうね」

 無意識にポロリと零れ落ちた言葉にハッとして、片手で口を押さえた。

 だが、その言葉は、私の不安を如実に表している。

 私は怖いのだ。

 もしも、何らかの切っ掛けで彼に嫌われてしまったら?
 きっとお互いが傷つけ合う事態になってしまう。
 旦那様は他の女性達に対してと同じ様に私への恐怖症を発症して苦悩するだろうし、私はそんな愛する人の態度の変化に深く傷付く。

 自分が傷付く事も、旦那様を傷付ける事も、とても怖い。

「──っっ!?
 いや、違うっっ。それは違う!!」

 旦那様は勢い良く否定するが、何が違うと言うのだろうか?

 旦那様が、今、私に微かな好意を寄せてくれているのは知っているが、それはきっと私が彼にとって『無害』な存在だからだ。
 旦那様の大切な息子であるジェレミーと仲が良く、旦那様とは適度な距離を保ってくれる都合の良い女。

 それが、今の私。

 でも、私だって、今後旦那様を更に深く愛してしまえば、きっと欲が出る。
 もっと彼からの愛情が欲しいと、たくさん触れ合いたいと、そう願ってしまう。
 いや、もしかしたら、もう既にそう思い始めているのだ。
 その想いに、旦那様は応えられるの?

 不信感が顔に出てしまっているのか、旦那様は益々慌てて私の肩を掴んだ。

「ミッシェル、誤解だっ!
 私はっ……私は、あの女に触れていなっ…………………」

「………………え?」

 一瞬、時が止まったみたいに、二人とも固まった。
 静かなバルコニーに、微かに夜会会場の音楽と楽しそうな笑い声が漏れ聞こえる。


『触れて、いない』

 今、そう言ったの?

 一体どういう事なのか?
 触れなければ子作りなど出来ないだろう。

 では、ジェレミーは、旦那様の子ではない……?


 旦那様の顔色は見る見る悪くなり、失言を悔いている様子が窺える。
 だが、私も一度耳に入れてしまった言葉を無かった事には出来なかった。

 今迄はお飾りの妻だったから、話したくない事は聞かなくても良いと思って来た。
 だが、もしも旦那様が私と本当の夫婦になり、一生を共にしたいと願ってくれているのであれば、話は別だ。
 隠し事は無しにして欲しい。

「それって、どういう意味ですか?」

「それは……その……」

「どういう、意味ですか?」

 目を泳がせて口籠る旦那様に、更に詰め寄ると、彼は降参した様に両手を軽く上げて深く息を吐いた。

「ここでは、ちょっと……。
 デュドヴァン邸に戻ったら、必ず時間を作って説明する」

 そう約束してくれたので、私は追求したい気持ちを我慢して口をつぐんだ。

 いつの間にか、酔いはすっかり覚めてしまった。

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