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10 悪虐聖女との対面
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───時は十日ほど前に遡る。
クリストフ・デュドヴァンは憤怒していた。
突然、王命を携えた使者がこの邸にやって来たのだ。
その王命は、『ミシェル・シャヴァリエと、一ヶ月以内に婚姻せよ』との内容であった。
『ミシェル』とは、確か現在の筆頭聖女の名であったと記憶する。
シャヴァリエ辺境伯家の養女となり、あの馬鹿な王太子と婚約していたはずだが……。
状況を確認する為、ミシェルの事を軽く調べたクリストフは、益々怒りの色を濃くした。
時間的な余裕が無かったので取り急ぎ王都の社交界で流れている噂だけを集めてみれば、ミシェルはとんでもない女だったのだ。
彼女は筆頭聖女であるにも関わらず、聖女としての職務を放棄し、他の聖女達に仕事を押し付けていた。
その責任を取らされて、婚約を破棄された上、聖女の称号も剥奪されたと言う。
ミシェルは男好きで、派手に着飾っては夜な夜な遊びに出掛けるなど、聖女として相応しくない行いが以前から問題視されていたらしい。
権力欲も強く、高い地位の男性には媚び、低い地位の者には高飛車な振る舞いを見せる。
そんな彼女についた渾名は『悪虐聖女』。
「ハァ……。
ただでさえ女が嫌いなのに、よりによって何故こんな悪女を妻に迎えねばならないのか……」
クリストフは頭を抱えた。
彼がこんなにもこの王命に拒絶反応を示しているのは、自身の女嫌い以外に、もう一つ理由があった。
デュドヴァン家には、まだ幼い男児が一人いるのだ。
彼の名前は、ジェレミー・デュドヴァン。今年で五歳になる。
価値観や特性など、基礎的な人格を形成するのに大切な時期にあるジェレミーにとって、悪女と共に暮らす事はマイナスにしかならないだろう。
母親が居ない現在の環境も、決して良いとは言えないかもしれないが、クリストフはそれを補う為の努力を続けて来たつもりだ。
今更ミシェルのような悪女をジェレミーの母として迎えるくらいならば、母親など居ない方がよっぽどマシであろう。
「だが、王命であれば仕方ない。
ジェレミーとの接触を禁止し、ある程度の金を与えて別邸にでも住まわせる事にするか……。
だが、あまり早々に別居をして、王家の機嫌を損ねるのも面倒か……」
クリストフの溜息混じりの呟きに、執事のフィルマンが冷静に答えた。
「それはミシェル様と実際にお会いになってから決めれば宜しいかと。
噂話が当てにならない事は、旦那様ご自身が一番良くご存知のはずでは?」
フィルマンの言葉が『好色侯爵』などという自身の酷い渾名を指している事は、すぐに理解した。
その噂についてはジェレミーの教育上も良くない為、なんとか払拭したい所なのだが……。
二代に渡って染み付いてしまったデュドヴァン侯爵家の負のイメージは、そう簡単には拭う事が出来ずにいる。
クリストフは逆に女性がとても苦手なのだが、そのせいで社交にあまり出られないのも、逆に噂に拍車をかける一因となった。
夜会などに出席しないクリストフが女性を口説く姿など、誰も目撃出来る筈はなく、噂もすぐに消えるだろうと甘く見ていたのだが……。
『貴族女性に手を出すと後始末が面倒なので、市井の女性ばかりを大勢囲っている』などと言われているらしいのだ。
噂話という物が、よりスキャンダラスな方向へ無責任に大きく尾鰭を付けるのは、きっと世の常なのだろう。
クリストフの悩みの種は尽きない。
そしていよいよ、悪女がやって来る当日を迎えた。
ジェレミーは念の為、別荘へ避難させている。
フィルマンがミシェルの到着を告げに来たので、「執務室に連れて来い」と指示を出した。
