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第一章:青が散る

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「おい、ラズ!」


 パシ、と後ろから頭を叩かれてラズワードはびっくりして振り向いた。見れば少し怒った様子のグラエムが立っている。


「おまえ、今日ちょっとぼーっとしすぎじゃねぇ? なんかあったわけ? っていうかちゃんとメシ食っています? 顔色悪くね?」

「……食事は、そんなにとってないけど……別に、なにかあったってわけじゃ……」

「嘘つけ! 明らかにさっきの狩りのとき死ににいってただろ!」

 
 グラエムが怒るのも無理はない。今朝挨拶してみれば気のない返事しか返ってこない。話すときも視線は合わせているように見えるが、どう見てもその目にグラエムを映していない。そして極めつけには、今日の狩りのときに魔獣の攻撃を躱そうとも防ごうともしなかったのだ。そのときはグラエムが守ったため助かったが。


「まあ……昨日はあんまり寝れなかったから……。ごめん、迷惑かけて」

「……ふーん」

 
 こりゃ絶対に言う気はないな、とそう思ったグラエムはそれ以上追求するのを止めた。隣に座って、自分の分のパンを差し出す。


「ほら、食ってねぇんだろ。どうせオマエのことだし食費まで切り詰めてんだろーが。狩人がそんなことしてたらぶっ倒れるぞ」

「……ありがとう」


 ぼんやりと虚ろげな目をして、ラズワードはパンを食べている。時々そんな表情をするラズワードは、なんとも危なげで、目が離せない。
 

「……グラエム」

「なんだよ」

「なんで、兄さんは俺のこと嫌いなのに、俺のためにあんなに危ない仕事をしているんだと思う?」


 ラズワードと交流をもつ面々は、ある程度ラズワードの家庭の事情は知っていた。ラズワードが免除金を払うことによって奴隷に堕ちないでいられていること。兄がハンターという職につき、日々無茶をやっていること。流石に、レイが夜な夜なラズワードの体を求めてくることなどは知らないが。


「オマエのこと愛しているからだろ」

「……愛?」

「家族だろ? 何があろうと弟を愛するのは当然のことだろ。オレも弟いるからわかるぜ。すんげーいたずらするわ金ないっつってんのに我が儘言ってくるわ、正直腹立つけどなんかすっげー可愛いんだ」


 抱きしめられたのも、キスをされたのも昨日が初めてだった。いつもただ乱暴に抱かれるだけだった。だから、こんなにもラズワードは戸惑っているのだ。

 あの時、腕を彼の背に回すべきだったのか。目を閉じるべきだったのか。

 それがもし、レイの示す愛だというのなら。それに応える「べき」ではなかったのか、と。 


「……」

「おい、ラズ?」


 そもそも、なぜレイの欲望を受け入れようとしているのか。アレは、嫌で嫌で堪らないのに。そうだ、彼への償い。感謝の気持ち。それを示しているんだ。

 彼のおかげで自由を手に入れている。だから、彼には逆らっては「いけない」。もしも彼に見放されたら……

 いや、なにを考えているのだろう。これじゃあ、まるで。


「――おい、ラズワード! いるか!?」

「……!」
  

 ドタバタと大きな足音を立てながら現れたのは、ラズワードの上司、レックス。青ざめた表情をして、レックスはラズワードに駆け寄る。


「ラズワード……今すぐここから逃げるんだ!」

「……は?」

「なるべく遠くへ! 奴隷商の目の届かないところに!」


 ラズワードの肩を掴んで、レックスは叫ぶ。状況が飲み込めず唖然としているラズワードの代わりに、グラエムが問う。


「ちょっとレックスさん、いきなりどうしたんっすか? 逃げるって……奴隷商ってどういうことです?」

「……」

 
 レックスは横から入ったグラエムの問いに黙り込んでしまった。見上げるラズワードの視線から目を逸らそうとしたが、レックスは唾を飲んで告げる。


「……ラズワード、落ち着いて聞け」

「……はい」

「……レイさんが……君のお兄さんが亡くなった」

「え……」


 告げられた兄の死。あまりに突然のそれは、現実味がなさすぎた。ラズワードは表情も変えずにポカンとしている。


「今日の悪魔狩りの途中で、亡くなったんだ。話によれば、本来載らないはずのレベル5が上のミスでリストに載っていたらしくてな、もちろん高額の賞金だったからレイはそれを狩りにいったんだが……」

