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9 はじめまして悪女です
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馬車は木漏れ日が降り注ぐ深い森を抜けて、デュドヴァン領に入った。
街道沿いの街並みは思ったよりも賑わっていて、領地の豊かさが窺える。
デュドヴァン侯爵はなかなか優秀な領主なのかも知れない。
「デュドヴァン家にようこそお越し下さいました。
私は当家の執事を務めさせて頂いております、フィルマンと申します。
どうぞ宜しくお願い致します」
出迎えてくれた品の良い初老の紳士は、悪虐聖女に対しても、丁寧に挨拶をしてくれた。
「ミシェル・シャヴァリエと申します。
こちらこそ、宜しくお願いします」
「先ずはお部屋にご案内致します。
お付きの騎士様のお部屋もご用意してありますので、そちらも後程ご案内しますね」
「ええ、お願いします」
お義母様が用意してくれた荷物をフィルマンに預け、後ろをついて行く。
案内された部屋は、オフホワイトの家具でシンプルに整えられていて、落ち着ける雰囲気の内装だった。
「素敵なお部屋ね」
「ありがとうございます。
こちらがミシェル様にお使い頂くお部屋となります。
奥にございます扉は、ご夫婦の寝室に繋がっておりますが、その扉の鍵はスペアも含めて全てミシェル様にお渡ししますので、ご安心下さい」
「私の意思に反して開く事はないのね」
「はい、絶対に。
因みに旦那様のお部屋側の扉の鍵は、旦那様が管理されています」
つまり双方の合意がなければ、同衾は出来ないって事か。うん、安心。
こんな風に気遣って下さる時点で、やっぱり侯爵様は女好きなどでは無いのだろうと思う。
単に私には食指が動かないだけかも知れないけど。
フィルマンと話をしていると、二人の女性がティーセットを乗せたワゴンを運んで来た。
「失礼致します。お茶をご用意致しました」
並んで礼をした二人を、フィルマンが紹介してくれた。
「こちらがグレース。旦那様の乳母を務めていた者です。
そして、そちらはチェルシー。グレースの娘です。
グレースは旦那様がお生まれになる前から、侍女としてこの屋敷に住み込みで仕えておりまして、チェルシーは旦那様の幼馴染でもあります。
現在この屋敷で働く女性はこの二人だけですので、この二人が奥様の担当となります」
「そう。分かったわ。
よろしくね。グレース、チェルシー」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」
一通り紹介が済んで、ソファーに腰を下ろすと、グレースが紅茶を提供してくれる。
チェルシーは他の仕事が残っているらしく、辞去の挨拶を述べると、フィルマンと共に部屋を出た。
仕えるべき主人はクリストフ様とそのご子息のお二人だけではあるが、この大きなお邸を維持するのに、女性の使用人が二人しか居ないのだから、きっととても忙しいに違いない。
ひょっとしたら、掃除や給仕などの一般的にはメイドが行う仕事も、この家では男性の使用人が担当しているのかもしれない。
では、何故、私が侍女を帯同するのを拒否したのだろうか……?
謎は深まるばかりだ。
そんな事をつらつらと考えながら、ティーカップを手に取った。
南国のフルーツの様な甘酸っぱい香りがする、美味しい紅茶だった。
「この紅茶、初めて飲んだわ。とても華やかな香りね」
「お褒めに預かり光栄です。私の故郷で生産されているお茶なのです」
グレースは嬉しそうに、ニコニコと答えてくれた。
「どちらのご出身なの?」
「隣国です。
シャヴァリエ辺境伯領ほどではありませんが、デュドヴァン侯爵領も国境に近いので、移民が多いのです。
一見平和そうに見えますが、治安の悪い地域もありますので、お出かけの際は必ず護衛をお連れになって下さいね」
「そうなのね。気を付けます。
私のお義兄様は、今、隣国で勉強をしているの。
どんな所なのかしら? 私も一度行ってみたいわ」
「私の生まれた村は───」
グレースは人懐っこい笑顔で、隣国の文化や風習など、沢山の事を教えてくれた。
時間を忘れてグレースとのお喋りに花を咲かせ、だいぶ打ち解けて来た頃に、フィルマンが私を呼びに来た。
「旦那様がご挨拶をなさりたいそうです。どうぞこちらへ」
「ありがとう」
扉の外に控えてくれていたシャヴァリエの騎士を一人連れて、フィルマンの後を付いて行く。
私達を先導していた彼は、大きな扉の前で足を止めると、ノックをして室内へ声を掛けた。
「ミシェル様をお連れしました」
「入れ」
短く聞こえた答えを受けて、重い扉が開かれると、そこは執務室のようだった。
マホガニーの机に向かっている艶やかな黒髪の男性が、デュドヴァン侯爵様なのだろう。
残念ながら、俯いているので、顔はよく見えない。
彼は執務の手を止める事なく、書類に視線を向けたままで、徐に口を開いた。
「王命だから仕方なく結婚するが、お前を愛する事は無い」
ネットリした視線で見られるとかよりは、マシかも知れないけど、ちょっとカチンと来た。
私に帯同した騎士も剣呑な眼差しで侯爵様を見ている。
私の悪い噂が耳に入っているにしても、流石にこの対応は不誠実では無かろうか?
いや、でも、ちょっと待って。
『愛さない』って事は、契約結婚。しかも、閨を共にしなくて良いっていう事よね?
それって、契約内容によっては、私にとっても好都合なんじゃない?