待つ事、暫し───。
「ミシェル様をお連れしました」
ノックの音に続いて、フィルマンの呼び掛けが聞こえた。
「入れ」
入室を許可すると、ガチャリと扉が開く音がする。
「王命だから仕方なく結婚するが、お前を愛する事は無い」
いくら悪女が相手とは言え、初対面の人物に失礼な台詞を吐く事への罪悪感から、敢えて書類に目を落としたままでそう告げる。
すると、ミシェルからは意外な言葉が投げ掛けられた。
「気が合いますね。私も王命だから仕方無くここに来ました」
「……は?」
思わず顔を上げたクリストフは、ミシェルの姿を目にして驚いた。
二十歳という年齢の割には、女性らしい丸みに乏しいその体型。
手足はまるで小枝の様に細く、スレンダーと言うよりも、痩せ細っていると表現した方が適切である。
よく見れば元は可愛らしい顔立ちをしていた事が分かるが、頬はこけており、目の下には薄らと隈も確認出来る。
亜麻色の髪は美しく編み込まれているが、長年手入れが出来ていなかったのか、かなり傷んでいて艶がない。
服装は、生地こそ高級な物を使っているが、シンプルなデザインの地味なワンピース。
宝飾品は小振りなネックレスが一つだけ。
だが、それでも、立ち姿や表情などからは、そこはかとなく気品が漂っている様に感じる。
クリストフの目に映ったミシェルは、贅を尽くして派手に着飾り、仕事を放棄して遊び回っている悪女には、到底見えなかった。
「え……悪女?……コレが?」
驚きのあまり思わず発してしまった、クリストフの失礼過ぎる呟きにも、彼女は笑って答えた。
「ええ、私が悪女です。はじめまして」
「………いやいや、自ら『悪女です』って名乗る悪女が、どこの世界にいるんだ!?」
「どこかにいますよ。広い世界を探せばきっと。
取り敢えず、ここにも一人」
クリストフを揶揄う様に微笑みながら、自分を指差すミシェルを見て、彼女に関する噂の大部分がデマである事を確信した。
クリストフ・デュドヴァンは憤怒していた。
突然、王命を携えた使者がこの邸にやって来たのだ。
その王命は、『ミシェル・シャヴァリエと、一ヶ月以内に婚姻せよ』との内容であった。
『ミシェル』とは、確か現在の筆頭聖女の名であったと記憶する。
シャヴァリエ辺境伯家の養女となり、あの馬鹿な王太子と婚約していたはずだが……。
状況を確認する為、ミシェルの事を軽く調べたクリストフは、益々怒りの色を濃くした。
時間的な余裕が無かったので取り急ぎ王都の社交界で流れている噂だけを集めてみれば、ミシェルはとんでもない女だったのだ。
彼女は筆頭聖女であるにも関わらず、聖女としての職務を放棄し、他の聖女達に仕事を押し付けていた。
その責任を取らされて、婚約を破棄された上、聖女の称号も剥奪されたと言う。
ミシェルは男好きで、派手に着飾っては夜な夜な遊びに出掛けるなど、聖女として相応しくない行いが以前から問題視されていたらしい。
権力欲も強く、高い地位の男性には媚び、低い地位の者には高飛車な振る舞いを見せる。
そんな彼女についた渾名は『悪虐聖女』。
「ハァ……。
ただでさえ女が嫌いなのに、よりによって何故こんな悪女を妻に迎えねばならないのか……」
クリストフは頭を抱えた。
彼がこんなにもこの王命に拒絶反応を示しているのは、自身の女嫌い以外に、もう一つ理由があった。
デュドヴァン家には、まだ幼い男児が一人いるのだ。
彼の名前は、ジェレミー・デュドヴァン。今年で五歳になる。
価値観や特性など、基礎的な人格を形成するのに大切な時期にあるジェレミーにとって、悪女と共に暮らす事はマイナスにしかならないだろう。
母親が居ない現在の環境も、決して良いとは言えないかもしれないが、クリストフはそれを補う為の努力を続けて来たつもりだ。
