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戯の章
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しおりを挟む「歩いて安住の村まで……? それは大変ですねえ」
安住の村までは、一日で辿りつくことはできなかった。距離があるというのもあるが、織の体力が持たなかったのだ。ほとんど屋敷の中で過ごしてきた織は、同年代の男性よりも体力が少々低い。歩きっぱなしでいることは織にとってかなりの負担になったため、鈴懸は見かけた宿に泊まり休憩をとることに決めたのである。
宿の主人は、織が碓氷家の人間であることには気づいていない様子だった。織が旅人を装った、少々埃っぽい格好をしていたからだろう。安住の村まで歩いて行くのだと言ってみれば、素直に驚いていた。
「安住の村といえば……最近色々とあるようですよ」
「色々というと?」
「――安住の村の妖怪が……怒っていらっしゃるのだとか」
「え……?」
主人は、織たちに安住の村に住まう妖怪の話をしてくれた。
妖怪の名は、戯(あじゃら)というらしい。村に古くから住まう、大妖怪だそうだ。戯は元々は心優しい妖怪で、村人とも仲が良かったらしいが……どうやら最近、不機嫌なのだという。その理由を戯は教えてくれることもなく、ただ、気晴らしをするかのように村人に迷惑をかけているらしい。田んぼを荒らしたり、家畜を逃したり――そして特に多いのが、女性への悪戯。女性が夜道を歩いていると、胸やお尻を触られたりするらしい。
「……安住の村に住まう妖怪というのは、その戯という妖怪だけですか?」
「ええ、私が知っている限りでは」
「はあ……」
きっと、咲耶と関わりを持っている大妖怪とは戯のことだ。その確信が、信じられないようなほっとするような。織は大妖怪というのはそれはもう凶暴で恐ろしいものであると想像していたため、拍子抜けしてしまったのだ。
それは、戯が随分と可愛い妖怪だと思ったから。もちろん、村人からすれば迷惑極まりない妖怪だろうが、大妖怪と呼ばれるほどに力を持っておきながら気晴らしの方法は残忍ではない。妖怪ならば人を食ってしまうことなんて当たり前にしているのに。苛々としていても誰かに命を脅かすような危害を加えないというのだから、きっと戯は悪い妖怪ではないのだろう。
「戯様は恐ろしい妖怪ではありませんが、安住の村に行かれる際には気をつけてくださいね」
これからどんな辛い目にあうのだろうと気構えしていた織は、ほっと安堵の溜息をつく。もちろん、注意するに越したことはないが。
今晩はゆっくりと休んで、明日に臨もう。織は主人にお礼を言って、そのまま休むことにした。
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