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第十一章:彗星のように

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 もやもやとした気持ちが晴れないまま、沙良は二限目の授業が終わると飲み物を買うために教室を出た。すでに校内は文化祭の色に染まりつつあり、廊下や吹き抜けには色とりどりの飾りがついている。しかし、今の沙良はそれをみても心が躍ることはなかった。波折のことしか、考えることができなかったのだ。

 自販機コーナーにたどり着くと、そこには沙良と同じように飲み物を買わんとする生徒が群がっていた。校内に一つしかない自販機コーナーは全校生徒が利用するため、いつでも混んでいる。沙良が並んでいる生徒の後ろにつこうとした時だ。見覚えのある金髪がちらりと見えたのだ。


「あっ……!」


 目立つその髪の毛はやはり、鑓水だった。鑓水はスマートフォンをいじりながら遠巻きに自販機を眺めている。波折にとんでもないプレイを強いている奴だ、と思うと若干近寄りがたく感じたが、沙良はそろそろと彼に近づいて行った。


「鑓水先輩……こんにちは」

「ん、おお。よう、神藤」


 鑓水は沙良に気付き、いつも通りにカラッと笑う。こんな顔をしてアブノーマルなことが好きなんだなあ、なんて思いつつ、沙良はこそこそと話しかける。


「あの、ちょっと話いいですか」

「話?」

「波折先輩のこと!」

「波折?  波折がどうかしたか?」


 沙良は軽く鑓水の腕を掴んで人がいないところまで引っ張っていく。鑓水は特に嫌な顔もせずに、素直に沙良についていった。


「……あの、先輩。あのアダルト動画サイトのこと……知ってたんですか」

「えっ? 波折がでてるって?」

「……そうです」

「あ~、まあ知ったのはわりと最近だけど」


 自販機コーナーの周囲は人が多い。他の人に聞こえないように小声で尋ねてみれば、鑓水は少しばかり驚いたように答える。ようやく気付いたか、なんて表情をしていた。


「……鑓水先輩って波折先輩のこと好きなんですよね」

「うん」

「……波折先輩に、あのサイトのことなんて言っているんですか」

「何も言ってないけど? 最初はそのネタで強請ったりしたけどその後は何も」

「強請っ……え!?」

「だーいじょぶ、波折が嫌がるようなことしてねーから。もう何もアレについては波折と話してないって」

「……何も、話してない」


 鑓水の口から飛び出してくるのは、驚きの回答。強請った、というとどう考えても「これについてバラされたくなければ~」的なものだと思うが、鑓水と波折の関係はそう暴力的なものには見えない。波折が鑓水にそれなりに懐いているようには見えるため、鑓水の「嫌がるようなことはしていない」というのは嘘ではないだろう、と沙良はそれについては突っ込まなかった。

 それよりも気になったのが、サイトについての話を何もしていない、ということだった。


「……『ご主人様』が波折先輩にはいるんですよ? 何も言わないんですか?」

「……俺が突っ込むことじゃないし」

「たしかに直接は関係ないかもしれませんけど……波折先輩がそんなことをやっているってこと、気にならないんですか? どう考えてもああいった関係は不健全っていうか……異常じゃないですか」

「……あいつの事情があるかもしれないじゃん」

「本当に波折先輩のこと好きなんですか? そんなに関心がないなんて」

「……」


 徐々に口調が荒んでゆく沙良を、鑓水がちらりと横目で見下ろす。そしてふう、と息を吐くと、落ち着いた声色で言ったのだった。


「好きだよ。俺は波折のこと、愛している。俺だって『ご主人様』とかおかしいって思っているよ。でもその問題は本人に任せる。あいつが本当に辛そうだったら力になるけれど、俺は基本的には介入しない。誰だって触れられて欲しくないことはあるだろ。俺はあいつにとっての安息地でいられたらいいかなって思ってる。一緒にいて、楽しいって思わせられたら、それでいいかなって」

「……」


 沙良はじっと鑓水を見上げる。鑓水の瞳は穏やかだ。「愛している」なんてさらりと言って、そんな発言にどきりとした。

 鑓水からは、本当に波折への好意が伝わってくる。しかし、沙良は鑓水の考えには同意できなかった。もやもやと、胸のなかが落ち着かない。


「……前、波折先輩のことを色々と探っていませんでしたか」

「ああ、それはこれからもやる。本人のわからないところでな」

「どうして」

「好きな奴のことは知っておきたい。でも、たとえ真実を知ったところで俺があいつを変えられるわけじゃないだろ。結局は変わりたいっていうあいつの意思がなければなにも変わらない。だから俺は何もしない」