「気が合いますね。私も王命だから仕方無くここに来ました」
「……は?」
漸く冷たい青の瞳をこちらに向けた侯爵は、私の姿を見て、驚いた様に目を見開いた。
「え……悪女?……コレが?」
私の耳にギリギリ届く位の小さな呟きに、満面の笑みで答えた。
「ええ、私が悪女です。はじめまして」
街道沿いの街並みは思ったよりも賑わっていて、領地の豊かさが窺える。
デュドヴァン侯爵はなかなか優秀な領主なのかも知れない。
「デュドヴァン家にようこそお越し下さいました。
私は当家の執事を務めさせて頂いております、フィルマンと申します。
どうぞ宜しくお願い致します」
出迎えてくれた品の良い初老の紳士は、悪虐聖女に対しても、丁寧に挨拶をしてくれた。
「ミシェル・シャヴァリエと申します。
こちらこそ、宜しくお願いします」
「先ずはお部屋にご案内致します。
お付きの騎士様のお部屋もご用意してありますので、そちらも後程ご案内しますね」
「ええ、お願いします」
お義母様が用意してくれた荷物をフィルマンに預け、後ろをついて行く。
案内された部屋は、オフホワイトの家具でシンプルに整えられていて、落ち着ける雰囲気の内装だった。
「素敵なお部屋ね」
「ありがとうございます。
こちらがミシェル様にお使い頂くお部屋となります。
奥にございます扉は、ご夫婦の寝室に繋がっておりますが、その扉の鍵はスペアも含めて全てミシェル様にお渡ししますので、ご安心下さい」
「私の意思に反して開く事はないのね」
「はい、絶対に。
因みに旦那様のお部屋側の扉の鍵は、旦那様が管理されています」
つまり双方の合意がなければ、同衾は出来ないって事か。うん、安心。
こんな風に気遣って下さる時点で、やっぱり侯爵様は女好きなどでは無いのだろうと思う。
単に私には食指が動かないだけかも知れないけど。
フィルマンと話をしていると、二人の女性がティーセットを乗せたワゴンを運んで来た。
「失礼致します。お茶をご用意致しました」
並んで礼をした二人を、フィルマンが紹介してくれた。
「こちらがグレース。旦那様の乳母を務めていた者です。
そして、そちらはチェルシー。グレースの娘です。
グレースは旦那様がお生まれになる前から、侍女としてこの屋敷に住み込みで仕えておりまして、チェルシーは旦那様の幼馴染でもあります。
現在この屋敷で働く女性はこの二人だけですので、この二人が奥様の担当となります」
「そう。分かったわ。
よろしくね。グレース、チェルシー」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願い致します」
一通り紹介が済んで、ソファーに腰を下ろすと、グレースが紅茶を提供してくれる。
チェルシーは他の仕事が残っているらしく、辞去の挨拶を述べると、フィルマンと共に部屋を出た。
仕えるべき主人はクリストフ様とそのご子息のお二人だけではあるが、この大きなお邸を維持するのに、女性の使用人が二人しか居ないのだから、きっととても忙しいに違いない。
ひょっとしたら、掃除や給仕などの一般的にはメイドが行う仕事も、この家では男性の使用人が担当しているのかもしれない。
では、何故、私が侍女を帯同するのを拒否したのだろうか……?
謎は深まるばかりだ。
そんな事をつらつらと考えながら、ティーカップを手に取った。
南国のフルーツの様な甘酸っぱい香りがする、美味しい紅茶だった。
「この紅茶、初めて飲んだわ。とても華やかな香りね」
「お褒めに預かり光栄です。私の故郷で生産されているお茶なのです」
グレースは嬉しそうに、ニコニコと答えてくれた。
「どちらのご出身なの?」
「隣国です。
シャヴァリエ辺境伯領ほどではありませんが、デュドヴァン侯爵領も国境に近いので、移民が多いのです。
一見平和そうに見えますが、治安の悪い地域もありますので、お出かけの際は必ず護衛をお連れになって下さいね」
「そうなのね。気を付けます。
私のお義兄様は、今、隣国で勉強をしているの。
どんな所なのかしら? 私も一度行ってみたいわ」
「私の生まれた村は───」
グレースは人懐っこい笑顔で、隣国の文化や風習など、沢山の事を教えてくれた。
時間を忘れてグレースとのお喋りに花を咲かせ、だいぶ打ち解けて来た頃に、フィルマンが私を呼びに来た。
「旦那様がご挨拶をなさりたいそうです。どうぞこちらへ」
「ありがとう」
扉の外に控えてくれていたシャヴァリエの騎士を一人連れて、フィルマンの後を付いて行く。
私達を先導していた彼は、大きな扉の前で足を止めると、ノックをして室内へ声を掛けた。
「ミシェル様をお連れしました」
「入れ」
短く聞こえた答えを受けて、重い扉が開かれると、そこは執務室のようだった。
マホガニーの机に向かっている艶やかな黒髪の男性が、デュドヴァン侯爵様なのだろう。
残念ながら、俯いているので、顔はよく見えない。
彼は執務の手を止める事なく、書類に視線を向けたままで、徐に口を開いた。
「王命だから仕方なく結婚するが、お前を愛する事は無い」
ネットリした視線で見られるとかよりは、マシかも知れないけど、ちょっとカチンと来た。
私に帯同した騎士も剣呑な眼差しで侯爵様を見ている。
私の悪い噂が耳に入っているにしても、流石にこの対応は不誠実では無かろうか?
いや、でも、ちょっと待って。
『愛さない』って事は、契約結婚。しかも、閨を共にしなくて良いっていう事よね?
それって、契約内容によっては、私にとっても好都合なんじゃない?
「気が合いますね。私も王命だから仕方無くここに来ました」
「……は?」
漸く冷たい青の瞳をこちらに向けた侯爵は、私の姿を見て、驚いた様に目を見開いた。
「え……悪女?……コレが?」
私の耳にギリギリ届く位の小さな呟きに、満面の笑みで答えた。
「ええ、私が悪女です。はじめまして」
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