今更ミシェルのような悪女をジェレミーの母として迎えるくらいならば、母親など居ない方がよっぽどマシであろう。
「だが、王命であれば仕方ない。
ジェレミーとの接触を禁止し、ある程度の金を与えて別邸にでも住まわせる事にするか……。
だが、あまり早々に別居をして、王家の機嫌を損ねるのも面倒か……」
クリストフの溜息混じりの呟きに、執事のフィルマンが冷静に答えた。
「それはミシェル様と実際にお会いになってから決めれば宜しいかと。
噂話が当てにならない事は、旦那様ご自身が一番良くご存知のはずでは?」
フィルマンの言葉が『好色侯爵』などという自身の酷い渾名を指している事は、すぐに理解した。
その噂についてはジェレミーの教育上も良くない為、なんとか払拭したい所なのだが……。
二代に渡って染み付いてしまったデュドヴァン侯爵家の負のイメージは、そう簡単には拭う事が出来ずにいる。
クリストフは逆に女性がとても苦手なのだが、そのせいで社交にあまり出られないのも、逆に噂に拍車をかける一因となった。
夜会などに出席しないクリストフが女性を口説く姿など、誰も目撃出来る筈はなく、噂もすぐに消えるだろうと甘く見ていたのだが……。
『貴族女性に手を出すと後始末が面倒なので、市井の女性ばかりを大勢囲っている』などと言われているらしいのだ。
噂話という物が、よりスキャンダラスな方向へ無責任に大きく尾鰭を付けるのは、きっと世の常なのだろう。
クリストフの悩みの種は尽きない。
そしていよいよ、悪女がやって来る当日を迎えた。
ジェレミーは念の為、別荘へ避難させている。
フィルマンがミシェルの到着を告げに来たので、「執務室に連れて来い」と指示を出した。
待つ事、暫し───。
「ミシェル様をお連れしました」
ノックの音に続いて、フィルマンの呼び掛けが聞こえた。
「入れ」
入室を許可すると、ガチャリと扉が開く音がする。
「王命だから仕方なく結婚するが、お前を愛する事は無い」
いくら悪女が相手とは言え、初対面の人物に失礼な台詞を吐く事への罪悪感から、敢えて書類に目を落としたままでそう告げる。
すると、ミシェルからは意外な言葉が投げ掛けられた。
「気が合いますね。私も王命だから仕方無くここに来ました」
「……は?」
思わず顔を上げたクリストフは、ミシェルの姿を目にして驚いた。
二十歳という年齢の割には、女性らしい丸みに乏しいその体型。
手足はまるで小枝の様に細く、スレンダーと言うよりも、痩せ細っていると表現した方が適切である。
よく見れば元は可愛らしい顔立ちをしていた事が分かるが、頬はこけており、目の下には薄らと隈も確認出来る。
亜麻色の髪は美しく編み込まれているが、長年手入れが出来ていなかったのか、かなり傷んでいて艶がない。
服装は、生地こそ高級な物を使っているが、シンプルなデザインの地味なワンピース。
宝飾品は小振りなネックレスが一つだけ。
だが、それでも、立ち姿や表情などからは、そこはかとなく気品が漂っている様に感じる。
クリストフの目に映ったミシェルは、贅を尽くして派手に着飾り、仕事を放棄して遊び回っている悪女には、到底見えなかった。
「え……悪女?……コレが?」
驚きのあまり思わず発してしまった、クリストフの失礼過ぎる呟きにも、彼女は笑って答えた。
「ええ、私が悪女です。はじめまして」
「………いやいや、自ら『悪女です』って名乗る悪女が、どこの世界にいるんだ!?」
「どこかにいますよ。広い世界を探せばきっと。
取り敢えず、ここにも一人」
クリストフを揶揄う様に微笑みながら、自分を指差すミシェルを見て、彼女に関する噂の大部分がデマである事を確信した。
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