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焦燥

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 目が覚めると知らない部屋に寝かされていた。薄暗いが、景色は普通に見える。

 いい加減慣れてきたなと思いながら瑛士は身を起こした。そして改めて体の点検をする。首輪と手錠はそのままになっており、違うところは首輪の鎖と口の拘束具が無くなっているところか。
 足枷はないけど、ベルトと、鈴が付いている。多分だけど、逃亡防止かなと、試しに足を動かせばそれなりの音が鳴った。これを音を立てずに動かすのは無理そうだ。
 鈴と足枷を繋げているのは紐だけれど、鋭利なものを所持していない瑛士はこの紐を斬ることはできない。

 粗末だけれど思いの外しっかりしている寝台から降りて部屋を歩き回る。煉瓦と漆喰で作られた小部屋に粗末な寝台と、トイレと思わしきものと、高い場所に格子付きの小さな窓。

 足場になりそうな手頃な椅子はなく、寝台はトンカチで固定されている。
 試しに跳んで届くか試そうと思ったけど、どうせ足の鈴が鳴って誰か来るだろうから諦めた。

「まだ使えないのかな……」

 魔法陣が使えるようになっているのならば、この現状でもある程度はどうにかできる。
 試しに音消しの魔法陣を書いたけれど、やはり発動しない。冷静に考え、瑛士はここでひとつの可能性が思い浮かんだ。
 魔法士専用の拘束具だ。

 魔法士は普通の拘束では簡単に解かれて逃げられる。何故なら“それ専用の魔法陣が数多く存在している”から。
 だから三点封印という拘束具で詠唱したり魔法陣を書く為の魔力の流れを止めてしまえば、魔法士はただの人に戻せるので推奨されている。
 普通の人間ならそう簡単に拘束具を外せないから、という理由である。

 原理はこうだ。この首輪で口に向かう魔力の流れを乱し、手首の拘束具で指先の魔力の出る孔、通点という場所を完全に開かなくさせるというもの。
 そうすると魔法陣を書くことは出来ても、起動に必要な分の魔力を込められていないから使い物にならないということだ。というより、いつ魔法陣を書けるのがバレたんだろうか。
 もしかしたら城に出入りしているのを知ってて、抵抗出来なさそうだと狙ったのかもしれない。

 だとしたら本当に立場だけの木偶だ。

 ため息を付きながら寝台に座り込み、両手で顔を覆った。
「ダレク……」

 今頃探し回っているはずの彼の名を小さく呼んだ。

 拐われた時の記憶を思い出す。
 あっという間だった。街中で何故か小型の馬車がものすごい速度で向かってきたと思ったら、ロープが飛んできて体に巻き付いて馬車に引き込まれた。三人係で抑え込まれそうになったのを数珠も使って殴る蹴ると抵抗していたのだが、さすがに三対一は無理だった。
 数珠もナイフで切られて窓から投げ捨てられてしまった。その際に付いた手首の傷が拘束具に擦れて痛い。

「……」

 手首の傷を撫でながら、左手にある指輪を見つめる。
 ダレクとのペアリングだ。この世界では何の意味も持たないそれは、瑛士にとってはダレクとの大事な繋がりの一つだ。

 絶対にまたアイツの元に戻る。

 そう決意しながら指輪に唇を付けた。





 ガチャ、と扉が開く音がして慌てて振り替えると、そこには黒子のような衣装の人物が三人、変な道具を片手に部屋に入ってきた。

「お前にいくつか質問をする。応えろ」
「……」

 ごくりと唾をのみ込む。
 あの道具、中に刃物とか鞭みたいな道具らしきものが見えているんだけど、もしや拷問でもされるのだろうか。と、瑛士の険しい表情を黒子の人物が見て、口元をニタリと歪ませた。

「痛い目には遭いたくないだろ?」








 □□□焦燥□□□









 廊下の壁にヒビが入っている。
 エージが拐われてすでに二日が経過していた。ダレクの怒気は日々膨らみ、壁に触れただけでヒビが入る。
 月一の発作でもこんなに酷くはなかったと、そのヒビをヘリオドルが見詰めていた。

 手には修復の魔法陣が付与されている白い粘質の液体が入ったバケツとモップ、そして水切りワイパー。
 これからダレクが館に入れたたくさんのヒビの修復作業をする。

 エージが早く戻ってこないと、一月も経たないうちにこの屋敷は瓦礫を通り越して粉になるかもしれないと思いながら作業するヘリオドルは、ふと手を止め、エージを思い浮かべる。

 異国の青年。
 突然転がり込んできた野良猫は、いつの間にかこのアレキサンドライト家になくてはならない存在になっていた。

 彼が来るまでは、この屋敷は恐怖の溜まり場だった。
 巨大な魔力を持て余す主人のダレクは、正しい意味での災害で、知り合いからは同情ばかりされていた。
 賃金に不満はないが、いわば常に危険と隣り合わせだった。

 ヘリオドルは小さい頃からダレクを知っているから、なんとなくずっと世話をしているに過ぎない
 だから、彼がまったく笑顔を見せなくてもなんとも思っていなかった。
 むしろ、幼少時代がアレでは、笑顔を覚えることが出来なかったと言われても納得がいく。