「変わりたいって思わせてあげようとは思いませんか」

「あのサイトに書いてあることが全て事実なら、波折はずっと昔から「ご主人様」に調教されている。もう調教が身体に染み付いているんじゃないか。そんなにあいつに根付いているモンを外側から無理やりねじ曲げたらあいつ辛いだろ」

「だからといって諦めるんですか!」

「……」


 す、と鑓水が瞳を細める。沙良を見定めるような目つきで、冷ややかに。


「やっていることがおかしい、それなら無理やりにでも変えてあげるべきじゃないですか! あのままじゃ波折先輩は幸せにはなれない、たとえ変わることが大変で辛いことでも、変わらなければずっと、人間らしさを取り戻せない!」


 沙良が大声を出してしまったからだろうか、ぱ、と周囲の生徒たちの注目を浴びてしまう。沙良はしまった、という顔をしながら口をつぐんだが、隣にいる鑓水は表情を変えない。生徒が不思議そうな顔をしながらも再び友人たちと談笑を始めると、鑓水は静かに言う。


「……なんでもかんでも正面からぶつかっていけばいいってもんじゃねえよ。おまえは不器用なんだよ」

「不器用とか、そういう問題じゃない」

「……悪く言ってやろうか。おまえの考え方は攻撃的すぎる。自分の考えを人に押し付けようとするな」

「鑓水先輩が保守的すぎるんですよ、それに俺の考えは間違っていない、波折先輩はあのままじゃだめです」


 鑓水がふう、とため息をつく。根本的に自分と沙良の考えが違うため議論しても無駄だ、と感じたらしい。


「じゃあ聞くけど、おまえは波折をどうやって救うわけ」

「えっ……」


 問われて、沙良はグッと黙りこむ。

 今朝、説得しようとして全く効果をなさなかったばかり。言葉で言ったところで無駄なのはわかりきったこと。波折をどうにかして「ご主人様」の呪縛から解き放ってあげたいと思うばかりで、沙良はろくに方法を考えていなかった。

 しかし、ここで黙っているわけにもいかない。

 方法はあるだろうか……何か、方法は――


「……波折先輩に、『ご主人様』から離れたいって思わせます」

「だから、その方法」

「波折先輩に俺のことを好きになってもらいます!」

「――ぶはっ」


 苦肉の策、でもそれくらいしか方法はない。まさか「ご主人様」のように自分も波折を調教するわけにもいかない。監禁なんてするわけにもいかない。波折が自ら「ご主人様」から離れたいと思えば今よりも状況は改善されるのだから、波折に自分を「ご主人様」よりも好きになってもらえばいい。

 しかし、そんなに酷いことを言っただろうか、鑓水は沙良の発言を聞いた瞬間に吹き出した。おかしくて仕方ないと言った風にひとしきり笑ったあと、挑戦的な眼差しで沙良を見つめる。


「青くせー、おまえ面白いわ」

「な、なんですか!」

「その方法は、まあ悪くないような気がするけどさ、……おまえを好きになる必要はないよな」

「え?」

「波折が俺を好きになってもいいんだろ?」

「……!」


 鑓水がふっと笑って目を眇める。そして、ぐ、と沙良の胸を親指で押し、勝ち誇ったように言った。


「悪いな、波折は俺のものだ。はっきり言うけどそれに関しては俺のほうに勝機はあるね。俺のほうが波折と長い時間を過ごしている」

「わ、わからないじゃないですか! 俺だって波折先輩のこと……」

「やってみろよ。波折のことを好きな気持ちでも、セックスの上手さも俺はおまえに負けない」

「せっ……セックスとか、」

「セックスは大事だよ。波折を相手にするなら特に。あいつセックス好きだもん」

「~~ッ、き、気持ちでは絶対に負けません!」


 セックスの経験なんて、正直ない。セックスの上手さなんて鑓水に叶うわけがない。ここで負かされたと思うのは癪で、沙良は必死になって叫ぶ。しかし余裕綽々とした鑓水の表情は変わることがなく、沙良は悔しくてたまらなかった。

 ――そこで、授業開始のチャイムが鳴り響く。この場所から教室には少し離れている。結局鑓水には言い負かされた感じしかしなかったが、もう話している時間はなかった。沙良は鑓水に頭を下げると、急いで教室に向かっていったのだった。
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