「……逃げるって……」

「今日の狩りの分でギリギリ今月分の免除金が払えたんだろう? レイが今回の狩りに失敗したってことは、免除金が払えないってことだ。……奴隷商がくるのは何時だ? あいつらが来る前に、ラズワード、早く逃げるんだ」

 
 魔獣と聖獣は、5段階にレベル分けされている。ハンターに狩ることが許されているのは、レベル4までの魔獣であった。最高ランク、レベル5はハンターの安全性を考慮して狩ることを許されていない。

 ハンターは、レベル4までの魔獣、または悪魔がのったリストを見て自分で狩る獲物を決める。それぞれに設定された賞金を、報酬としてその場で受け取ることができるのだ。もちろんレベルが高いほうが賞金は高く、レイはそのときリストに載っているもののなかで最も高額のものを選んでいた。

 すべてはラズワードのために。毎晩毎晩、凄まじい怪我をしながら家に帰ってくる。


「……奴隷商がくるのは……7時です」

「……な、もうすぐじゃないか! はやく逃げるんだ! 施設にぶち込まれるぞ!」


 ラズワードがこの時思ったのは、レイが死んでしまったら、自分が奴隷施設に入れられてしまうということ。……そう、兄の死を悲しいんだのではなく、自分の身を心配したのだ。自分のために、兄が死んだというのに。


「……」

「おい、ラズ!」


 それに気づいたとき。いや、今までは気づかぬフリをしてきただけだ。

 
「……無理です」

「なに言っているんだよ!」

「……奴隷商から逃げることなんてできません。……そもそも俺に生きている価値なんてない」

「はあ!?」


 他人よりも自分を優先する。こんな醜い人間。

 どうしてレイはこんなくだらない人間のために命を賭けることができたのだろう。その答えが、ラズワードには全くわからななかった。


「……奴隷商に捕まるくらいなら、ここで死にます」 


 ラズワードは腰の鞘からダガーを抜いた。

 きっと俺はレイのようなことは一生できない。自分のことしか考えられないのだから。俺とレイの違いはなんだろう。
 

『愛しているからだろ?』


 もしかしたら、レイは俺のこと、愛していたのかもしれない。それが家族愛なのか性的なものなのかなんてどうでもいいけど。

 そうか、俺はこんなに自分のこと愛してくれた人のことを、ただの奴隷商から逃げるための盾というくらいにしか考えていなかったのか。なんて最低な人間なんだろう。


「バカ、やめろ!」


 刃で首を掻っ切ろうと、ダガーを首に添えた。慌てて止めようとするグラエム達を無視して、ラズワードは手に力を込めた。



「っう……!?」


 しかし、それは叶わなかった。強い衝撃と共に、ダガーが吹っ飛ばされたのだ。

 グラエムたちが止めたのかと彼らを見たが、彼らも驚いたような顔をしている。何が起こったのかと、そうラズワードたちが呆然としていると。

 
「困るな、そんな勝手をされては」


 その声がした方を見れば。最も恐れていた者たちが、そこにいた。

 二人の黒いスーツを着た男。そして、その二人の後ろに立つ、銃をもった黒いローブを着た仮面の人。


「……奴隷商……!!」


 グラエムは初めて直に見る奴隷商に、ただ震えるばかりであった。

 奴隷商はこの世界で最も力をもつ神族で形成される組織である。つまり、何びとたりとも逆らうことのできない権力と力をもつ。 


「……しかも、アレって……」


 3人の中でも異彩を放っているのは、仮面の男。その姿を見れば、誰でもその正体はわかってしまう。施設のトップを担う二人のうちの一人――ノワール。


「なんで、ノワールなんてヤツがこんなところに……!?」

「ラズワード、君の体は我々にとっても価値の高いものなんだ。そう安安とキズモノにされては困る」


 仮面の男・ノワールは淡々とラズワードに言った。ダガーを弾き飛ばしたと思われる銃をしまうと、静かにラズワードに近づいていく。

 ラズワードたちは、思わず後ずさった。無理もない。

 ノワールは施設の中でも極めて高い地位につく男である。普段こうして人前に現れることは少なく、こうした奴隷を捕らえる仕事は下っ端が行うものであった。それを、なぜか今回はノワール本人がでてきたのだ。