 なのに──

「……ずいぶんと変わりましたね」

 主人はエージが来てから良く笑うようになった。
 しかもずいぶんと色んな種類の感情も見せるようになった。

 意地の悪そうな笑み、楽しそうな顔、愛おしげに微笑む顔、照れる顔なんて希少なものも見た。

 エージは知らないでしょうが、彼がエージを連れてきた時も、その必死そうな顔に心底驚いたし、次の日に見せた笑みに使用人みんな目を丸くしたものです。

 一番驚いたのが、誰かの為に命の危険をおかしてまで助けたあの事件。初めて主人が人間なのだと思えました。

 液をヒビに染み込ませて、水切りワイパーで余分なものを削ぎ落とすとヒビが消える。
 ヒビのあった箇所を撫でながらヘリオドルは何処にいるのかもわからない青年へと語り掛けるように呟いた。

「クリハラ、早く帰ってきてください。このままだと帰る家が無くなっちゃいますよ」





 ◆◆◆




 蜂蜜色のお茶に白い花が浮かんでいる。茉莉花だ。くるくると回るそれを眺めながらダグパールは背後の人物に訊ねた。

「情報は?」
「は!どうやら事前に口封じの魔法陣を仕込んでいたらしく、自白の魔法は弾かれてしまいました。今は地道に追い詰めてますが、あの男、思ったよりも口が固いです」
「ほお…。結構簡単にいくと思っていたんだがなぁ」

 意外だと笑いながらダグパールは茉莉花茶を飲む。

 今回競り落としたあのヌハワ人、あれはアスコアニで見かけた下人だ。
 たまたま訪れたアントニカの奴隷商で売られていたから、ちょうど良いと思って競り落とした。おそらく何か粗相でもしたのだろう。
 たかが下人ごときを覚えていたのは、あの城で好みの顔だったからついつい見てしまったからだ。

 特徴的な瞳の色も同じだった。
 あの魅惑的な目、あのような瞳は世界に二つと無いだろう。

 飲み干したコップを机に置く。

「あの男、エージ・クリファライトと言ったか。結構な傷だったな」

 ライトに照らされ、晒された上半身には心臓や腹に夥しい傷跡があった
 普通に生活していれば付かないような傷だ。ということはだ、それ用であった可能性が高い。

「所詮は異国人です。しかも搾取される小国だったヌハワの。城で働いていたといっても所詮は下人くらいにしかなれないでしょう。おそらく魔法陣関連で実験でもされていたんじゃないでしょうか?」
「ふむ。もしそうだったら今のままじゃ口は割らないだろう。きっと痛みの耐性は高いだろうからな。三日ほど様子を見て、口を割らないなら方法を変える」
「どうしますか?」

 ニヤリと笑うダグパール。
 鞭だけを与えたところで慣れているものには効かない。
 なら、一番いい方法はこれだ。

「こういうのはな、飴と鞭を使い分けるのだよ」








 トントントントンと、部屋に木霊する音がやけに響く。
 怒りで部屋にヒビを入れるが、たちまち高位修復魔法陣で部屋が直されていく。
 だけど、そのヒビは初日よりは小規模に収まっていた。何故なら先ほどヘリオドルに、「クリハラの帰る家を粉にするつもりですか?」と言われ、ダレクは昨日から被害を最小限にする為に執務室で寝泊まりしている。
 勿論魔力も抑えてはいるけれど、それだって限度があった。

 陛下に待てと言われているからまだ待ってはいるが、既に怒りが限界突破している。
 エージが拐われてから既に4日経っているのだ。今すぐにでも飛び出して探し回りたいが、確かな情報が得られるまで此処から動けない。

 なので部下であるパパラチアは怯えながらも報告を伝えにやって来る。もちろん仕事の報告だ。エージが拐われた事件、調べてみたところ消息不明になったという報告が26件あった。

 首都以外でも小型の馬車が暴走した事件もあり、おそらくだがこれがエージと関わりがあるのだと目星を付けて追っている。

 きっと、使者を招くパレードに便乗したのだろう。
 そういった行事の前後では国は多少荒れる。それは国民が浮き足立つっていうのもあるし、何より警備するものがいつもの配置を変えさせられるからっていうのもある。

 もちろんそれが分かっているからこそこちらだっていつも以上に警戒をするのだが、当然間に合わなかったりする。

 こういった人拐いの報告も別に珍しいことではないが、首都でこの人数なのは大変なことで、さらにいえば報告に上がりにくい場所も遭わせると100近くになっている可能性だってある。

 今回特に問題なのは、国の、魔法士副団長のエージが拐われたことだ。

「ちっ」

 ビキリと机にヒビが入ったが、末端から直っていく。

「……落ち着け、こんなところで魔力を放出していても良いこと無いぞ」

 とは言い聞かせているものの、怒りは止められない。
 いっそのこと外で素振りでもしようかと立ち上がった時、扉がノックされた。

 椅子に座り直し、入れと声を掛けると、息を切らせたパパラチアだった。
 本日二度目の訪問だ。報告ならば一度目に受けている。
 ならば──

「団長!陛下がお呼びです!」

 待ちに待った呼び出しだ。
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