「さて、ラズワード。今月分の免除金を徴収しに来た。渡してもらえるか?」

「……っ」 


 押し黙るラズワードを捉えようと、二人のスーツ姿の男がこちらへ向かってきた。


「……っ」


 ラズワードは背負っていたライフルを手に取る。そして銃口を一人の神族の男に向けた。


「まて、ラズ!! 神族に逆らったら死罪だぞ!」

「奴隷になるよりマシだ!!」


 ラズワードはグラエムの制止を聞かず、引き金に指をかけた。あ、とグラエムとレックスが言った時にはもう遅かった。

 男はにやにやと笑っている。


「んん!? 神族に逆らうのか? 水の天使!! おまえらが使う魔術なんかが俺に通用するとでも……!!」


 ダン! と激しい音が響いた。グラエムとレックスは青ざめた顔で男を見る。

 やっちまった。神族に攻撃を――


「ぐ、あああああああああ!!!!????」

「!?」


 激しく響く悲鳴。それは紛れもなく神族の男の声であった。 


「な……」


 撃たれた男は、片腕が破壊されていた。ラズワードの魔術の全身破壊の効果は、男の使った何らかの魔術により大きく威力は下がってはいるが、着弾した右腕は完全に破壊したらしい。どばどばと吹き出す血に、男はパニックになっているようだった。

 もう一人の男はそんな様子を眺めながら、ノワールにそっと耳打ちをする。


「ノワールさん……あいつ、なんなんですか。神族の相殺魔術を破るとか、相当な量の魔力持ってますよね」

「だから俺がついてきたんだ」

「ちょっと、それどういうことですか。俺じゃああいつを捉えられないとでも!?」

「そういうことじゃない。ソレから手を離せ、アベル」


 アベルと呼ばれた神族の男は、ノワールの言葉に従い、腰の剣から手を離す。金の短髪の、若い彼は、不機嫌そうに撃たれて倒れている男へ寄っていく。


「みっともない姿晒してんなよ、ジェイク。さっさと治癒魔術をかけろ。死にたいのか」


 アベルよりもずっと年上だろう、ジェイクは地面にうずくまっている。アベルは溜息をついてジェイクの横腹に軽く蹴りをいれ、とん、と先のちぎれた右肩に手を触れた。そうすれば、またたく間に右腕が再生していく。


「治癒魔術……」


 グラエムはいとも簡単に再生されたジェイクの腕を呆然と見ていた。天使と悪魔は使える魔術が限られている。体内に流れる魔力が風ならば、風魔術というように。治癒魔術は水魔術の部類のため、水の魔力をもっていなければ使うことはできない。

 しかし、神族にはそのような制限はなかった。神族のもつ魔力は、無属性のもの。魔術の知識さえあれば、どんな魔術でも使うことができるのである。

 アベルという青年がつかった治癒魔術は、相当高度なもののようだ。明らかに、ジェイクよりも魔術の腕は上だ。

 それを悟ったラズワードの胸のなかには、逃げる自信がなくなっていく。ジェイクでさえ、全身を破壊するつもりで放った魔術が腕にしか効かなかったのだ。アベルとノワールには恐らく全く通用しない。


「なるほど、ラズワード」


 どうしようかと、悩んだラズワードに、ノワールが言った。その声は、神族に逆らったことによる怒りも何も含まれていない。何の感情も感じさせない、静かな声であった。 


「君は、剣を扱えるか?」

「……は?」


 ぽかんとするラズワードに、ノワールが何かを投げてきた。慌ててそれを受け取ってみれば、それは剣であった。


「君がいつも使っているのは最低ランクのプロフェットだな。今、俺がきみに渡したのは聖堊剣というプロフェットの中でも最も位の高い剣だ」

「……え、なぜ、それを俺に?」

「その剣をつかって俺に斬りかかってこい。もし、俺にカスリ傷の一つでもつけることができたら見逃してやる」

「……!?」


 淡々と言い放ったその言葉に、その場にいた誰もが驚いた。ラズワードたちはもちろん、神族の二人もである。

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